第9輪 粉吹(こなふき)パンジー
「この、赭の色って……『揺らし石』の……」
パンジーは、手近な窓枠に堆積した暗い赤色の真実に、指先を触れた。
「びっくりした? はじめては面食らうよねー。3日に1ぺんは掃除するんだけど」
硬直したパンジーに軽く配慮をしつつ、ヒナは案内役の任を全うせんとする。
暗い赤色の粉が舞うのを、工場が息を止めて我慢しているように、空気が凪いでいる。
2人の移動だけが風を起こす。
パンジーが目を離した間に、もう作業服のズボンや腕には粉塵がまつわりついていた。
「いちおう、簡単に説明しておくね? さっき、光球は、発熱器から熱を起こして金属線を温めることで光る、って話したとおもうけど。その発熱器を、『球幹』って呼ぶの」
ヒナは球幹工程の一角に置かれた古めかしい棚の、現物見本を手に取り、パンジーに見せる。
球幹の現物見本は、真鍮か何かの合金だろうか、くすんだ黄金色にやや緑色を含んだ金属からできている。
1枚のプレートを円筒状に加工したもの。
サイズは、ちょうど今朝イライが振り回していたイースト謹製の棒パンより、ひと回り大きいくらいだ。
パンジーはヒナから現物見本を手渡しされる。
持ってみると、目算よりも巨大で、少女の小さな両手には包みきれない。
……そして、重たい。
パンジーの腰がL字にひしゃげる。
「あっ、ち、ちょっとヒナさ……っ! 重いですわ!」
「えー? 大げさだなー。子どもの体重ぐらいしかないって」
ヒナはL字のパンジーの支柱となり、そのまま金属製の球幹を受け取った。
上体をゆっくり戻そうとする途中、パンジーはふとして金属の円筒状の内側を目にする。
暗い赤色をしていた。
「――もしかして、球幹というのは、『揺らし石』で、熱を起こしているんですの?」
パンジーが言う。
ヒナは驚いた顔になる。
なぜなら、その推察とは、およそ勘が鋭いだけではたどり着けないものだったからだ。
鉱石が熱を起こす、通常はそんな発想などしないのだ。
「よくわかったね! ってことは当然、『揺らし石』が何かも、知ってるってことよね?」
「はい……。『揺らし石』は、私たちや自然が生み出したものを揺らすことから、その名がついたと、父から教わりましたわ。……自然のものは、違って見えるものもぜんぶが小さな『粒』からできていて。『揺らし石』は、研ぐことで『波』を起こして、『粒』に変化をもたらす。それが揺らすという意味だ、とも」
パンジーは、これまでにない落ち着いた口調で、しぼり出すように答える。
その事情通ぶりから、ヒナも、キーワードを引き出さずとも彼女の身分について、なんとなく推測する。
「おとぎ話みたいだよね、『粒』だとか『波』だとかが、アタシたちに関係してるってさ。そんなの、目に見えないし。アタシも信じてなかった」
ヒナはうなずきながら、パンジーに共感する。
同時に、そのきりっと凛々しい面立ちに、どうして「夢見る少女」をよみがえらせるような印象をまとって、こう続ける。
「でも……いざ自分で光球を光らせると――本当なんだ、って分からせられた。心が震えたんだ。実際、球幹の熱は、光球の外側にも少し伝わるから。きっと、パンジーも分かると思うよ」
そのとき、ヒナの発言はどこかおかしかった。
パンジーがたった今、柄にもない理知的なようすで、「揺らし石」の知識を披露したばかりだというのに。
まるで、まだ彼女が「揺らし石」のことを理解していないと考えた上で、「行動しなさい」と訴えるみたいな格好をしていた。
……いや。ヒナの無粋な見立てといえば、正しくもあった。
パンジーの語った内容は、しょせんは誰かの受け売りに過ぎない。
知識、というラベルを貼ったメモの記録。
古き雑感。
だから、本当のところは理解も、実感ももっていなかった。
ヒナはこれを見抜いていたのか?
