↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
32/32

第33輪 本懐(ほんかい)パンジー

 コンサバンスのお屋敷《やしき》といえば、パンジーは知らなかったのだが、周辺《しゅうへん》の子どもたちから「立《た》ち入《い》ればお化《ば》けが出《で》る」と噂《うわさ》される恐《おそ》ろしい存在《そんざい》だった。


 朝でも夜でも、見物《けんぶつ》に行くと、大《おお》きさと荘厳《そうごん》さはあるのにロクな明《あ》かりもついていない。


 家主《やぬし》である夫妻《ふさい》は頻繁《ひんぱん》に家《いえ》を空《あ》けているし。


 小人種《フェアリー》の子どもくらいはひと口《くち》に平らげそうな、巨大で神秘《しんぴ》的に真《ま》っ白《しろ》い番犬《ばんけん》たちの遠吠《とおぼ》えばかりが響《ひび》いて。


 後《あと》の音は、魔法《まほう》で消《け》したみたいにすっかり静《しず》かになる。


 よくできた事実《いわく》だ。


 ところで、子どもたちがそれほど関心《かんしん》を向ける事柄《ことがら》ならば、大人《おとな》だって「コンサバンス」の名を知っていておかしくはないはずだが。


 ファクトリアにて、パンジーがお屋敷《やしき》の住人《じゅうにん》、あるいは由緒《ゆいしょ》ある名家《めいか》の娘《むすめ》だと通《つう》じなかったのは、なぜだろう。



 さて……話題《わだい》のお屋敷《やしき》の1階。


 応接室《おうせつしつ》のソファに座《すわ》らされたパンジーが青《あお》とも紫《むらさき》ともつかない顔色《かおいろ》で、震《ふる》えながら待機《たいき》している。


 退屈《たいくつ》しのぎに、先《さき》の噂《うわさ》話《ばなし》をさらに聞かせてやりたいものだ。


 そうすればきっとパンジーは、魔法《まほう》で、彼女の怒《いか》りを鎮《しず》められないかと空想《くうそう》するに違《ちが》いない。



「――お待《ま》たせしました」



 冷《さ》めた声音《こわね》が、応接室《おうせつ》の中に入ってくる。


 同時に、声音《こわね》は、緩《ゆる》やかに立《た》ち昇《のぼ》る湯気《ゆげ》と、甘《あま》い匂《にお》いをともなっている。


 パンジーは目《め》の前《まえ》に、ホットココアの注《そそ》がれたカップを置《お》かれる。

 机《つくえ》を挟《はさ》んだ反対側にも。


 やがて、生成《きな》りのエプロンを身《み》につけた大柄《おおがら》の婦人《ふじん》がゆっくりと席《せき》についた。


 婦人《ふじん》は、名をトドレスという。


 パンジーが産《う》まれるより以前《いぜん》からお屋敷《やしき》で働いている、最《もっと》も古株《ふるかぶ》の――今《いま》や唯一《ゆいいつ》の使用人《しようにん》。


 元《もと》より楕円《だえん》形《けい》の体格《たいけい》をしていたが。

 改《あらた》めて観察《かんさつ》すると、歳《とし》を重《かさ》ねるごとに膨張《ぼうちょう》していた彼女は、エプロンの上下《じょうげ》左右《さゆう》からぜい肉《にく》を溢《あふ》れさせている。


 同年代だろう「パンパン」の店主《てんしゅ》イーストと比《くら》べれば、トドレスの横幅《よこはば》は2倍以上もある。


 さすがに太《ふと》り過ぎだ……パンジーはかつての認識《にんしき》を引《ひ》き裂《さ》くように更新《こうしん》させられる。



(もしかして……トドレスの食費《しょくひ》が、家計《かけい》を圧迫《あっぱく》していたのかしら)


「なんです、お嬢《じょう》さま? 人のことをジロジロ見て。まず、言うべきことがあるのではなくて」



 パンジーが頭《あたま》にバカを咲《さ》かせているところへ、怪訝《けげん》なようすでトドレスが口《くち》を出す。


 それから、顔《かお》を引《ひ》き締《し》めたり、よそへ向けたりうつむいたりさせるパンジー。


 3秒ほどが経《た》った頃《ころ》。



「勝手《かって》に、家を出てしまって。申《もう》し訳《わけ》ありませんでした……」



 パンジーは腰《こし》から、深《ふか》く頭《こうべ》を垂《た》れ、謝罪《しゃざい》した。


 短《みじか》い髪《かみ》の外側で、トドレスの呼吸《こきゅう》が聞こえてくる。



「お嬢《じょう》さま。今度のことを、私《わたくし》が叱《しか》ると思いますか? ……夜に、屋敷《やしき》を抜《ぬ》け出《だ》された上《うえ》、イライまでつき合わせていると知ったときは、どうなることかと心配しました。まずは、お2人が無事《ぶじ》に帰《かえ》って来《こ》られたことを祝福《しゅくふく》させてください。……おかえりなさい」


「トドレス……ただいまっ、ですわ!」



 魔法《まほう》が……まさか、本当にかかったのか?


