第15輪 洗濯(せんたく)パンジー
パンジーが正式に光球職人となって、3日目の朝。
陽がのぼって早い時間から、氷菓のひとつでもつまみたいと思わされるほどに、ファクトリアの空気は火をはらんだように温かった。
「おはようございますっ!」
と、声高らかにあいさつをするのは、作業着に身をつつんだパンジー。
彼女もすでに、薄らと額から汗をかいている。
通勤道中の気温、それから風もなく空気がこもった工場内の室温による発汗だ。
一方で、表情は余裕の笑みという。
相手は、朝礼前から球幹工程の作業場にいたフォルミン。
パンジーに向かって、訝しげな態度で、同じ文言を返してくれる。
右手で振るっていた金槌を、打音にやや遅れて止めた。
「フォルミンさんのお仕事、ぜひお手伝いさせてください! 1日でも早く覚えたいんですの」
「えっ? そ、そうです、か……特にないけどなぁ……じゃ、じゃあ、みんなの机の上、片づけてもらえますか?」
「承知しましたわっ!」
フォルミンに小声で、ちょっと毒吐かれたことに気づかないまま、パンジーは掃除用具を取りにさっと歩き出す。
彼女はもどって来ると、ぞうきんで作業場の机を拭き、部品から飛んだくずやシートの切れ端を集めるなどした。
いらぬほど俊敏な動き。
それを見たフォルミンは、なんとなくばつの悪い表情を浮かべ、罪なき償いでもするかのように弱々しい声で言った。
「あっ、あの! よかったら、シート(製作工程)の練習、しましょう。パンジーさん、けっこう苦戦してそうだったし。私……一応その、先輩だから! コツとか教えます、よ!」
フォルミンは恥ずかしそうに、緊張した声で――胸の内に、職人として確かな自信があることがわかる。
そんな複雑な情感でパンジーに提案する。
「本当ですの! わあっ! ぜひ、ご教示いただきたいですわー!」
パンジーは、自身が年ごろの娘というのを忘れたようにはしゃぎ回って、喜んだ。
折りしも、(火房での作業途中だろう)汗だくのセントが、工程へ道具を取りにやって来る。
遠巻きに、少女たちのじつに意欲的な背中を目にして、親心じみた感情に浸るのだった。
今のパンジーといえば、世間知らずな箱入り娘の気質も薄れ、かけだしの職人としてりっぱに働いていた。
地道な研鑽にも前向きだ。
きっと、彼女は腕のいい職人になってくれることだろう。
それでも、忘れてはならないことがある。
パンジーの花図柄の光が照らした惨事。
酸たる瘴気の本元。
天道をあざむこうとも、文明の光はごまかせない。
然様……。
あの汚らしい洗濯ものの山のことだ!
「――えぇ? 洗濯の仕方を教えてほしい、って……どういうこと?」
昼休みのこと。
パンジーは昼食のパンが入った包みを抱えて、食うより何より、真っ先にヒナのもとへと向かったのだ。
ヒナは工場裏手の日陰で、友人たちと弁当を開き合ったばかりだった。
それなのに、パンジーのお願いを聞いたことで、すっかり食欲が失せたようにあ然としてしまった。
「言葉の通りですわ。お洋服を水に浸けて、灰を入れたんですけれど。汚れも臭いも、全然取れなくって。何が間違っていたのかしら……」
「ちなみに、その灰って、どこでもらってきたの?」
「台所の、火をたくところにあったものを使いましたわ」
「それ、あったっていうか(前入居者が)料理したときに出たゴミだよね! いや、使えなくはないだろうけど。油汚れも混ざってるし。そりゃあ、水かぶって煙突に突っ込んでるのと一緒だよ」
「そんなっ! 私、洗濯のつもりでさらに汚してたなんて……もう、いただいた作業着も、この(いま着ている)1着しかないんですのよ!」
虚空に吠えるパンジー。
すでに仕事した作業着の、「揺らし石」でほの赤くなった胸元をぐいっと引っ張り上げて、ヒナに見せつける。
泥遊びしてきた子どものような格好。
けれど、伝わってくるものは、悲鳴に似た切迫感……ただそれだけだ。
「……わかった。じゃあ仕事終わったら、パンジーの家に行くからねー」
ヒナはため息交じりに、しかたなしにという顔ながら、パンジーの切願を受け入れてくれた。
◆
そして、終業時間をむかえて。
ヒナは合図のハンドベルを打ち鳴らした、その手で今度は、パンジーが住む黄色屋根の下宿の戸を叩いた。
夕焼け色が背にかかる。
しかし、パンジーが戸を開くと中は、光球の明かりによってまぶしく照らされていた。
「お越しいただいて、本当にありがとうございます! よろしくお願いしますわっ!」
「あはは。なんでこの子、ヘンにやる気あるのかなー……」
失笑するヒナ。
だが、無理もない。
目の前の娘は、はしたなく肌着1枚のみを着て、木桶にてんこ盛りとなった衣類を用意している。
工場からの帰りに着ていたはずの私服も、本日の作業着と合わせてその木桶に山積みにされているのだ。
どうせこれから洗濯を教わるのだから、汚れたものは全部いっきに入れてしまえ!
