69
「~~~っっつ!!!掃除係さぁあん!!!」
突然、高い大きな声がワンダの頭上に降り注ぐ。
頭上を見上げると、三階から少女が見下ろしていた。
「よかった!よかった、掃除係さん!!いきてた!!!生きてますよね!?」
少し遠目にはなるため、細部は見えないが少女は泣いているようだ。
声を上げながら、下に落っこちるのではないかというほど出窓から身体を乗り出して、ワンダに手を振っている。
頭からすっかり消えていたが、リントン子爵を計画通り脅せなかったのは少女がいたからだが、リントン子爵の身体を魔術で拘束出来たのは間違いなく彼女の功績だ。
すぐにでもあの子の所に行きたいところだけど、三階のあの部屋に行くためには正面玄関前を通らなければならない。
ふと、ワンダはサリバンの方を見た。
「ねぇ、サリバン、三階まで私を戻せる?」
悪魔に貸しは作りたくはないけど、今は共闘関係だからこれくらい大丈夫よね?
渋るのであれば引き下がるつもりだったが、サリバンは微か笑みこくりと頷くと、流れるような手つきでワンダを横抱えし、トンと跳び上がった。
「ひっ…」
内臓が宙に浮き上がるような感覚に、ワンダは生理的な恐怖感と不快感を覚えるが、いつのまにか出窓に降ろされていた。
目を真っ赤に腫れあがらせた少女が鳴きながら出迎えてくれる。
「そうじがかりさん!!!
わたしっ、掃除係さんが死んだと思って…怖くて、窓にも近づけなくって!!」
身振り手振り言い振りで訴える彼女は、ワンダが死んだと思い、なかなか出窓の下を見に行く勇気が出なかったらしい。
それはそうだろう。
高いところから落ちた知り合いの死体なんて少女が見るものじゃない。
「ごめんなさい、怖い思いをさせたわね。」
少女の頭をゆっくりと撫でると、少女はぽろぽろと涙を零す。
白い首にはリントン子爵が残した手痕が赤く残っており、痛々しい。
巻き込んでしまった罪悪感もあり、ワンダは眉間の皺を深くさせた。
「……怖かったです。
掃除係さんもおじさまも、わたしが知っている二人と別人みたいでした。
それに…なんなんですか?
この部屋もあの人も?本当に死体なんですか?」
少女は怯えるように、温かい死体に目をやる。
死体は変わらず生きているようにも見える優し気な女性であるが、人形のように動かない。
「それは…そうね。ごめんなさい、実は私もちゃんと説明できないの。
だから、リントン子爵に話を聞かないといけない。」
その為には、拘束の魔術を解き、リントン子爵をもう一度話をしなければならない。
「ねえ、屋敷の使用人たちは?今どこにいるの?」
「玄関で待つように、おじさまから言われています。」
「なら、そろそろ何とかしないと不味いんじゃないの?」
横割りのように背後から声をかけたサリバンは未だに窓の外でフワフワと浮かび部屋に入ってこない。
「ねぇ、サリバン。中に入らないの?」
「ん~?ああ、入れないんだ。」
「入れない?」
「入れたら、入っているよ。」
ワンダは眉間に皺をよせ、首を捻ったが、少女は涙の痕を残したまま、窓の外を見て困惑した表情を作る。
「掃除係さん…誰と話しているんですか?」
「え?サリバンよ?サリバン教授。」
今度はワンダが困惑する番である。
「サリバン先生?どこにいるんですか?」
少女はワンダの指差す窓を見て、訝しそうにワンダの様子を気にする。
何よ…まるで、私の頭が可笑しくなったみたいな表情ね。
そんな様子を見たサリバンは薄く微笑むと、出窓に手を伸ばした。
すると、魔術による激しい閃光が伸ばした手をはじき返すように飛び散る。
「きゃ!!魔術!?なんで?」
魔術による光は少女にも分かるようで、驚きながら窓の外を確認している。
その間もサリバンは何度も何度も出窓に手を伸ばすがその度にはじき返されて、肩を竦めた。
「ほらね?入れない。入れないし、見えないようになっているんだ。
古くて強固な結界魔術が組まれているんだよ。」
「どうすればいいの?」
「簡単だよ、アタシを屋敷に招けばいい。」
「招く?」
「うん、おいでってやってよ。」
「…それだけでいいの?」
強固な結界魔術が招くだけで入れるとは到底思えないのだけど。
「やってみてよ、やったらわかるさ。」
サリバンは意味ありげに揺り椅子に座り続ける温かい死体と、魔術でかたまってしまっているリントン子爵を眺めた。
「ちょっと、まっていてね。」
「え?はい…?」
不思議そうなにワンダを見る少女に声をかけると出窓に近寄り、浮かんでいるサリバンに手を差しだす。
「ようこそ、お越しくださいました。中へお入りください。」
「はぁーい、招かれましたっと。」
サリバンはワンダの手を取り、何事もなかったかのように出窓の内側へ入ってくる。
「えっ!?サリバン先生!?なんで?」
少女は大げさに驚きながら、狼狽える。
「窓から落ちた時、サリバンが受止めてくれたのよ。」
「掃除係さんの魔術かと思っていました。」
「……私は貴女みたいに魔術が使えないのよ。」
「そうなんですか??でも、何がどうなっているんですか?」
「屋敷には結界魔術が組まれていてね、入れなかったんだよ。」
「結界魔術ですか?」
少女は何度も首を捻り納得できないという視線をワンダに向ける。
「どうしたの?」
「お屋敷の結界は悪しき者を祓う類いの結界だっておじさまが言ってましたので…。」
少女の言葉のおかげで入れない理由を明確に理解できたが、まさか『サリバンは悪魔だ』という訳にもいかない。
「うん、その通り。
アタシは悪魔だからこの屋敷には入れなかったんだ。」
「っ!?」
まさか白状するとは…。
少女は「ははは」という乾いた笑い声を出し、ワンダはぎょっとする。
「も~サリバン先生!!悪魔だなんて、冗談でも今は言わないでくださいよ!!」
「んー?でも、アタシは随分長いこと人間に悪魔って呼ばれているからさぁ~。
まあ、アタシとしては別に悪魔でも悪魔じゃなくてもいいのだけど、
他称は自分を自分、たらしめるからそう自称しているんだ。」
「あの、………掃除係さん?」
助けを求めるような少女の視線に、ワンダは思考を放棄した。
本人がそう言っているんだ。どうにでもなれ。
「私は自称を尊重しているわ。」
ワンダは諦めた様子でサリバンの発言を肯定することにした。
少女はギョっと目を見開くと、サリバンから身を隠すようにワンダの後ろに下がり、ワンダの腕に縋りつく。
「掃除係さん、知っていて悪魔を入れたんですか?
