第32輪 再会(さいかい)パンジー
明日から3連休となる、週終わりの勤務日。
パンジーはヒナを通じ、イライの外出許可を申請する。
もっとも、荷役犬の陸運業務は、工場操業とは別のスケジュール(在庫や出荷の状況など、連動している部分もある)に基づくものである。
そのため、申請は今後もっと早めにするように、とヒナから指摘を受けてしまう。
それでも。
実家に帰って、両親と話をしたい――かつてないくらい思いつめたようすで頭を下げるパンジーに対し、ヒナは「がんばってね」と優しい応援の言葉をくれた。
仕事終わりに、パンジーはサルビオラと高級そうなレストランで食事する。
景気づけと称して、サルビオラの奢りだ。
キノコとカボチャが中心の色菜豊かなフルコースに舌鼓を打つ。
パンジーは鼻につく感じもなく、平然として華麗なテーブルマナーを履行する。
一方でサルビオラは終始落ち着かないようすでいる。
何度か、数種類のフォークを取り違えたりもした。
「わ、私がエスコートするつもりだったのに……。ああ、恥かいたぁ」
「うふふっ。じゃあ、次は、一緒に練習できるくらいのお店に行きましょっ」
たわいない約束を交わして。
2人足並みを揃えて靴音を鳴らし、居住区の、下宿の前までともに帰る。
壁を水色に塗装された、黄色い屋根の平屋建て。
隣り合う部屋同士の境界には色とりどりの光球が設置され、パンジーが垂れ紐を引き点灯すると、主人の帰宅を祝うように光りかがやく。
5分ほどしてから、パンジーとサルビオラは完全に別れた。
まだ寝るには早い時分だが、パンジーはネグリジェに着替え、小旅行の支度を済ませると、すとんと床に就いてしまう。
◆
さあ――行こう!
始まりの朝。
空も町も宵の一色だが、南の丘陵に、金刺繍のドレスを着たパンジーが見通す先はほんのりと明るい気がする。
町の規格外の正門から出る。
パンジーを、先にいるイライが振り返る。
真っ白い毛と。先をほんのり赭の色で染めた、毛むくじゃらの荷役犬。
天使の羽のような垂れ耳とつぶらな瞳からは、どうにも頼りない感じを覚えるも、表情は子犬の頃の面影もなく、たくましい。
大きな背に、小人種1人か2人用の幌つき荷車を装着したイライに合図し、パンジーが荷台へ乗り込む。
イライは発進する。
荷車の2つの車輪が物々しく軋みを上げる。
原っぱに出ると、静謐の中で、音はいっそううるさくなる。
パンジーは眠気覚ましにと「みのりのころ」を鼻で歌い出す。
余計にうるさい。
だが、しだいにイライもはっはっと熱い息で拍を取り出した。
パンジーの肩より少し長く伸びてきた金髪は、大した風も受けないでいる。
つむじ風のびゅんという風鳴りが聞こえても、それらはすべて幌の外にあった。
穏やかな旅路だ。
それでいて、うたた寝をしようという気にもならない。
草原地帯へ出たとたん、鮮烈なオレンジの太陽も顔を見せる。
まるで、舞台の背景がスクロールしているようだ。
鉄や銀でのんびり風に揺られていた草本たちは、押し寄せる光の波濤にあわせて金色く化粧されていく。
自然の移り気に思いをはせるパンジーの目に、ぽつぽつと人の集落が映ってきた。
人といっても、小人種の集落だ。
翅のないかれらは、天然の水路沿いに田畑を開き。
あるところではライ麦の種をまき、あるところでは小規模な群れの牛や羊が放し飼いにされている。
麦藁が敷かれただけの場所もある。
工場のいそがしさとは無縁の、ゆったりとした時間の流れを感じられる。
横をパンジーの荷車が通ると、大人子ども関係なく手を振ってくれた。
少し行くと、遠方に家が走るような迫力をもって、人間の馬車が駆けていく姿を見つける。
どこへ向かっているのだろう。
「まあ、まあ……こんな、すぐ近くに別の世界があったなんて!」
と、パンジー。
その感動は、ファクトリアを発って2時間半ほどで得られる貴重さもないものだが。
ひとしきり騒いでも、田舎時間は思うように進んではくれない。
4時間が過ぎたところでいよいよパンジーも、退屈による眠気を覚え始める。
イライは、こいつ、またかといった呆れ顔を浮かべて荷車を止める。
パンジーとともに、イライも簡単な休息をとることにしたのだ。
まったく、優秀な御者がいてよかった。
◆
どれくらいかして――あいかわらず、ずいぶん乱暴な表現ではあるが――赤日のりっぱなヒゲが、いつの間にか分厚い雲に覆われた、曇り空の下からのぞいている。
それが時刻をわかりづらくさせる。
今は何時か?
