第33輪 本懐(ほんかい)パンジー
コンサバンスのお屋敷といえば、パンジーは知らなかったのだが、周辺の子どもたちから「立ち入ればお化けが出る」と噂される恐ろしい存在だった。
朝でも夜でも、見物に行くと、大きさと荘厳さはあるのにロクな明かりもついていない。
家主である夫妻は頻繁に家を空けているし。
小人種の子どもくらいはひと口に平らげそうな、巨大で神秘的に真っ白い番犬たちの遠吠えばかりが響いて。
後の音は、魔法で消したみたいにすっかり静かになる。
よくできた事実だ。
ところで、子どもたちがそれほど関心を向ける事柄ならば、大人だって「コンサバンス」の名を知っていておかしくはないはずだが。
ファクトリアにて、パンジーがお屋敷の住人、あるいは由緒ある名家の娘だと通じなかったのは、なぜだろう。
さて……話題のお屋敷の1階。
応接室のソファに座らされたパンジーが青とも紫ともつかない顔色で、震えながら待機している。
退屈しのぎに、先の噂話をさらに聞かせてやりたいものだ。
そうすればきっとパンジーは、魔法で、彼女の怒りを鎮められないかと空想するに違いない。
「――お待たせしました」
冷めた声音が、応接室の中に入ってくる。
同時に、声音は、緩やかに立ち昇る湯気と、甘い匂いをともなっている。
パンジーは目の前に、ホットココアの注がれたカップを置かれる。
机を挟んだ反対側にも。
やがて、生成りのエプロンを身につけた大柄の婦人がゆっくりと席についた。
婦人は、名をトドレスという。
パンジーが産まれるより以前からお屋敷で働いている、最も古株の――今や唯一の使用人。
元より楕円形の体格をしていたが。
改めて観察すると、歳を重ねるごとに膨張していた彼女は、エプロンの上下左右からぜい肉を溢れさせている。
同年代だろう「パンパン」の店主イーストと比べれば、トドレスの横幅は2倍以上もある。
さすがに太り過ぎだ……パンジーはかつての認識を引き裂くように更新させられる。
(もしかして……トドレスの食費が、家計を圧迫していたのかしら)
「なんです、お嬢さま? 人のことをジロジロ見て。まず、言うべきことがあるのではなくて」
パンジーが頭にバカを咲かせているところへ、怪訝なようすでトドレスが口を出す。
それから、顔を引き締めたり、よそへ向けたりうつむいたりさせるパンジー。
3秒ほどが経った頃。
「勝手に、家を出てしまって。申し訳ありませんでした……」
パンジーは腰から、深く頭を垂れ、謝罪した。
短い髪の外側で、トドレスの呼吸が聞こえてくる。
「お嬢さま。今度のことを、私が叱ると思いますか? ……夜に、屋敷を抜け出された上、イライまでつき合わせていると知ったときは、どうなることかと心配しました。まずは、お2人が無事に帰って来られたことを祝福させてください。……おかえりなさい」
「トドレス……ただいまっ、ですわ!」
魔法が……まさか、本当にかかったのか?
トドレスの顔は、いたくスッキリとしている。
「それで、今までどこへ何をしに行かれていて、なぜ今日になってのこのこと帰って来られたのか。この私にわけをお話しください。お嬢さまを叱るのはその後です」
「ええっ、結局叱られますのっ?」
「お嬢さまを叱ること、正しさをお教えするのが私の仕事ですので。奥さまは『血が騒いだだけ』と笑っていらしたけれど、私はそうはいきませんことよ。ふふふっ……」
トドレスは薄く化粧した口唇をつり上げてほほ笑む。
それを見て、パンジーはドレスにしがみつくほど震え上がったが。
もしかすると、彼女のみやげ話を楽しみにしているのかもしれない。
ホットココアを飲みながら、パンジーはこれまでのことを話し出した。
――――
運命が、異なる向きに動き出した日。
父ゴウ・コンサバンス名義で領主に借金をしたという旨の借用書を見つけ。
紙飛行機に導かれ、イライとともにお屋敷を抜け出し。
借金返済のため出稼ぎに行ったこと。
ファクトリアでの生活の幕開け。
知らない誰かになったような、長い1日のこと。
ヒナやセント、サルビオラとの出会い。
光球工場の職人としての1週間。
あと、工場の爆発。
「揺らし石」がいかに小人種・人間の生活を絶大に支えているか。
それに、父は「揺らし石」の仲買商人として、自身は職人として貢献していることを、誇りに思っていたこと。
