第31輪 裂開(れっかい)パンジー
からっと乾いた噴水を見渡せる、中央広場の東側。
やや小高くなった場所の花壇に、見物人のように背伸びした、一重咲きのダリアがひろく咲き始めている。
キクに似るダリアだが、色は赤に黄、紫と、彩りに富む。
おまけに、少女がポニーテールの髪飾りにでも使えそうな、精緻さと愛らしさがあった。
――もっとも、人間の少女に限った話だ。
思えば。
この頃、酷な日差しを避けるため面は冴えない緑を浮かべ、茎に根にじっくり栄養分をたくわえていた花々が、打ち合わせしていたように開花しだした。
ハーブに至っては全体的に実をつけ、黒っぽくなるものまでいる。
これが、「みのりの秋」の訪れを意味するものか、知れないが……。
そういえば、パンジーがファクトリアにやって来てから、もうじき2月になる。
はじめは作業着もロクに着ることができない小娘だった。
しかし、工場爆発事故の挽回生産も、職人総出の祭りやパーティーもやりきったし、家事における力加減もわかってきた。
身の丈に合ったやり方でやればいい、と。
その点はやはり、名家(の傍系)の娘として目に余るだらしなさだが。
……まあ、彼女が前向きに生きている証でもあった。
いまだ、セントが語っていた球幹工程の繁忙期、「4人で1日300本」の脅威は到来していない。
これからじょじょに日没が早まり、照明の需要が増すだろう。
買い替えも同様に。
果たして、パンジーは借金の問題を抱えたまま、繁忙期をやりきることはできるのか?
「――えー、週末2日間に、溶解炉・ボイラー・窒素圧縮機周りの改修をします。その後の試運転のついでに、生産計画の見直しもするんで、来週は4日出勤になる予定でーす」
いま挙げたばかりのパンジーの課題に、真っ向から逆らう、予定調和もへったくれもない言葉たち。
誰のものか、もうわかっている。
朝礼の場で、ヒナは無敵めかして歯を見せ、笑っている。
つまり、週末の休みが普段より1日多く、3連休となるというのだ。
いつでも急な話をもってくる彼女だが、きっと裏では安全管理だとか品質保証だとかのため、思いを巡らせているのだろう。
パンジーは軽い驚きだけで、すぐにもヒナの告知を飲み込んだ。
本当に……それだけか?
今回の3連休は、光球工場の、何らか啓示ではないのか?
しばらくして。
パンジーは1人、作業場の長イスに深く腰かけて、ちくちくと細かに手元を動かしている。
開きっぱなしでもはや平面的な模様と化していた、だらしない口が、久々に球幹のシートへヨダレを落としてダメにしたので、手直しをしているのだ。
長机に広げたシートへ、湯気立つ布巾を押し当てるのと並行し、レモンの切り身をしぼって汁を塗りつける。
すると「揺らし石」粉末を巻き込んだニカワは、シートから根こそぎ剥離する。
これをシートの全面に向けて、ニカワがなくなるまで繰り返していく。
「いた、パンジーさん……。もうお昼ですよ?」
球幹工程の入口から、サルビオラの声がする。
優しい声色に、パンジーはそっと振り向く。
塵埃をはらんだ空気の中でも、彼女の髪の光沢はしたたかで、パンジーの疲れまなこをくらませた。
「サルビオラさん! ごきげんようー」
「ごきげんよう、えっと……フォルミンさんたちは?」
「マーケットに向かわれましたわ。珍しく、セントさんをお誘いになっていて。うふふっ。私はこのシートを直してから、休憩に入りますわ。っと……私ったら、サルビオラさんに何も言わずお待たせしていたのね。ごめんなさいっ!」
「い、いいんです! 私は気にせず。続けてください」
サルビオラは言いながら、こちらへ歩いてくる。
きな臭さを嫌がるような素振りは見せても、パンジーが座る長イスの数センチだけ先の場所に、迷いなく腰を下ろす。
肩が一瞬擦れ合った。
採光窓からは白い陽光。
見渡せば「揺らし石」の真赭色が、雪や砂ホコリみたいに、舞ったり床へ積もったりしている。
粒子は光を浴びた面で、目いっぱいにかがやいた。
パンジーが真隣にいる、サルビオラの澄んだ瞳を見たとき、そのかがやきは明らかに熱の放射を催し、肌を焼くようだった。
防衛本能めかしてパンジーは視線を引っ込める。
代わりに、サルビオラは手を伸ばし、飾り気のない□いクッキーを、パンジーの口元へと差し出す。
「これだけっ。これだけっ」
サルビオラがぼそぼそと何か言っている。
それからクッキーを、口元に押しつけてきた。
奇行に、パンジーは彼女のようすを確認せざるを得なくなる。
Mの字に口を曲げ、彼女へ目配せするが、どうにもその表情は興味津々とした子どものようで。
邪な感情はひとっつもないらしい。
「もうっ……いただきますわ」
サルビオラの考えることはわからないまま、パンジーはクッキーを食べさせられる。
口唇へ、サルビオラの細指は触れる前に引っ込められる。
パンジーにはライ麦の味気なさのみ残される。
「工場連盟に行ったとき、何かあったんですか?」
「…………実は。ブレビスさまとお話しして、父の借金のこと、私が誤解していたって知りましたの。それで、自分がこのまま働いているだけで借金を返せるか、そもそも父がそれを望んでくれるのか、わからなくなってしまって」
パンジーは悩みの種を打ち明ける。
サルビオラの才気走る問いにしたがって。
ところが、サルビオラといえば、突然何を言い出したのかと理解不能な表情をしているのだ。
