第11輪 切花(きりばな)パンジー
「――やっ、やっと……着きましたわ、『レンス商店』! 本当、普通のおうちではなくて……?」
パンジーが小1時間もさまよって、流れ着いたのは、ごく平凡な民家という建物。
玄関から見遣る全体を、窓という窓もない漆喰の壁がおおって、外からの目を極力避けている感じがする。
家の屋根には、木板が。
「レンス商店(Cons. Lens)」と彫刻されたものが、ぶら下がる。
ただし、「OPEN」のかけ札もないため、パンジーは2度のノックだけで、戸に手をかける。
中は夜色だった。
陽が隠れたためではない、この家が内側に暗く発色しているような風合いだ。
「ごめんください……」
パンジーが細々と声を発する。
声を聞いてかどうか店の奥に、霧と、人影が浮かび上がる。
「ああ、いらっしゃい。さあ、ここへ、持って来たモノを早う出しとくれ」
「あの。あなたが、レンスさんでいらっしゃいますの?」
「じゃなかったら誰になるのさ? おしゃべりは金にならん。早う出しとくれ」
人影は、やがてはっきりと、黒髪の鳥の巣頭をした老婆の見た目をあらわす。
店主のレンスだ。
パンジーは、レンスの言葉にしたがい、手にさげた袋を差し出そうとする。
(でも、このお洋服を売ってしまったら……。それに、他人のものを売って、いいのかしら……)
直前になって、パンジーの道徳心が歯止めをかける。何が正しいことなのか、わからなくする。
「やっぱり、これはお金に変えられませんわ……」
「金がいるから、ここへ来たんだろう? 金がないんじゃろ。働いて金を得る前に、暮らしていくための金がのお。働くにも金がいる、それを知らずにやって来た、おぬしのせいなんだよ」
目元は見えない、レンスのしわくちゃの口が催促してくる。
「じゃが、おぬしの品には価値がある。品を売って金にする、身を売って金にする……同じことさね。どうじゃ、その手の品が売れぬというなら、いま着ているドレスでもいいぞ? その1着だけでも、そうとうな値が付くだろう」
「そんなっ! 裸で町を歩くなんて……私にはできませんわ!」
「ばかたれ。持って来たものは服じゃろ? 着る以外になんとする?」
パンジーの恥知らず(恥は知っている)な言動に、レンスはやや怒りをにじませてつっこむ。
だが、口元は少し笑っている。
やりとりの間も……いや、高貴そうな娘が店に入ってきたそのときから、実際レンスは、目ざとく彼女のドレスを品定めしていた。
白とピンクを基調とした、大きなフリルと腰回りのドレープが印象的な、豪奢なドレス。
パンジーが着るとやや幼さを強調してしまうが、ヒナやセント(性別不詳だが)のように、細身の女性が着こなせば、きっと気高さを演出するだろう。
社交場で、多くの人目を惹くに違いない。
――などと、そんな俗っぽい評価はどうでもよい。
レンスが目をつけたのは、ドレスの襟元や胸元、袖口に施された「美しい刺繍」だった。
「できませんわ! このドレスは……お母さまが、私の15歳の誕生日にくださった、大切なものですのよ。しかも、お母さまが何年もかけて手縫いしてくださった! 大切な……」
「へえ。手縫い、ねえ。そりゃすごい。もっと、よく見せておくれ」
レンスは何か確信を得たようすで、大胆に手を伸ばしてきた。
枯れ木の腕が、パンジーの扇状に開いた袖を掴む。
黄金色の刺繍の繊維、1本1本にびっしり備わった返しが、部屋のはらんだわずかな明かりを克明に反射している。
また、レンスは笑った口でうなるように息ついた。
「ふうん……まことによい品だね。でも、そうか、こりゃ惜しいだろうね。それに……商店で預かるにはちっと恐れ多い。商店は、面倒な迷いを、金っていう生きる活力に代えてもらうための場所だからね。このドレスは、まだおぬしにとって必要なものだ。うん、賢明な判断じゃ」
そう言うと、レンスは思いの外、あっさりとパンジーの説得を諦めてしまった。
しかしこれでは振り出しに戻っただけ。
