●21
「マリッサお嬢様、スープだけでもお召し上がりください」
「うん。ありがとう、エスター」
運ばれてきた昼食にちらりと目をやったものの、食欲は湧かない。
「……もう少ししてから頂くわ」
軽い風邪だと思っていたあたしの症状は、みるみるうちに悪化していった。
今ではベッドから起き上がることすら辛い状態になっている。
「マリッサお嬢様は病気ではないとお医者様は仰っていましたが……顔色を見る限り、とてもそうは思えません」
「あたし、そんなに病人っぽい顔色をしてるかしら」
「はい。スープを召し上がってからは、またお休みになった方が良いと思います」
「そうするわ。起き上がるのもしんどいくらいだから」
確かに食欲が湧かなくても、スープくらいはお腹に入れておいた方が良さそうだ。
風邪と戦うにはエネルギーが必要だろうから。
……今すぐ起き上がることは出来ないけれど。
黙ってスープを見つめるあたしに、エスターが遠慮がちに声をかけた。
「あの、マリッサお嬢様。お眠りになるときは、ネックレスを外した方が良いかと思います。私が外しても構いませんか?」
「そうね。身に着けなくても枕元に置いておけば……って、なにこれ!?」
守護魔法が掛かっているからと付けっぱなしにしていたガラス玉のネックレスをエスターに外してもらうと、ガラス玉は最初の頃の透明感が嘘のように黒ずんでいた。
「こんな色……とてもガラス玉には見えないわ」
「ガラス玉? これは黒い石のネックレスですよね?」
「エスターにも黒い石に見えるわよね」
ガラス玉は真っ黒で、もはやガラス玉が黒ずんでいるというよりは、最初から黒い石だったとしか思えない色をしている。
「マリッサお嬢様がそのようなネックレスを持っていることは知りませんでした。そのネックレスもお祭りで購入されたのですか?」
エスターはこのネックレスの本来の姿、ガラス玉のネックレスは見たことがある。
しかしまさかこれがあのガラス玉のネックレスとは思ってもいないのだろう。
「……エスター、お願いがあるの。あたしの代わりに、魔法認定委員会のキリアンさんに、至急屋敷に来てほしいって連絡をしておいて。『ガラス玉が黒くなった』と伝えれば、すぐに来てくれるはずだから。彼が屋敷に来たら、あたしのところに通して。もしあたしが起きなかったとしても、この部屋まで案内してちょうだい」
「それはどういった意図で……」
「話すと長くなるから元気になったらでもいい? とにかくお願い」
「かしこまりました」
エスターにはあたしの言葉の意図は分からないだろうけれど、頼まれたことはきちんとこなす性格だから、きっとキリアンを呼んでくれる。
このガラス玉が闇魔法を吸収するという話が本当なら、このガラス玉は闇魔法を吸収したせいで黒ずんでいるのだろう。
そして吸収しきれなかった闇魔法があたしを蝕んでいる。
あたしにはどうすればいいのか分からないけれど、魔法のエキスパートであるキリアンなら解決方法を知っているはずだ。
キリアンに頼ることはあまりしたくないけれど、そんなことを言っている場合でもない。
キリアンにとっては闇魔法の取り締まりも仕事の範疇なのだから、取り締まれなかったせいで起こった出来事の処理も仕事のうちだ……たぶん。
* * *
あれからどれだけの時間が経ったのだろう。
起きている時間の方が短いくらいに寝てばかりのため、時間の感覚が無い。
「マリッサ、入るわよ」
久しぶりに目覚めてぼーっと目を開けていると、部屋に誰かが入ってきた。
複数の足音が聞こえる。
「あ……キリアンさん……」
やってきたのはキリアン、それにお母様と侍女のエスターだ。
「闇魔法です」
キリアンはあたしの顔と枕元に置かれた黒ずんだネックレスを見ると、開口一番そう告げた。
「闇魔法ですか!? それは違法なのではありませんか!?」
「違法ですが、使用する者がいることもまた事実です」
「そんなっ!? どうしてマリッサに!?」
お母様がキリアンの言葉を聞いて、悲鳴に近い声を上げた。
まさか自分の娘に闇魔法が掛けられているとは思ってもみなかったのだろう。
闇魔法を使う者は少なく、また使ったことが判明すると処刑されるため、一般人は闇魔法に触れることなく一生を終える。
それゆえ闇魔法のことを、どこか他人事として考えている人は多い。
きっとお母様もそういった考えを持っていたのだろう。
「すぐに対抗魔法を使用しなければなりません。このままでは彼女は衰弱するばかりです。対抗魔法を使用してもよろしいですね?」
「その対抗魔法でマリッサは助かるのですよね!? ねえ!?」
お母様がキリアンにすがりついた。
そのお母様にキリアンは申し訳なさそうな表情を向けている。
「助かるかどうかは本人次第です。もちろん俺も全力は尽くしますが、闇魔法と対抗魔法が衝突している間、彼女の身体には耐えていただかないといけませんので。一つだけ言えることは、このままだと彼女の体力はどんどん減っていきます。対抗魔法を使うのが遅くなればなるほど、苦しむのは彼女です」
「ああっ、マリッサ!」
キリアンの言葉を聞いたお母様が、泣きながらあたしの手を握った。
お母様が泣き出してしまったため、代わりにエスターがあたしに確認を取ってきた。
「マリッサお嬢様、どういたしますか?」
「キリアンさんの……言う通りにして……」
「かしこまりました」
エスターはお母様の肩を叩くと、お母様に何かを告げた。
するとお母様は泣きながらもエスターの言葉に頷いた。
「すべてが終わるまで、この部屋には誰も入らないでください。対抗魔法を使用している最中に集中力が切れると危険ですので」
お母様はあたしから離れようとしなかったけれど、エスターに引きずられるようにして部屋から出て行った。
そしてエスターは部屋の扉を閉める際、キリアンに深々と頭を下げた。
「マリッサお嬢様のことを、よろしくお願いいたします」
「お任せください」
お母様とエスターがいなくなった部屋で、キリアンが懐から杖を取り出してあたしの目を見つめた。
ぼんやりとした視界の中に、悔しそうなキリアンが映る。
魔法認定委員会の職員として、闇魔法を使用されたことが悔しいのだろうか。それとも……。
「バヴィエール伯爵令嬢。俺のことを信じて、絶対に闇魔法に打ち勝つという強い気持ちを持ってください」
「はい……あなたを、信じます……」
それからのことはよく覚えていない。
けれどぼんやりとした視界に、眩い光を放ち続けるキリアンの魔法と、汗を流しながら魔法を使うキリアンが映っていたような気がする。
あとはバチバチと何かが爆ぜるような音もしていた気がする。
それ以外で覚えているのは、身体中が痛かったことだけだ。
熱くて痛くて、全身を焼かれているようだった。
しばらくしてやっと熱と痛みが消えて疲れ切っている身体に、部屋のドアを開ける音が聞こえてきた。
「マリッサは!?」
「彼女は体力回復のために眠っています。今はこのまま寝かせてあげてください」
「ということは、成功したのよね!? ねえ!?」
「はい。闇魔法の脅威は去りました」
まだ眠ってはいないのだけれど……でも、そうか。
どうやらあたしは、助かったようだ。