 トドレスの顔《かお》は、いたくスッキリとしている。



「それで、今までどこへ何《なに》をしに行かれていて、なぜ今日になってのこのこと帰《かえ》って来《こ》られたのか。この私《わたくし》にわけをお話しください。お嬢《じょう》さまを叱《しか》るのはその後《あと》です」


「ええっ、結局《けっきょく》叱《しか》られますのっ?」


「お嬢《じょう》さまを叱《しか》ること、正《ただ》しさをお教《おし》えするのが私《わたくし》の仕事ですので。奥《おく》さまは『血《ち》が騒《さわ》いだだけ』と笑っていらしたけれど、私《わたくし》はそうはいきませんことよ。ふふふっ……」



 トドレスは薄《うす》く化粧《けしょう》した口唇《くちびる》をつり上《あ》げてほほ笑む。


 それを見て、パンジーはドレスにしがみつくほど震《ふる》え上《あ》がったが。


 もしかすると、彼女のみやげ話《ばなし》を楽《たの》しみにしているのかもしれない。


 ホットココアを飲《の》みながら、パンジーはこれまでのことを話し出した。



――――

 運命《うんめい》が、異《こと》なる向《む》きに動き出した日。

 父ゴウ・コンサバンス名義《めいぎ》で領主《りょうしゅ》に借金《しゃっきん》をしたという旨《むね》の借用書《しゃくようしょ》を見つけ。

 紙《かみ》飛行機《ひこうき》に導《みちび》かれ、イライとともにお屋敷《やしき》を抜《ぬ》け出《だ》し。

 借金《しゃっきん》返済《へんさい》のため出稼《でかせ》ぎに行ったこと。


 ファクトリアでの生活の幕開《まくあ》け。

 知らない誰《だれ》かになったような、長い1日のこと。


 ヒナやセント、サルビオラとの出会い。


 光球《こうきゅう》工場《こうじょう》の職人《しょくにん》としての1週間。


 あと、工場《こうじょう》の爆発《ばくはつ》。


 「揺《ゆ》らし石《いし》」がいかに小人種《フェアリー》・人間《にんげん》の生活を絶大《ぜつだい》に支《ささ》えているか。


 それに、父は「揺《ゆ》らし石《いし》」の仲買《なかがい》商人《しょうにん》として、自身は職人《しょくにん》として貢献《こうけん》していることを、誇《ほこ》りに思っていたこと。


 それから……父が本当は、「揺《ゆ》らし石《いし》」事業《じぎょう》に直接《ちょくせつ》関《かか》わっていないと知らされたこと。

――――



 長い時間をかけて。


 1冊《さつ》の小説《しょうせつ》を読み終えたくらいの感慨《かんがい》とともに、パンジーは話《はなし》を終《お》えた。



「本当に、ご成長《せいちょう》なされましたね。お嬢《じょう》さま。翅《はね》のことも……ご自身で乗《の》り越《こ》えられたのですね」



 先ほどまであいづちを打《う》って、血《ち》の通《かよ》った聴《き》き手《て》にあったはずのトドレスは、そのときばかり世界《せかい》の外側《そとがわ》に立った存在のようにパンジーへ告げる。


 そのすぐ後《あと》、ふくよかな黄味《きみ》帯《お》びた顔《かお》を、彼女に見えないくらい下《さ》げると、右手《みぎて》の指《ゆび》で眉間《みけん》を押《お》さえて黙《だま》ってしまう。



「もう、私《わたくし》は、お嬢《じょう》さまを叱《しか》る立場《たちば》にないのですか」


「……トドレス。お父さまとお母さまは、いつ頃《ごろ》帰《かえ》って来《こ》られるのかしら?」



 と、パンジー。


 トドレスはふたたび背筋《せすじ》を正《ただ》し、向き合ってくれる。



「あいにくですけれど、旦那《だんな》さまと奥《おく》さまは当分《とうぶん》帰《かえ》ってきません。遠方《えんぽう》、ス(・)ペ(・)イ(・)ン(・)の地《ち》へ商談《しょうだん》をしに出かけていますので。長くて、半年はかかるかと」



