第18輪 寄植(よせうえ)パンジー
イライと健やかに昼寝をしたパンジー。
遮光布のごとくふたりの上を覆ってくれた雲は、気づかぬ間に黒々として……やがて雨を降らせる。
さすがにパンジーも目を覚まし、イライの背に乗せてもらい急いでファクトリアまで戻った。
雨はついに、豪雨となる。
通りの人々も、足早に屋根のある場所まで避難する。
ところが、小1時間の後には空が晴れ、また今朝のごとくカラっとした天気になってしまった。
陽の強い光と熱が、乾燥をもたらす。
人々は、空に気まぐれな水やりをされた気分を味わった。
一方のパンジーたちはどこにいるのかというと、ファクトリアの工場区裏手の滝から出て、南西に行った先の、居住区西端につながる通用門だ。
ここも、ゴシック様式の城を模した正門同様、いかなる守衛の姿もない。
それでいて、正門の天枠が荷役犬舎くらい高いのに対して、西端の通用門といえばパンジーの背丈と変わらない大きさの入口をしていた。
だから、イライは窮屈そうに姿勢を低くし、腹を地にこすりながら入ることを強いられた。
「イライ、見て! タイルの間に、水が流れていますわ!」
石畳を指さして、ずぶ濡れのドレスを着直したパンジーが声を上げる。
雨に降られ、おまけに先の入門方法のせいで腹もしとど濡れたイライは見るからに不機嫌な顔をしている。
いちいちそんなことで騒ぐなという反抗心ゆえか、鼻先でパンジーをぐいっと押し、先を行くよう催促する。
「どこへつながっているのかしら……行ってみましょっ!」
パンジーは流れる水の行方を追って、歩き出す。
彼女の発見によると、町の石畳は一見規則正しく敷き詰められている。
ただそれだけではない。
民家の玄関先など道の左右ではタイルの隙間に細い溝が彫られ、「水の筋道」となっているのだ。
それは居住区の路地を通じ、なだらかな勾配を下って。
ついには中央広場まで続いた。
一度は雨天により人のはけた噴水の周りに、「巨大な水たまり」が出現している。
遠目に、各地の水流も見える。
全部、その水たまりへと集中しているのだ。
「まあっ、大っきな池! ここへ集めるために、中心がくぼんでいたんですのね!」
声を上げるパンジー。
心底驚いた、という顔を浮かべるが、口にしているものはどこか感情から切り離されたような論理的納得のせりふだ。
球幹工程の思考回路がクセになってきたのか。
事情のわからないイライはくぅんとひと鳴きし、ただ呆然と景色を眺めることしかできなかった。
満足したパンジーは「いちど、家で着替えたいですわね」と、噴水を見る前にそうしておけという至極当たり前なことを言ってから、びしょびしょの格好で、元来た居住区の方に引き返す。
水が引いた後の居住区は、すっかり肌に染みる暑さが戻っている。
パンジーは、なだらかな勾配を歩いて上るごとに疲れがたまっていく。
下宿まで数分の距離ではあるが、どこかで涼みたい気持ちもある。
そのとき、前方から耽美な香りが、パンジーのところまでやって来た。
「この、焙煎した匂い……コーヒーかしら? すると、あそこはカフェ?」
目を凝らして見ると、それらしい場所がある。
たたずまいは他の民家と大差ないものだが、植物の鉢植えが通りにかかるほど飾られている。
そこから、客が1人出てくる。
「――サルビオラさんっ!」
赤みのある黒い髪、自信なさげな立ち姿の女性。
手に小包をもって。
サルビオラだった。
サルビオラは植物に囲まれながら店を去ろうとする。
その目の前に、ずぶ濡れドレスの金髪小娘が全力疾走してきて、立ちふさがる!
パンジー! なぜここに!
