第4輪 相縁(あいえん)パンジー
パンジー(pansy)こと、パンセロット(panseelotte)の名は、両親の出会いの地で、栽培が始まったばかりの観賞花に由来して名づけられたという。
つまり、名づけの順番は愛称が先で、本名はこれを慣例的な名らしく変更したもの。
流行を先取りしたもの、ということだ。
だから、先ほど出会ったばかりで親切にしてくれた商店の中年の女性は、「パンジー」の意味するところが何なのか、理解できなかった。
「『パン』ジーか。奇遇だね。あたしはイースト、ってんだ。酵母ってのはパン作りに欠かせないもんでね」
「まあっ! そうなんですの。でしたら、私たち『パン』仲間ですわね!」
パンジーがよくわからないテンションで喜んでいる間、イーストという女性は、店の厨房にかんたんな料理を作りに行く。
店の戸先には「OPENE」と書いた木札をさげているし、自身もすでに朝食を終えているにもかかわらず、パンジーのための食事を用意してくれるのだ。
「はいよ。うちの看板商品! よく噛んでおあがり」
10分とたたないうちに、イーストは朝食の品をもってきた。
ふかしたジャガイモが丸ごと1つ入ったクリームソースのスープ。
アブラナのサラダ
それから、棒パンのスライスのトースト。
「どちらが看板商品ですの?」
「アハハっ、そうかい、うちが何屋か知らなかったのかい! 一度、外へ出てごらん?」
イーストが大声で笑う。
失礼にもすぐ料理へ手をつけようとしていたパンジーは願い叶わず、店構えを見てくるように言われる。
ナイフとスプーンを両手に、生唾でくちびるを湿らせたパンジーが屋外に出る。
からだを丸めたイライの背を一瞥した後、振り返って、店の軒上に掲げられた看板を見上げた。
「『パンパン(PanPan)』? 可愛らしい! パン屋さんでしたのね!」
パンジーの素直な感想を聞き、店の入口で上機嫌にほほ笑むイースト。
2人して食卓にもどり、パンジーは忘れきっていた祈りの言葉を宣言してから、食事にありついた。
とはいえ、その作法はやはり育ちの善さを思わせる、上品であり高貴なものだ。
スープを口に運んだり、パンをちぎったりする姿だけでも、絵になる美しさ。
口を閉じて、咀嚼するのは、天使か精霊か――と、イーストは思わず見とれて、光景をながめている。
だが、しばらくして、ため息するようにパンジーへと語りかける。
「まあ、あんたの事情に深入りする気はないけどさ。『働きに』っていうのは、ホントにファクトリアの『工場で働く』って意味なのかい? 大変だよ?」
「えっ。と……そう、ですわ! むしろ、それ以外にもお仕事があるんですの?」
「そりゃ当たり前よ。あたしだってそうさね! ファクトリアには、工場でまとまった金を稼ごうと色んなやつが集まってくる。だけどそれだけじゃない、工場の職人相手に商売をするやつも大勢いるのさ。パン屋にパスタ屋、魚屋、異国料理、砂糖菓子、食いもん以外ならファッションだって宝石だって酒だって、何でも! ここには、山ほど仕事ってもんがあるんだよ」
イーストが力説する。
もっとも、それはパンジーという無知な子どもに説き聞かせる姿勢などではなく、彼女にファクトリアの魅力を何としても伝えたいという、熱意の表れだった。
「いや。……だからって、あんたが工場で働こうって言ってるのを止めたいんじゃないの。工場で働いて、思うようにいかなくって、逃げ出したくなっても、ここには幾らでもあんたを受け入れてくれる場所があるってこと。それだけは覚えていておくれ。ファクトリアの住民の証みたいなもんだから」
「ありがとうございます。イーストさん」
パンジーは雰囲気を重たくするまいと、かんたんな礼だけを述べる。
しかし、イーストの言ったことのすべては、あたかも、パンジーが実家から夜逃げ同然に家出してきた娘であることを見抜いて、「ファクトリアではそうはいかない」と教え諭すようなものだった。
……とはいえ、現状のパンジーが浮浪者と大差ない立場、身なりであることを考えれば、イーストの考えも当然至極のものだろうが。
朝食をとり、満腹となったパンジーはキッチンから出て、店のカウンターにやって来る。
こんがりと焼けた色んな種類のパンが、値札のみ示された大判のバスケットに並んで据わっている。
寄せ植えのプランターが飾られているみたいだ。
表面が褐変反応により茶光沢を帯びたパンたちは、残念ながら、空元気を見せる枯れかけの多肉植物のようではあるが。
するとパンジーは物見して、テラコッタの中から気に入った1つを指差して、注文した。
「イーストさん! こちらをくださいな」
