第13輪 洗礼(せんれい)パンジー
さあ、これからが職人デビューの1発目!
パンジーの作業場に道具が揃う。
セントという案内付きではあるが。
パンジーは引き締まった表情で、手順通りに構えをつくる。
――――
①シートを手に取り、異物の付着や折り目がないことを確認する。
シートは不透明な1枚の紙で、横長の全体はパンジーの肩幅よりやや大きいくらい。
手触りは羊皮紙ともパピルス紙とも違って、なめらかだ。
辞書に使うには持ってこいの質感をしている。
それがかえって傷つきやすい。
パンジーは自身の長い爪に気を遣いながら、慎重に慎重をかさねて確認をしていった。
――――
②球幹外装を手に取り、内周に合わせシートの長さを確認し、目印をつける。
余分な部分は切って短くする。
真鍮製だろう球幹外装。
両手サイズのこいつが、驚くほど重いことは、身をもって知っている。
パンジーは口を太いへの字にし、棚の端から作業場へゆっくりすべらせながら部品を運ぶ。
次に、部品の内側へ、丸めたシートを入れて内周を測る。
シートは2割ほど余るらしい。
パンジーはセントに蝋ペンを手渡され、それで目印を打つ。
「ここで問題!」
と、なぜか案内が茶々を入れてくる。
「昨日、お試しで使ったシートは、最初から切ったものだったんだけど。切るのもパンセロットさんの仕事だから。そこで、この後どんなふうにシートを切ればよいでしょうー?」
「ええっ……そういえば、先ほどセントさんはどのように切ってらしたかしら……」
パンジーは見ていなかった。
痛恨のミス!
だがセントは責めない。
パンジーは思索する。
「目印が、シートの辺の重なるところで。でも後で長さが足りなくなったらいけませんし……少し目印から余裕をもって切る! でしょうか?」
「残念!」
と、楽しそうに告げるセント。意地悪い。
「正解は、シートを『斜め』に切る、でしたー」
答え合わせにとセントは、パンジーが目印をしたシートの、目印外側に迷いなく刃を入れた。
これで1辺が直線、1辺が斜線の台形のシートができる。
それから切り落としたシートを目印と反対、直線の1辺に重ねて固定し、これに沿ってまた斜めにカットすると、
「まあ、紙が◇形になりましたわ! ……でも、まっすぐ切るのとは何が違いますの?」
「パンセロットさんは、たぶんヒナから『光球は、発動機が球幹(発熱器)で熱を起こして、その熱が金属線を光らせる』みたいな説明を受けたよね? テキトーとまでは言わないけどさ。ヒナは細かいことは気にしないタイプだからなー。実際は『発動機の爪が、球幹内側の揺らし石を上下運動しつつ回転しながら擦ることで熱を起こして』、その熱が金属線を光らせる、なんだよ」
「発動機の爪、ですの?」
……話が回りくどい。
セントは案内役として不適格かもしれない。
要するに、光球は球幹1周 = 限界点灯時間、という前提を置き。
装置の都合上、1周の終わりに「『揺らし石』付着がまばらなシート継ぎ目」が来ると、その時点で動作不良を起こしやすくなってしまう、というのだ。
「けど、斜めにカットすれば、上下する(発動機の)爪も継ぎ目をなめらかーに通過できるでしょ?」
「そうなのですわね! 学びですわー」
これくらいでよい。
パンジーは技術者ではなく、作業者なのだから。
――――
③シートを作業場に広げ、ニカワをヘラに取り、中央から均一にまんべんなく塗る。
パンジーは、日光浴を終えて花を閉じるポーチュラカのように、顔のパーツを縮めながら、くっさい! ニカワをシートに塗りたくっていく。
もうそれ以外に形容しようがない。
「固まったら匂いしないから」とセントは言うが⋯⋯それは気休めだ。
固まったら作業にならないだろう。
パンジーがニカワに向き合うとき、常にそれは高温の、粘ついた悪臭の液体と決まっているのだ。
「っ、ゔ! すん、すん……くさい、ですわ……」
心理的負担か生理現象か、涙がにじむ。
お約束通り、パンジーは作業服の上半身も粘液まみれとなった。
――――
④「揺らし石」粉末をスプーンに取り、シート全体にふりかける。
