第30輪 紫金(しきん)パンジー
人間の野営地で催された、小人種との懇親パーティー。
町の一睡をおもんぱかることも知らぬ喧噪は、弓筈のつり下がった薄もやの月が、西に沈み始めたところでお開きとなる。
パンジーは光球工場の同僚と中央広場で別れ、居住区に向けたゆるやかな坂道を、サルビオラとともに歩いて帰る。
すっかり酒ででき上がってしまったサルビオラは、ままならぬ足のために、パンジーの肩を借りている。
伏し目がちに、ずっと黙ったまま。
パンジーは彼女を心配するあまり、いつ吐くのか、いつ吐くのかっ、と粗相を待ち構えているみたいなようすだった。
「――あら。もしかして、イライ?」
消灯した町の景色。
パンジーの目の前を、卒然あらわれた白い大きなお化け犬がさえぎった。
パンジーは怖がることもなく、それが久々に見る愛犬であることを見抜いた。
思いの強さのためではない。
イライが、夜のよどみの中にいても、判然とわかる――わかりすぎる。黄色に白にオレンジ、大輪の花の冠を、口からさげていたからだ。
「それって。パンジーの花冠……」
パンジーはどこか鬱々としてつぶやく。
落ち着き払ったイライは近寄ってきて、小さな彼女に冠を乗せる。
パンジーはそれに反射的に触れてしまう。
造花にない、指に張りつくみずみずしさがあって、まさしく生花で編み上げられたものなのだ。
イライは低くうぉんとひと鳴きし、パンジーへ旅の成果を誇示してくる。
戸惑うパンジー。
だが、笑顔を向けて「おかえりなさい」と言う。
イライは背を向け、乗るようにと尻尾で指図をした。
彼の思いにしたがい、パンジーたちは大きな背を借りて、風を切って家路へとついた。
◆
先日のパーティーは、夏の夜の寝汗に見せられたむずがゆい夢だったのだろうか?
酒による2日酔いもない、清々しい朝に目覚めたパンジーは一度、本気でそのように考える。
無論、あれは現実のことだ。
台所の木桶を見れば、焚き火の煤がわずかについたドレスが放り込まれている。
「洗濯は、(今日)帰ってからにしますわ……」
大儀さに駆られたパンジーは、木桶を見ないようにしながら作業着へと着替え始める。
はじめは世間ズレからくる手落ちのはずだった、家事下手な部分。
いつの間に、怠け根性によるものに変わってしまったのか?
この小娘は改めて、淑女の慎みというものを知るべきだ。
準備を終え、「パンパン」で買い物をし、工場に向かうパンジー。
彼女の瞳はいつも以上にめらめらと、やる気の炎をともして燃え色づいていた。
「おー、パンジーおはよう。ちょっと、ブレビスさんが用事あるって言ってたから。仕事する前に、工場連盟(本部)に行ってくれるー?」
職人パンジーの気概を節からもぐように、出会ったばかりのヒナはそう言いつけてきたのだ。
仕事場に入る以前の、更衣室で!
瞬間、パンジーの目からは炎がかき消えた。
恨み節を口にする暇もなしに、パンジーは工場から出かける。
ただし、ヒナへ悪意を向けることは本意ではなかったために、ブレビスの元で工場の始業時間をむかえた場合でも給料が発生するのかどうか、そんな些末な考えで気を紛らわせた。
いつまでも足が嫌がる、きつい坂を上り。
工場連盟本部の巨大な教会めいた建物が見えてきた。
到着し、右下の出入口に視線を遣る。
そのとき、身長の2倍以上の大きさもある正面扉から、何者かが顔を出す。
巨大な扉を自由に出入りできる者といえば――当然、人間しかいない。
「もし。パンセロット殿、で間違いないか?」
「はっ、はい!」
パンジーをねらって呼び止めたのは、人間の男だ。
ヒナの夫ジェイムスと同じくらいの体躯に、彫りとしわの顔、ポマードで固めた金色の短髪と蹄状の口ヒゲ。
独特な威厳を感じさせる。
「私は、生産監察室のジョセフ・フォックスフェイスという者だ。あなたにひと目お会いしたいとブレビス殿に言って、ここへお呼び立てしてもらった。仕事前に、ご足労をいただき感謝する」
ジョセフと名乗った男は簡潔に述べ立て、すぐにもパンジーを建物の中に招き入れる。
わけがわからなかった。
パンジーはぽつぽつ「なぜ自分と?」を口元で繰り返す。
それでも、彼の意欲的な姿勢が気になってまう。
結局、彼の大樹のような背に続いて、人間用の正面扉から一歩を踏み出した。
工場連盟本部とは、やはりあまりにも大きな存在だ。
