第24輪 水揚(みずあげ)パンジー
陽は落ちた。
それでも、町は明るい。
だから、ビオリンは小さな子どものように「まだ遊びたい!」と駄々をこね、パンジーたちを困らせる。
そこへサルビオラの母親が割って入り、「明日には帰るから、お姉ちゃんの家にお邪魔させてもらったらどう?」と、助け舟だと思わせておいて身勝手な提案をしてくる。
サルビオラは近所への迷惑を考えて、妹を泊めることには賛成しかねるようすだったが。
頭にパンジーが咲いた娘も「ステキな考えですわ!」と便乗してきたばかりに、断れなくなってしまい、「ひと晩だけなら……」と渋々了承するに至った。
――などと、経緯はどうであれ、離れ離れになっていた姉妹の再会が叶ったのだ。
これは喜ばしいことではないか。
パンジーは口にこそしなかったが、下宿へ帰って、ひといきついたところで、確かにそのように思っていた。
脳裡に、ビオリンの右へ偏った愛くるしい笑顔が思い起こされる。
ところが、同じ日の夜更け。
ともした光球の明かりも、残り数分で切れる。
ネグリジェに着替え、床に就こうと準備するパンジーの元へ、ひとつのノックが訪ねてきた。
出迎えると、サルビオラがいた。どんな心境ゆえか、悩ましい顔をして。
「こ、こんばんは。えっと、寝つけなくて……少し、お話ししませんか?」
サルビオラの、語り口のみを拾い上げれば、気心知れた相手に見せる甘えだと思える。
懐疑する余地もない。
ただし、細い腕に磁器のティーセットを2人前と、注ぎ口に湯気立つポットをぎこちなく抱えている。
それは不自然極まりない光景だった。
どうやって玄関扉をノックしたのだろう。
パンジーは乱れた思考によって、なしくずしに来訪者を受け入れる。
パンジーは今まさに紐が戻りきって消灯しようとした発動機を叩き起こし、来訪者と2人、机をはさんで座る。
「これ、レモンバームで作ったハーブティーです。安眠効果があって……」
この場の違和感を流すかのごとく、サルビオラはカップに茶を淹れ、差し出してくる。
「ええ。ありがとうございます。その、お話しというのは、ビオリンさんではダメなんですの?」
「妹とは、もうたくさん話しました。今日のことだけじゃなくて、これまでのことも。でも、夜はいつも早いみたいで……きっと、母さんの農作業を手伝ってるから、だと思うけど」
サルビオラは自分事のように、照れくさそうな顔になる。
それはパンジーに、ビオリンのことをもっと話したい気持ちと、秘密にしておきたい気持ちとが、ない交ぜになったものに見えた。
「お礼が言いたかったんです。妹と母さんに会った方がいい、って、背中を押してくださったこと。本当に、ありがとうございました」
「サルビオラさん……。どういたしまして、ですわ。私、思いつくことがいつも強引だから、サルビオラさんに無理をさせているんじゃないかって、不安でしたの。よかった……」
「ご自覚はあったんですね……でも、強引なのは、パンジーさんが何ごとにも真剣だからだと、思います。だから、本当に、感謝してます。きっと、こうして背中を押してくれなかったら――私は、家族に……一生会わないくらいの気持ちのまま、だったから」
サルビオラはいつになく流暢に話した。
それでいて、本心を隠す仕草のひとつも見せない。
一度、パンジーは彼女の言葉について訊き返すことをためらった。
サルビオラが何を語りたいのか、知ろうとして。
「職人の礼儀」のためだけではない、自分と彼女の礼儀のために。
「……ごめんなさい。パンジーさんを試すような、その、言い方をしてしまって。私と家族のこと、聞いてくれませんか?」
「もちろんですわっ」
パンジーは、昔話に花を添える気持ちで、生き生きとした笑顔をサルビオラへ向ける。
サルビオラは反射的に目を伏せる。
少しして、前髪越しにパンジーのことを見つめ返すと、口を開いた。
「私の実家は、小さな2つの川の間にあって、フェンネルの栽培を生業にしていました。周りには、他にハーブ農家がたくさんいて。『揺らし石』採掘が流行ってから、男手が足りなくなった分、女の人たちがみんなで仕事を手伝い合ったりしていたんです」
