互いを知る
九月二十日。
早朝。
アルベルトは歯磨きをしながら、南の共和国軍を眺めた。
彼のやや後ろに、オズワルドがつく。
「閣下、ほぼ全軍、そろいました」
「ひょっか……っぺ! よしよし、ひと段落だ。あとは時間を稼げば稼いだだけ、あちらさんのお仲間が困ることになる」
「しかし、どうせなら勝ちたいですな」
「あれに? 俺はできれば戦いたくないね」
アルベルトは武人らしくないことを言い、オズワルドを笑わせた。
「はっは! 閣下も怖い相手がいたんですね?」
「いたさ! これまでは妻とアメリア様だったが、一人増えた……おや? 三人とも、女性だな」
オズワルドはそこで笑みを消し、真面目な顔と口調で指揮官に尋ねる。
「まともにやったら勝てぬと?」
「勝てと言われれば勝つが、勝つには恐ろしく兵を失う相手だ……やりたくはない」
アルベルトは振り返り、本営の作戦卓へと歩く。その彼にオズワルドが続いた。
指揮官は、地図を眺めながら続ける。
「俺は戦に勝つ以上に、イシュクロンを助けることを目的としているゆえな……のんびり過ごさせてもらうさ。兵たちに、死ねと命じるのは歳をとっても慣れないもんでな」
「本当に……それを簡単に口にする方を仰がなくてよかったですよ」
「警戒は怠らないように。あの娘、隙を見せたら噛みついてくる」
「っぷ……承知しました」
アルベルトの言い様に笑ったオズワルドは、笑みを一礼で隠して指揮官の前を辞した。
同時刻。
寝ぐせを櫛で梳いて直すクローディアは、北に布陣する皇国軍を眺めていた。
これまで戦ってきた中で、最もやりにくい相手と当たっているという認識があった。
彼女の後方に、ラームが立つ。
「お嬢様、各隊の怪我人、重傷者は運び出しを終えました」
「ご苦労様」
「……しかし、逃げ上手のアルベルトとはよく言ったものです。守りの戦が得意なのでしょうな?」
「その彼が、どうして勝ち続けているかわかる?」
「え? そのように、宣伝されたからでは?」
振り返ったクローディアは、ラームに笑みを見せる。
「ちがう。彼は戦場での勝ち負けに固執していないからよ」
「……戦場で勝ち負けにこだわらない指揮官は、指揮官失格でしょう?」
クローディアは、騎士見習いの少年が運んで来た朝食の盆を受け取り、作戦卓へ置く。そして、ミルクを飲み、ラームに言った。
「彼は戦争が始まる前に、勝つ方法を見つけているのよ」
「……そんなこと、あります?」
「ある。昨晩、考えた。どうして彼は、ベルガ河の南に出て来たか……わたしが彼なら、どうしてそうしようと思ったのか」
彼女はそこで、本営に入ってきたイゴールを見て彼に尋ねた。
「イゴール、後方はどう?」
「問題ありません。兵站が短くなった分、余裕ができました。負傷兵の収容場所も確保、いざという時の退路も三経路ほど用意しており、状況に応じてご判断ください」
「ありがとう。イゴールは、敵のアルベルト卿をどう思う? 彼はどうして、勝ち続けることができると思う?」
「……お嬢様を前にして、差し出がましいですが……彼の優れた点は、着地点からの逆算による運用かと思います」
「そう!」
クローディアは目を輝かせ、ミルクを飲み干すとラームを見た。
「彼がどうして、ベルガ河を渡河したか……わたしも北への渡河を考えた。つまり、わたしたちは同じ答えを持っていた」
「兵站……ですね?」
イゴールの言葉に、クローディアは美しい笑みを作った直後、卓を拳で殴る。
「そう! だからわたしはここまで負けている! くそ! 我が共和国が、ベルガ河を使ってイシュクロンへ物資を運べない今の状況そのものが、我が軍の負けで彼の勝ちなのよ!」
彼女は叫び、二発目の殴打を卓に浴びせた。
「お嬢様、拳を痛めますよ」
「……ここから挽回するには、相当に乱暴なことをしないと……ラーム、指揮官たちを集めて! イゴールは全軍の管理を徹底」
親子二人は、並んで直立し敬礼をしていた。
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九月二十日。
夜。
皇国軍の前衛では、交代で見張りについて休みを取っていたが、突然、騒がしくなる。
「敵襲! 敵がぁああああああ! ぎゃあああ!」
見張りの声は絶叫に変わり、慌てふためき飛び起きた兵たちが、身支度もそこそこに武器を持った。
夜空を、大量の矢が駆ける。
皇国軍各部隊の部隊長たちが、声をはりあげた。
「盾!」
「敵! 整列!」
この混乱は、本営近くの幕舎で寝ていたアルベルトにも届く。
「大軍で夜襲など、無茶なことをしやがって!」