という顔で、サルビオラは動揺する。
あとなんかデカい白いずぶ濡れ犬も走ってきた。
「おはようございますっ!」
「えっ。あの、もう、お昼ですけど……」
「やあっと、目を見てお話しできましたわ!」
と、勝手に悦に入るパンジー。
2人のそれはまるで会話になっていない。
「私、ずっとお礼が言いたくって。工場では、お会いできなくて、忘れかけてしまってたけれど……光球のパンジー、彫ってくださったのって、サルビオラさんですわよねっ? とっても嬉しかったですわ! ありがとうございます!」
「あ、あっ、いえ……私、もう帰るところなので。そこ……」
サルビオラは後ろや横を見回した後、指をさす。
前を塞がれている状況なので、そこをどいてほしいという意思表示だと、パンジーにもわかった。
ただし、なぜ自身の礼に対する返事がそれだけなのか、わからなかった。
パンジーがきょとんとして道を開けると、サルビオラは逃げるように帰ってしまう。
「私、失礼なことは言っていないはずだけれど……」
そうは言っても、恥ずかしがっているのかもしれないと考えて、道行く人を見るが、誰も注目などしていないし。
ではカフェの店内の人目はどうかとにらんでも、小さなガラス窓越しに、客はそもそも1人もいなかった。
視線は流れ、店の上に掲げられた看板に向く。
彫刻文字で「カフェ・コンテナ(CAFE CONTANER)」と記されている。
少し開いた扉には「P」のひとつに斜線が入った「OPPEN」の木札が下げられ、中からドリップコーヒーのふくよかな芳香が漂ってくる。
「スペルがくちゃくちゃ……でも、ふふっ、何かいただいていこうかしら」
何か手土産でも持って帰らないことには、居心地が悪い気がして、パンジーは店に入る。
店員の女性も、逃げて行った彼女に似て口下手な印象だ。
しかし、クッキーとモカコーヒーの粉を買って帰る際にくれた笑顔は、店先に咲いていた青いトレニアのように慎ましく可愛らしかった。
◆
翌々日。
また、1週間の仕事が始まる。
準備。
朝礼。
持ち場について、作業開始。
パンジーが作業場にシートを広げると、すぐにも隣からセントはいなくなり、少し離れた場所へ行って、取りつけ前の部品の点検を始めた。
パンジーは作業しながら、今朝の朝礼のことを思い出す。
細工工程の列に並んでいた、サルビオラのようす。
目元を隠していたが、解散するとき、すれ違ったパンジーのことを意識しているみたいだった。
(離れているけれど……今、同じ工場でサルビオラさんも働いているのね)
パンジーは想いをはせる。
言わずとも知れたことだ。
しかし、意識すると、なぜか嬉しくなる。
時は流れて(と言うと、職人の重労働を軽んじるみたいに聞こえるだろうか)、昼休みがやってくる。
午前中に気温が上がり、製造部内は蒸し風呂のように暑くなっている。
猛暑から逃げようとしてか、パンジーはそわそわしてすばやく席を立った。
「パンジーさん。お昼にいきましょう」
「え、ええ! その、今日は私、行きたいところがあって。ごめんあそばせー」
後ろの席からフォルミンが明るい声をかけてくれる。
せっかくの誘いだった。
だがパンジーは軽々とあしらうと、焦り気味に出て行ってしまう……。
昼食が入った袋を持って。
訪ねる先は、工場裏手にいるヒナだ。
「ヒナさんっ!」
「パンジー? ……なあに、また何かやらかして泣きついてきたの。おっちょこちょいだなー」
「今回は違いましてよっ。サルビオラさんが、お昼休みにいらっしゃる場所を知りませんか?」
ヒナのからかいに取り合わず、パンジーは真摯な表情で訊ねる。
その魂胆とは、仕事日の昼休みであればサルビオラも遠くへ行かれまい、ゆっくりと話ができる、というもの。
もっとも、その事情をヒナは知る由もなかった。
「……確か、光球工場の上の公園にいたはずだよ。何回か、顔見に行った気がするし。隣にパルプ紙の工場があってね、彼女、元はそこの職人だったの。その頃からお気に入りなんだろうね」
「えっ。サルビオラさんって、他の工場から来た方だったんですの?」
「いけねっ、しゃべりすぎちゃったか……まあ、そこは触れないであげてね」
ヒナは自身の発言を反省する意図か、白色の前髪越しの額をぺちんと叩くと、先の言葉を濁す。
パンジーも空気を読んで、先を急ごうとした。
「会いに行くんでしょ? でも、強引なのはダメだよ。人と、距離を置きたい性質の子だからさ」
ヒナの暖かみのある声は、その釘を刺すような意味だろう発言をするとき、温度を失った感じをさせ、張り詰めていた。
それは忠告でも、やましさの表出でもない。
感情をころして、無感情でいるという印象だった。
「でも、私とサルビオラさん、同じ下宿に住んでいますわ。2つ隣で。とっても近くですわよ?」
「……ごめん。忘れてた。それは偶然と言うか、何と言うか」
「うふふ。だから、大丈夫ですわっ」
パンジーは、ヒナをたしなめると腕を振って歩き出す。
小道を通り、カンカン照りの上り坂につく。
工場区は、工場連盟の権威を示すためだろう、道幅が広くとられ、豪華な植栽が整備されている。
パンジーの背丈より大きなグラジオラスが気高く咲き。