 トドレスの答えが、パンジーの今日《こんにち》に至《いた》る旅路《たびじ》のすべてをムダ足《あし》にした。



「でしたら! 私《わたくし》から、お父さまへ文《ふみ》を送《おく》りますわ。『フ(・)ァ(・)ク(・)ト(・)リ(・)ア(・)か(・)ら(・)会(・)い(・)に(・)来(・)ま(・)し(・)た(・)』と。それで、お父さまたちが戻《もど》られたら、ファクトリアに返信《へんしん》をしてちょうだい。そしたらまた――」



 パンジーがせりふを言《い》い終《お》える前《まえ》に――否《いな》、まるで誤《あやま》りを正《ただ》すようにトドレスが口《くち》を挟《はさ》む。



「お嬢《じょう》さまは、『Quetzal《ケツァル》huacan《ウァカン》』という言葉の意味が、わかりますか?」


「ケツァル、ウァカン? ポ(・)ヤ(・)語(・)、かしら。えっと。ハネをもつ者《もの》の、土地《とち》……」


「その通り。『ハ(・)ネ(・)ア(・)リ(・)の(・)地(・)』、旦那《だんな》さまと奥《おく》さまが向かわれた土地の名です」



 トドレスが何を話そうとしているのか、理解できない。


 小人種《フェアリー》である、パンジーの父ゴウの商売《しょうばい》相手《あいて》なのだから「ハネアリ」が暮《く》らす土地に行くのは当然《とうぜん》だろう。


 それに、かの地がケツァルウァカンと呼《よ》ばれていることと、パンジーの本懐《ほんかい》とに、一体《いったい》どんな接点《せってん》があるというのか?



「スペインの南《みなみ》側《がわ》、古《ふる》くより黄(・)金(・)が(・)流(・)れ(・)る(・)川(・)と呼ばれた大河《たいが》を望《のぞ》める地《ち》。人間《にんげん》の御仁《ごじん》(ジョセフ)がコンサバンス家の始まりとおっしゃった――お嬢《じょう》さまの曽《ひい》おじいさまによって建《た》てられた『ハネアリ』のための地です。私《わたくし》たち『ハネアリ』の崇高《すうこう》な文化《ぶんか》を、いかなる者《もの》の手《て》からも守《まも》るために」


「なんの話をしているの? それに、曽《ひい》おじいさまって。『揺《ゆ》らし石《いし》』の商売を最初《さいしょ》に始《はじ》められたのは、おじいさまでしょう?」


「旦那《だんな》さま……ゴウさまの、おじいさま、ですよ。そう教えたはずです。つまり、パンジーさまから見れば、曽《ひい》おじいさまに当たります」


「……そういうことですのねっ!」



 パンジーは膝《ひざ》を打《う》って納得《なっとく》している。


 どうでもいいことで、話《はなし》の腰《こし》を折《お》るのはやめるべきだ。



「何を言いたいのかというと。お嬢《じょう》さまは、『ハ(・)ネ(・)ア(・)リ(・)の(・)文(・)化(・)の(・)守(・)り(・)手(・)』その血《ち》を継《つ》ぐ方《かた》なのです。もし次《つぎ》に、旦那《だんな》さまとお話《はな》しされるのならば、このことは忘《わす》れぬようにしてください。そして……この屋敷《やしき》は、あなたがたが世(・)界(・)を(・)揺(・)ら(・)す(・)話(・)をするには、ふさわしい場所ではない」



 卒然《そつぜん》、トドレスは立ち上がる。


 彼女の巨体《きょたい》が動くのに合わせ、床《ゆか》が軋《きし》む音《おと》を密《ひそ》やかに上げる。



「きっと、これをお嬢《じょう》さまに伝えることは、旦那《だんな》さまの望《のぞ》みではない……けれど。お嬢《じょう》さまはもう子どもではない。ご自身で立つ方法を見つけられた。ならば、知《し》る権利《けんり》があると思うのです」



