第3輪 漂着(ひょうちゃく)パンジー
風がびゅんと吹いていく!
遮蔽物の少ない、夜の原っぱ。
草葉の擦れ合う音だけが鳴り聞こえてくる。
月明かりを照り返す草本たちは白か銀に色づいて見え、少女も自分が雪原の上を進んでいるかのように錯覚していた。
少女――パンジーの、腰まで伸びた金髪も、風が上に横に強く撫でつけた。
彼女はそれを手で押さえようとする。
自分を乗せてくれる巨大な荷役犬のイライは、気遣うように走る速度を少し落とした。
「キレイな景色! どこまで来たのかしら」
パンジーはぽつりつぶやく。
意図のないひとり言。
だから、草も月も地面の虫も気に留めなかった。
強風が吹く原っぱは、うるさいようでいて、一度でも風が止むと、まるではじめから音の一つもなかったように静まりかえるのだ。
おまけに晴れた月夜と言っても、視界はずっと暗いまま。
イライの背の上から流し見る、玉形の小さな森らしきものは、昼間だときっとニワトコの白い美しい花を咲かせているのだろう。
道々のなだらかな丘だって、小さなこどもの1人や2人が遊んでいれば、格別の景色に思えたはずだ。
――そんな心躍るものは、何もなくって。
「ふあぁ……いけませんわ。眠ってしまっては。でもー、あー、うーん……」
やがて、退屈が手を引いて睡魔を連れてくる。
パンジーをそそのかす。
イライのきっと本意ではないだろうが、首回りの白と茶の混じり合った毛並みも、からだを埋めたくなる感情を手触りで返してくる。
パンジーは揺動を減らすことを口実に、低い姿勢をとりイライに抱きついた。
◆
どれくらいかして――ずいぶん乱暴な表現ではあるが――朝日のたてがみが、遠くの山の稜線越しにのぞき始めた。
イライの背で眠ってしまったパンジー。
途中で雨でも降ったのかと思うほど、濡れた、ヨダレまみれの口元やドレスの袖を陽光に指差され、おずおずと顔面を上げる。
「あらっ、いりゃい……あそこ。何だか、大きな建物が見えますわ……」
パンジーのうわ言に付き合わず、イライはその大きな建物にひたすら向かっていく。
建物とは、ゴシック様式の城を模した「門」だ。
両側に背高く細長い塔のような施設が構えている。
しかし、守衛らしき人の姿はない。
走るイライが近づく。
大きく見えていた門は、イライが通過しようとすると、横幅にわずかな隙間しかなくなった。
彼のからだから剥がれ落ちた風が隙間を抜けたとき、ひゅーっと口笛のような甲高い音が鳴るほどだった。
イライが足を止めた。
大路だ。
その壮大な光景に対して、くたくたになった上に寝起きのパンジーは、眠気まなこに浮かぶぼやけた色彩としかわからない。
到着したぞ、と言うようにイライは、パンジーのドレスの袖を口でくわえて、降りるよう合図する。
パンジーは地面に降り立つが、すぐに膝をついたかと思うと、イライのたくましい前脚を抱き枕代わりと抱きしめて言う。
「イライ、町が、町がありますわよ……どなたかに、ファクトリアの場所を聞かなくっちゃ……」
また睡魔にとらわれそうになるパンジーを、イライは鼻先であしらい地面に転がす。
だだっ子を起こす母親に似た、呆れた感情をにじませている。
ところで、実家の外をほとんど知らないパンジーが、今しがた到着した町こそがファクトリアだと認識することはできないはずだ。
彼女の先の言葉も、妥当な発想によるものだろう。
だがイライは落ち着き払っていて、彼女がバカを言っているとみなしているようすだった。
――まるでイライはこの町がファクトリアであることを、最初から知っているみたいだった。
しばしの後、大路の脇にある2階建ての建物。
1階部分、民家にしては透明で大きな高級ガラスを前面に施した、恐らく商店と思われるところから、枝のように細い中年の女性が顔を出す。
長い髪をバンダナでまとめ上げ、両手に抱えた立て看板をよいしょっと戸の前に下ろす。
開店の準備をしているのだ。
そこへきて、店の前で倒れたパンジーと介抱するイライの姿を見つけた。
「ええっ! どうしたんだい、あんた!」
女性が血相を変えて叫んだ。
大声に、パンジーはうなされている。
高貴なドレスを着ていながら、砂ぼこりの散る地面に横たわっているのは、当然のことながら非常な事態を思わせる。
「意識はあるのねっ、とりあえず屋内に――」
女性は、一抹のためらいも見せず、パンジーに駆け寄ってくれる。
それを見越してかイライも、足元のとりもち状になったパンジーの首根っこをくわえ上げ、女性にその小娘を差し出す。
女性とイライは協力して、パンジーを無理やり商店らしき場所へ運び入れる。
ドレスのスカートは紙くずみたいにくしゃくしゃになる。
カラン! 戸先の呼び鈴だけが陽気なようすでいた。
間もなくパンジーのからだは、女性が招き入れた部屋のベッドに埋められた。
金色の髪についた土や草の汚れはそのまま、女性から、額の上に濡れた布巾をかぶせてもらう。
「うあぁ……お、みず、おみずが……」
「水? わかったよ。ちょっと待っておくれ」
聞くからに萎れたパンジーへ水をやろうと、座ったばかりの女性は席をたつ。
1分としないで、水を注いだコップをもってきてくれる。
しかし、あろうことかパンジーは女性の厚意を待たずして、みずから水分補給を行っていた。
どこから?
