第12輪 職人(しょくにん)パンジー
朝日の訪れとともに、ファクトリアが目を覚ます。
といっても、東の空が明るくなったばかりの町中では、すり鉢状の底に、霧や水気がもったり沈んで、音もなく穏やかだ。
石畳に、倒れる幾人かの泥酔者は誰にも蹴飛ばされることなく、安らかに眠っていた。
露店ロープを張り、商人たちが支度を始めた、中央広場。
そこから正門の方へ一直線へ行って、大路の、脇にある2階建ての建物。
「パンパン」の看板を掲げた1階部分で、長い髪をバンダナでまとめた中年の細身の女性が、店先に立て看板を立てている。
開店準備の真っ最中だ。
そのとき、女性は見た。自分の方に向かって、歩いてくる人影を。
金色の肩上ほどの髪、大きく開いた口、作業着姿。
体型は、年ごろの娘といったところ。
「もしかして、パンジーかい?」
気になって、女性から声をかける。
前方の娘は喜んだようすで、たったと駆け寄ってくる。
やはり、パンジーだった。
彼女は、寝不足といった感じもなく、元気な笑顔をいっぱいに咲かせている。
「イーストさん! おはようございます」
「おはよう。驚いたー! ずいぶん気合いが入ってるじゃない。似合ってるよ」
「う、うふふ。ありがとうございます。そうですわね……」
イーストの混じりっ気のない褒め言葉に、しかしパンジーは後ろめたさのあるようすで返事した。
「仕事も決まったみたいで、よかったねえ」
「イーストさんのお陰ですわ! 本当に……それで、今日はパンを買いに来ましたわ!」
「あら? まだ、お店開けてないんだけど……まあいいか。いらっしゃい」
女性、イーストは店の戸を軽々と開いてエスコートしてくれる。
彼女の先の言葉を拾って、パンジーは申し訳なさそうに会釈する。
店に一歩踏み入ると、麦の粉が宙に舞って……いるはずもなく。
清潔な店内で、焼いたパンの、目に見えない甘ったるい香りだけが漂ってくる。
「昨日の夜、ごはんを食べ忘れてしまって。朝ごはんと、お昼ごはんをいただきたいですわ」
「そうなのかい? なら、朝はあたしがごちそうするよ」
「そんな! 昨日もご親切にしていただいたのに。お金もありますし、自分で何とかしますわ!」
「まあまあ。おばさんの話し相手になってくれ、ってこと。さっ、上がっておくれ」
イーストは柔らかい声で、今度、店奥のダイニングにつながる扉のノブを回した。
パンの芳香がいっそう強くなる。
さらに、カーテンやカーペットから揮発した、日なたの匂いも。
えも言われぬ安心感にわずかな緊張がほぐれたのだろう、ぐうー、パンジーの腹が切なげに鳴った。
◆
「いってきます!」
と、パンジー。
イーストの店を出て、ファクトリアの工場区に向けて歩き出す。
左右を見回せば、色とりどりの作業着を着た職人たちの往来があって。
パンジーと同じように、どこかの店で朝食をとったり、昼食の惣菜を買っておいたりして、また同じように工場区の方へと向かう。
誰に指図されることもなく、誇らしげな彼らの中に混じって、パンジーも胸を張って歩いた。
それから。
坂の上の光球工場に到着する。
すでにわずかに汗をかいたパンジーは、先ほどの自信ありげなようすはどこへやら、よたよたという歩相でもって、正門を通過していく。
昨日は見学客として、面食らった岩場の匂いのする工場正面玄関。
だが、ドレスコードに則ったパンジーからすると、先入観がウソだったように親近感覚えうる空間となっていた。
まるで、おとぎ話に出てくる魔法にでもかかった気分だ。
「おはよう、パンジー」
更衣室から顔を出し、さっそく声をかけてくれたのは、パンジーの上司となるヒナだった。