あるいは、偶然の一致か?
ともかく、確信めかして、こう続けた。
「さっ、やってみよっ!」
白い髪の房が跳ねる。
ワクワクしたヒナの笑顔。
それに、パンジーはどこか納得感を覚える。
工程に入る。
はじめて訪れる場所だが、先ほどまで幾つもの作業体験をこなしてきたパンジーにしてみれば、似たような光景があるだけで、緊張感が薄れつつあった。
ヒナがまた職人を連れてくる。
パンジーより頭ひとつ背が高い、細身の若い女性。
茶髪を後ろでまとめ、眠気まなこといった目をこすって、いかにもやる気がない。
口元もパンジーに共鳴して開いている。
ヒナが馴れ馴れしい態度で、パンジーに紹介をしてくる。
「こいつが、球幹工程の責任者、セント。アタシたち幼なじみなんだ。だから、イヤなことがあったらぶちのめすから、すぐアタシに言ってね」
「は、はい……」
要領を得ない会話をしてから、もはや自身から作業場のイスに腰かけるパンジー。
セントと呼ばれた女性もその隣に座る。
セントの首筋から、糖蜜に似た、精油のやわらかい香りが立つ。
だが、その奥に、わずかなものの汗蒸れと岩場の臭いが確とわかった。
これが、職人のニオイなのか。
「簡単だから。見ててねー」
ヒナよりもさらに気の抜けた声でセントが言う。
そんなことはどうでもいい。
声が低かった。
明らかに男の声なのだ。
パンジーの頭に疑問符が繁茂する。
なぜ女性から男性の声が?
手品か?
しかし今は体験に集中しなければ。
パンジーは目を回しながらも、自身の目的になんとか食らいつく。
セントの手元には、
・金属製の筒
・皿に盛った半透明の液体と「揺らし石」粉末
・ふるい
・筒の円周より少し大きなシート
が、用意されている。
はじめにセントはシートを広げ、皿の半透明の液体を小さい丸ヘラに取って、塗布していく。
4辺と縦向きの数本を、最後に薄く伸ばす。
その上から、「揺らし石」粉末をふるいにかけ、シートに付着させる。
半透明の液体は、どうやら糊のようだ。
それを終えると、粉末付着面が内側にくるようシートを丸め、金属製の筒へと入れ、また4辺を糊で接着する。
「はい、完成!」
「えっ? これだけ? これだけですのっ?」
想定外のことに困惑するパンジー。
セントはのんきな顔でうなずく。
すると、合図もなしにパンジーの番になった。
セントと同じ手順で、シートをつくっていく。
「揺らし石」の粉末は、作業場のそこらに散っているものと比べると、赤みの強い真赭色といった見た目をしている。
それがふるいにかけるだけで、顔に飛び胸に飛び……パンジーはあっという間に粉まみれになった。
当人には鏡もないので、セントの顔を見たとき、自身の惨状を察した。
「ふう……終わりましたわ。ぷっぷ!」
パンジーは、ため息と粉を、防衛本能によってヨダレにあふれた口の外へと吹き出す。
球幹完成まで、15分以上を要した。
ものの、手こずることは、作業着の袖が糊まみれになること以外はなかった。
それに、こうもあっさりと決着したことに、パンジーはもの足りなさすらも感じてしまう。
「お疲れさまー! 色々やらせちゃって、大変だったでしょ」
セントを外に追いやって、パンジーの前にずいっとヒナが笑顔を見せてくる。
それはねぎらいのつもりで言っているのか、サディストの嘲弄なのか知れない。
だが、少なくともパンジーは誇らしげな顔で彼女に応える。
「とっても、楽しかったですわ!」
「そっかそっか。今日はここまで。明日が仕事初日だからね、間違えないでね! この後、居住区にある下宿まで案内するから、とりあえず着替えて来……あはは。一緒にいこっか」
「んふっ、恩に着ますわ。ごめんあそばせっ」




