第16輪 洗練(せんれん)パンジー
4日目。
あいもかわらず、パンジーは仕事だ。
やることだって、何ひとつ同じだった。
「そこまで! お疲れサマー。お昼休みの時間だよ」
と、セントが伝えてくれる。
作業場のパンジーは手を止め、粉まみれニカワまみれとなった作業着の袖口で、顔いっぱいの汗をぬぐう。
頬に「揺らし石」が赤色顔料めいて塗りつけられる。
「せっ、セントさん! 私、ちゃんと20枚つくれましたよねっ?」
「うんうん。大成長だね、おめでとう」
セントが確認をして、パンジーに答える。
工程の端にある、完成したシートの接着部ニカワを乾燥させるためのラックを見ると、その通りに、20枚のシートが整然と並べられている。
汗だくのパンジーは、にっと大きく口角を上げて笑う。
頬の曲線にそって、銀のしずくが流れ落ちた。
◆
「ねえねえ、パンジー。お昼さ、一緒にマーケットに行かない?」
セントは、先の評価をくれた同じ口で、パンジーを昼食に誘ってきた。
「マーケットですの? でも、お昼ごはんはもう買ってありますし。何より、お金が……」
「じゃあ、買うかどうかは置いといてー、一緒にごはん食べよう? ほら、フォルミンと、そっちの2人も、おいでー!」
パンジーの返事を待たずに、球幹工程全体に号令をかけるセント。
2人の後方で仕事していたフォルミンも、異邦人の2人もぎょっとして、懐疑的な表情を浮かべている。
かくして、球幹工程の職人5名は、昼食どきで賑わった中央広場のマーケットにおもむく。
マーケットは、ありったけの絵の具をぶちまけたように、色とりどりの作業着姿がその露店通りを埋め尽くしている。
腹を空かせたパンジーにとって、露店の料理や菓子は誘惑的で……。
仕事中、ヨダレを我慢していたから、通りを1周するころには口の弁が壊れてしまって、色々と垂れ流しになっていた。
「がっ、ガマンガマンんー……」
ぶつくさ呪文を唱えるパンジーの横で、セントたちはパスタやらキッシュやらの惣菜を漁り、果物のジュースを飲んだりして、すっかりマーケットの娯楽に夢中になる。
一行は、中央広場のシンボルである噴水へと落ち着いた。
パンジーにフォルミン、異邦人は噴水の縁に座るが、セントだけは吾がもの顔で石畳の上にあぐらをかき、噴水を背もたれにする。
「いただきますわ……」
「パンジー、これ挟んでみて。焼きニシン」
と、セントが木の棒みたいなものをパンジーへ差し出してくる。
有無を言わさぬ振る舞いに、パンジーも遠慮を忘れて受け取ってしまい、指示のままに自身のハーブパンの中へねじ込む。
口へ運ぶと、唾液の内に感じる、穀物の甘み、パンに練り込まれたシナモンの香りがある(それはもう何度も味わったものだ)。
そこへ追って、焼いたニシンの塩気、焦がした皮目から染みた脂の成分が、食欲をどうしようもなく煽るのだ。
「あの、パンジーさん。これもおいしいですよ、ボロネーゼ」
もぐもぐするパンジーに、もじもじしながらフォルミンが畳みかける。
というか、真っ赤な液状異物をパンに混入される。
食べると――うまい!
が、舌の上がごちゃごちゃする!
