第8輪 体験(たいけん)パンジー
工場の光景――とは、どのように表現すれば美しくなるか、難しいところではあるが。
「ヒト・モノ・道が作為的に配置されたアート」。
とでも呼べば、それらしいだろうか。
内部はかねての想像通り、ほんのりと暗い。
採光窓から昼の日光が差しているものの、隙間なく並んだ石材の床、湯気のようにホコリや何やらが立ち昇っていて、視界がとにかく悪かった。
パンジーは、お揃いの三つ編みをしたヒナを先頭に、けむたい中をゆっくり歩いていく。
「パンジーって幾つ?」
「17歳ですわ。ヒナさんは、お幾つですの?」
「あっ。レディーに年を訊くのは、マナー違反だからね。気をつけること!」
ヒナが茶化してくる。
理不尽な返答ではあるが、パンジーについては「まあ、失礼しましたわ!」と目からウロコという反応をしているので、もういいだろう。
「ふふふっ。たぶん、今いる職人の中だと、パンジーが最年少になるかな。全員先輩になるから、ちゃんとあいさつして。仲良くなって、腕をぬすむ! そしたら、すぐ仕事が楽になるよ」
雑談がひと区切りついた、通路の突き当たりでヒナが足を止める。
まだパンジーは「腕をぬすむ」の意味がわからず、視野を狭めていた。
ヒナに肩をぽんと押され、ゆっくり前方を注視する。
光球工場の製造部作業場では、一見して大型の設備はほとんど存在しない。
広範には、職人が座って製品の組み立てを行う横長の作業テーブル。
工具よりも調理器具、といった風合いの小道具が整然と置かれて、テーブルの真上から光球そのものだろう照明が、目に痛いくらいに点灯している。
職人の、長年の手作業が育んだ合理的な作業風景こそ、アートと呼ぶにふさわしい気がする。
しかし、パンジーといえば、そこで息づき働いている職人たちにこそ、心を虜にされていた。
2人の見学に来た工程は、光る光球本体ではなく、何やら箱型の道具を製造するライン。
人の胴体ほどもある容器に、職人が手のひらサイズの歯車や支柱を組み付けると、また次の職人へ渡す。
その職人が別の部品を組み付け、また次の……。
というサイクルが休みなく行われる。
「まあ、まあ……すごい、皆さん、レシピも見ずに作業されていますわ。これが職人ですのね!」
「レシピって、お料理じゃないんだから。あはは。手順は頭に入ってるんだよ」
「頭に入る? 腕をぬすむ……うーん、難しいですわ」
職人特有な言い回し。
パンジーにはまだ体感・認識いずれとしても理解しがたいものだった。
「それでいて、皆さん別々のお仕事をなさっているようだけれど。光球には種類がありますの?」
「光球は、シンプルなやつと模様入り、それから色付きのやつがあるよ。でも、ここでつくってる『発動機』は1種類だけ。工場は、職人がそれぞれ作業を分け合って、効率的に1つのモノをつくるの。……っと、それは後回し。とりあえず、デモ機を見に行こうね?」
疑問を抱くのはよいことだが、いちいち回答していては、現場主義の工場の気風としてふさわしくない。
ヒナは、惚けているパンジーにうながし、作業場の隅に敷設された見学者向けの実演ブースへ連れてくる。
ヒナは、テーブルの上の発動機らしい道具の、上に雪と積もったホコリか何かを手で、ガサッと払い落としてから、パンジーに見せる。
「光球って言うと一般的には、光る『光球』本体と、光球に熱を送るこの大きい箱、『発動機』からできてるの。仕組みは簡単。発動機のヒモを引っ張ると、中の歯車が回って、光球の下の発熱器から熱を発生させる。で、熱は線を伝って、光球の中の金属線を温める。するとね――」
ヒナのデモンストレーション。
やや日焼けした彼女の、丸っこい小さな手でも、発動機のヒモはやすやす引くことができる。
ヒモはジーと低い音を立てながら、少しずつ戻っていく。
その間、発動機が作動する。
しばらくすると、上部にはめ込まれた光球のガラス球から、オレンジ色の光が点灯した。
パンジーが興味津々とした表情を寄せる。
彼女の端正な顔だちをわずかに反射するガラス球。
内部の光源は、やはり色薄い煙を上げながら、強いかがやきを放っている。
「暖炉の薪、みたいに……これが、熱で温まってる、ということですのねぇ」
「ま、細かいことはいいや! 今日はひとまず、工場の大まかな仕事(風景)を見てもらって、最後に、パンジーが働くことになる『球幹』工程に行く感じで。レッツゴー!」
どうしてか、新顔のパンジーより、ベテランのヒナの方がはしゃいでいるように見える。
◆
2人はこんど、同じ製造部の、ガラス球をつくる工程におもむく。
吹きガラス。
灼熱の炉に向かい、職人が吹き竿に魂ごと息を吹き込んで、練りガラスから透き通ったガラス容器をつくる技術。
だが光球にそれは通用しない。
光球に使用するガラス球は、パンジーが両手で支えなければならない大きさに、小冊子ほどのぶ厚さをしているからだ。
「よう、ヒナちゃん! 妹の付き添いか?」
職人のひげもじゃな初老男性が1人、ちょっかいをかけてくる。
ヒナは「違うよ」と笑うと、パンジーに作業をやってみるよう指示する。
……はあ?
