第22輪 根洗(ねあらい)パンジー
光球工場爆発事故から、早2週間。
工場大都ファクトリアの光を支える老舗工場は、町を見下ろせる工場区の坂の上。
すっかり元通りの姿を取り戻していた。
ところが、工場内へやって来るとその歴史的な威厳は一変し――、
殺気立つような空気と、職人たちの哀愁が揺曳していた。
事故のせいで丸1週間も操業がストップしてしまったせいだ。
1日でも早く、遅れを取り戻さなければ……。
そのような殺伐とした只中に、高貴な少女が躍り出る。
悠然と歩いていく。
光球の保持・発熱部品である「球幹」の製造工程にたどり着く。
貴族を思わせる、しかしまごうことなき職人の1人だ。
粉塵舞う、きな臭い現場に似つかわしくない、美しい金髪と碧い瞳、陶磁器のような白い肌。
を、次の瞬間にはドングリ帽子と外套、ビン底レンズの保護メガネ、手袋の下に隠してしまった。
「おはよう、パンジー。今日も気合い入ってるねー」
前方から、くたびれた作業着に茶髪を長く伸ばした、中性的な見た目の先輩が声をかけてくる。
向かい合った、先の少女といえば、まさしく不審者そのものといった装いで。
「おはようございます! さあ、働いてまいりますわっ!」
光球が光るための重要資源である「揺らし石」について、多量の暴露をすると、高熱やからだの痺れといった中毒症状をきたすことがわかった彼女、パンジー。
上司であるヒナから受けた、負荷の少ない仕事に移るという提案を断ったものの、病気には対策を講じなければ話にならない。
彼女が考えたのは、作業着の上にさらなる重装備を施し、粉末暴露を物理的に減らすことだ。
これは効果的だったし、何より金がかからずに済む。
パンジーはこれまでと同じ仕事に戻ることができた。
とはいえ、それには代償もつきまとってきて――。
「サルビオラさんっ、ごきげんよう!」
パンジーがあいさつする。
工場の昼休み。
今朝、下宿を発つ際には、隣人のサルビオラと顔を合わせなかったので、これが本日はじめてのあいさつだった。
光球工場の裏手の坂を上った先、パルプ紙工場が見通せる公園。
東屋のひとつ屋根の下。
密会と言うと聞こえは悪いかもしれないが、パンジーとサルビオラの2人だけ、誰にも邪魔されることのない時間が流れる。
いつかのころから、昼は2人、この場所で過ごすと決まっていた。
……パンジーの主観においては。
実際は、彼女が押しかけてきたことが、契機だったかもしれない。
「ご、ごきげんよう。その……大丈夫ですか?」
サルビオラはおずおず、不安そうに訊ねてくる。
目の前に、テーブルを挟んで座ったパンジーの顔や首筋が、灯火に溶け出したロウソクのようになっているためだ。
「ええ! もう慣れてしまいましたわ。はじめは、暑くって暑くって、急に頭がぽーっとしたりして大変でしたけれど」
「ええ……」
サルビオラは引いてしまう。
それというのも、パンジーの「揺らし石」粉末への暴露対策による影響だった。
「全裸でも暑い」と幾人かの職人が自分事めかして語るほど、季節感ない酷暑をきたした光球工場。
とりわけて球幹工程において、パンジーは先の厚着をして日中作業をしている。
陽が高いうちにからだの上下とも汗びっしょりになってしまうことは、当然の成行だろう。
「でも、汗をいっぱいかいて仕事をするのって、とっても気持ちいいんですのよっ。……あら、忘れていましたわ! 今朝、朝礼でヒナさんが『就業を2時間短縮する』とおっしゃっていたけれど。もしかして、まだ工場の修復は済んでいないのでしょうか?」
「ああ。パンジーさんって、まだファクトリアに来たばかりでしたね。夏のこの時期になると、毎年、『ソークボウル(Soaking Bowl)』ってお祭りをするんです。町を挙げて……」
サルビオラが話す。
工場の就業時間短縮と、祭り。
一体、何の関係があるのか?