という、ツラの皮の厚さが見えすいている。
「さっ、アタシも帰って夕飯の支度しなきゃだから、ちゃっちゃ片づけちゃうよっ!」
言葉に続いて、ただ腕まくりをすればいいものをヒナは作業着の上半分をはだけさせ、コックの前掛けのように垂らす。
そして、洗濯ものの山! へと向かった。
「洗濯の鉄則は、汚れをまるごと洗わないこと! はじめに『揺らし石』の粉とか、煤とかをできる限りはたき落とすの。手とブラシで、布から追い出す感じで! それからお湯につけて、汚れを浮かせるー」
ヒナは台所に立つ。
調味料や調理器具は、前入居者が直前まで使用していたのだろう、整理整頓が行き届いている。
ものの、洗い場下部の火床を見ると、内側はびっしりと煤がこびりついている。
これを見て「洗濯に使えそう!」と、そこのパンジーは考えたらしいが。
「火をたきますの? 薪はないんですけれど……」
「そう思って、これ持ってきたの。見ててーっ」
ヒナの取り出したものは、赤みの強い真赭色をしたレンガ。
しかし、形状は延べ棒のように平べったく手のひらに収まる程度のもので、2つに折って火床に置く。
上には、水を湛えた鍋。
台所の棚から配膳器具らしき長い棒を手に取ると、ヒナはその棒で真赭色の固形物をつつく。
その表面を削り取るように、摩擦を加えていく。
数分……すると不思議なことに、鍋の中の水が気泡を生じ始める。
少しの湯気をも発している。
「これ、『ペレット』って言ってね? 『揺らし石』粉末を固めたもの。工場で出たやつと、お客さんが使った後の光球から回収したやつからね、こういう即席の発熱剤みたいなのもつくってるんだー」
「すごいですわ! 火を使わないで、お湯がわいてますわっ!」
驚いて、嬉しそうに声を上げるパンジー。
だが、ヒナからは「そんなこと言ったら、光球だって火を使わないで明かりをつけてるじゃーん」と、嫉妬心めかしたツッコミが入った。
「お湯は人肌くらいで引き上げて……。んで、服をお湯につけたらー、手でもみもみする」
「もみもみしますわー」
2人並んで、湯の中の衣類をもみ洗いする。
それから、湯を捨て、水で何度か軽くすすぐ。
「これで終了っ! 後は、屋外で干すだけだよ。お疲れさまー」
ヒナは、パンジーの急な話を聞いてくれたばかりか、優しく労ってくれる。
まるで、母親のようだ。
「ホントは石鹸を使ったほうがいいんだけどー。まあ、それはまた明日教えるから。それと、ペレットも幾つかあげるね、何かと使えるし」
「ありがとうございます! 実は、洗濯の仕方なんて訊くのは、少し恥ずかしくって。お手間をおかけして、申し訳ありませんわ」
「あはは、これくらいパンジーならできなさそーって思ってたからさ。気にしないで?」
「うう、慰めていただいているのかわかりませんわ……」
独特な言い回しをして、皮肉を言うヒナ。
朗らかに笑いながら、一度、自身と背丈の変わらないパンジーの頭を撫でた。
パンジーは目を丸くして、固まってしまった。
ヒナの意図がわからなかったためだ。
「がんばってね」
そうして、じゅうぶんにパンジーの目を見てから、ヒナは下宿を立ち去った。
パンジーにはまだ、やるべきことが残っている。
ベランダへ出て、洗濯した衣類を、もの干し竿に通してつるす。
作業着が4着も並ぶと、いよいよ人皮でも干しているような景色だ。
一方、大切な、レンスの魔手から守った(?)ドレスについて、その複雑な設計ゆえに洗い足りないのではと思ったパンジーは、こんど洗濯をしてくれる店でも探そうかと思案していた。
「うふふ、今までトドレスにやってもらっていた洗濯も、自分でできるようになって。なんて気持ちがい――あら? 明日、着ていく作業着がありませんわ。……まあ、明日には乾いていますわよね!」
パンジーは独りごちて、室内にもどる。
すると、光球の明かりが消えていた。
ヒナが帰る前に一度紐を引いて、つけ直したはずだ。
もう、点灯時間の10数分が過ぎていたのか。
「光球って、どうしてこんなに短い時間しかつかないのかしら……」
それは、パンジーが光球の光のある生活になじみ始めたことで湧き起こった、きっと、ファクトリアでは共通した悩みだった。
点灯する仕組みを知っていれば、なおさらのこと……。
パンジーはこれから公衆浴場に行くことを口実に、そこで光球をつけ直すことをせず、外出する支度を始めた。
すみません、洗濯だけで1話伸びてしまいました……
少しでも楽しんでいただければ嬉しいです。