そうだ。
サルビオラは、何も訊ねてなどいない。
先の問いは、幻聴だった。
あるいは、サルビオラの優しさを利用した、パンジーの身勝手な動機づけだった。
気づいたところでもう遅いっ、それでもパンジーはとっさに手で、クッキーの食べカスごと口を覆おうとする。
恥ずかしい。
レモンの酸味が口唇に染みる。
「え、っと。その。訊いてもいいですか? お父さんのこと」
と、サルビオラ。
きつい目をしている。
彼女を前にしパンジーは、口を日なたの花と開いた。
「父は私に、『揺らし石』の仲買を(仕事に)していると話していました。でも、ブレビスさまは、それは事実じゃない、父はファクトリアの工場事業に関わっていなかったとおっしゃって。……父の借金は、『揺らし石』によるものじゃない。別の事業でできたものだって、わかって。だから、もう……私がなぜここで働くのか、わからないんですの」
しかし、パンジーの説明には論理の飛躍がある。
彼女の父ゴウがいかなる理由で借金を作ったにせよ、その返済に協力するかどうかはパンジーの自由意志によるものだ。
父の力になりたいのなら、そうすればいい。
働く理由を見失ったと言いきるには、まだ早い。
――その事実は薄々、サルビオラもわかったはずだ。
場を満たしたきな臭さにあえぎつつ、言葉を返す。
「そう、ですか。その。気の利かない言い方しか、できないですけど……パンジーさんは、どうしたいのか。もう決まってるんじゃないですか」
それは、優しいサルビオラらしくもない、逃げ腰を許さない回答だった。
決定打だった。
「わたくし、は……父と、話がしたい。父の悩みを知って、その上でファクトリアで働きたいっ!」
「はいっ」
と、サルビオラ。
「じゃあ、『最後にご両親と話したこと』を、思い出してみてください」
彼女の提案の意図は、パンジーにはわからなかった。
しかし、力強くうなずきを返した。
◆
返した……はずだが。
パンジーの中で、時の光は弾けることもなく。
記憶は、紐を引いた発動機の爪のように惰性の運動で、上へ下へ右へと回って、断片を削り落としていくばかりで。
「やっぱり、夕食の席で、父が行った港町の話をしたと思うけれど。もう思い出せませんわ……」
と、パンジー。
情けない声で、隣り合ったサルビオラに報告する。
時は夕方。
町の空は紺藍のにじみがじょじょに広がって、夜へと近づいていくが、建物からは反対に光球の明かりが煌々と照らされている。
仕事終わりの職人で盛況を呈する、公衆浴場も同じだ。
パンジーは萎れた醜い翅の成り損ないを隠そうともせず、かの浄化の池みたいに心地よい浴槽の中、サルビオラと裸の肩を並べた。
「ふふっ。ごめんなさい。そんな、1日中考えてたなんて」
サルビオラは苦笑する。
伸びた横髪から水のしずくが垂れ、上気した胸元に落ちる。
パンジーはそれをいったん目で追った後、口の中が寒いのか、湯気をいっぱいに吸い込んで深呼吸する。
「なんで、あんなこと言ったかというと。パンジーさんが、ですよ? 『家族と会わなかったら前に進めないこと』、私に、気づかせてくれたからです」
「それは……」
サルビオラの切り出した言葉。
パンジーはその含意を察知する。
ビオリンとサルビオラ、姉妹の間にあった微妙な距離を、かつてのパンジーはつないでいた。
サルビオラは当時の恩を、自身の形でパンジーにお返ししようとしてくれている。
それがわかった。
「パンジーさんは、いっつも私が欲しい言葉を、欲しいときにくれるんです。あのとき、家族に会うのが怖かった私を勇気づけてくれましたよね、そうやって」
「そんなふうに、思ってくれていたんですのね……」
「そう……でもそれは偶然じゃない。パンジーさんには、自分で決める力がある。私にはないもの。だから、(私から)パンジーさんが欲しい言葉をあげるのは、すごく難しくって。ううん……できないんです」
「そんなことありませんわっ! サルビオラさんは、私に光をくれて――」
「でも、私は、パンジーさんからは逃げないって決めました。何があっても。どこに行っても。あなたが正しいと思った方を、私も向いていますから」
愛の告白にも思えるせりふ。
だが、サルビオラは隣のパンジーの目を見ない。
まっすぐに、公衆浴場のけむった照明の先――いずこかを静かに見通している。
パンジーも、やがて視線を添わせる。
「……ありがとうございます。明後日、ファクトリアを発ちますわ。そして、父と全部を話してきます。もし、どんな結果になったとしても、かならずっ、いちど、サルビオラさんに会いに来ますわ」
「はい。待ってますね」
と、サルビオラ。
笑って。
「でも……3日で、どうにかなるんですか?」
「私の実家は、ファクトリアから1日ちょっとの場所にありますの!」
「ふふっ、思ったより近くですね。帰省というより、小旅行みたい」
サルビオラが含み笑いをし、冗談を言う。
実際その通りだ。
パンジーは生死を分ける決断のごとく語ったが、結局は実家への顔見せとお説教ばかりの旅になるはずだろう。
「……同じ町にいると知ってても、家族に3年間会えなかった人もいます。パンジーさんはすごいです。きっと、ステキな旅になりますよ」
サルビオラは言って、湯の中で手さぐりし、パンジーの温まった手を握る。
パンジーも握り返す。