パンジーも分かっていた。
「でも……レンスさんのおっしゃる通りですわ。私も、腹を決めますわ! ドレスと、あとこの(前入居者の)お洋服と……それ以外で、私のもっているもの、もう何でも売りますわっ!」
「そうかい。それ以外であるとすれば――おぬしの髪、かね」
レンスが告げる。
パンジーは一瞬のうちに、頭の中が真っ白になる。
「その、金色にかがやく髪。並みならぬ長さ。ウェーブもよう馴染んでおる。ワシからすれば、10年寝かせたワインよりも価値があるものじゃ! 切ってもどうせまた伸びる。どうじゃ?」
「そ、れ、は……」
「断ると、もう売るものは……おぬしの目ん玉しかなくなるのお。おお、碧玉のように見事な碧い目だこと。傷つけんように、スプーンでくり抜いてやろうかねえ!」
「それはもっとイヤですわーっ!」
答えは決まった。
レンスはどこからともなく、裁ちバサミを取り出してきて、優しい手つきで、パンジーの空いた右手に握らせた。
そして構えさせる。
横髪の、胸上長さのひと房へ。
「ハーッ! ハーッ! ハアアーッ!」
「ほれ、チョッキンチョッキン! やあや、やあ!」
しゃがれ声、意気盛んな合いの手がせまる。
パンジーの口は乾き、目に熱水がほとばしった。
◆
流れる水の音。
場所は、大衆浴場。
ファクトリアの地下に張り巡らされた水道を通って源泉が。
浴室番の女性がにらみを利かすボイラーで温められた湯が。
元栓からとめどなく流れ出てくる。
少しの金を得たパンジーは、レンスにこの場所を教えてもらい、久々の湯浴みをしてくつろいでいた。
淑女のたしなみ、という動機ではなく。
「おぬし、臭うぞ」と、レンスに言われたから。
パンジーの人生で、はじめての屈辱的な経験だった。
……だが、それはもういいだろう。
次から気を遣えばよいのだと、パンジーは自身に言って聞かせた。
何より――、
「ううっ、うぐ……私の、髪の毛……。トドレスに、たくさん梳いてもらった髪の毛ぇぐ……」
金色の長かった髪を、肩から下までバッサリ失ったパンジーは、悲しみに暮れていた。
しぼり出すように目から、弱々しい涙を流して。
もっとも、それも自業自得だ。もういいだろう。
「……でも、よかったわ。私以外のお客さんがいなくって……気をつけないと……」
パンジーは、かけ湯でからだについた汗と粉を落とす。
後ろに人目がないか何度も注意しながら、大理石製の風呂に胸下まで浸かる。
急な熱さに、反応して顎先が上を向く。
潤んだ碧いひとみには、土気色の屋根裏と梁と、あと小窓から差し込む、夜の町明かりだけが映り込んだ。
「すん、すん……まだ、あの匂いがしますわ。からだに染みついちゃってるのかしら」
不安になり、パンジーは犬のような意地汚い仕草で、自身のからだを嗅いでみる。
匂いはしない。
湯から蒸発した水分が、鼻腔を、ちょっと持ち上げる感じがするだけ。
ふとして、ボイラーの方を眺め見る。
タオル地の上着を着た、熟練めく女性が、先のとがった棒を何やらボイラーの中へつっこんでいる。
だが、火の猛る音はしなかった。それ以外の音も。
浴場外にある、住民の営みによる声や足音のみという、閑寂な空間だ。
「何をして……」
しばらく観察すると、正体が分かった。
パンジーは驚いた。
「揺らし石」だ。
ボイラーの加熱器に、「揺らし石」のこぶし大の粒が幾つも並べられ、上を源泉の水が循環している。
浴室番の女性は手の棒で「揺らし石」を擦ったり、水から離したりして、湯の温度を保っているのだった。
(すごい! こんな場所にまで、お父さまの「揺らし石」が使われているなんて!)
と、パンジー。
同時に、感心とは相反する、形をともなった不安感も思考に浮かんできた。
(お父さまは昔、「揺らし石」が、祭儀道具として使われるものとおっしゃっていたわ。でも、実際は光球にお風呂に……これだけ使い道があって。たくさんの人に求められていて。それなのに、どうして借金なんて……?)