対して、商売人であるはずのイーストは作り笑いをして、注文を断った。
「気を遣わなくていいよ。今日のあんたは、あたしの客だから。またこんど、店の客として来ておくれ」
その取り成しを受けて、パンジーは返答に詰まる。
あらためてお礼を言うべきか、面倒をかけたとあやまるべきか。
少し頭を使ってみる。
けれど、今のパンジーには回答が思いつかなかったから、ただ笑顔を浮かべて会釈するだけに留めた。
パンジーは店を出る。
イライは呼びかけずとも、いそいそと彼女の元へ歩み寄る。
毛むくじゃらの口に、「パンパン」謹製の棒パンをくわえて。
食べづらいのか味わっているのか、まだ3分の2ほど残している。
「ファクトリアにある工場は全部、『工場連盟』が仕切ってる。職人になりたいなら、そこの紹介を受ける必要があるんだ。この通りを北にまっすぐ行くとね、『中央広場』って言って、露店がたくさんある場所に出るから……そこでまた道を聞くこと。みんなイイやつらだから!」
「本当に、ありがとうございます。私、ファクトリアではじめて出会えた方がイーストさんで、とっても幸運でしたわ。かならず、またお店にうかがいますわ!」
「アハハ、かならずだよ。じゃ、いってらっしゃい!」
「いってきまーす!」
パンジーが吠える。
イライは共鳴せず、口で棒パンをくるくる回しながらついていく。
――思えば、彼女にとって、「いってきます」などと外出のあいさつをしたのは、いつ以来のことだろう?
トドレスの監視の目が厳しくなった頃から、父母を見送ることはあっても、誰かに見送ってもらうことなど、一度としてなかった。
最後に口にしたのは、確か……、
そう。5歳の誕生日から数日後。
父親と2人で遠征に向かう際、お屋敷の正門の前で、留守番をする母親と使用人たちに「いってきます」とあいさつした。
そんな記憶を思い起こしたパンジーは、懐かしさとともに、胸から背中へつらぬく鈍い痛みを覚える。
痛みにとらわれぬよう、北を目指した歩みを、無理のない限り速くした。
◆
イーストからの案内にしたがい、パンジーはファクトリアの「中央広場」なる場所へと出る。
その場所は、すり鉢状の都市の最もくぼんだ部分。
中心にある噴水へ石畳が流れ込むような形で、なだらかな斜面が広がっている。
案内をくれたイーストの言葉通り、無数の露店で賑わっている。
光景はまさに「マーケット」だ。
だが面白いことに、露店は1つ1つが基礎を立ててその上で水平をとるのではなく、隣り合う露店同士で固定のためのロープを張って、満艦飾の状態となることで斜面の上に支え合っている。
店の看板だとかメニューだとか飾りつけだとかも、ロープの途中につり下げてあった。
「まあぁ! すっごく華やかですわ! イライ、お店がたくさんありますわよっ!」
パンジーは喜び勇んで、すぐにもいずれか露店の順番待ちの列に並ぼうとする勢いだ。
一方、そんなことをしている暇はない、他に行く場所があるだろうと言いたげのイライ。
目を落花生のように歪ませ、くわえた棒パンでパンジーのからだを突っつくことで、先を急がせた。
「そこの、美人のお嬢さん! 今日は暑いね。うちの果物で、スタミナつけていきなよっ!」
と、人混みの喧騒から飛び出してきた男性の声。
パンジーは振り返る。
自分の周りで美人と言われれば間違いなくこの私のことだ、とでも思っているのか。
目ざとい反応。
しかし今回ばかりは、パンジーの思い上がりが吉と出た。
目的地の「工場連盟本部」までの道を尋ねるチャンスを得られたのだから。
パンジーは、声をかけてきた若い男性の露天商に向き合った。
「ごきげんよう。えっと、今は急いでて……工場連盟、ってところまで行きたいのですけど、もし、道を教えていただけないでしょうか?」
「おっと。それは大変な用事だ! お嬢さんから見て左、赤いレンガの家が目印の、三叉の道が『工場区』と『居住区』につながる道なんだけど。そこを右の工場区の方に行って、少し歩いたら、坂の上に大きな建物が見えてくる。それが工場連盟の本部だよ!」
パンジーは買い物もしない、愛嬌もない、相手をしたって一文にもならない手合いだというのに、露天商の男性は事細かに道を教えてくれた。
それは次の言葉に起因するものなのだろう。
「ただ、あと1時間もしないうちに(本部内が)いそがしくなるから、もしかすると、受付しても長く待たされるかも。そうしたら、また広場へ時間つぶしに来ておくれよっ!」
「……わかりましたわ! ご親切に、どうもありがとうございます。んふふっ」
男性にうまく商売されたと思い、パンジーは感心の含み笑いをしながら立ち去った。