大きな粒がある場合は取り除く。
接着部のニカワが表面から見えないようにすること。
パンジーはスプーンでそっと、取り皿から「揺らし石」の赤い真赭色をすくい取る。
一見すると、大きさの均等な粒の集合に思える。
「これを、ふるいにかけてっ」
右手に「揺らし石」粉末、左手にふるいを持ち、ニカワを塗ったシートの上へ雪と振りかける。
すると思いのほか、大きな粒が紛れ込んでいて、ふるいの中に堆積する。
これを除去し、また粉末をふるいにかけて……。
くり返して。
パンジーが粉まみれになったことは置いておいて、作業は簡単に終わってしまった。
――――
⑤シートを板に固定し、上部を手で押さえながら縦に揺すり、余分な粉末を落とす。
接着部が露出していないことを確認し、必要な場合は再度粉末をふりかける。
これは本当に、額面通りの操作をするだけでよかった。
そして最後は、
――――
⑥シート表面に付着した粉末厚さが均一であることを確認する。
「――よし! できましたわ! セントさん、どうでしょうか?」
達成感があふれ出した笑顔。
パンジーは机上をすべらせて、セントの前に完成したシートを差し出す。
平行四辺形に切り出したシート一面には、ムラもなく「揺らし石」粉末が施されている。
その鉱物特有な多面構造による複雑な光反射を見れば、高級なラグの様相を感じさせた。
「うん、ばっちり。よくできましたー」
そうして先輩からのお墨つきをもらうことができた。
場はいっきに楽しい空気に包まれる。
「じゃあ、この調子で今日1日がんばっていこー!」
セントが景気よくパンジーの背中を押した。
その矢先――最も恐れていた事態が。
ぴちゃん。
パンジーの開きっぱなしの口から、ヨダレが垂れた。
完成したシートの、真赭色の上に。
それは若い緑の葉が、朝日に向かって会釈するとき、朝露のしずくを対価のように一滴落とすのと同じで。
まったく自然の出来事だった。
「「あっ」」
パンジーとセント、2つの気の抜けた声が重なって。
絶望の波紋を、静かに広げていった。
「――気を取り直して。パンセロットさんはどんどんシートをつくって、作業に慣れていこう。眠気とヨダレには注意してね? でき上がったシートは、俺が球幹に接着していくから」
1枚のダメになったシートを、戒めにと棚へ立てかけ、セントが次の作業の準備を始める。
「はい、失礼しましたわ……その、シートを球幹に貼る作業でしたら、私にもできましてよ?」
「あー……昨日は、お試しっていうか流れでやってもらったけど。本来は、(完成した)シートの粉末付着部分が、発動機の爪の可動域からズレないように、採寸してから球幹に接着するんだよ。意外と難しい作業でさー。いずれは覚えてもらうけど、しばらくは今の作業をがんばろうね」
「そうですのね。わかりましたわ」
パンジーの返事は、少し残念そうに聞こえる。
しかし同時に、自身の実力と役目がわかったことへの安心感だろう、前向きな感情が、少女の顔つきにしっかりと表れていた。
◆
光球工場の1日は、朝礼に始まり午前の作業、昼食休憩、午後の作業、清掃からなる。
基本的に、陽が落ちる前後の時間には終業する。
というのも、「揺らし石」という、摩擦が加わると強い熱源になりうる一種の「危険物」を扱っている関係上、工場連盟から夜間操業を禁止されているためだ。
そのぶん、いちど始業の合図があってから、職人たちはほとんど休みなく働く必要があった。
パンジーの工程は、炉だとか(裁断用ナイフを除いて)刃物だとかを使うわけではなく、おまけにずっとイスに座って作業するので、他工程に比べるとずいぶん穏やかなものだ。
……代わりに、飛散した「揺らし石」の粒子たちが、無視しがたい苦痛を運んできた。
その1、空気がとにかく粉っぽい。
目尻や鼻の穴、口唇、小娘のだらしない口の中に、砂粒が飛んだような異物感と、ピリピリとしびれる感覚が四六時中まとわりついてくる。
水を飲んでも休まることはない。
パンジーの体内免疫は、唾液の分泌量を増やすことでこの問題を解決しようとした。