それから……父が本当は、「揺らし石」事業に直接関わっていないと知らされたこと。
――――
長い時間をかけて。
1冊の小説を読み終えたくらいの感慨とともに、パンジーは話を終えた。
「本当に、ご成長なされましたね。お嬢さま。翅のことも……ご自身で乗り越えられたのですね」
先ほどまであいづちを打って、血の通った聴き手にあったはずのトドレスは、そのときばかり世界の外側に立った存在のようにパンジーへ告げる。
そのすぐ後、ふくよかな黄味帯びた顔を、彼女に見えないくらい下げると、右手の指で眉間を押さえて黙ってしまう。
「もう、私は、お嬢さまを叱る立場にないのですか」
「……トドレス。お父さまとお母さまは、いつ頃帰って来られるのかしら?」
と、パンジー。
トドレスはふたたび背筋を正し、向き合ってくれる。
「あいにくですけれど、旦那さまと奥さまは当分帰ってきません。遠方、スペインの地へ商談をしに出かけていますので。長くて、半年はかかるかと」
トドレスの答えが、パンジーの今日に至る旅路のすべてをムダ足にした。
「でしたら! 私から、お父さまへ文を送りますわ。『ファクトリアから会いに来ました』と。それで、お父さまたちが戻られたら、ファクトリアに返信をしてちょうだい。そしたらまた――」
パンジーがせりふを言い終える前に――否、まるで誤りを正すようにトドレスが口を挟む。
「お嬢さまは、『Quetzalhuacan』という言葉の意味が、わかりますか?」
「ケツァル、ウァカン? ポヤ語、かしら。えっと。ハネをもつ者の、土地……」
「その通り。『ハネアリの地』、旦那さまと奥さまが向かわれた土地の名です」
トドレスが何を話そうとしているのか、理解できない。
小人種である、パンジーの父ゴウの商売相手なのだから「ハネアリ」が暮らす土地に行くのは当然だろう。
それに、かの地がケツァルウァカンと呼ばれていることと、パンジーの本懐とに、一体どんな接点があるというのか?
「スペインの南側、古くより黄金が流れる川と呼ばれた大河を望める地。人間の御仁(ジョセフ)がコンサバンス家の始まりとおっしゃった――お嬢さまの曽おじいさまによって建てられた『ハネアリ』のための地です。私たち『ハネアリ』の崇高な文化を、いかなる者の手からも守るために」
「なんの話をしているの? それに、曽おじいさまって。『揺らし石』の商売を最初に始められたのは、おじいさまでしょう?」
「旦那さま……ゴウさまの、おじいさま、ですよ。そう教えたはずです。つまり、パンジーさまから見れば、曽おじいさまに当たります」
「……そういうことですのねっ!」
パンジーは膝を打って納得している。
どうでもいいことで、話の腰を折るのはやめるべきだ。
「何を言いたいのかというと。お嬢さまは、『ハネアリの文化の守り手』その血を継ぐ方なのです。もし次に、旦那さまとお話しされるのならば、このことは忘れぬようにしてください。そして……この屋敷は、あなたがたが世界を揺らす話をするには、ふさわしい場所ではない」
卒然、トドレスは立ち上がる。
彼女の巨体が動くのに合わせ、床が軋む音を密やかに上げる。
「きっと、これをお嬢さまに伝えることは、旦那さまの望みではない……けれど。お嬢さまはもう子どもではない。ご自身で立つ方法を見つけられた。ならば、知る権利があると思うのです」
トドレスのそれは、ここにはいない、ゴウたちへの言い訳か。
パンジーへの承認か。
彼女は張りつめた調子に独りごちると、そっとパンジーに近寄り、ドレスの肩へと手を遣る。
「お嬢さま。……嘘を言ってしまい、申し訳ありません。旦那さまは、今の『珠尾』事業が軌道に乗ったあかつきには、お嬢さまとケツァルウァカンへ移住されるおつもりでした。今は、その準備のために、かの地へお出かけになっているのです」
「移住……なんで、そんなことを?」
「この屋敷が、紛い物の正しさだからです」
と、トドレス。
たしか、階段から落ちたパンジーが数月後にこっそり私室から出たのを見つけ、鬼の形相で叱りつけてきた。
あのときに通じる、ひっしさに囚われた表情をしている。
「かつて、旦那さまが、まだコンサバンス家の事業を手伝われていた頃。『揺らし石』の荷車にまぎれ込んで、ケツァルウァカンからファクトリアへ、秘密に出稼ぎしようとしていた奥さまと出会い、恋に落ちました」
