第29輪 舞踏(ぶとう)パンジー
「このドレス……今の季節には、きっとそぐわないけれど。なんだか、この日のためにお母さまが作ってくれたような気もするわ。うふふっ」
夜闇にすっかり溶け込んだ、下宿の窓辺。
湿気に、窓ガラスの内側は曇っている。
けれど、外の町から放たれるまばゆい光球の光は、柔らかくも部屋の中まで、パンジーを照らしてくれる。
パンジーは、公衆浴場で汚れを流し、流した汗でわずかに潤む肢体へと、ドレスの袖を通した。
襟から胸のラインや、袖口に施された黄金色の刺繍の繊維。
1本1本にびっしり備わった返しが、部屋のはらんだわずかな明かりを克明に反射している。
本日は、殊に輝いて見える。
玄関の戸を開き、夜になって花と葉を閉じたポーチュラカにあいさつをしたところで、敷地の入口に待ち合わせていたサルビオラを発見する。
深い緑のストールを肩に、胸元から足先まで真っ白な平織のスカートを垂らして。
町明かりに淡く発光する赤みの黒髪と合わせると、その立ち姿といえば、白磁器の花瓶に挿した、ベルベットのバラの造花のよう。
浮世離れした美しさがあった。
「キレイ……」
と、パンジー。
詩的な機知からはほど遠い感想だったが。
それを受け取るサルビオラは、満更でもないようすで、ほほ笑んでみせる。
「行きましょうか」
と、サルビオラ。
2人は互いに互いをエスコートするおかしな形で……町の正門へと赴く。
◆
光球の町に、中央広場の噴水の足元まで干上がったわずかなため池を眺め、通り過ぎていく。
今やそれが「人間」の寸法とわかった、巨大なゴシック様式の城を模した正門。
そこへ着けば、色彩豊かな礼服に身を包んだ仲間たちが待ってくれている。
クセになっているのか、足首丈のスカートを穿いて女装したセントはともかく。
質素なワンピースドレスによって大人びた色気を醸すフォルミンが、パンジーとサルビオラに空のグラスを手渡す。
外に向かうと軍服を着た人間の男が2人、小人種を漬けていないかと心配になる大きなボトルのワインと、リンゴのサイダー(リンゴ酒)を握り、こちらへ歓迎のおじぎをしてくる。
各人はいずれかにグラスを手渡している。
パンジーは断った。
すると、男は別にリンゴのジュースを用立ててくれた。
「ほら、もう。あっちは盛り上がってるみたいだよー」
と、セント。
しかし言われるまでもなく、野営地がある小高い丘のほうからは、尋常ではない大声がパンジーたちの元までもれ聞こえている。
現地はいかなる地獄が待っているだろう……。
不安視しても、後には引けない。
ファクトリアの南。
パンジーが家出してきた方角。
町の周囲は丘陵地帯となっているが、山林が広がる西側を除いてほとんどが穏やかな原っぱの様相をしている。
光球の町明かりから遠ざかった中で、人間たちは焚き火を囲い、雨風をしのぐための天幕を展開して、大騒ぎをする。
それは、この地の頂点支配者たるふるまいそのものだ。
そこへ小人種という虚弱な存在も立ち入っていき――どころの話ではない。
光球工場の面々に限らず、町のさまざまな工場からも職人がやって来ている。
総数で見れば、人間の5倍くらいいるか。
「ソークボウル」の前夜祭に見た結束が、そっくりそのままバカ騒ぎとなって、会場に響き渡る。
すると、どうしても人間の方が、小人種に招待されているみたいに見えるのだ。
「……やっぱり。人間の方々は、私たちを受け入れてくださっているんですのね」
パンジーが胸を撫でおろして言う。
光球工場が、元は人間のために建てられたこと。
それが発展しファクトリアが成立したこと。
それらを聞いて、ふいに勝手に頭の中で「労働搾取」の画を描いていた。
けれど、ジェイムスは優しく、パーティーとなれば小人種と同じ酒を酌み交わす。
悲壮感など、どこにもない。
「それはどうかなー。人間……俺たちの顧客は、(小人種を)生活資源を生み出す下等生物としか思ってないかもしれない。うかつに信じるもんじゃない。けどっ、今は何も考えず、楽しめばいいんだよ。パンジー?」
横から、セントが口を出す。
光の照らす場所だけを見て、世界が明るいと言いきることはできない。
周りは影に覆われているかもしれない。
女装してマヌケそのものに見えるが、セントの言い分は正しい。
同じように、「今、光ある場所を楽しめばいい」という受け止めも。
『カンパーイっ!』
パンジーたちは杯を交わした。
そして、グラスが照り返す後方の町明かりと、透き通った液体が閉じ込めた焚き火の揺らめきとを、一斉に飲み下した。
パンジーは思い思いに人を訪ねて、話をした。
同僚はもちろんのこと。
別の工場、「ソークボウル」の際に顔を合わせた者から、好意をほのめかされた。
明かりの外では、ハネアリの職人たちが集まって、「揺らし石」の祭儀をする場面も見た。