「ぅえっ、こんな、いただいてしまっていいんですの? もぐもぐ……」
「はい。しょっぱいもの食べないと、仕事ができないので」
よくわからない言い分を述べ立てて、フォルミンはその場を制した。
「パンジーさ、たった3日でホントに上達したよねー。午前中だけで20枚! まあ、いそがしくなったら、その倍はつくることになるんだけどね。でも、大したもんだよー」
前ぶれもなしにセントが褒めてくれる。
一方、パンジーはうかない顔つきになる。
「今の倍……私はまだ、そんなにつくれるようになるなんて、思えませんわ……」
「まあまあ。実際、前に言った『1日300本』ってのは、1月か2月の間だけの話なんだよね。お貴族さまが家の照明を一気に買い替えたり、冬場に消耗した分の交換だったりするのが集中するから。だから、普段はその半分もいかないくらいだし、気負いすぎないでねー」
「……そういえば。以前に、4人で300本とおっしゃっていましたけれど、セントさんは他の仕事に専念なさるのかしら?」
パンジーが疑問を投げかける。
魚の脂に口唇を光らせたセントは、じっとり目を細め、何言ってるのと呆れるような顔つきになった。
「んーん、俺も入れて4人だよー。だって作業の方が楽だもん」
「そうなんですのっ?」
「本当めんどくさがりですね……。繁忙期に入ったら、私が部品周りの準備とか、掃除をメーンにやるんです。他に、慣れてる人がいたら分担もできるんですけど、今は……いちばん古株の人も、こんな感じだし……」
そうしてパンジーに答えたフォルミンの、縮こまった声から、パンジーはいそがしい時期の過酷さを想像した。
沈鬱な心にとらわれぬよう、手元のパンを力いっぱい頬張る。
パンジーは今度、町の家という家の玄関を見わたす。
どこにでも光球が玄関照明として取りつけられている。
光を閉じ込めた球。
発動機の下から、垂れ下がった起動の紐――。
「……つまらない、質問かもしれませんけれど。セントさん、どうして光球って10分(程度)で消えてしまいますの? 少し、光る時間が短いと感じてしまって。シートを1周するまではずっと光るようにして、点滅は途中でもできるようにした方が、もっと便利になりませんか?」
「おー、いい考えだねー。確かに、今の点灯時間だと、室内で使うには短い気がする。光球の寿命は、毎晩使うとしてもだいたい3か月程度。いちいち消灯しなくたって、充分な性能だ」
「では、やっぱり途中で消えてしまうのはどうして……」
「カンタンな話! ガラス球の内部温度が上がりすぎると、金属線やシートが溶けちゃうからだよ。温度上昇は、光球の点灯時間にある程度比例する。つまり――」
「点灯時間を抑えて、温度が上がりすぎないようにしている、ということですのね! わかりましたわ!」
セントの回答を先取りして、パンジーが言った。
「でも……それなら光球を2つくっつけて交代式にするとか、冷やす仕組みをつくるとか。そういう方法はないんですの?」
「そうだねー。光球をたくさん使う、大っきなシャンデリアなんかは、実際にその交代式を採用してる。だけどそこまでくると、もうガス灯と変わらない贅沢品になっちゃうし」
セントはそこで一度せりふを切ると、のんきな顔を、急にキリッと張りつめさせたのだ。
「光球の元よりの目的は、俺たち庶民や工場のための明かりだから。『安くて手軽で、長持ちしてほしい』って要望を優先してー、今の仕様になってるんだよ。ほら、だからシートだって、便宜上は1周分が交換目安だけど、お客さんが2周以上使うことを想定して継ぎ目の工夫をしてるじゃん? 実用性と安全性を両立する、それが光球の何よりの強みなのさっ!」
一変した、早口セントの弁舌は、まさに猛風のようだった。
過去のパンジーであれば、自身が問いを立てたものだとしても、これを自然のいたずらとしかとらえなかっただろう。
しかし、今のパンジーは違った。
瞳の奥に情熱の火をともし、セントの語る一言一句を手の甲へと書き留めるような勢いでもって、深い感心に酔いしれていた。
「もーっ! パンジーさん困ってますよ。いい加減、その解説癖は治してください!」
「いやー、俺は訊かれたから答えただけなんだけどな」
「まだ入ったばかりで、大変な時期の人なんですから。余計なことを吹き込んだらダメですよ」
フォルミンはずいっと顔を突き出して、セントに注意をする。
竪琴を撫で弾いたみたいに安らかな声音も、かたい口調も、少しばかり弛んで。
職人になく、普通の少女といった感じだ。
「そうは言うけどー、『揺らし石』については俺たちより、パンジーの方が詳しいんだよ。ねえ?」
くだらない言い合いに、パンジーは無理やり参加を迫られる。
反射的に、「そんなことは」と遠慮する言葉を返す。
「……うふふ。お2人は、とっても仲がよろしいんですのね」
続けて、なぜか破顔一笑をして、セントたち2人へそう言った。
仲裁する意図はなかった。
パンジーの含み笑いの声を聞いて、噴水の縁で隣り合うフォルミンは、丸縁メガネそっくりに目を丸くする。
そして、顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。
