第28輪 踊子(おどりこ)パンジー
「――おはよう、みんな。早速だけど、明日、帝国の生産監察室から『人間』の監察官が来ます。失礼は幾らしてもいいけど、くれぐれも気を張って、変な異常を流さないようにねっ!」
朝礼では、普段らしく先頭に立ったヒナが、冗談とともにそのようなお知らせをのたまった。
光球工場で長く働く職人にしてみれば、人間による視察が恒例行事と化していることがわかる。
もっとも、パンジーにおいて心身に堪える出来事には違いない。
かつてない緊張が走っていた。
粉末暴露対策の重装備を身に着け、汗だくになりながら球幹工程のひと通りの仕事をこなして。
昼休みになる。
パンジーは勢い、先の視察の件で不安に思っていることを、サルビオラに打ち明ける。
「……どうしましょう。以前みたいに、(己のヨダレで)シートを台無しにしてしまったり、(己の眠気で)ニカワまみれになったりするような粗相はなくなったけれど。ああ、こういう大事なときに限って、きっと私はヘタをするんですわ。そう、粉末のバケツをひっくり返したり!」
「ふふ。別に、それくらいなら何も言われませんし。大丈夫ですよ?」
「サルビオラさんの言う通りです。どこかの工場が爆発したときだって、やらかした人は始末書1枚で許されてましたから。解せませんけど……だから心配ご無用です」
なだめてくれるサルビオラの声に水を差す、それでいて同じ励ましめかして、私的な愚痴をこぼしてくるのは、どういうつもりかフォルミンだった。
そばに、パルプ紙工場の裏手通用門と、巨大な煙突が眺め見える、小高い公園の東屋。
パンジーとサルビオラ、2輪のひめスミレが落ち着く場所だったはず。
そこへ、今日は「私も行きます」と言って強引についてきたのが、フォルミンなのだった。
顔も、ゆたかな黒髪も丸くお団子にまとめたメガネの彼女。
身につけた柑橘の香水が、サルビオラの持ち込んだラベンダーの茶の香と並んで、爽やかに匂う。
パンジーも、いつの間にか上半身の赭の色の粉末を手で払い、身だしなみを整えさせられていた。
「フォルミンさんは、こちらにどんなご用向きで?」
「私が来たらいけないんですか?」
ひときわ小柄な女子が、歯を剥くように言い返してくる。
「なんて。ちょっと、お2人が羨ましかっただけです。私も、落ち着きたかったので」
それを聞いて、なんだ、単に仲間になりたかっただけかと、パンジーたちは和やかに思った。
「ジェイムスさん、って言うんですけど。いつも視察に来る人。ヒナさんの旦那さんなので、別に、私たちにうるさく言ってきたりはしませんよ」
「うええっ――ヒナさん、ご結婚されていましたの!?」
パンジーがやにわに大声を上げる!
「ちょっと行ってきますわ!」
「ええっ、せっかく落ち着いてたのに!」
フォルミンが驚く。
陰で、サルビオラがいたたまれない表情になっている。
2人を置いて、パンジーは光球工場に続く下り坂へ、とうに差しかかっていた――。
くたくた作業着のおてんば娘が、突風と額の汗に金髪を絡ませながら、大急ぎで走ってくる。
通りすがり、恐らく工場連盟本部へ向かうのだろう数名の軍服の人間が、ぴゅんと走る小さな小さな小娘の背中に、何ごとかと振り返った。
残念ながら、ただの癇癪だ。
パンジーが工場に着き、裏手に回ると、白くまばゆい長髪、ヒナの姿が見える。
友人たちと弁当を囲んで、楽しく食事している、と思ったが。
嵐の予感を察知して、すでにパンジーが来た方角へにらみを利かせているのだ。
「来たなあ、パンジー……アタシをどうするつもりだい!」
「ヒナさんっ。人間のお方と、ご結婚されているというのは、本当ですの……」
「えっ。まあ、うん。ジェイムスのこと? 何、それを訊きに来たっての?」
不安視していた、新手の生活相談ではなかったことに、ヒナは安心のようすをにじませる。
対して、パンジーは理解しがたい事実が、ようやく自身と地続きになった真実であることが身に染みて感じられたことで、その場に呆然自失とたたずんでしまった。
「あら、新米ちゃん、ヒナのこと好きだったの? かわいそうに。ねー、こんな雑だし、セントさんなんて素敵な幼なじみがいるってのに、こいつときたら」
「ホントよ! あんた、この前子どもがやっとお乳を離れたって言ってたけど。露店のものばっかり食べさせたりしてないでしょうねえ?」
ヒナの友人である女性たち――その口ぶりから、彼女たちも既婚者なのだろう、口々に、蓮っ葉なヒナの家庭事情についてケチをつけ始める。
それに「こ、子ども……お子さんまで……」と、パンジーはうわ言のように漏らし、また独りショックを受けている。
ヒナを幻想売りの舞台女優か何かと誤解していたのか?