「その、前準備として、町中の職人が集まって掃除をする、習わしがあるんです。だから――」
「私たちも、そこへ参加するっということですのねっ!」
パンジーが納得する。
昼休みが明け、残りの仕事を片づけると、納得は現実になる。
いつもより早い終業のハンドベルが鳴り。
セントの誘導によって、同僚とともに工場脇の広場へと出てきたパンジー。
周囲には、朝礼で目にする製造部の面々。
それに加えて、爆発事故後の清掃作業で加勢に来てくれた検査部、さらに作業着ではない仕事着の事務職たちの姿がある。
前方へ向くと、小柄で恰幅のいい男性、工場長ブレビスが指揮者然としてたたずんでいる。
ここには今、光球工場の総力が集合しているのだ。
ブレビスが高らかに声を上げる。
「皆さん、本日のお仕事、ご苦労さまです。猛暑の中で、たくさん汗をかいたことでしょう。『ソークボウル』は、吾々職人の汗を町ごと洗い流す、浄化の儀式。一滴の未練も残さぬよう、全力で取りかかるように!」
その号令は、晴れ渡った青空に、熱雷の一閃がごとく轟いた。
◆
パンジーが職人の一団とともに、光球工場正門から出てくる。
すると、そこにはかつてない壮観がくり広げられていた。
工場区の勾配より。
ファクトリアの景色を眺め見る。
その外壁を囲うように、どこからやって来たのか100頭に迫るほどの荷役犬の大群が陣取っている。
かれらは荷車を引き、荷車から次々と人が、巨大な甕を運び出す。
甕の中身は、水だ。
その水を、井戸のような場所にすべてひっくり返すのだ。
「放水、開始っ!」
どこかで誰かが叫ぶ。
直後、町のいたるところで破裂音が鳴る。
工場区の坂道に設置された放水装置の栓が抜かれ、そこから水が傘状に噴き出した音だ。
散布された水は地面の石畳を濡らし、石畳の集水機構によって筋道をつくる。
そうして水は時間をかけ、くぼんだ中央広場へと流れ込む。
やがて、場所にはシンボルの噴水が半分浸かる大きさの水場……もはや「池」と呼ぶべき規模のものができあがった。
「まあ……。町を挙げて、とはいっても、町そのものをお祭りの祭具にしてしまうなんて」
「パンジー、惚けてるヒマはないよっ。陽が落ちる前に終わらせるんだからっ!」
ヒナの凛々しい声がし、パンジーが振り返ると、途端デッキブラシと布巾を投げつけられる!
お前の武器だ、と言わんばかりに。
そこでやっとパンジーは、祭りの主旨を理解する。
「ありがとうございますっ! 皆さん、力を合わせてがんばりましょうっ!」
パンジーは混乱にかこつけて、主役気どりで音頭を取る。
既視感のある流れだ。
職人たちと莫大な町汚れ(?)との戦いが幕を開ける!