「まあ。まるでファクトリアみたい。きっと、みなさん、心暖かい方たちなんですのね」
パンジーが言うと、サルビオラはかすかな含み笑いをしてくれる。
「でも……ビオリンが9歳のとき、口がもつれる、左手に力が入らないって言い出して。それからだんだん、ひどくなっていって。言葉遣いも、15歳とは思えないくらい、子どものまま止まったようで……産まれたときは、普通だったのに」
しだいに、サルビオラの声が細くなる。
「母さんや周りの人は、気にせずビオリンの世話を焼いたり仕事を手伝ったりしてくれて。私も、はじめはそうしました。……でも。旅のお貴族さまに『ファクトリア』の話を聞いたとき、自分のやってること、イヤになって。惨めに思えて。出稼ぎに行くって言いわけして、逃げました」
そこで、サルビオラは喉を詰まらせてしまう。
ひと呼吸。
置いてから、「……だから、私には、家族に会う資格がないと思っていました」と。
「お話ししてくださって、ありがとうございます」
他に、彼女へかけるべき言葉があるだろうに。
パンジーは、真っ先に礼を述べた。
「すごく。失礼な言い方になってしまうけれど……。そんなに思いつめて。それなのにどうして、ご家族にお会いして欲しいって、私の吾がままを聞いてくださったんですの?」
「っ、それは――」
瞬間、10分が過ぎたことを知らせる格好で、光球の光が消える。
パンジーが発動機のあったあたりを手さぐりする。
しかし、先にサルビオラが紐を引き、つけ直す。
「パンジーさんからは、逃げたくなかった、から……」
サルビオラが、赤面した顔をしかと向けてくる。
パンジーの顔の前に。
震えながらなお、固く。
「家族から逃げて。前の(パルプ紙)工場から逃げて。ヒナさんや、同僚の人たちからも……。私は、逃げてばっかりで。誰かが助けてくれるのを祈ってばかりでした。そうでなければ、独りきりでいいや、って」
「…………」
「――でも、パンジーさんは『サルビオラさんがいてくれてよかった』って、言ってくれましたよね? だから……パンジーさんからは、もう逃げないって。決めたんです。だから……私は、あなたと同じ、光球工場の職人です!」
とんちきな自己紹介。
サルビオラの顔は、ワインのような光沢を帯びた髪を、蒸発させかねないくらいさらに赤くなって。
同時に、部屋の花柄の光球から光をいっぱいに浴び、輝いている。
「うふふっ。存じ上げていますわ。でも、そう……サルビオラさんがそんなふうに想ってくださってるなんて、思いつきもしませんでした。この、光球に刻んでいただいた花柄と一緒で……やっと、頭に入りましたわ!」
「……ふふっ。なんですか、それ」
パンジーもとんちきをお返しする。
サルビオラは緊張の相をくずし、普段の優しい顔にもどる。
2人は、すっかり存在を忘れていたハーブティーのカップに手を伸ばし、冷えてエグみの増した液体を無理やり喉へ流し込む。
すると、からだの火照りを覚えたパンジーは立ち上がり、ベランダにつながる窓を少しばかり開いた。
湿気た風が、ぬうぬうといって部屋に入ってくる。
「ふう。いい気分なのに、なんだかすぐに眠れる気がしませんわ……」
「ご、ごめんなさい。あんな話したら、目がさえちゃいますよね」
と、サルビオラが謝る。
「その。お昼、パンジーさんが言っていた手紙のことですけど。やっぱり、本当に中身は見ていないんですね」
「当たり前ですわ! 手紙は、誠心そのものですもの。けれど、どうしてわかりますの?」
「だって……あれは、家族宛てに書いたものじゃないですから」
サルビオラは言うと、私服の袖に反対の手を突っ込む。
袖から、どういう意図か知れないが、忍ばせていた例の便箋を取り出す。
用紙を見ると、手でくしゃくしゃに丸めた跡が記憶されている。
同じように、後からていねいに伸ばして元通りにされた事実も、パンジーにはわかった。
「……シフォンさん、って知っていますか? この部屋に、以前住んでいらした方です」
「え、ええ。風のうわさには。急いで工場をお辞めになって、代わりとして私が球幹工程に入ったんですのよね」