前置きもなく。いきなりのことだった。
「私がやるんですの? えぇっと……私は、どうしたら?」
卒然、ヒナから子猫のように抱き上げられて、足漕ぎ式の送風機にセットされるパンジー。
「足元のペダルを踏むんだ! そしたら、羽が回ってガラスに風を送る」
何はともあれ、初老男性の言う通りにしてみる。
パンジーは木製のペダルに足をかけ、ぐっと踏み込む。
土嚢を踏んでいるような強い反発が、華奢なパンジーにとってかつてない重労働となる。
「重いですわー!」と泣いていると、ペダルがじょじょに沈み、送風機の羽が回り始めた。
もはや吹き竿とは呼べない、大砲めいた筒の先に、練りガラスが膨らんでいく。
加減なんかわからない。
パンジーはしにもの狂いでペダルを踏み続けた――。
「よし! お疲れさん。あんた根性あるな! また、いつでも来なよ」
パンジーは、職人に送風機から降ろされ、ヒナへ返却される。
肩で息をするパンジー。
首筋にかいた珠の汗は、工場内に舞うホコリの粒子を取り込んで、糊のようにへばりついてくる。
「じゃあ、次は細工の工程に行こうか。立てる?」
「ええ……す、少し、ゆっくり歩いてくださいまし」
長くもひょろひょろとしたパンジーの両脚が、動作のたびに小刻みに揺れる。
ヒナは歩調を合わせて歩いてくれる。
途中、先のやり方で成形したガラス球がラックの上で自然冷却されている場所や、溶解炉でガラスの原料を混ぜ合わせる場所などを通過する。
◆
続いて、細工工程。
別に景色は変わらない。
作業人数は10人ほど、半数に分かれて2つのラインで作業をする。
その入口に設置された、2つのガラス球を指差してヒナが訊ねる。
「細工工程は、さっきも言った模様入りのやつと、色付きのやつをつくるところ。パンジーは、どっちが好き?」
「私ですの? そうですわね。しいて言えば、こちらの模様入りかしら」
パンジーは、波の模様が刻まれたガラス球を選んだ。
答えるとすぐ、ヒナに作業場へ連れて行かれる。
問答無用。
それは仕事の真っ最中である職人も同じだったようで、(ブレビスのせいだが)本日見学者がいることも知らなかったから、ヒナたちの姿を見るなり大きく動揺していた。
「パンジー。模様入れ、やってみよっか」
「またですの!?」
声を上げるパンジー。
初対面である、細工工程の職人の顔を見遣る。
職人は、パンジーと同じ若い娘だ。
と言っても、目元が前髪によって隠れているため、顔つきはわからない。
赤みのある黒色の髪。
艶を帯び、熟成したワインのような色合い。
ヒナの無言の圧力に屈し、自身の手を止めて、パンジーを隣の席に座らせるが、目を合わせようとしない。
「あの……私、パンジーと申しますわ。こちらの工場で働くことになった……」
「……サルビオラです」
彼女の声はか細く自信なさげで、早くこの場をやり過ごしたいという思いがあふれ出ていた。
後ろから、ヒナが9割ほど仕上がった格子模様入りの光球を、抱えて持ってくる。
パンジーが黙っていると、サルビオラから、ガラスカット用のナイフを握らせられる。
刃渡り10センチのナイフは、下手をすればパンジーの指を飛ばしかねない。
「ハーッ! ハーッ!」
ガラス球に向かうパンジーの目は、血走っていた。
表面に不要な傷がつくかどうか、そんなことを論っている余裕はないのだ。
指の明日がかかっている!
震える手が、球表面のガイド線を何度も外れる。
見かねたのだろう、終盤にはサルビオラが手を添えてくれた。
「……アッ! 終わり、ましたわ」
パンジーが正気にもどる。
よかった、指がある。
削れたのはガラス球と精神だけだ。
「お疲れ! 仕上げはサルビオラに任せて。最後、本命の『球幹』工程に行くよー」
「も、もう、私の方が製品になった気分ですわ……」
消耗したパンジー。
額に浮かべる汗も、見かけ上は送風機のペダル踏みによって催した発汗と変わらない。
だが、頬の血色といえば、冬の戸外にさらされた後のように冷え冷えしている。
パンジーは、面倒をみてくれたサルビオラに礼を言って、またヒナの放縦な案内に付き従って歩いた。
白い髪の三つ編みを、肩の上でやわらかく跳ねさせる陽気そうなヒナだが。
案外スパルタ気質なのかもしれない……。
不安への回答もないまま、2人は製造部の最奥に位置する、「球幹」なる部品の工程へとやって来た。
最初に、眺め見る。
そのときの、たった1秒間で、パンジーはすべて理解した。
入口まで及ぶ、工場内の乾ききった空気。
粉まみれになるとは何か。
欠員による急募の理由。
それから――自身がここへ至った「運命」の存在を。
球幹工程の区画は、まさしく砂漠だった。
床一面と壁の凹凸、目につくあらゆるものを、特徴的な暗い赤色が覆っている。
画家が転んで顔料をぶちまけたとしても、ここまでにはなるまい。
「この、赭の色って……『揺らし石』の……」
パンジーはその、手近な窓枠に堆積した暗い赤色の真実に、指先を触れた。