そんなもの、濡れた布巾のほかにあるまい。
「じゅず、しゅずるるる、じゅぼっ……」
パンジーが布巾から水分を吸い上げる。
目は閉じている。
板についた、ヨダレをすする口の構えで、品性の欠片もない音を立てながら吸てつするのだ。
――パンジーの動きが単なる癇癪だったのであれば、笑い話の一つにでもなる。
だが彼女の喉はごくごくと喜悦の声を上げ、布巾からはみるみるうちに水気の色が抜けていくのだから、もはや「怪談」だと言わざるを得なかった。
パンジーの所業に、言葉をうしなって固まる中年の女性。
まあ世間知らずの娘だから大目に見ておくれ、などと、たしなめてくれる者もここにはいない。
今や、女性はとんでもない存在を家に招き入れてしまったのではないか、という後悔に駆られていることだろう。
「っ、はああー! おばさまっ。ご親切に、どうもありがとうございます! それと、一体ここはどちらの町でして?」
「ええ……ハハハっ。どちらも何も、『ファクトリア』だよ。あんたの目的地のね」
水分補給して、俄然はつらつとした表情になるパンジー。
彼女はそういう生き物だ、と見なすことで、対面する女性は平静を取りつくろっていた。
呆れ半分に回答をくれる彼女の手には、いつの間にかパンジーの落としていた、工場労働者の求人広告の紙が。
「えっ! ここ、が……失礼しますわっ!」
飛び出すパンジー! さすがに部屋の窓や扉を破壊することはなかったが、女性の心配を振り切って駆け出してしまう。
比喩いらず、子どもそのものという振る舞い。
彼女は大路に出た。
町の景色は、民家に商店立ち並ぶ都市景。
中心の標高が低い、すり鉢のような構造。
大路には、パンジーの知らない大勢の人の往来。
それも皆、生活臭の染みついた外出着を着ているわけではない。
ひと目でわかる――、
労働の営みによる傷み、シミ、ヨレ。
本来、美しさと対局にあるはずのそれらが、服の意匠となって、装着者の威厳を示す。
そんな、「作業着」を着ている。
同時に、人々の作業着はほとんど皆、異なる色や形状をしている。
それは、パンジーの予想に反するものだ。
ファクトリアとは、とある巨大な工場の中に、たくさんの従業員がひしめいているものと、アリの巣のようなイメージを抱いていた。
(ここにいる人たちは、もしかして……みんな、違う工場の職人さんなのかしら)
パンジーの胸は、自分でも制御できないくらい激しく弾む。
ワクワクするっ!
画一的な仕事、それでもお金のためならば承知して働こう。
と、彼女は往来を見るまでは考えていた。
……でも、それだけでは、もったいないのかもしれない。
自分はどんな仕事をするのだろう。
どんな職人に出会えるのだろう。
仕事を続ける上で、第一条件となりうるその確実性と安定性が――。
目の前で、次々通り過ぎていく十人十色の作業着によって、ぐらぐらと揺らいだ。
(なんて……楽しそうなのっ!)
大路の脇で悶々としているパンジー。
後ろから、ようす見していた中年の女性が訊ねてくる。
「来るのは初めてでしょ? ね、イイとこのお嬢ちゃん。新しく工場でも建てるのかい?」
それは皮肉めいて聞こえたが、何となく、現在のパンジーに似たワクワクした感情もにじんでいそうだった。
もっとも、その推察も期待も、大ハズレなのだが……。
「いいえ。私、働きに来ましたのっ! 工場で!」
「へえ、そりゃたいしたもんだ! えっ、ホントに?」
「ホントに、ですわ!」
なれ合うような会話をひと通り終えて、女性は、やっとパンジーの人となりが理解できた気がした。
そしてファクトリアへ来た理由も。
立派なウェーブのかかった金色の長髪。
陶器めく色白の肌。
目がくらむような美しい刺繍入りのドレス。
同伴する、毛並みの綺麗な荷役犬。
きっと高貴な育ちであることは事実だ。
にもかかわらず、それらすべてが土や草の汚れを帯びている。
「……ひとまず、うちで飯でも食べておいき。そんなフラフラじゃ、どこの仕事も雇ってくれないからね」
と、中年の女性。
すかさずパンジーは断ろうとするが、女性は「(工場の)職人になるための最初の条件は、大人でも腕の有無でもない。元気たっぷりなことさね!」と言って譲らない。
その威勢の強さ、爽やかながら母のような温かさをもった笑顔を見て、パンジーは渋々了承した。
「さっ、おいで。えっと、あんた、名前はなんて言うんだっけ?」
親しくなろうと、名前を訊かれるパンジー。
蝶が舞うように振り返ると、元気を振りしぼった、華の笑顔を浮かべた。
「パンセロット・コンサバンスと申しますわ。どうぞ、『パンジー』と呼んでくださいまし!」
ようやくパンジー、無職から脱却!
これから働きます!たぶん!