「セントさん、確認をお願いしまちゅるるr」
結果、シートがさらに何枚か犠牲となった。
その2、めちゃくちゃ暑い。
「揺らし石」はその性質により、周辺の棚や工具、人体、さらに空気中の水分をも加熱する。
球幹工程では粉じん拡大防止のため、窓を閉め切っている。
そのことも手伝い、現場の体感温度は真夏並みに達していた。
せっかく髪を短くしたパンジーの、作業着から露出した色白の首筋には珠の汗が浮かび、とめどなく流れ出していく。
「そこまで! お疲れサマー。お昼休みの時間だよー」
と、セントが伝えてくれたころには、パンジーは干からびる寸前の状態となっていた。
「え、ええ……ぜえ、ぜえ……。工場の、お仕事って大変ですわ……」
感想それ自体は月並みなものだ。
ただし、パンジーの魂からの悲鳴には違いなかった。
気がつけば、始業からもう4時間が過ぎている。
あっという間の出来事だった。
たとえ科学や宗教が永遠を論じても、仕事をしていると、そういうものは無意味なのだと感じさせられる。
パンジーは、この常識に反する時間感覚こそ、「工場の世界観」ではないかと直感する。
さて、昼食休憩の時間だ。
どこかの工程の誰かに、何かお礼を言わなければいけなかった気がするが……。
とにかく、パンジーの理性もからだも、今は何より食事と休養を欲しているのだ。
製造部玄関を通じて、中庭へと出る。
幾人かの職人が集まり、ささやかな声で、親しげに近況を語らいながら食事する姿がある。
パンジーは遠慮して、少しはなれた場所を歩いた。
そよ風のねぎらい。
パンジーは風下のベンチに腰かけ、洗濯ものになった気分で風を浴びる。
視界いっぱいには、工場の景観。
無機質な金属製の壁。
鉄の箱のような、寒々しい風合い。
けれど、隙間スキマから職人たちのおしゃべりが聞こえてきて。
作業音の残響がするような気がして。
足元にはオオバコの長い穂や、ヨモギのふわふわした葉、意気盛んなつる性植物が生い茂っている。
⋯⋯工場には、そういう憎めなさがある。
だから、疲れていたはずのパンジーも、わずかな癒しをもらえた。
「本当に、おかしな場所⋯⋯」
さあ。イースト謹製のパンで腹を満たし、ちょっと日向ぼっこをして――いざ、午後の作業に向かおう!
といっても、やることは変わらない。
黙々と打ち込むのみだ。
こくこくとうたた寝しながらセントも見守ってくれる。
すでに粉まみれ粘液まみれのパンジーは、さらに全身を汚しにかかった。
――また、約4時間後。
球幹工程の遠く、製造部の入口付近からハンドベルの音が鳴り渡ってきた。
どうやら終業の合図らしい。
セントが、パンジーの肩を叩いて知らせてくれる。
パンジーの意識は、真っ先に工場の窓の外を確認する。
窓から差す光は、オレンジ色だ。
続けて、作業場の上につるされた光球たちを見ると、シンプルなガラス球だったはずが、綺麗に色づいている。
そこでようやく、パンジーのからだは「仕事が終わった」と理解して、いっきに緊張と力みを抜き去った。
「お疲れさま。初日で20枚(ヨダレ犠牲者含む)もつくれるなんて、筋がいいじゃーん」
「ありがとうございます!」
「あとは、片づけだけしたら、帰ろっか」
セントはそう言うと、パンジーに工具の置き場所、シートの保管場所、掃除用具入れの場所をゆったりとした態度で教えてくれた。
仕事中の技術者気質な教育者から、一転。
当初の、やる気がないし口元もだらしない人物となり、パンジーと2人そろってダラダラと後片づけをする。
そうこうしていると、東の空から夜が顔を出してきた。
パンジーは製造部内で、すれ違った職人たちとあいさつを交わしながら、更衣室に向かう。
汗でぐしょぐしょの作業着は、脱ぐのにもひと苦労⋯⋯。
着替えの洋服に汗染みを作らぬよう、念入りにからだを拭いてから、着替えをする。
正門を出る直前、ヒナを見つけた。
顔はけろっとしていながら、身なりはパンジーと同じだった。
「お疲れさまでしたーっ!」
と、パンジー。
そのやけに元気な声に、ヒナはくつくつ含み笑いして、「お疲れさま」と手を振ってくれた。