これまで、何も分からないで済ませてきたパンジー。
それでも今日、仕事を経験したという経験が、ほんのちょっとではある――しかし確かな自信を、彼女の中へともたらしていた。
思い返す。父親はどんなことを言っていたのか。
『断りの報せ』
『あの店が取り扱ってくれない』
(もしかして……新しい事業を始めようと? それで資金ぐりがうまくいかず、借金をした?)
パンジー、まさか! と、驚異的な推理力をもって、頭を高速回転させた結果。
「お客さん、だいじょうぶ……?」
茹で上がってしまった。
浴室番の女性に助けられ、意識混濁の状態で、脱衣所に寝かせられる。
パンジーの口からは白煙が噴き上がる。
目は笑っている。
探偵になった夢でも見ているのか。
◆
しばらく涼み、バスタオルから給水して意識回復したパンジーは、浮足立ったようすでふらふらと、下宿までの帰途についた。
夜道は暗くて危ない。
と、思いきや、ファクトリアの夜はどうして、どこもかしこも昼にため込んだ日光を解放するように、明るくなっている。
「光球」だ。
光球の光とは、たった1つだけで視界のすべてを照らす。
それがどの家々や路地においても、またたいているのだ。
ファクトリアは「光球の町」。
パンジーがそう感じても、何も不思議ではなかった。
パンジーは、下宿先の部屋にようよう帰ってくる。
玄関のポーチュラカを数本踏んだかもしれない。
それは明日謝っておくとして、今は光を咲かせたい! と、リビングに向かった。
前入居者の残置物で散らかったリビングに、パンジーのからだ半分近くもある発動機が鎮座している。
その圧迫感たるや!
パンジーは、もはや発動機と2人暮らしをしている気分になる。
「さあ、早くっ早くっ! まずは、光球を発動機に取り付けて……手前向きに回す!」
パンジーは、工場のデモンストレーションで見た手順を、取り扱い説明書を開くように慎重に思い出しながら、再現していく。
「そしたら、横のヒモを、引っ張る! 引っ張る! んー!」
ヒモを引こうとする。発動機を起動するヒモは、ピアノ線かと思うほど硬く、非力なパンジーではいっぱいまで引くだけのことが、容易ではなかった。
「っ、端まで来ましたわ! 最後、ヒモを放すっ!」
言葉とほとんど同時に、パンジーの手からヒモがはなれる。
ヒモはすぐに発動機へと戻るのではない。
ジー、音を立てながらゆっくりと。短くなる。
それが起動の合図だった。
(!)
光球が点灯し、光りかがやく。
パンジーは、町に来て、もう見慣れてしまっただろうか。
けれど、光にはいつだって、何度だって惹きつけられる。
人は太古の昔から、ずっと、光を得るために困難の中、手を伸ばしてきたのだから。
今においても、変わっていない。
パンジーは、自身の胸の中から、幼い自分が手を伸ばすような錯覚を覚えた。
光に向かって。
「キレイ……」
と、パンジー。
開きっぱなしの口から、感動がもれ出た。
直後、とある不思議に気がついた。
「あら? 私が彫った上に、模様が――」
手を触れる。
はじめは、移動のどこかで付いてしまった瑕だと思った。
違っていた。
「花」だ。
幾つか、刻まれた花柄。
手彫りのクセがついた、大きな5枚の花弁を広げている。
「パンジーっ!」
と、叫んだのもパンジー。
少女はもちろん知っていた。
子どものころ、両親と編んだ花冠の、笑った顔みたいな花の名を。
自身の花を。
「誰が、彫ってくださったのかしら! ヒナさん、ブレビスさん、それとも模様入れの職人さん……うふふっ。明日、ちゃんとお礼をしなくっちゃ」
パンジーは、光球から目を離さない。
ただ、ぼんやりした眠気に腕を引かれ、前入居者のベッドへと倒れ込んだ。
ややホコリっぽくても、安心する暖かさが、パンジーを包んでくれる。
それで……いつの間にか、眠ってしまった。
豪奢なドレスを着たままで。
光球の光も、10数分後には消えた。
明日から仕事なのだが、大丈夫だろうか?
と、心配にもなるが。
パンジーの寝顔は、起こしがたいくらい、幸せに満ちていた。