パンジーの視界は一瞬のうちに、大気へと溶け出したのかと錯覚する早さで、パンッ! と広がる。
太陽光めく明るさに包まれた華やかなエントランス。
訪問者受付のカウンター周りでは、ダンスパーティーでもないのに厳粛なドレスコードで着飾った、美しい男女がたたずんでいる。
パンジーは、吹き抜けとなった天井を見上げる。
すると、建物の2階部分ですら、パンジーが住んでいたお屋敷の屋根くらいの高さに位置しているのだ。
もはや神のための建築のよう。
そこへ、今――人間のジョセフが支配的にたたずんでいる。
ちっぽけな職員たちは端へ退き。
2階廊下にいるブレビスと、彼に上半身だけが対峙したジョセフ。
2人の対話のためだけに用意された空間に見えた。
2人の上では、神々しい光を降ろすシャンデリアが、じっと浮かんでいる。
それらの下に、1輪の金色の花。
「パンセロットさん、わざわざ来てくれてありがとう。もう、この御仁とあいさつは済んだかね? ジョセフくんと言って、ファクトリアにある工場の生産計画や管理をする人間たちの、まあ実質リーダーみたいな人で。パンセロットさんとは、縁の深い人だよ」
「縁の深い人……えっと、今日はじめてお会いした方ですけれど? いえ、私の記憶違いかもしれませんわね。申し訳ありませんわ」
「実際に会うのは、もしかしたら、はじめてかもしれないね」
ブレビスが意味不明なことを言い始める。
今度はジョセフが、慌てた顔つきになり、口を開く。
「ブレビス殿、私は詩を嗜みに来たわけではないのだ、何とぞ自重いただきたい……。ああ、パンセロット殿。私は、コンサバンス家のご息女であらせられるあなたが、なぜ工場へ働きに来ているのか、それを訊きたいのです。ブレビス殿から採用(面接)時の事情を聞いたときは、耳を疑った……一体どういうことだろうか?」
「どうも何も……そう、ジェイムスさんもそれが訊きたかったのね……」
と、パンジーは密かに、ようやく、ジェイムスの質問の真意を理解した。
「ごめんなさい。私がファクトリアへ来たわけをお話しすることは、できませんわ。でも私には、やるべきことが、やりたいことがありますの」
「そう、ですか。心得ました」
言葉の後にも、ジョセフの表情からは暗色が消えないまま。
事情通気どりの、沈黙を残して。
パンジーは我慢ならなくなり、いっそ自身から切り出してやろうと、決意の弓に矢をつがえた。
「私がこれを口にするのは、不勉強だとわかっていますわ。けれど……ジョセフさまたちのおっしゃる『コンサバンスの家』は、それほど力あるものではありません。おじいさまの代から商売している『揺らし石』が、ファクトリアの……いえ、人間の方々の世界にとっても、重要な資源であることは理解していますわ。ただ、それだけのことですわ。何も、特別視されることなんて……」
「失礼をお許しください。パンセロット殿、『コンサバンス(Conservans)』が、吾々の世界で意味するものを、ご存じだろうか?」
「ええ。たしか、『保護する者』という意味だったかしら――」
「そのことではなく。なぜ、小人種であるあなたが、吾々人間に通じる家名を名乗っているかということだ」
訂正に対し、困惑してわからなそうにしているパンジー。
ジョセフは続ける。
「あなたの家の始まりは、およそ150年前……世界中の『ハネアリ』の元へ、『揺らし石』の恩恵を広げたこと。それから60年前、ブレビス殿のお父上が、世界初の光球工場を操業する際、その流通網によって工場へ多大な貢献をしたこと。これらに対し、人間が『ハネアリ』を統治する者として、吾々の社会へ受け入れる、そのために贈ったものが『コンサバンス』の姓なのだ」
「そ、そんなっ。知りませんでしたわ……」
「無理もない。この歴史は、人間が一方的に語る、美談に過ぎないのだから……。あなたがたにしてみれば、過去の迫害をなかったことにされ、工場技術をもって、都合よく人間に承認されただけのこと。気にすることはありません」
ジョセフの言った通り、これまでの説明を吟味し、すべて理解する必要はない。
ただし、知る機会に恵まれたことを喜び、自身の心が何によって衝き動かされるのか、何を求めるのか。
しっかりと考えることだ。
「……ブレビスさまは、このことを知って、私を採用してくださったのでしょうか?」
パンジーは恐る恐る、心にわいた疑念の通り訊ねた。