心なしか、肌寒い感じもする。
イライの引く荷車で眠ってしまったパンジー。
これから雨が降るのかと思うほど、湿った、土と空気の臭いにあてられ、おずおずと顔面を上げる。
別段関係ないがドレスと口元はヨダレまみれになっている。
「あらっ、いりゃい……あそこ。大きな建物が見えますわ……」
パンジーのうわ言に付き合わず、イライはその大きな建物にひたすら向かっていく。
建物とは、木組みの2階建て、少し古臭い「お屋敷」だ。
そばには屋根をも優に超す、高さ10メートル以上のオークの大樹が構えている。
広い庭と、荷役犬小屋も見えるが、人の姿はない。
まさしく、パンジーが家出してきた実家だった。
なぜひと目で気がつかないのか……。
走るイライが近づく。
正門は閉じきっておらず、イライの鼻先だけで容易に開放される。
ただし、木と藁の造りをした荷役犬小屋から、再会を喜ぶひと鳴きも聞こえてこないために、起き上がったパンジーは不安感に駆られて表情を暗くする。
「誰もいないの? もし、ドアをノックして、誰も出なかったら。お父さまたちは……」
何を考えても、確かめるにはやるしかない。
工場でそう学んだはずだ。
パンジーは荷車を降り、お屋敷の玄関扉に向かう。
扉の前――いちど……手を差し出しては引っ込める無意味なことをした。
「……あ、ドアノッカーがありましたわね。これでっ」
「お嬢さまあああ!」
悲鳴。それとも怒号か。
玄関扉のノッカー金具に手を遣ったパンジーの、時が停止する。
直後のことだ。
ドカドカ、騒々しい足音とともに裏手から走り寄ってくる。
クマみたいな巨体。
「トドレスっ! 会いたかっ――いや! 来ないでくださいましーっ!」
想像以上に巨大なその女性のいでたちに、パンジーは恐れをなして反対方向へと逃げ出してしまう。
巨大といっても、あくまで小人種の規模感に収まる程度で、3倍近い体躯をもつ人間ほどの物理的脅威はないはず。
それでも小娘が怖がることには、齢40を過ぎた厚みある顔の皮ふを鬼面のごとく寄せ、火山弾が烈火帯びて転がる勢いでもって迫りくるという、トドレスのパワフルさがあった。
「なぜ逃げるんです! あっ、イライ、なぜ、いやイラーイ! そのおてんばを止めなさい!」
ひっし過ぎるためか、もはやトドレスの言動も支離滅裂なものになっている。
反して、イライは普段通りの冷徹なまなざしに逃げるパンジーをとらえ、その襟首をひらり、口でものの見事に捕まえてしまった。
ついでにイライはマズルを回し、トドレスの方にパンジーを投げつける。
字面で追うだけならば、なんと華やかな一幕か。
……実際は、名家の名をもつ齢17の娘が、ドレスのスカートを腰上までめくれ上がらせ、大地にのたうち回り、使用人に捕獲される。
地獄絵図だった。
このように、パンジーは無事に実家への帰省を果たした。