「はい。(シフォンさんは)本を読むのが好きで、物静かで。でもとっても明るくて、コーヒーとハーブのことになるとめっぽう情熱的になる、変わった人でした。見た目は、パンジーさんと正反対。縮れた短い髪に、細い目をして。よく笑う女の子。なんでいなくなったか、今でもわからない……」
サルビオラは細切れの言葉たちを、宙に浮かべる。
光球の光がそれらをホコリごと照らす。
「私が、最初に勤めたパルプ紙工場になじめなくて、辞めるかどうか悩んでいたとき、『カフェ・コンテナ』でシフォンさんに会ったんです。いつの間にか、おしゃべりする仲になっていて」
「まるで、私とサルビオラさんみたいですわねっ」
「本当に。ふふっ。……それで、シフォンさんが『同じ工場にいれば悩みを共有できる。同じ下宿にいれば交換もできる。きっとそれが一番いい』って、誘ってくれたんです。だから、今の私がいて……パンジーさんにも出会えたんです」
サルビオラが教えてくれた。
ようやく、パンジーは自身が、彼女にとっていかなる存在なのか理解することができた。
「ただ、そのお礼が伝えたくて。意味のない手紙を――。これは、なかったことにします」
「私は、その手紙はきちんと送ったほうがいいと思いますわ」
「そ、そうです、よね。せっかく書いたのに。出さないと、また逃げたことになる……」
「違いましてよ。サルビオラさん。シフォンさんは、大切なお友だちで。私たちの恩人なんですから。近況を伝えることは、お友だち同士のマナーですわ! それに、きっとサルビオラさんのこと、気にかけていらっしゃるでしょう?」
「……はいっ」
パンジーに生意気な口調で諭された、サルビオラといえば密やかに、嬉しそうなようすでいる。
おしゃべりが過ぎるぞ、早く寝ろ――。
そう言わんばかりにまた、光球の光がひゅっと消え、パンジーの部屋は深い暗色に染まる。
もはや、光に慣れ始めたパンジーのからだは、頭で考えるより先に、発動機の紐を探して手を動かしてしまう。
そのとき。
パンジーの手は、また異なる手に包まれる。
己の反対の手であるはずはなく。
皮ふの下にはう血管からの熱、脈拍が異なる、もうひとつの手。
暗闇の中でも、しっかり結ばれている。
「……パンジーさんがいる。シフォンさんがいた場所に。……私、接し方がわからなくて、関わらないほうがお互いのためなのかな、って。勝手に思ってました」
パンジーの手を握る手の主は、自信なさげな声なのに、どうしようもなく熱を帯びて。
人間臭く、いじらしい。
それが本性なのか、虚勢なのかは知れない。
けれど、ここにいてくれる。
「工場が爆発した日。パンジーさんが倒れたときまで、そんなことで、悩んでました。でも……逃げなくて、よかったぁ」
言葉を聞いて、パンジーは真っ黒な目の裏で、時の光が弾けた感じを覚える。
熱っぽく、だるいからだ。
玄関の戸を開く。
目の前には、赤みがかった、魅惑的な黒髪。
おびえた顔の女性。
――今ならわかる。
その目には強く、後悔と優しさのあかりがともっていた、と。
そして、パンジーは暗闇の中、自身の手の中にいる、「サルビオラ」の手を握り返した。
「……実は、私、父の借金を返すために、ファクトリアへ来ましたの。もちろん、以前にサルビオラさんにお伝えした、家を出たい気持ち、は本心ですわ。けれど、その目的を果たしたら、私はこの町から去るつもりですわ」
と、パンジー。
サルビオラは黙って聞いてくれる。
どんな顔をしているのだろう。
「でも、町を出た先のことはまだ、何も考えていなくって。のんきな話ですけれど。ひとまず、行ってみたい場所があって! 父と花冠を作った、大きな花畑ですわ。そこへ、その……そのときのサルビオラさんのご都合がよろしければっ、一緒に、パンジーを見に行きませんか?」
「はいっ」
と、返事をくれるサルビオラ。
パンジーは目を細め、ちらりと、その表情を見ようとするがやはり暗いまま。
次にサルビオラが「そろそろ帰ります」と言い出すまで、光球に手を伸ばすことはしなかった。
いよいよ町全体が眠りにつく頃。
パンジーは玄関先に立ち、同じ下宿の2つ隣の部屋にもどっていくサルビオラを見送った。