11年分の職人としての貫禄が、私生活から来る所帯やつれを覆い隠しているだけで、彼女はごく当たり前の女性に過ぎない。
むしろ、そうであることにパンジーは喜ぶべきなのだ。
己にだって、等身大の少女・女性の幸せを選びとることができるのだ、と。
「そうだ。ジェイムス、汚れにうるさい方だから、今日の帰りには念入りに掃除しといてね?」
ヒナの温和な声音が、パンジーに現実を突きつける。
そうして、妄想破れた子ども心から解き放った。
もう、かつてのヒナの、気品と磊落さの婦人像は破れ去り、パンジーに向けてくれるものが母か姉の面倒見のよさだとわかった、今。
少しの寂しさとともに……パンジーはこれを受け入れた。
◆
翌日。
ヒナの告知通り、午前中からメガネの人間の男が工場視察にやって来る。
奇しくも彼とは、パンジーがはじめて遭遇し会話した人間。
中分けの黒髪の男だった。
小人種たちが見上げる。
男の、下口唇より顎先、エラへつながった錨マークのしゃれたヒゲを見ると、気を抜いているのかぽつぽつと不規則な無精ヒゲも伸びている。
見る限り、30代半ばといった若い雰囲気。
だが、独特な警戒感や厳しさなどはなくて、思い出に触れるみたいに優しくあろうとする気概だけが見てとれた。
男は製造部の入口から、ガラス球工程、細工工程、発動機工程と視て回って。
昼休みの1時間前に、ようやくパンジーが働く球幹工程に顔を出した。
場所は、相変わらずまるで真っ赤な砂漠だ。
「セントくん! 来たよ、久しぶり。1人辞めたと聞いたが、その後は大丈夫なのかい?」
男――うわさによれば、ヒナの夫というジェイムスは、後ろ姿では茶髪のポニーテールをした女性としか判断つかないセントを困難なく見つけると、真っ先に声をかける。
そういえば、彼がまったく平静なので失念していた……小人種の共通語を、母国語のように巧みに話している。
「おー、ジェイムス。いらっしゃい。うん、今はパンセロット・コンサバンスって子が入って。もう独り立ちもしてるよー。ほれ、パンジー? 気になるジェイムスが来たよー」
「……コンサバンス? このお嬢さんが。本当に?」
セントにうながされ、隣で作業するパンジーは上体をひねってジェイムスに軽く会釈する。
一方の彼は、脛の高さにある小人種たちの作業机に気をつけつつ近づき、どうしてか動揺したようすで声を震わせる。
パンジーを見つめている。
「へへっ、お察しの通り」
と、セントが告げた。
「パンセロットどの。その、礼儀をわきまえない質問で恐縮なのだが……貴殿はなぜ、ここで働いていらっしゃるのだろうか?」
「え、ええ? まあ、粉っぽいし、暑くて大変な仕事ですけれど。楽しいから、ですわ!」
「あ。いや、そのような意味ではなく……」
ポンのパンジーは、ジェイムスが「なぜ過酷な環境の職場なのに働こうと思ったのか」と訊ねてきた、そう考えて回答をしたのだろう。
考え足らずもいいところだ。
正しくは「なぜこの職場で働こうと思ったのか」という、もっと単純な、就職動機の話なのだ。
しかし、ジェイムスは彼女の認識誤りを訂正することはしないままだった。
先ほどから、言葉を選んで話す、そのよそよそしさばかりを残して、あたかも自身の非礼をなかったことにするように話題を打ち棄ててしまった。
「うーむ……。貴殿は承知のことだと思うが、この球幹工程は、光球の心臓部。さらに『揺らし石』の取り扱いには危険がともなう」
「え、ええ……」
ジェイムスの切り出しに、パンジーは萎縮して答える。
それだから細心の注意をするように、なんて叱咤激励を受けるに違いないと、身構えている。
