第11話:「死んだ石って、どう死ぬの」
「刻印を一つ、貸すという話にしよう」
ボルツ様は、前と同じ椅子に座られました。
「売るのではない。貸す。応募のあいだだけだ。あんたは自分の意匠で出せる。通れば、王家の指輪をあんたが作る」
「刻印には、どなたのお名前が」
「グリューン工房。十二年前に畳んだところだ。悪い名じゃない」
「その名前で、応募するのですね」
「そうなる」
「通りましたら、王家の帳面には、グリューン工房と記されますね」
「記されるだろうな」
ボルツ様は、指を組まれました。
「だが、王都の連中は知ることになる。グリューン工房で作っているのは誰か、とね。腕のある職人が一人いれば、そういう話は必ず漏れる。一度漏れれば、次からはあんたに直接来る」
それは、たしかにそうだろうと思いました。
この方は、商売のことをよくご存じです。
「三年だ」
「三年」
「三年うちで働けば、刻印を一つやる。今度は本当にやる。名前は……そうだな、好きに彫り直させてもいい」
「彫り直せますか」
「金を出せば、彫れる職人はいる」
わたくしは、少し黙りました。
「そのお話は」
「うん」
「グリューン工房の方には、していただけましたか」
ボルツ様の眉が、動きました。
「……何度も言うが、あそこは畳んだんだ」
「畳んだ方は、いまどちらに」
「知らんと言っただろう」
「わたくしが調べても、よろしいでしょうか」
部屋が、静かになりました。
ボルツ様は、しばらくわたくしを見ておられました。
それから、椅子から立ち上がられました。
「……あんた、賢いのか馬鹿なのか、分からんね」
「よく言われます」
「ひと月後だ」
その方は、戸口で振り返られました。
「ひと月後には、王都中の工房が意匠図を出す。オルストも出す。あんたはここで銅貨の仕事をしている。それで納得できるなら、それでいい」
「一つだけ」
わたくしは、その背中に申し上げました。
「グリューン工房の方は、いくらで売られましたか」
ボルツ様は、振り返られませんでした。
「金貨十五枚だ」
「刻印を一つ、いま作らせますと、彫り代が金貨三枚でございます」
「……何が言いたい」
「五十年の信用に、十二枚の値がついたということでございますね」
その方は、しばらく戸口に立っておられました。
「安いと言いたいのかね」
「いいえ」
わたくしは、首を振りました。
「値がついたことに、驚いております」
戸が閉まりました。
馬車の車輪が、また壁を擦っていく音がいたしました。
◇
リタは、次の日の夕方に戻ってまいりました。
どこへ行っていたのか訊きましたが、答えませんでした。ただ、いつもの窓枠に座って、わたくしの手元を見ておりました。
「ねえ」
「はい」
「聞いてもいい」
「どうぞ」
「死んだ石って、どう死ぬの」
わたくしは、やすりを止めました。
「……どう、とは」
「あんた、前に言ったじゃん。あの人の石は死んでない、曇ってるだけって。じゃあ、死んでる石ってのがあるんでしょ」
「ございます」
「どう死ぬの。割れるの」
「割れません」
「じゃあどうなるの」
わたくしは、しばらく手元を見ておりました。
どう申し上げればよいのか、考えておりました。
「……光を、返さなくなります」
「それは聞いた」
「はい」
「なんで返さなくなるの」
わたくしは、答えませんでした。
リタは、待っておりました。この子は、待つときは静かに待ちます。
「石には」
わたくしは、口を開きました。
「石には、覚える性質のあるものがございます」
「覚える」
「はい。人が指に嵌めて、何かを誓う。すると、その誓いが石に残ります。……古い言い伝えのようなものです。信じない職人も多うございます」
「あんたは信じてるの」
「見えますので」
「見えるの?」
「わたくしが組んだ石だけです」
わたくしは、やすりを置きました。
「自分の手で座に嵌めた石は、あとで見たときに分かるのです。生きているか、曇っているか、死んでいるか。……他の方が組んだ石は、わたくしにも、ただの石にしか見えません」
「なんで自分の石だけ」
「分かりません。祖母もそうでした。そういうものだと言っておりました」
リタは、窓枠に顎を載せました。
「じゃあさ」
「はい」
「死んだ石って、誓いが破られたってこと」
「……そうなります」
「破られたら死ぬの。一回で?」
「いいえ」
わたくしは、首を振りました。
「一度では死にません。曇ります。何度も、何度も破られて、それが積もって、最後に光を返さなくなります。……ですから、死んだ石を見ると、だいたい分かるのです。長いこと、そうだったのだと」
「ふうん」
リタは、しばらく考えておりました。
「じゃあさ」
「はい」
「あんたが最初に言ったやつ。あの、あんたを捨てた男の」
わたくしは、やすりに手を伸ばしました。
「あれ、死んでたんでしょ」
「はい」
「いつ死んだの」
手が、止まりました。
「……もう遅うございます」
「え?」
「日が暮れました。今日はここまでにいたしましょう」
「ちょ、待ってよ、あたし訊いて——」
「明日、留め金を三つ直さなければなりません。早く休みます」
わたくしは立ち上がって、窓を閉めました。
リタが、外から窓を叩いておりました。しばらく叩いて、諦めて、帰っていきました。
◇
灯りを消してから、寝台に横になりました。
天井の梁が、暗がりの中でぼんやり見えます。
いつ死んだのか。
あの子は、良いところを訊きます。
答えは、わたくしの中にございました。ずっとございました。婚約披露の夜より、ずっと前から。
ただ、口に出したことは一度もございません。
口に出せば、それは事実になります。事実になれば、この二年間、わたくしが何をしていたことになるのか——それを考えなければならなくなります。
あの二年、わたくしは何をしていたのでしょう。
仕事は、しておりました。三年で三百九十七のうち、二年ぶんがあの期間でございます。よく働きました。あの頃がいちばん、手が動いておりました。
夜会にも、月に一度は出ました。ドレスも誂えました。話しかけられれば返事もいたしました。
……その全部を、光を返さない石の前でやっていたことになります。
わたくしは、寝返りを打ちました。
石は、正直でございます。
正直すぎて、時々、こちらの都合を待ってくれません。
お読みいただき、ありがとうございました。
【今日の石】石が死ぬのは、一度きりの裏切りによってではありません。積もって、積もって、最後の一度で光を返さなくなります。……ですから、死んだ石を見た職人には、だいたいの年月が分かってしまいます。
次回、リタが組合の証文を見ます。この子は字が読めません。それでも、その証文の何かがおかしいと言い出します。