アルベルトは甲冑を着る間を惜しんで幕舎を出ると、自軍前衛へと共和国軍が魔法攻撃をおこなっている光景を見た。
火炎と雷撃が、結界魔法にぶつかり派手に爆発している。それが空気を揺らし、焦げ臭い風を撒き散らした。
通常、敵味方の判別がつかなくなる夜襲は、大軍同士の戦場では発生しづらいものだが、クローディアは離れての戦いに限定することで、味方同士の混乱を避けたのだ。
敵へと一方的に矢と魔法を放ち、素早く撤収した彼女の手腕に、アルベルトは舌を巻いた。
「思い込みこそ敵ということか……」
篝火で照らされた本営で、アルベルトを囲む参謀たちが悔やむ指揮官を見守る。
参謀長のオズワルドが、油断を詫びた。
「我らこそ、この可能性を進言すべき立場でありながら、申し訳ございません」
「いや、お前たちの責任ではない。しかし、これは後に影響がある」
アルベルトは、このままではおちおち眠れなくなると愚痴り、それは彼個人の問題ではなく、全軍に根深く残ると口にする。
「兵たちは、夜も眠れないとなると、昼間に気が抜けるところが出て来るだろう。オズワルド、どうする?」
参謀長は、少し考えた後、口を開く。
「騎兵一個連隊を率いてよろしいでしょうか?」
「……かまわんが、策は?」
「仕返しをして参ります」
オズワルドの策に、アルベルトは笑みを返した。
そうして、共和国軍は夜襲攻撃を大成功におさめ、よし休もうとなった頃合いで、皇国軍騎兵連隊が彼らに襲い掛かった。
オズワルドは、ただ敵軍に迫り、矢を射かけただけである。
しかし、それで共和国軍側は、朝まで徹夜で警戒をしなければならないはめとなった。
共和国軍の本営で、クローディアが苦笑する。
「よくやる……でも、悔しいが効果的だ」
ラームが、欠伸をかみ殺して指揮官に尋ねる。
「ふぁ……如何します? やり返しますか?」
「夜襲して、されて、やり返して、されて……ダメだ。会う。ラーム、使者となって面談を申し込め」
クローディアの言に、イゴールが苦笑した。
「会いたいだけでは?」
「爺……わたしはそこまで馬鹿じゃない」
「お許しください」
「会って、お互いに夜襲はしないことを誓いあい、夜間休戦を結ぼう……さすがにわたしも眠たい」
クローディアはそう言って、大口を開けて欠伸をしたのだった。
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九月二十一日。
午前九時。
両軍の中間地点で、両軍の指揮官は会った。お互いに、一人ずつの供を連れての面談で、アルベルトは、オズワルドを伴い、クローディアはイゴールを連れて会見場へと入った。
先に入っていたのはクローディアで、会見場にアルベルトが入ると同時に、椅子から立ち上がった。
「初めまして。ギュレンシュタイン皇国将軍アルベルト・ザハ。彼は友人のオズワルド・ブローニン」
「初めてお目にかかります。クローディア・フォルネッティです。彼はイゴール・タッディと申します」
双方に名乗りあい、卓を挟んで向かい合った。
クローディアを前にして、アルベルトが欠伸をして見せた。
「ふぁぁ……眠い。お互い、睡眠の邪魔だけはしないことにしようという申し出、承知した」
「……ええ。仕掛けた手前、お恥ずかしいことです」
「俺の娘ほどとお見受けするが、まだお若いのにすばらしい」
「高名なアルベルト卿にお褒め頂き、未来の夫になる人に自慢できます。閣下のご武勇は、いくつもの書籍を拝読し、全て頭に入っております」
「俺が書いたものじゃないのですよ……作家が訪ねて来て、あれこれと尋ねるので話したら、いつの間にか本になっていて、しかもそれが人気だという……だったら俺にいくばくかの報酬が入ってきてもいいと思うのだが、そうは思いませんか?」
クローディアは口を手で隠して笑う。
イゴールは、憧れの人の前ではちゃんと礼儀正しくできるのだなと感心していると、机の下で彼女に足を蹴られた。
それから二人は、お互いに戦史や戦術論に関して会話を楽しむ。
「閣下は五年前、ヴァスラ帝国の救援で都市国家連邦と戦った時、敵を後退させたのに自軍も撤退させています。どうしてですか?」
「よく覚えていますね? あの時はこちらの兵たちがかなり疲れておりましたしな……敵は後退したといっても、余裕を残した撤退で……ま、誘いでしょう。ですから、帝国のメンツを保つために、勝ったという状況を作れたことに満足することにしたんです」
「なるほど! 勉強になります!」