同様に大きなニワシロユリ、テッポウユリの柑橘めいた香りが、熱帯びたからだに清涼を与えてくれる。
花やいだ風情の中、突如きな臭い空気が流れてくる。
目の前に、パルプ紙工場だろう建物があらわれる。
そのすぐそばに公園がある。パンジーが向かう。
大樹の幹が立ち並ぶ、公園。
木陰の一角に東屋があって、その屋根の下に、サルビオラがいた。
「ごめんあそばせ」
と、パンジー。
ワイン色の髪の後ろから、声をかける。
驚くサルビオラ。
ただ、振り返る前、すばやく手元で何かを隠す仕草をしたのだ。
「こちらに座ってもよろしいですか?」
訊ねて、数秒の後、サルビオラはうなずく。
同席することは許してくれた。
パンジーも東屋の日陰に入り、ベンチに腰かける。
サルビオラは沈黙している。
パンジーが持参した袋から「パンパン」のパンを取り出し、口につけると、さらに会話は生まれなくなる。
しばらくそれが続いた。
太陽が南中し、東屋は暗い影に覆われる。
目を伏せるサルビオラ。
長い前髪というカーテンも手伝って、表情もうかがい知れない。
それでも、色白の肌はみずみずしく光って見え、汗の染み込んだ作業着姿に、パンジーは親近感を覚えた。
「……この前は、急にお声がけしてしまって、ごめんなさい。お会いできたのが、嬉しくって」
パンジーがようやく咀嚼を終えて、話すための口を開く。
「サルビオラさんは、私の名前――『パンジー』が花の名前だって、ご存じだったんですのね。私、パンジーって名前、大好きなんです。だから、光球のこと、本当に嬉しかったんですの」
「……それは。私も、名前に『ビオラ』って入っていて。同じだなと思ったから……」
サルビオラは言葉を喉につかえさせながらも、何とかパンジーに返してくれる。
「同じ?」
「ビオラも、野生のスミレを品種改良した花です。笑ってるような模様で、小さな花をたくさんつける……」
「まあ! もしかして、光球に彫ってくださったのって、そのビオラの花でしたの?」
問いに、サルビオラは首を半分ほど下げ、肯定とも無視ともつかない反応を示す。
パンジーは自分の言ったことが、そうに違いないと思い込んで、勘違いしていたことを謝った。
「……本物のパンジーは、見たことないんです。実家にいた頃、旅のお貴族さまが、聞かせてくれて。ビオラよりずっと大きな花を咲かせる、って。……ステキですよね」
昔話をするサルビオラは、どういう心境か知れないが、現実離れした恋愛に夢見る少女のようにうっとりしたようすに見えた。
彼女もまたステキだった。
パンジーは、そんな彼女の純心へ、このように応える。
「ぱあっ! ほらっ。パンジーが咲きましたわ!」
と、手を葉に、口開いた顔を花に見立てた、悪ふざけをもって。
度しがたいほどのふてぶてしさしか覚え得ない態度だが……。
不思議なことに、サルビオラは怒るどころか、含み笑いをしてくれる。
「サルビオラさんって、本当に植物がお好きなんですのね。慎ましやかで、気品があって。とってもお似合いのご趣味だと思いますわ。この前も、ベランダでお花を愛でていらしたし」
「そ、それはハーブで。じゃなくて、あのときは、すみません……。驚いて、つい」
「構いませんわ。だって、これからいつでもサルビオラさんとお会いできるんですもの」
パンジーは調子よく返事する。
嬉しそうにする。
サルビオラは、見るに、少し困惑している。
「今日、こうしてお話ししていただけたから、嫌われているわけじゃないって分かって。正直、安心しましたわ……」
「嫌うとか! そういうんじゃ、ないです。ただ……」
対面するパンジーに、サルビオラの言葉はそこまでしか聴き取れなかった。
ただ、確かに彼女は続けた、「怖くて」と。
植物が、時季終えた花びらを散らすように、冷酷に。
「もう行きます……!」
と、サルビオラは律儀にも断りを入れ、東屋のベンチを立つ。
瞬間、屋根の端から強い日差しが放たれた。
逆光の中、彼女のいたたまれなくなった表情が浮き上がる。
サルビオラは静かに去っていった。
パンジーは公園に取り残された。
すると、サルビオラの座っていた場所の地面に、彼女がとっさに隠した何かの紙も転がっていた。
パンジーはテーブルの下へもぐり込んで、その紙を拾い上げる。
「これって、便箋かしら?」
落とし物は、誰かへ宛てた手紙のようだ。
ただ読むには忍びなく、パンジーは紙面の汚れをはたき落とすだけしてから、袋にしまった。
下宿に帰ったら、彼女の家のポストに入れておこう。
公園を出る。
坂道を下って、工場に戻ってくる。
仕事をして。
同僚とだべって。
終業のベルが鳴ったら帰る支度をして。
家路について。
夕食を食べに出て、公衆浴場で身を清めて。
やはり、どこにいてもパンジーとビオラの花は、ファクトリアには咲いていないようだった。
公園での出来事は、何か絵本の物語と記憶とがごちゃ混ぜになっているのではないか――。
夜更けに、パンジーはそんなことを考えて。
休日にカフェで買って帰った、モカコーヒーを淹れて、光球の明かりを眺めていた。
名前もわからなくなった花の彫刻は、美しく複雑に、内からの光を反射した。