「ところで、私はどこを掃除すればいいんですの?」
と、パンジー。
「ぜんぶっ!」
と、ヒナ。
それは何の説明にもなっていないようだったが、本当のことだった。
民家、商店、工場、工場連盟本部、その他あらゆる建物の壁と床。
あらゆる道。
あらゆる看板。
あらゆる便所。
あらゆる悪人。
汚れに相応するものぜんぶを、中心の池に落としていくのだ。
パンジーは、同僚であるセントと異邦人たちとともに、中央広場北に位置する三叉の道の周辺を掃除する。
そこの赤いレンガの家は、玄関先まで苔生しており、磨きがいがあった。
空を仰げば、数十名の「ハネアリ」が飛び回って、家屋の屋根だとか煙突だとかをキレイにしている。
フォルミンも通りがかると、パンジーに、空から愛想よく手を振ってくれた。
水は汚れに留まらず、時間をも流していくもので。
疲労困ぱいするパンジーの、見遣る手元が膨張するような幻覚が見えたので、顔を上げると日没の時刻となっていた。
「あ、あはぁ。空が真っ黒ですわ。はやくキレイにして差し上げないと……」
「パンジーしっかりして! 空ってわかってるなら、ブラシ振り回さないで。危ないでしょっ!」
混乱状態のパンジーを、ヒナが抱きしめ制する。
茶番をしていると、町に点々と、光球の明かりがともる。
まるでパンジーの代わりに、夕闇へ、漂白剤をまいた様相だ。
「今日集めたゴミはね、中央広場の水と一緒に、1回外に棄てるの。それで明日、今日よりもっとたくさんの水を入れてね、噴水が首まで沈むくらい。2週間、市民に納涼の場所として開放する! そういうお祭りなんだよ」
ヒナの解説を、意識もうろうとするパンジーは話半分に聞いていた。
◆
パンジーにとって、祭りの真の始まりを意味する1度目の排水は――翌朝、パン屋を訪れた後、工場に向かう上り坂から見つけることができた。
「黒い、水……どこへ棄てるのかしら」
すり鉢状の中央広場に、インクを混ぜた色合いに変わった大きな池がある。
それは、噴水の周りに設けられた排水機構によって、ゆっくり縮小している。
工場へ到着して、フォルミンと雑談をする中で、昼過ぎには2度目の放水(すなわち納涼のための水場の開放)が行われるとパンジーは知る。
新しもの好きの性だろう、聞いたならばいてもたってもいられなくなり、すぐさまこのような提案をした。
「仕事が終わったら、一緒に沐浴に行きませんかっ?」
「遠慮します。人前で肌をさらすのは、ちょっと」
「ええっ! 爆破事故の際は、堂々と脱いでらしたのに!」
冷たい返事に、思わずツッコんでしまうパンジー。
しかたない、だが当てはまだある。
セントに、同僚の異邦人男性2人、サルビオラ。ヒナだって。
「えー、めんどくさいからやーだっ」
「「ワタシ、ハシタナイコト、シマセン」」
「……行きたくないです。ごめんなさい」
「え、沐浴? いやあ、人前で脱ぐのはちょっと。アタシってほら、アレじゃん? あはは……」
結果はこの通り。
惨敗に終わったものの、パンジーの好奇心はその寂しさをもってしても堪えきれそうにない。
かねてからセントに言われていた、過酷な生産目標が概ね現実となり、今や鼻歌どころか、いっときの空想すら仕事中には許されなくなっている。
パンジーの心身に蓄積した疲労というものは、いつ爆発してもおかしくなかった。
「もうっ……独りでも、行ってやりますわ!」
思い立ったパンジー。
週の仕事をギリギリのところで耐え抜き、ついに週末を迎える。
居住区と中央広場の境目、曲線の通路。
色とりどりのジニアが喜び咲いた、快晴日。
パンジーは薄手のワンピースに身を包み、「ソークボウル」の要である納涼の水場へと訪れる。
道中、最後の悪あがきにと荷役犬舎をたずね、イライを誘おうとしたが、「遠征中のため、あと5日は帰ってこない」と世話人から冷たくあしらわれてしまった。
水場は、底の石畳が見えるほど澄んで、清涼な空気を醸している。
ただ、パンジーが靴を脱いだ素足をつけると、人肌にぬるく感じられた。
期待した冷たさではなかった。
「お嬢さん。『ソークボウル』は、はじめてかね? こいつは身を清めるだけじゃない、神聖な水でね。沐浴着といって、相応な正装がいるんだよ。こっちへおいで」
声がする。
パンジーが振り返る。
後ろから、どうも小ズルい感じのする、背中を丸めた男性が見つめている。
不用心な小娘がノコノコついて行くと、水場の縁に幾つか展開した露店のうち、派手な洋服が吊るされた店へと案内される。
男性は商人のようだ。
沐浴着と言って見せられたものは、子どもが着るようなちゃちな作りのドレスやドロワーズに近い形のパンツ、果ては布切れを紐でつなげただけの珍妙な衣装だった。
次回イラストあります。




