第10話:王家の婚礼指輪、入札のお触れが出ました
その朝、五番通りにも人が走ってまいりました。
誰かが噴水の広場で触書きを読み上げているというので、通りの方々がぞろぞろ出ていかれます。リタが窓から飛び込んできて、わたくしの袖を引きました。
「行こう」
「今日は仕事が」
「行こう」
この子は、こうと決めると引きます。
◇
広場は、人でいっぱいでした。
台の上に王家の使いの方が立って、巻紙を広げておられます。
「——来る春、王女殿下がご婚礼を迎えられる。これに用いる婚礼指輪について、王家は広く王都の工房より意匠を募るものとする」
人の声が、いっせいに上がりました。
「募集は公開とする。応募の期限は、ひと月後。提出するものは、意匠図と、見本の一点」
わたくしは、後ろのほうで聞いておりました。
王家の指輪は、これまで宮廷付きの工房が作ってまいりました。代々決まっており、公募になったことはございません。
「なお、応募の資格を定める」
使いの方が、そこで声を張られました。
「一つ、王都に工房を構えていること。一つ、五年以上の営業の実績があること。一つ、——工房の刻印を有していること」
わたくしは、その最後の一つを、二度聞き直しました。
「刻印を持たぬ者の応募は、これを受け付けない。以上」
◇
「ねえ、なんて書いてあるの」
リタが、袖を引きました。
台の脇の壁に、触書きが貼り出されておりました。人が群がって読んでおります。
「読んで」
「読みますが」
わたくしは、人の間から紙を見上げました。
「王家の婚礼指輪を、王都の工房から募る、と」
「ふうん」
「応募には条件が三つ。王都に工房があること。五年以上やっていること。刻印を持っていること」
「刻印」
リタが、こちらを見ました。
「あんた、持ってないじゃん」
「はい」
「じゃあ出せないの」
「出せません」
「なんで」
「そう書いてありますので」
リタは、貼り紙を見上げました。
しばらく、そうしておりました。
「……あたし、字が読めればさ」
小さな声でした。
「読めれば、何か違ったのかな」
「何がでしょう」
「知らない。何かだよ」
リタは、それきり黙りました。
◇
貼り紙の前には、工房の方々が集まっておられました。
顔は、たいてい存じております。父の代からの付き合いのある方が、何人もいらっしゃいます。
その中のお一人が、わたくしに気づかれました。
目が合って、それから、逸らされました。
わたくしは、頭を下げました。相手は、下げ返されませんでした。悪気があるのではございません。オルストの娘が婚約を破棄されて工房を出た、という話は、もう王都中に回っております。どう挨拶してよいか分からないのだと思います。
こういうとき、こちらから何か申し上げれば楽になるのでしょうが、うまい言葉が思いつきません。
結局、黙って離れました。
人の話が、聞こえてまいりました。
「宮廷の工房はどうなさるのかしら」
「そりゃ出すだろう。だが公募となれば、通るとは限らん」
「なぜ急に公募に」
「大公妃さまのご意向だという話だ」
わたくしは、その名前に耳を止めました。
「宝物庫を預かっておられる方だな。王家の宝はみな、あの方の帳面に載っている」
「なぜ公募になさったんです」
「さあね。……王都の工房を競わせれば、良い物が安く出る。それだけかもしれん」
商人風の方々が、そう話しておられました。
わたくしは、人の輪から離れました。
◇
三番通りを通って帰りました。
わざとではございません。五番通りへの近道が、そこを通るのです。
オルスト工房の前には、人がおりました。
父が、店の前に出て、近所の方々と話しておられます。声が大きうございました。父があんな声を出すのを、久しぶりに聞きました。
「——五年どころではない。うちは五十二年だ」
「そりゃ確実に通りますな」
「刻印もある。条件は全部揃っている」
「三代目の腕を、王家に見ていただけますな」
その輪の外に、アネットが立っておりました。
こちらへは背を向けておられました。ドレスの背中が、動いておりませんでした。
わたくしは、足を止めませんでした。
通り過ぎるとき、扉の刻印が目に入りました。菱形と、二本の線。その下の、削られた跡。
五十二年。
そう言えるのは、あの菱形が五十二年ぶん押されてきたからです。押してきたのは、祖父と、父です。彼らがこの五十二年で組んだ指輪が何本あるかは、わたくしは存じません。
わたくしの三年ぶんは、三百九十七です。
あの数字は、あの菱形の中に入っております。
◇
部屋へ戻りますと、仕事台の上に、直しかけの耳飾りが置いたままになっておりました。
座って、続きを始めました。
銅貨四枚の仕事です。
手が、うまく動きませんでした。
三度やり直して、四度目にようやく通りました。
「……ミレイア」
リタが、窓の外から言いました。この子がわたくしの名を呼ぶのは、珍しいことでした。
「はい」
「悔しい?」
わたくしは、手を止めました。
少し、考えました。
「悔しい、というのとは、少し違うようです」
「じゃあ何」
「……何と申し上げればよいのでしょう」
わたくしは、耳飾りを光にかざしました。
留め金が、まっすぐに直っております。銅貨四枚の仕事にしては、良い出来だと思いました。
「わたくしは、王家の指輪を作りたいのではありません」
「うん」
「作れる腕があるかどうかも、分かりません。宮廷の工房には、わたくしよりずっと長くやっておられる方がいらっしゃいます」
「うん」
「ただ」
わたくしは、耳飾りを布の上に置きました。
「出せない、というのは。……出す資格が無い、というのは」
うまく言葉が出てまいりませんでした。
「腕を見てもらう前に、負けているような気がいたします」
リタは、何も言いませんでした。
しばらくして、窓枠から降りて、どこかへ行ってしまいました。
その日は、それきり戻りませんでした。
◇
夜、戸を叩く音がいたしました。
リタかと思って開けますと、違いました。
樽のような体格の方が、燭台の灯りの中に立っておられました。
「やあ」
ボルツ様でした。
「お触れは、聞いたかね」
「はい」
「刻印は、まだ持っていないね」
その方は、笑っておられました。
目だけが、笑っておられませんでした。
「話の続きをしようじゃないか」
お読みいただき、ありがとうございました。
【今日の石】王家の婚礼指輪は、代々「宮廷付きの工房」が作ってまいりました。公募になったのは、記録に残る限りこれが初めてです。……なぜ今年に限って、と思われた方は、その勘を覚えておいてくださいませ。
次回、リタが「死んだ石って、どう死ぬの」と訊きます。ミレイアは、その質問に答えません。




