第27輪 鉢植(はちうえ)パンジー
サルビオラの家族がファクトリアを訪れ、久々の再会を果たす契機となった、2週間の納涼祭「ソークボウル(Soaking Bowl)」。
それも、残り3日ばかり。
彼女の家族はひと足先に帰ってしまったが、浄化の池ができた中央広場を中心とし、町中にはいまだ賑やかさが溢れている。
さて、祭りの期間中であっても、産業そのものが休むなどということはない。
夏の天日に灼かれる丘の上。
工場たちは、熱と人をいっせいに閉じ込めて、今日もせわしなく稼働するのだ。
早朝。
職人のパンジーは作業着に着替え、南の正門方向まで歩いてくると、日課をこなすようにパン屋「パンパン」で朝食と昼食を買う。
店主の中年女性イーストがたわいない世間話をして、パンジーの仕事前の緊張をほぐしてくれる。
20分ほどおしゃべりした後、店を出る。
パンジーは工場区のある丘を目指し、三叉の道の右手側、勾配の入口に足を向けた。
遠くに、気高いグラジオラスの植栽と、水が滴る筒状の放水装置が見える。
その途中――背後から、パンジーの視界の一面を黒く染め上げるほど、巨大な影がせまる。
それは荷役犬か、中央広場の噴水がにじり寄って来るでもしなければあり得ないほど大きなものだ。
驚いたパンジーは、とっさに後ろを振り返った。
背後には、3名の人影が立っていた。
太陽をさえぎる、暗々とした輪郭で。
ただし、真っ赤な目立つ軍服で。
ひと目に、彼らはパンジーの背丈の3倍近くあることがわかる。
尋常ではない。
けれど、純粋に人の形容をなしている。
そういった存在を、何と呼ぶのか。
パンジーの脳神経回路は、真赭色をかぶった古い記憶をひっしで探り出して――。
強く――パンジーにうったえかける。
ああ。これは、「人間」だ、と。
「きゃっ!」
短い悲鳴を発し、足をもつれさせたパンジーは石畳に尻もちをつく。
腕に抱えていたパンの包みも落ち、ひっくり返って中身を少しこぼしてしまう。
人間を見ただけで、こうまで驚くのもおかしな話だが。
パンジーには、彼らの影が、自身を食らわんとする脅威に思えたというのだった。
「大丈夫かい、お嬢さん?」
しかし、パンジーが恐怖した事実は、現実によって即座に否定される。
影の正体であった人間の男、中分けの黒髪でアンダーリムのメガネをかけた人物は、膝をついてまでパンジーに手を差し出してくれたのだ。
チェロの伸びやかな摩擦低音のように練れた声が、パンジーの頭に降りかかる。
彼女たち小人種と変わらない、温もりに満ちたまなざしが向く。
パンジーは恥ずかしくなり、目を背けた。
乱れた金色の横髪を手でしごき、1秒ほどしてから、男の手によって立ち上がらせてもらう。
「あ、ありがとうございます……。人間のお方は、はじめて目にしたものですから」
パンジーは男を見上げ、感謝を述べる。
天に突き出す顎の下、一条の汗が伝った。
「はははっ、面白いお嬢さんだ。それならば、こちらにも非があるな。実家の庭とばかりに出歩いて、すまなかった。そちらのパンも。ぜひに弁償させてくれ」
「そんな! パンはまだ、食べられますわ。もぐもぐ……」
厚意への遠慮を示そうと、パンジーは落とした包みとパンを胸に抱えるや否や、開きっぱなしの口へ収納するみたいに頬張り始める。
怖い。
もはや、先に驚かされたことへの意趣返しだろう。
「たくましいお人だな……」
言葉を濁しつつも、ドン引きする人間の男たち。
その引きつった表情を横目に、(何の?)隙を突き、パンジーはだっと駆け出して、坂の上へと逃げおおせた。
◆
人間。
つまり吾々について、説明の必要もないことだろう。
この地球の陸上において――否、かの高名な探検家コロンブスの偉業以降、海上においても、支配的権力をもつ動物である。
一方で、小人種。
彼女たちについて、現状記されている書物は多くあるが、それは人間が行う空想という遊戯の上での存在に留まっている。
言ってしまえば子ども向け小説の幻想だ。
まさか、それが実在し。
こうして「ファクトリア」の工場労働者として、今も、吾々の生活を支える「光球」を生み出していることは、並みの市井が知る由もないことだ。
……もっとも、この場の主役は吾々という人間にあらず、小人種という人間だった。
話を戻そう。
小人種の、しかも17年もの間、お屋敷に閉じこもっていたパンジーが人間を知らないことは当然だろう。
ただし、その存在を両親に教わっていたことは、過去あった出来事として強調しておく。
そのときどんな悪辣な、あるいは美化された言葉によって伝えられたかは知れないが……。
どうせ、これだけは絶対に言われていたはずだ。
【人間には、何があろうと関わってはいけない】と。
◆
「大変ですわっ、大変ですわあ! 人間、人間の御仁がいましたわ! ふぁあああ!」
わめき散らす声は、間違いようもなくパンジーのものだ。
光球工場へ到着し、朝礼前に向かった球幹工程で怪鳥のごとく鳴き出した。
セントはのほほんとして指摘しないが、フォルミンはうるさいなと明確な非難を顔に張りつけている。
「そんな、騒ぎ立てることじゃありませんよ。『ソークボウル』の時期にはよくあることです。どうせ、軍の人が涼みに来ているだけでしょう」
「いやー。たぶん、今日見たって人間らは違うんじゃないかな? ほら、アレ、そろそろじゃん」
むすっとした幼顔のフォルミンに、セントが麗しい流し目で補足する。
アレ、と含みある言い方をしたが、単なる「工場視察」のことだ。
セントがそう話した。
「視察……なるほど。どうりで、これまで町の中に人間のお方が1人もいらっしゃらなかったんですのね。父から、『お屋敷の外は人間の世界だから、うかつに出てはいけない』と教わっていたから。少しだけ、心配していたんですけれど」
パンジーは過ぎた話を蒸し返して、安堵の息をもらす。
フォルミンは眉をひそめる。
「よく誤解されていることですけど、工場連盟はブレビスさんのお父さまが中心になって立ち上げた、小人種の自治組織なんです。人間の管轄じゃなくて」
「そうそう。ただ、ファクトリア自体は、この光球工場ひとつから始まったんだよー。そのときは人間の、小人種による、人間のための工場だったんだけど。これが、案外ウケてね。色んな人間が、工場事業のデモンストレーションにって工場を建てに建てまくったら、いつの間にか町になって。住民自身が、人間に代わって政治をするようになったー、ってワケ!」
話がややこしくなってきた。
パンジーは本日の仕事の準備をしなくてはと、2人の近くから離れて火房へ、「揺らし石」粉末を取りに行った。