酒が回ったフォルミンに、からだをまさぐられた。
その他いろいろ、めちゃくちゃな目に遭ったが、ここに記すには値しない。
2時間も過ぎたところで、パンジーはヒナ夫婦の席にお呼ばれした。
数か所点在する焚き火のひとつ、あまり人気がないところで、ヒナとジェイムス、人間の友人2人ばかりが静かに語り合っている。
人間は木箱の上に座り、ヒナはジェイムスの膝に座る。
グラスを片手にしていても、その姿は親子のよう。
パンジーは空いた木箱の上へ、よじ登るようにして座る。
「ジェイムスが褒めてたよ。針の1本も持ったことないくらい、大事に育てられてきたみたいな子なのに、粉まみれになって仕事して。本当によくやってる、ってさ」
「おいおい、その言い方だと悪口みたいじゃないか。純粋に、気骨のある方だと思っただけだよ」
ヒナの粗雑な口ぶりに、ジェイムスがうやうやしく注釈を入れる。
息の合ったかけ合いだ。
パンジーは感心しながら、しばらくその賛辞を聴いていた。
「その、お2人はどうしてご結婚なさったんですの? 私たちと人間の方では、からだも違う――」
「そこはまあ、気持ちの問題だよ」
と、ヒナ。
すかさず友人の1人が「ほれ、始まるぞ!」と。
続けざまにもう1人が「俺たちゃうんざりだ」と、茶々を入れる。
なんだ、酔っぱらったらいつも蒸し返しているのか、とパンジーは邪推してしまう。
ヒナはむすっとした表情ながらに、語り始めた。
前提自体はおもしろくないので、要約する。
2人の出会いは9年前、ヒナがまだ製造部の発動機工程で、ライン作業をしていた頃。
ジェイムスが初の工場視察にやって来たが、小人種の労働負荷をかえりみない態度から、ひんしゅくを買っていた。
加えて、彼はその後、毎月のはじめに視察に来た。
通常の監察官は、年に2度か3度しか訪れないというのに。
そのマメさを、職人たちは嫌気する一方、ヒナは陰ながら好感していたという。
「それでーいつだったか、ジェイムスが工場連盟(本部)に呼び出されててさ。自分のせいで、錫板金の職人が3人も辞めたから『監察官を変えろ』って苦情が来た、責任を取れって怒られたみたいで」
「そんな。3人も、だなんて……」
「それでアタシもね……人間って言ったってアタシらと同じ、雇われの身で。どうしたらいいか、自分なりに悩みながら仕事してるんだ、って思ったの」
「そう、ですわよね。働く、って……立場があっても、大変なのは、みんな同じで」
「んで、考え方が変わるとさ、ジェイムスって真面目なんじゃなくて心配性なだけ、誰かに仕事を任せるのがヘタなだけって気づいたの。だから、アタシが全体の仕事と流れを覚えて、作業ごとの工数とか問題をジェイムスに共有するようにしてね。1人の職人がどこまでできるか、ジェイムスがどこまで意見できるか。はっきりさせたかったの」
「あはは、本当、あのときのヒナは心強かったものだ」
「……だから、ヒナさんはリーダーになられたんですのね。きっと」
話がひと区切りつく。
いい雰囲気だが、ふとパンジーは違和感を覚えた。
「その。お2人の仲が深まった理由はわかりましたけれど、それって『なれそめ』でして? お2人がお付き合いを始めた契機とか、ご結婚の決め手とか。そういうものじゃありませんの?」
「そうなの? あはは、そう言われても、気づいたらヒナの家で一緒に住んでたし、気づいたら子どもできてたわー」
「どうして一番いいところでテキトーですのっ!」
結局、この席について予想しうる最大の利益を、パンジーは得ることができなかった。
人間と小人種のロマンスなど、聞いたことがなかったし、かつてない関心事だったというのに。
「そういうパンジーはさ、将来、ファクトリアで結婚するの?」
酒か惚気のいずれかで、顔を赤くしたヒナが訊ねる。
パンジーは、開いた口をまごつかせる。
「えっ、そ、その……まだ、何も決めていませんわ。そういうお相手もいませんし。それに……」
そこで言葉を切り、パンジーはヒナ夫婦の席から離れた。
◆
やがて宴もたけなわとなった時分、野営地の一角に音楽隊が姿をあらわす。
バイオリンとホルンを構える人間と、横には4名の小人種が、管楽器を手に並ぶ。
人間の指揮者が指揮棒を振り、かれらはベートーベンの「田園」を奏で始める。
パンジーは聴き耳を立て、その胸の内の浅いところを波打たせるような、楽しい演奏に浸る。
パンジーの斜交いに、小人種の男女が腰を寄せながら、ダンスを踊る光景が見えた。
また、パンジーの中で時の光の粒が、弾けた。
いつかの、絢爛豪華なシャンデリアの下、真っ白い塔のようなケーキを食べた。
懐かしいパーティーの思い出。
(もし、職人にならずに、あのままお屋敷にいたら――私にも、素敵な人がいたのかしら? こんなふうに、華やかなパーティーで、一緒に踊っていたのかしら?)