白い髪を三つ編みにして、作業着の肩に垂らした、うら若い女性。
工場のホコリっぽさや薄暗さとは無縁そうな小綺麗さに、職人の威厳も確かに感じられる、不思議なたたずまいをしている。
ヒナからは、また髪の話をされる。
パンジーは当たり障りない返事をするだけに留める。
「うん。もう着替えも済んで、準備ばっちりって感じ! あと20分したら、製造部のみんなで集まって、朝礼があるの。まあ、堅苦しい感じじゃないから、あんまり気にしないで! それまで、工程でも中庭でも、好きに見ていってちょうだい」
「はい! それと……パンジーの彫刻、とっても嬉しかったですわ。ありがとうございます!」
パンジーは会話にかこつけて、1つのお礼を述べる。
それは、就職祝いとして製造部からもらった光球、ガラス球の表面に親愛のしるしと刻まれた「パンジーの花」の模様についてのお礼だ。
ところが、ヒナは一も二もなく、何のことかわからないといった顔を返してきた。
「彫刻? あー……たぶん、サルビオラね。細工工程の子。後で、お礼しに行ってきなよ」
「そうですのね! サルビオラさんが……。それじゃあっ」
言葉とともに、たくらみ顔を浮かべたパンジー。
やることは決まりきっている。
朝礼が始まるまでの間に、そのサルビオラへ礼を言いに行こう、と。
一度、更衣室の荷物入れに昼食やタオルを置いてから、製造部の工程内へと立ち入る。
きな臭い工場内を見回す。
光球の細工工程までの道のり。
始業前にもかかわらず、工具の手入れをする者。
吹きガラスを吹く窯の中を点検する者。
床の「揺らし石」を掃き集める者⋯⋯。
と、じつに大勢の職人がせわしなく働いている。
パンジーは、どうしてだろう、と疑問に思った。
細工工程に着いた。
サルビオラの、熟成したワインの赤色をした髪型を探すが、見つけられない。
しかたなく、休憩時間にあらためて尋ねよう、そうしてパンジーはきびすを返す。
◆
少しして、朝礼の時間となった。
パンジーはヒナにうながされ、集合場所までやって来る。
製造部、総勢約40名。
5列、決まった順番に並ぶ。
パンジーは最後尾だが、注目を集める。
集団の前には、ヒナと年老いた男性が立ち、短いあいさつの後、リレー形式に点呼が始まる。
出欠、そして健康の確認のための点呼だ。
ただし、大所帯なので、それだけで5分を要する。
パンジーも1つ前に並ぶ女性に続き、「パンセロット!」「はい!」と、背筋を正して、声をいっぱいに張り上げた。
それでは解散――とばかりに、集団は散り散りになる。
案外、結束はゆるいのか。
業務連絡だとか、工場長ブレビスからの叱咤激励だとか、そういういかにも職業人らしい作法はない。
ファクトリアの職人たちは、あくまで自律的にみずからの仕事へ向かっていくように見えた。
自分はどうすれば、と誰もいなくなった列の、最後尾あるいは先頭に残るパンジー。
そこへ、昨日顔を合わせた球幹工程の、髪が長い人物が声をかけてくれた。
「さてさてー。今日からよろしく、パンセロットさん。って、俺のこと憶えてる?」
「え、ええ。セントさん、ですわよね……」
パンジーは、自身の困惑の表情を再現する。
昨日は作業体験に夢中で、うやむやになっていた。
背が高い、茶色の艶めく腰丈の髪をポニーテールにまとめた、その人物。
元豪商の令嬢というパンジーをもってして、比類ないと思わしめる、中性的な美しい顔立ちをしている。
目元にある小じわすらも、ドレープの一種のように魅惑的だった。
にもかかわらず……声音!
練れた男の声そのものというのだ。
これはどういうことだ?