 トドレスのそれは、ここにはいない、ゴウたちへの言《い》い訳《わけ》か。

 パンジーへの承認《しょうにん》か。


 彼女は張《は》りつめた調子《ちょうし》に独《ひと》りごちると、そっとパンジーに近寄《ちかよ》り、ドレスの肩《かた》へと手《て》を遣《や》る。



「お嬢《じょう》さま。……嘘《うそ》を言ってしまい、申《もう》し訳《わけ》ありません。旦那《だんな》さまは、今の『珠尾《たまのお》』事業《じぎょう》が軌道《きどう》に乗《の》ったあかつきには、お嬢《じょう》さまとケ(・)ツ(・)ァ(・)ル(・)ウ(・)ァ(・)カ(・)ン(・)へ(・)移(・)住(・)されるおつもりでした。今は、その準備のために、かの地《ち》へお出《で》かけになっているのです」


「移住《いじゅう》……なんで、そんなことを?」


「この屋敷《やしき》が、紛《まが》い物《もの》の正《ただ》しさだからです」



 と、トドレス。


 たしか、階段《かいだん》から落《お》ちたパンジーが数月《すうつき》後《ご》にこっそり私室《ししつ》から出たのを見つけ、鬼《おに》の形相《ぎょうそう》で叱《しか》りつけてきた。


 あのときに通《つう》じる、ひっしさに囚《とら》われた表情をしている。



「かつて、旦那《だんな》さまが、まだコンサバンス家の事業《じぎょう》を手伝《てつだ》われていた頃《ころ》。『揺《ゆ》らし石《いし》』の荷車《にぐるま》にまぎれ込んで、ケツァルウァカンからファクトリアへ、秘密《ひみつ》に出稼《でかせ》ぎしようとしていた奥《おく》さまと出会《であ》い、恋《こい》に落《お》ちました」


「えっ、お母さまが、ファクトリアに?」


「ええ。旦那《だんな》さまは、奥《おく》さまと同じようにケツァルウァカンと『ハネアリ』の文化《ぶんか》を愛《あい》して。工場《こうじょう》を遠《とお》ざけ、家族で、かの地《ち》に住《す》むことを望《のぞ》まれました」



 それは、パンジーが知らなかった両親のなれそめ。


 若《わか》い母《はは》もまた、職人《しょくにん》になろうとしたのだ。



「しかし、お2人が結婚《けっこん》されることになると、本家《ほんけ》のセラスさまから物言《ものい》いがつき……工場《こうじょう》連盟《れんめい》のお目《め》つけ役《やく》、という名目《めいもく》でこ(・)の(・)屋(・)敷(・)に(・)隔(・)離(・)さ(・)れ(・)た(・)のです。ここは、お2人にとって窮屈《きゅうくつ》な虫《むし》かごだった。それで、きっとお嬢《じょう》さまのことも閉《と》じ込《こ》めてしまった……」


「そんな。でも、5歳(あのひ)の誕生日《たんじょうび》パーティーまでは、自由に外《そと》へ連《つ》れ出《だ》してくれましたわ! なのに、どうして……」



 パンジーが問《と》いかけても、トドレスは答えない。


 視線《しせん》をいちど、さまよわせる。



「私《わたくし》は、お2人から『本(・)当(・)の(・)正(・)し(・)さ(・)と(・)思(・)い(・)や(・)り(・)』をお嬢《じょう》さまへお教《おし》えするよう、おおせつかってきました。今でも、それは変わりません。ですから、お嬢《じょう》さまの将来《しょうらい》のために、ひとつ吾《わ》がままを言わせていただきます。……お(・)2(・)人(・)に(・)会(・)い(・)に(・)、ケ(・)ツ(・)ァ(・)ル(・)ウ(・)ァ(・)カ(・)ン(・)へ(・)行(・)っ(・)て(・)く(・)だ(・)さ(・)い(・)!」



 トドレスが、バレットにまとめた髪《かみ》を乱《みだ》す勢《いきお》いに、パンジーへと迫《せま》る。


 本当に吾《わ》がまま、無茶《むちゃ》な提案《ていあん》だった。


 コロンブスが「新大陸《しんたいりく》」を切《き》り拓《ひら》いたのとは訳《わけ》も違《ちが》う。


 相手がパンジーだろうと、とうてい納得《なっとく》できるはずがない。



「会《あ》いに、って……スペインの、そんなところ。1日や2日で行けるわけじゃないでしょう? 私《わたくし》には、仕事があるし……」


「光《ひかり》に、目がくらんでしまったのですか? 思い出してください。お嬢《じょう》さまが、職人《しょくにん》になるために歩《あゆ》んだ道《みち》を。それは旦那《だんな》さまと奥《おく》さまが、お嬢《じょう》さまを育《そだ》ててきた道《みち》に、通《つう》じているのですよ」



 おかしな話《はなし》だ。


 働《はたら》ける歳《とし》の娘《むすめ》が、働く理由を見つけるために、両親の由縁《ゆえん》の地《ち》を訪《おとず》れる必要《ひつよう》があるだろうか? 