「いやいや、あなたこそ都市国家連邦側として参加された三年前の戦争で、敗走と見せかけて敵を死地に招き入れて壊滅させたでしょう? あの手際はお見事です」
「閣下にお褒めいただくなんて! 嬉しいです」
「いや、あなたはたしかにお若いが、そのご判断は正しいものばかりだと思います。状況がころころと変わるなかで、最適な解を選び続ける判断力は、事前の下調べや予測と分析の賜物でしょう。頭が下がります」
「ありがとうございます! あ、でも……なにか一つ、ご助言をいただけませんか?」
アルベルトは笑う。
「俺が? あなたに? まさかこちらがしてほしいくらいなのに」
「いえ、ぜひお願いします」
クローディアの懇願に、アルベルトは顎をつまむと考える。
オズワルドはその様子を見て、本気で考えているなと呆れた。
アルベルトは、ゆっくりと顎から手を離した。
「ひとつ。先程の三年前……敗走と見せかけて敵を招く策です」
「はい」
「あの策、貴女は自ら敗走する軍……囮を率いた。指揮官自らが危険な役を買って出るという心意気を俺は好きですが、同じ軍を預かる者として見た時、褒められたことではありませんな」
クローディアが微笑む。
「ええ、このイゴールにも叱られました。なのであの時、わたしの側近にわたしの甲冑を着させて、囮役を指揮させたのです」
「な……なるほど!」
アルベルトは目を見開き、彼女とイゴールを交互に眺めた。
イゴールは、その時にクローディア役を押し付けられたラームが、甲冑が小さくて窮屈だったから大変だったと嘆いていたことを脳裏に描き、笑みとなる。
「あなたはすばらしい。才能があり、お仲間にも恵まれておられる」
アルベルトは、素直に彼女を褒める。
「とんでもございません。この事をご指摘くださるとは……感服いたしました」
クローディアも、心から感謝を伝えた。
そして最後に、持ち寄った朝食を交換して、解散となる。
帰路で、アルベルトはオズワルドに言う。
「美人で才覚もある……あれは……民に好かれるし、兵にも好かれる。求心力があるだろうな……しかしまだ、成長途中とみる。今のうちに始末しておいたほうが、皇国のためになるかもしれん」
「……勝つことにこだわりますか?」
「いや、それはしない。だが、彼女はきっと攻撃してくる……そこを突く」
アルベルトは言い、危険な笑みとなる。
参謀長は、指揮官の横顔を見て、口を閉じた。
一方、同じく帰路についていたクローディアは、隣を歩くイゴールに言う。
「余裕がある……思慮深い。戦いたくないけど、どうせ戦うなら勝ちたい」
「短期決戦ですな?」
「そうだ……しかし、わたしは愚かだ。名将だと知っていたくせに、普通の将と同じように考えてしまった。無茶なことをしなければならない。そう考えた時点で、わたしは彼の思惑に乗っていた」
「お嬢様、しかしお嬢様でなければ、あの敵にいいようにやられていたに違いありません。マーキュリーの若造は嫌いですが、此度の指揮官にお嬢様を指名した点だけは認めることにいたしますよ」
彼の慰めに、クローディアは弱気な笑みを見せる。
「爺は、いつもわたしの味方だな?」
「あたりまえです。ですので、もっと大事に扱って頂かないと」
クローディアは失笑し、イゴールに拳を差し出す。
彼は頷き、彼女の拳に自らの拳を軽くぶつけた。
「過ぎたことはいい。今日はしっかりと兵たちに休みを取らせる……しかし、さすがアルベルト卿、相手にとって不足なし」
彼女は言うと、背後を振り返る。
そして、晴れやかに笑った。
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面談を終えた日の夕刻、アルベルトはオズワルドだけを自分の幕舎に招いた。
「相談がある」
「先ほどの……彼女を始末する件ですな?」
「そうだ」
「……お考えが?」
参謀長の問いに、アルベルトは苦笑する。
「いや、お前の案を聞きたい。俺が膠着状態を続けることを良しとしていると知っているお前は、進言していない策がいくつかあるだろう?」
「……よくご存じで」
オズワルドは苦笑し、アルベルトの前に地図を広げた。
「閣下もお考えのとおり、クローディア・フォルネッティは攻撃してきます」
「間違いない。彼女のことだ……実は現在の状況そのものが、自国の首を絞めているとわかっているだろうからな」
「ええ……ですから、彼女の狙い通り、攻めさせます」
オズワルドの策を最後まで聞いたアルベルトは、口端を歪めて参謀長に言う。
「お前、性格悪いな?」
「誉め言葉です、それは」
「よし、採用する」
「承知しました。では、さっそく準備にとりかかります」