「あの、お仕事の前にどうしても気になることが……セントさんは、男性の方でして?」
「ああ、うん。まぎらわしい見た目でごめんねー。昔っから物ぐさで、身なりを整えるのが面倒くさくって。あんまり気にしないでー」
セントの、言い分も声の勢いも、美人な外見には似つかわしくない腰抜けといったようすだ。
さらに、よくよく見ると、わずかに開きっぱなしの口元にはヨダレの跡すら残っていた。
(もしかして、セントさんも私みたいに、お部屋の中でずっと暮らしていたのかしら……? ええ、そうに違いない。だって何だか、すごく親近感が湧いて……)
まるで本能が指示するように、パンジーはこれ以上対話による詮索をやめて、ひとり胸中で勝手にセントの印象を決めつける。
実際のところ、彼女の判断は賢明だ。
現場主義の工場において、自分を含め、人々がどういった事情のもとで働いているのかなど、考えてもしかたがないのだから⋯⋯。
2人はゆったりした足取りで、球幹工程へと入る。
セントは、パンジーを持ち場につかせる。
職人の小道具が、棚に整然と並べられた長机。
左右を見渡せば、何人かはすでに作業を始めている。
手元の揺れを共有する持ち場、長机。
けれど――ここはパンジー専用の空間なのだ。
「それじゃ、ゆるーく始めよっか」
と、セント。
「昨日は、俺の見よう見まねでやってもらったけど。ちゃんと手順は決まってるから。まずは、しっかり覚えようね」
そして、パンジーの隣に座って、道具を揃え、作業手順の説明を始める。
――――
【球幹(発熱器)工程 作業手順】
①シートを手に取り、異物の付着や折り目がないことを確認する。
②球幹外装を手に取り、内周に合わせシートの長さを確認し、目印をつける。
余分な部分は切って短くする。
③シートを作業場に広げ、ニカワをヘラに取り、中央から均一にまんべんなく塗る。
④「揺らし石」粉末をスプーンに取り、シート全体にふりかける。
大きな粒がある場合は取り除く。接着部のニカワが、表面から見えないようにすること。
⑤シートを板に固定し、上部を手で押さえながら縦に揺すり、余分な粉末を落とす。
接着部が露出していないことを確認し、必要な場合は再度粉末をふりかける。
⑥シート表面に付着した粉末厚さが均一であることを確認する。
――――
以上。
「確認がいっぱいありますのね⋯⋯」
「まあ、ただのかけ声みたいなものだから。深く考えないでー」
あわせて、セントが手本を見せる。
パンジーはこのとき、説明による知識と実際の手作業とが結びついたことで、はじめて「頭に入る」とはどういうことなのか、理解できた。
「あの、お聞きしたいことが。『揺らし石』をくっつけるときに塗るニカワって、何ですの?」
「ニカワは、動物の皮や軟骨から作る、接着剤のことだよー」
「まあ!」
言うが早いか、セントの手には大量のニカワが入ったバケツ容器が。
ぐいっ! と、パンジーに近づける。
「ああ! 臭いですわ!」
その通り、ニカワは、パンジーの鼻筋を脳まで一直線に貫く、強烈な悪臭を放っていた!
文化格差の衝撃とでも呼ぶべき感覚に、パンジーは打ちのめされる。
「もげた?」
「ごんなっ、う! 臭いに、昨日は気がつかなかったなんて……」
「あははー、すっごい顔。でもこれがね、すごく強度があって、おまけに温めるだけで剥がせるから、修理とか調整がしやすい、優れものなんだよ! それに、実は、ドレスの刺繍やスカートの裏地にも使われてるんだ」
「ええっ、そうなんですのね! 私のドレスも、もしかしたら。知らなかったですわ……」
のんびりした声にナゾの熱量を込め、語るセント。
それにパンジーは、目からうろこが落ちたように、深く感心して声を上げる。
「んじゃ、おしゃべりはこのくらいで。とりあえず、最初は『1日20本』を目標に、がんばってみようか。ゆくゆくは、パンセロットさんを入れて『4人で1日300本』くらい、つくっていくからねー」
セントのせりふ。
パンジーは小さく身震いする。
もっとも、まだそれは形だけのものに過ぎない。
ただ、実際の数字を上げただけで、パンジーの緊張だとか感情だとかに影響をおよぼしうるはずがなかった。
事実は、パンジーが、ようやく職人として「第一のステップ」に立ったというだけのことだ。