 このお屋敷《やしき》はいまだどこもかしこも燭台《しょくだい》を使って、昼間《ひるま》でも夕方《ゆうがた》のように暗《くら》い。


 トドレスこそ、思考《しこう》に影《かげ》が染《し》みついてしまっているのではないか。



「お嬢《じょう》さま。『夢《ゆめ》』はありますか?」


「えっ。急《きゅう》に訊《き》かれても、そんなこと……」


「結構《けっこう》。人は、夢《ゆめ》がなくても生《い》きられるし働《はたら》くことができる。では、夢がある人とない人とで、何が違うのでしょう?」



 トドレスは何の話をしているのだろうか?



「夢《ゆめ》は、自(・)分(・)の(・)外(・)側(・)に(・)あ(・)る(・)何(・)か(・)がつくってくれるものです。だからこそ、人の夢は、からだに触《ふ》れることでも言葉《ことば》を交《か》わすことでも、見ることが叶《かな》わない。夢は、夢(・)が(・)あ(・)る(・)人(・)が(・)外(・)側(・)に(・)つ(・)く(・)っ(・)た(・)も(・)の(・)を見ることで、はじめて共有《きょうゆう》できる。そして、また別《べつ》の夢《ゆめ》を、人《ひと》の中《なか》につくるのです」


「外側《そとがわ》につくったものが……夢《ゆめ》を……」


「ケツァルウァカンは、お嬢《じょう》さまの曽《ひい》おじいさま、その意志《いし》を継《つ》いだ旦那《だんな》さまの夢《ゆめ》。同時《どうじ》に、誰かの夢をつくる場所でもあるのです。――見(・)て(・)み(・)た(・)く(・)は(・)あ(・)り(・)ま(・)せ(・)ん(・)か(・)?」



 トドレスはくすぐったそうに笑《わら》ってみせる。


 顔《かお》には、老《お》いを兆《きざ》したしわの黒《くろ》が刻《きざ》まれ、肌《はだ》色はやや日焼《ひや》けして黄味《きみ》帯《お》びる。


 そんな中《なか》、美《うつく》しい白《しろ》い歯《は》がやわらかく咲《さ》いている。


 パンジーの、とうに知っている表情《ひょうじょう》。



 にもかかわらず、彼女はトドレスに見《み》とれてしまった。


 トドレスは父の夢を見たのだろう。


 同じものを、パンジーにも見せたいのだろう。


 わからない。

 すべてはひとつの表情《ひょうじょう》に見《み》た空想《くうそう》だ。


 けれど、どうしたって惹《ひ》きつけられる。





 あの日《ひ》、家《いえ》を出《で》た。


 目的《もくてき》地《ち》が近《ちか》かったから、ではない。

 実際《じっさい》、私室《ししつ》から、正門《せいもん》を出《で》るまでに17年《ねん》かかった。


 そのときしかなかったから、でもない。

 後《あと》から、いくらでも考《かんが》える時間《じかん》はあったはずだ。


 あの日《ひ》、なぜ家《いえ》を出《で》た?





「もし……見てみたい、と言ったら。私《わたくし》は、職人《しょくにん》ではいられなくなるのかしら。そうでなくても、職人《しょくにん》失格《しっかく》になってしまうのかしら」


「私《わたくし》にはお答《こた》えしかねます。しかし、これからお嬢《じょう》さまがお話《はな》しになることは、未来《みらい》のことです。間違《まちが》いはありません。それに、今日《きょう》明日《あす》決《き》める必要《ひつよう》もないことでしょうし。……ただ、このトドレスからお勧《すす》めするのは、今回《こんかい》が最後《さいご》です」



 トドレスはまた巨体《きょたい》を揺《ゆ》らし、応接室《おうせつしつ》の奥《おく》へ行くと、両手《りょうて》に火薬箱《ライター》を抱《かか》えて戻《もど》ってくる。


 その装置《そうち》を使って、銀《ぎん》の取《と》っ手《て》がついたチェストの上《うえ》。

 受《う》け皿《ざら》にロウだまりが残《のこ》ったままの燭台《しょくだい》に、火《ひ》をつけ始《はじ》める。


 気がつけば、外はすっかり、日《ひ》が暮《く》れている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。