「えっ、お母さまが、ファクトリアに?」
「ええ。旦那さまは、奥さまと同じようにケツァルウァカンと『ハネアリ』の文化を愛して。工場を遠ざけ、家族で、かの地に住むことを望まれました」
それは、パンジーが知らなかった両親のなれそめ。
若い母もまた、職人になろうとしたのだ。
「しかし、お2人が結婚されることになると、本家のセラスさまから物言いがつき……工場連盟のお目つけ役、という名目でこの屋敷に隔離されたのです。ここは、お2人にとって窮屈な虫かごだった。それで、きっとお嬢さまのことも閉じ込めてしまった……」
「そんな。でも、5歳の誕生日パーティーまでは、自由に外へ連れ出してくれましたわ! なのに、どうして……」
パンジーが問いかけても、トドレスは答えない。
視線をいちど、さまよわせる。
「私は、お2人から『本当の正しさと思いやり』をお嬢さまへお教えするよう、おおせつかってきました。今でも、それは変わりません。ですから、お嬢さまの将来のために、ひとつ吾がままを言わせていただきます。……お2人に会いに、ケツァルウァカンへ行ってください!」
トドレスが、バレットにまとめた髪を乱す勢いに、パンジーへと迫る。
本当に吾がまま、無茶な提案だった。
コロンブスが「新大陸」を切り拓いたのとは訳も違う。
相手がパンジーだろうと、とうてい納得できるはずがない。
「会いに、って……スペインの、そんなところ。1日や2日で行けるわけじゃないでしょう? 私には、仕事があるし……」
「光に、目がくらんでしまったのですか? 思い出してください。お嬢さまが、職人になるために歩んだ道を。それは旦那さまと奥さまが、お嬢さまを育ててきた道に、通じているのですよ」
おかしな話だ。
働ける歳の娘が、働く理由を見つけるために、両親の由縁の地を訪れる必要があるだろうか?
このお屋敷はいまだどこもかしこも燭台を使って、昼間でも夕方のように暗い。
トドレスこそ、思考に影が染みついてしまっているのではないか。
「お嬢さま。『夢』はありますか?」
「えっ。急に訊かれても、そんなこと……」
「結構。人は、夢がなくても生きられるし働くことができる。では、夢がある人とない人とで、何が違うのでしょう?」
トドレスは何の話をしているのだろうか?
「夢は、自分の外側にある何かがつくってくれるものです。だからこそ、人の夢は、からだに触れることでも言葉を交わすことでも、見ることが叶わない。夢は、夢がある人が外側につくったものを見ることで、はじめて共有できる。そして、また別の夢を、人の中につくるのです」
「外側につくったものが……夢を……」
「ケツァルウァカンは、お嬢さまの曽おじいさま、その意志を継いだ旦那さまの夢。同時に、誰かの夢をつくる場所でもあるのです。――見てみたくはありませんか?」
トドレスはくすぐったそうに笑ってみせる。
顔には、老いを兆したしわの黒が刻まれ、肌色はやや日焼けして黄味帯びる。
そんな中、美しい白い歯がやわらかく咲いている。
パンジーの、とうに知っている表情。
にもかかわらず、彼女はトドレスに見とれてしまった。
トドレスは父の夢を見たのだろう。
同じものを、パンジーにも見せたいのだろう。
わからない。
すべてはひとつの表情に見た空想だ。
けれど、どうしたって惹きつけられる。
あの日、家を出た。
目的地が近かったから、ではない。
実際、私室から、正門を出るまでに17年かかった。
そのときしかなかったから、でもない。
後から、いくらでも考える時間はあったはずだ。
あの日、なぜ家を出た?
「もし……見てみたい、と言ったら。私は、職人ではいられなくなるのかしら。そうでなくても、職人失格になってしまうのかしら」
「私にはお答えしかねます。しかし、これからお嬢さまがお話しになることは、未来のことです。間違いはありません。それに、今日明日決める必要もないことでしょうし。……ただ、このトドレスからお勧めするのは、今回が最後です」
トドレスはまた巨体を揺らし、応接室の奥へ行くと、両手に火薬箱を抱えて戻ってくる。
その装置を使って、銀の取っ手がついたチェストの上。
受け皿にロウだまりが残ったままの燭台に、火をつけ始める。
気がつけば、外はすっかり、日が暮れている。