2階に立つ、ブレビスは数秒間、黙ってから答える。
「あなたに興味をもった契機は、たしかにそうだった。だが雇おうと決めた理由は、もっと違うさ」
「その、『新しい風をはこんでくれる』と思ってくださったから、ですの?」
「その通り。そして、『工場の未来をつくって欲しい』と思ったから。パンセロットさんのお父上は、ゴウ・コンサバンスという名前だね?」
「えっ! ええ。ご存じでしたのね」
ブレビスの問い返しに、パンジーは穏やかな調子に答える。
一方で、工場連盟の中心に立ち、1階と2階を貫いて話を聞いているジョセフは、大きな顔いっぱいに驚がくをあらわす。
「なぜですっ。当主は、セラスさまでは……?」
「彼女は、セラス・コンサバンスの弟ゴウの娘、つまり姪なんだよ」
と、ブレビス。
込み入った話になってきたが、とにかくジョセフは眉間にしわ寄せて、「姪だと⋯⋯?」彼の言葉を信じられないようすだ。
「ゴウさんはファクトリアの運営や『揺らし石』の流通には、直接関わっていない。私が出会ったのも、今から20年前だったか……セラスさんとご兄弟で視察に来たときが、最初で最後だった。それからも2度ほど、顔を見せていたそうだがね」
ブレビスには、嘘をついた雰囲気がなかった。
パンジーは階下で、「お父さまは、ファクトリアに『揺らし石』を卸していなかったの? どういうこと?」と、乱れきった小さな悲鳴をもらしている。
「私はそれをもって、ゴウさんは工場に関心がないと。どころか、関わりをもちたくないと考えていると、想像していた。だから、パンセロットさんが職人になりたいと工場連盟の門戸を叩いたことで、ね――時代が変わった、そう実感したんだよ。ようやく光球が、『小人種のための光』になれる、と! ああ、まったく、私の判断は正しかったと思うよ」
ブレビスは話を閉じる。
ひとまず、このままではパンジーが仕事に行けないし、工場連盟本部へ呼び出された意味もあいまいになってしまうので、整理しよう。
生産監察室のジョセフは、ファクトリアからの帰還前にブレビスと話をし、パンジーの存在を知る。
コンサバンス家の事情に詳しい彼は、なぜ名家の娘が工場へ出稼ぎに来ているのか知りたくなり、ブレビスを通じてパンジーを呼び出した。
当然、彼にパンジーは出稼ぎの理由――父ゴウの名で抱えた借金の返済――を教えることはしない。
このときはまだ、コンサバンス家にまつわる因縁を知らなかった彼女は、ジョセフの特別扱いに疑心を抱き、真相を訊ね返す。
これによって判明した事実は、次の通りだ。
――――
・「コンサバンス」は、「『ハネアリ』を統治する者」として、人間に与えられた家名だった。
・パンジーの実家は、「揺らし石」の仲買を生業とするコンサバンス家の傍系だった。
彼女の父ゴウは、本家当主の弟であり、「揺らし石」事業に直接関与してもいないという。
――――
事実をもって、パンジーは問い直さねばならない。
自身は、何のために働いているのか。
(もし。はじめから、家の財産の多くが、本家から融通されたお金だったとして。お父さまは、本当は何の仕事をしていたの? 私は、何の借金を返そうとしているの……?)
◆
パンジーは朝礼の1時間後から仕事に戻り、昼休みはサルビオラ・フォルミンと3人で談笑し、仕事をし。
夕方、工程内の掃除と着替えを済ませて家に帰った。
帰路にはサルビオラと買い食いもした。
少ししてから、また外へ出て、湯浴みと夕食をともにとることを約束し、下宿の玄関先で別れる。
ずっと、工場連盟での話が、頭から離れなかった。
決定的な事実もそうだ。
しかし、何より……パンジー自身が、働く目的についてわからなくなったこと。
それが最も大きな問題なのだ。
――などと。ごまかして。
認めたくないが、もう、とっくの前に答えは導き出していた。
「もう、私ひとりで、決められることじゃないわ。お父さま、お母さま……」
パンジーにとって、その答えを口にし、受け入れるために、今日の1日があった。
つらかった。
けれど、だからこそ、自身の気持ちの形が見え始めた。
借用書を見つけ、実家を飛び出し、ファクトリアで職人になった少し昔。
当時の自身から続く、今の自身が発する、どうやっても曲げたくない信念だ。
「私は、職人でいたい……。サルビオラさんたちと、一緒に……」
ブレビスは、一体何歳なんだ⋯⋯?