「うん! もう、5年の付き合いだからねー。フォルミンがしっかりしてくれてるお陰で、俺も好きなようにできてるし。ホント、いい子なんだよー」
「また余計なこと言って……」
楽しそうに話すセント。
縮こまってそよ風の声で、力ない抗議をして反発するフォルミン。
2人の顔を見つめて、パンジーはまた和んだ笑顔になる。
そのとき、パンジーの耳に、すぐそば――噴水の縁でつながった先から、水音の間隙に、密やかな話し声が飛び込んでくる。
「Cihuatl huel cualtzin , in ni……」
共通語とはまるで様式も発音も違う、異国の言語。
話しているのは、同じ球幹工程に所属する2人の異邦人男性だ。
肌の日焼けもどこか市民とは風変わりな、彼らのそれは、セントやフォルミンにとって機械の駆動音と大差ないように認識されていた。
ところが――、
「Tlazohcamati!」
パンジーはそうと口にし、異邦人2人に振り返って、ことさらに愛嬌を振りまいた。
「えっ。なんて言ってるか、わかるの?」
すぐにも、セントが驚がくをあらわにして、パンジーに訊ねてくる。
「はい! 『笑顔がすてきだ』って、褒めてくださったんですの! 『ポヤ語』といって、私の母の故郷の言葉ですわ。それで、幼いころに教わって。少しだけ」
パンジーは趣味の話題の延長という感じに、気軽な答えを返す。
その外国語だけは、トドレスではなく母親から直接教えを受けていた。母娘2人きりで過ごした、思い出のひとつなのだ。
もっとも、彼女の姿勢とは、セントたちが有する常識からは、まったくかけ離れていた。
人でごったがえす中央広場を一望して、2人の異邦人男性に似た雰囲気の人物というのはどこにもいない。
喧噪の中から、先のポヤ語めいた音素を拾うこともできなかった。
フォルミンが身を屈めて、石畳に座るセントに耳打ちする。「実はこの人、ただ者じゃないんじゃ……?」
セントも同調し、「うーん……ヨダレがすごい子だなーと思ってたけど。それだけじゃないのかも」と。
それに、「比べるところ、おかしくないですか」と、フォルミンは呆れかえった。
「まさか、ポヤ語を話す方……それも職人さんに出会えるなんて! 実家で教わっておいて、よかったですわ!」
それからパンジーは2人の異邦人男性、もとい「同僚」の元へ近寄っていき、みずからポヤ語らしき言葉をかける。
言葉が誘い水となったのか、男性たちも恐る恐るながらに口を開き始める。
きっと、たいしたことを語り合っているわけではないだろう。
3人とも、目をかがやかせて、貪るように声を交わしているから。
ただ、その賑やかさといったら、そばでしばらく聴いていたセントとフォルミンが嫉妬してしまうほどだった。
◆
昼食を終えて、パンジーはふたたび球幹工程で仕事にふける。
先ほどの会話で、セントが蒸し返した「いずれ4人で球幹を300本つくる」日が来ることを思い返すと、焦りが出てきて、同じ作業をしているはずなのに終始落ち着かない。
(今日がんばっても、つくれるシートは40枚が限度。でも、4人で300、ということは私1人で80本。今の倍……。できるようになるのかしら……)
パンジーの頭に、不安による思考が立ち込める。
するとどうしたって、同じ考えを何度も反復し、しだいに集中力が切れてくる。
満腹感とゆるやかな体温上昇もてつだって。
1度、2度……意識が途切れるようになる。
パンジーの口は開きっぱなし。
だから自然の摂理として、舌の裏に湧き出したヨダレが、下口唇の肉縁からあふれ、シートの上へと垂れ落ちようとしていた。
~♪
突然、よどんだ静寂の工程に、フォルミンの声がひびき出す。
「歌」を歌っている。
自身が振るう金槌でリズムをとって、陽気に、鼻歌を歌っているのだ。
パンジーの意識は――たったそれだけのことで、直射日光を浴びたように叩き起こされてしまった。
「キレイな声……。フォルミンさんっ、その曲はなんて言いますの?」
「えっと、『みのりのころ』っていう、仕事歌です。眠たくなる夕方に、収獲した果物の仕分けを間違えないようにって注意するって、ちょっと変な歌で。両親が好きなんです」
パンジーに振り返って、フォルミンが照れくさそうにメガネのつるをいじりながら言う。
「パンジーさんも、歌ってください」
「えっ? わからな、いえ、いいのかしら……仕事の最中に、そんな」
パンジーは誰かへの質問めかして口にするものの、答える者はなく、また鼻歌を再開したフォルミンの可愛らしい音色ばかりが聞こえる。
民謡めく明朗な旋律が、心をくすぐってくる。
「フン、フンーフフン、フンー……♪」
気がつけば、パンジーのからだも鼻歌を歌い始める。
フォルミンが先導する鼻歌に合わせて。
すると仕事をする手からは、魔法のように緊張が消えていき。
思考も白く青く、晴れ渡った。
「ハン、ハハハン、ハーン、ハンー……♪」
調子が出てきたパンジー。
途中から、結局口が開いてしまっている……。
鼻歌は、眠気によるヨダレ落下を防ぐための策だったはずなのに。
だらしない口元からはもう、水気を催している。
当の本人は楽しそうにして、シートにニカワを塗り広げる。
周りの「同僚」たちも、堪えきれずにクツクツと、パンジーの鼻歌と交じって笑い出してしまった。