教会は悪魔と関わるなって言っていますし、危険な存在ですよね?」
「確かに私も悪魔は危険だと聞いて育ったわ。」
「…さっき掃除係さんだって、おじさまに『悪魔と通じている』のかって聞いていたじゃないですか?」
「ええ、そうね。」
「……掃除係さんも『悪魔と通じている』んですか?」
「ふふ、なんか『掃除係くんと通じている』って色気があっていいなぁ。」
怯えてワンダに詰め寄る少女を見ながら、サリバンはとてつもなく愉快そうだ。
「…茶々を入れないで下さい、サリバン。
確かに私はサリバンを悪魔だと知りながら、接しているわ。
それに、元上司と元部下であることは確かね。
でも、そう言うなら貴女もサリバンとは生徒と教師の関係じゃない?」
「それはそうかも知れませんけども!
わたしの名前を盗ったのも悪魔だって、妖精さんが言ってました。
サリバン先生が悪魔ならサリバン先生がわたしの名前を盗った悪魔かもしれませんよね?
もしかして…掃除係さんもわたしみたいに名前、盗られちゃっているんですか?」
「アタシは貰えるものは貰う主義だけど、キミの名前を盗ったりしてないよ。」
「そう、なんですか?」
サリバンの言葉に少女はワンダの腕を捕まえる力を少し緩める。
緊張がゆるんだ証拠だろう。
素直なのはこの子のいいところだけど、ここまで素直だと、心配ね。
対して、サリバンは安心した少女ににっこりと笑顔を向け、ワンダを少女から引き離すようにぐいっと自分の方に寄せた。
「アタシが欲しいのは掃除係くんの名前くらいさ!」
「………っっ!!!掃除係さん!!ほら!!危険ですよ!やっぱり悪魔は危険です!!
掃除係さん!掃除係さんの名前がとられちゃう!!」
少女は緩ませていた腕の力を強め、サリバンに負けじと反対側のワンダの腕を引っ張る。
まるで引っ張り合いっこの状況は、地味に痛い。
「大丈夫だから落ち着きなさい!サリバンも手を離して!!」
渋々と楽しそうに手を離す。
サリバンが手を離したところで、ワンダは怯える少女と目線を合わせた。
「あのね、私は名前を奪われてもいないし、契約もしていない。
それに今後、契約をする予定もないわ。
貴女の名前を盗った悪魔がサリバンじゃないとは言えないけど、今はリントン子爵と通じている悪魔を調べましょう。
貴女は自分の名前を取り戻したいんでしょう?
それなら、リントン子爵と通じている悪魔が貴女の名前をとった悪魔という可能性も調べなきゃ。」
ワンダが落ち着いた声で少女に言って聞かせると少女はゆっくりとワンダの腕を離す。
少女の魔術のお陰でリントン子爵の身体は一時的に動きを止めているが、暫くすれば使人が痺れを切らして主人と養女を探しにくるだろう。
それまでに、なんとか出来ることをしなければならない。
「それに…私達だけじゃ、この状況をなんともできないのは確かよ。
心配だろうし、大丈夫だとも言わないけど、
サリバンは悪魔だけど貴女に勉強を教えていたのも同じサリバンよ。
怖いなら警戒は続けていなさい。私は私で判断しているし、貴女は貴女で判断すればいいわ。」
目を見て真摯に伝えると少女は「わかりました」と小さく頷く。
「話は終わったかい?」
「ええ、待たせたわね、ありがとう。」
そこからのサリバンの仕事は驚くほど早かった。
サリバンはワンダにリントン子爵を物理的に拘束するように指示すると、自分はのんびりと玄関に歩いて行った。
そして、ふらりと戻ってきたかと思うと、
既にサリバンは『屋敷のお客様』となってもてなされていたのだ。