熱に浮かされたような思考で、パンジーは想像する。
そして、その想像は、疑うまでもなく両親が願っていたパンジーの未来そのものだ。
まだ、望めば手に入るかもしれないものだ。
(けれど……もう、『ハネアリ』としては生きていけないんだから。悔やんだって、遅いわ……)
金刺繍のドレスが切なげに風を浴びる。
男女の踊るさまに、自身を重ねて。
袖を持て余して。
「――こんなところにいたんですね。パンジーさん」
上擦った、酒気帯びの声に呼ばれた。
パンジーが振り返る。
光の粒を全身にまぶしたように輝いて見える、サルビオラが立っている。
純白のドレスは、焚き火の炎光が差したところで、先の踊る女性に比べて地味なものではある。
ふと、パンジーはその無垢な白の中に、自身の金刺繍を添えたくなった。
きっと、よく似合うはずだ。
そうして腕を伸ばし、サルビオラのドレスの袖に――やがて手に触れる。
彼女は驚きつつも、拒もうとしない。
「一緒に、踊ってくれませんか」
「え? は、はい……」
サルビオラはいつものように、おびえながらも、パンジーの言うことだからと了承する。
――本当に。彼女は優しい人だ。
けれど、それはいま欲しい気持ちじゃない。
青白く細い茎のような手を取り、パンジーは思いっきり彼女を引き寄せると、その腰を抱きしめる。
自身よりひと回りも背の低い、年上の、慈しみ深い彼女。
そのとき、赤子みたいにパンジーの懐へとすっぽり収まってしまった。
「えっ、あの、パンジーさん……」
抱いた娘の動揺が、そばからたどたどしく伝えられる。
自身の紫金の髪房に。
交わした彼女の息は生ぬるく、甘酸っぱいワインの香りがする。
パンジーはただ何も言わず、音楽に合わせてステップを踏み出した。
そうとはいっても、見た目にはワルツを模しただけの、名前のつかない舞踏。
サルビオラに至ってはダンスのいろはも知らぬままに、パンジーの手取り足取り、操られているようなありさまだ。
それでも当人たちはひどく楽しそうだった。
言葉を絡め合う間隙もなしに、2人して指と腕、脚を、劇伴のリズムに合わせることに集中していた。
(もう、私に翅はないけれど……この人がいれば、きっとどんな世界でも、楽しくいられるっ!)
と、パンジーは黙しながら、そんなことを思いついていた。
厳密には、もっと形の崩れた、水彩めいた妄想だったが。
パンジーの恍惚とした顔を前にし、思惑にサルビオラは気がついただろうか。
水をたっぷり含んだブドウの実のように、赤く熟れた頬へ、ぎこちない笑みを刻みつけて。
パンジーのことを見つめ返してくる。
(サルビオラさん……いま、何を考えてるのかしら)
やがて、パンジーは相対する花の香に酔わされ、意味もないことを思索してしまった。
夜闇にぼんやり浮かぶ2輪の花。
花なる顔。
花は言葉を用いない。
ひたすらに同じ風の中で、揺れるばかりだ。
夜は、賑やかに、ひとりでにふけていく。