「だというのに、やることは平坦で華やかさもない。顧客から褒めそやされる機会もない……多くの職人がここを辞めていった。けっして、無理をなさらぬよう。働くために必要なことは、ヒナにでもブレビスどのにでも、遠慮せず伝えてほしい。そして……できれば、末永くこの工場を支えてほしい。厚く、お願い申し上げます」
ジェイムスはひどく礼を尽くして、パンジーに頭を下げた。
予想を裏切られたパンジーは、しまりのない口を恥じるように閉じ絞る。
それから、返す言葉を探していたが、思いつかないままでいた。
「ずいぶん、カッコいいこと言われますね。でも球幹工程の風通しは、もう少し良くしてくれたっていいんですよ?」
「あはは、こりゃ手厳しいっ。フォルミンも、言うようになったものだ」
パンジーとジェイムスの後ろから、いたずらっぽい声で、フォルミンが口を出す。
双眼鏡みたいな丸縁メガネ越しの瞳も、声に合わせてうすく閉じられる。
ジェイムスは茶化しながらも、それとは別に、フォルミンの意見自体には強い関心を向ける。
「わかったよ、ウエには強く進言してみる。といっても、これまでも再三再四伝えているんだがね。あはは、あまり当てにはしないでくれよ」
「そんな悠長なこと言ってると、またパンジーさんが熱を出して、倒れてしまいますよ? って、私のせいでもあるんですけど。パンジーさん、ごめんなさい……」
フォルミンの言葉に、ジェイムスはぎょっとして、落ち着きある大人の顔を崩してまでも強い使命感を示す。
こうなれば、作業場の換気設備が改善されることは、約束されたと言ってもよい。
まったく。小娘の掌中で転がされる男の姿を見て、セントは苦くもおかしがって笑みを浮かべた。
仕事の後、ヒナは製造部の一同を集めて、このように問いかけた。
ジェイムス含む、14名のファクトリア工場生産監察室の監察官は、明後日をもってこの地を去る。
そこで明日、壮行と懇親をかねたパーティーを、人間たちの野営地で開催するので、参加の可否を決めてほしい、と。
「うっしゃー! お前ら、タダ酒が飲めるぞ!」
と、男性陣は歓喜し、一斉に挙手する。
件のパーティーは工場連盟が主催する行事のため、その発想は正しいものだ。
「ええ、あんな危なっかしいとこ行きたくないわ……」
と、一方の女性陣は参加に消極的だった。
「――パンジーさん、どうしますか?」
職人たちの輪の最も外側にいる、球幹工程の立場より。
パンジーは隣から、小さくキレイな声で訊ねられる。
仕事で疲れ果てたようすのフォルミン。
彼女も先の女性陣同様、辞退したいのだとはじめは思ったが、パンジーの意見を気にするからには、参加する目的があるのだろうか?
「私は……お酒は飲めないけれど。パーティーがあるのなら、ぜひ皆さんと参加したいですわ!」
「何ですか、それ。もうっ。しかたないですね……」
フォルミンは決意を固めると、右手にパンジーを連れてヒナに参加の意志表示をする。
左手には、セントの右手が。
セントの右手には、異邦人2人がまとめて数珠つなぎになっていた。
「サルビオラさんもっ。一緒に行きましょう?」
パンジーは細工工程メンバーの集まりにも割り込んでいき、中でうつむき加減のサルビオラに肩を寄せた。
彼女は数秒の黙考の後、眉根を下げながら「はい」と言う。
周囲は驚きに包まれる。
「まあ、おのおの不安もあるだろうけど。会場にはアタシもいるし、安全と楽しさは保証するよ。みんな、(光球の)生産数が増えても頑張ってくれてるから、せっかくの機会に、ハネを伸ばしてちょうだい」
なんだかんだ騒いでも、先頭に立つヒナの言葉と、彼女の隣に、倍以上の約1.8メートルという巨体をもちながら、穏やかに寄り添うジェイムスの姿が、その場において意志決定の最終項目には違いない。
家庭の事情でどうしても、と言う女工数名を除き、多くの職人がパーティーへの参加を表明した。




