第三次ベルガ湖畔の戦い
九月二十二日。
両軍の指揮官が会った翌日、休憩は終わりとばかりに共和国軍が早朝から攻撃を開始した。
騎兵二個大隊が矢の援護を受けて発進し、皇国軍は盾と長槍をずらりと並べて備える。
アルベルトは後方の本陣で、敵の騎兵が巻き上げる土煙を見て目を細めた。
共和国軍の騎兵集団は、陽光を浴びて危険な煌めきの波を丘陵地帯に彩った。
「応射しろ!」
アルベルトの号令で、皇国軍側で部隊指揮官たちが叫ぶ。
「三連射!」
「弩の装填! 騎兵の接近にあわせて撃つぞ!」
同時に、アルベルトは背後に控えるオズワルドへ目配せを送る。
参謀長は一礼し、参謀たちを集めた。
「よし、順次、計画通りに動く。戦闘は防御に徹する」
参謀たちが声をあげた。
彼らが一斉に動く光景に背を向けたまま、アルベルトは前へと拳を突き出す。
「守ればいいと言っても! 反撃せねば敵は勢いづく! 合図を待て!」
一方の、攻撃側たるクローディアは、味方騎兵集団が敵前衛の前で左右に別れた直後、歩兵部隊群へ前進を命じた。そして自らも馬上となり、前線に近い位置で指揮を執る。
彼女の姿に、兵たちは皆、わきあがる勇気で雄叫びをあげた。
兵の後ろに隠れる指揮官が多い中で、常に敵から見える位置にいる彼女の姿は、彼らの支持と敬愛を受けるに相応しいものだろう。
「敵前衛の隊列を崩せ! 歩兵部隊は隊ごとにまとまり! その隙に乗じよ!」
クローディアの命令から少し遅れ、皇国軍中ではアルベルトが叫ぶ。
「よし! 敵騎兵が割れた。後退しつつ隊列の再編!」
クローディアは、馬上で舌打ちを発する。
皇国軍の部隊運動は洗練されたもので、兵たちが隊となり、隊と隊が連動し軍となる。それは危険な機能美であると彼女は感嘆するも、口に出しては苛烈な指示だ。
「攻撃! 疲れて休むのは敵を倒した後にせよ! 矢! 撃ち続けよ!」
クローディアの叫びに呼応した共和国軍兵は、果敢に前に出る。
彼女の補佐をするイゴールは、攻撃部隊を順次に入れ替え、打撃力を継続するという地味な作業でクローディアの助けとなった。その老練な差配は、敵のアルベルトに舌打ちをさせる。
「っち! 普通は攻め疲れて後退するであろうに、抜群の呼吸で部隊を入れ替えている……勝ち続けるわけだ……付き合うな! 無理をせず後退して良い!」
攻撃する共和国軍と、守る皇国軍。
この図は昼過ぎまで続いた。
さらに攻撃を継続したいクローディアであるが、アルベルトがここで攻勢に出る。
彼は丘陵地帯の低地を利用し、高低差によって騎兵の動きを敵から隠した。
皇国軍へと殺到する共和国軍左翼側面に、皇国軍騎兵連隊が突入する。
一瞬で形勢が逆転するも、クローディアが左翼に駆けつけ指揮を執ると、共和国軍はたちまち立ち直り、皇国軍の騎兵たちを追い散らした。
アルベルトは、口笛を吹く。
「ひゅー! やりおる!」
クローディアは、素早く撤退する敵騎兵集団の背を眺め、手を叩いた。
「鮮やか……負けない戦いをされると勝てぬ」
彼女はここで、ラームの報告を受けた。
「父上からです。全軍、朝からの戦闘で疲れております。そろそろ」
「……わかった。後方の部隊を前に出し、後退する」
両軍は、共和国軍の後退をもって戦闘を停めた。
-・-・-・-・-
九月二十二日の夜。
クローディアは北の皇国軍陣地の様子がおかしいと感じた。
夜間は休戦を結んだばかりだ。
それなのに、皇国軍は暗闇を利用して動いているように感じる。
イゴールが、彼女の異変を感じて声をかけた。
「お嬢様、如何いたしました?」
「……様子がおかしい」
「様子が?」
イゴールが、皇国軍を見る。
たしかに、尾根の上でちらちらと何かが動いているように見えるがと、彼はクローディアの横顔へと視線を転じて口を開く。
「たしかに、何か動いているようですが……配置換えではありませんか?」
「だといいが……」
クローディアは、読み切れない自分への苛立ちで、舌打ちを発していた。
-・-・-・-・-
九月二十三日。
早朝。
クローディアは目覚めると、口内を水で濯ぎながら幕舎を出て、地面にはき出す。それから歯磨きをしようと視線を転じた時、視界に皇国軍の陣地が一瞬、入った。
彼女は動きを止め、皇国軍の陣地へと視線を戻す。
「イゴール! ラーム!」
叫んだ彼女は、幕舎へと駆け込むと急いで鎖帷子を着る。そして、甲冑の胸当てを手に掴んだまま、幕舎から出た。
騎士見習いの少年たちが、彼女の甲冑の部位を抱えて、装着を助ける。
イゴールが、鎖帷子姿で現れる。
「皇国軍が移動した」
クローディアの言葉に、イゴールも目を見張る。
皇国軍は、昨日の位置から五百メートルほど北の尾根に移動して、展開していたのだ。いや、ただ移動しただけと言ってもいいほどで、軍旗の並びも乱雑なことから、部隊配置もまだ終わっていないものと思われた。
クローディアは、昨日の戦闘を脳裏に描き、皇国軍の動きが悪かった理由はこれかと頷く。
「昨日のアルベルト卿は、これまで以上に勝つ気がなかった……これを予定していたからか」
「奴ら、何が狙いでしょうか?」
イゴールの問いに、クローディアは地図に記された皇国軍陣地の位置を直しながら、「あ」と声を漏らした。
「如何いたしました?」
「湊に近い位置取り……いや、この尾根なら上流の湊へ続く街道へ直接出られる。騎兵なら一日とかからない」
定規を使って距離を測った彼女は、自分の推測は事実だろうと考えた。そして、各部隊の指揮官たちを集めると、朝食をとった後に攻撃することを通達する。
解散しそれぞれの部隊へと戻る指揮官たちを見送る彼女に、ラームが声をかける。
「……でも、どうして最初から今の地点に陣地をおかなかったのでしょうか?」
クローディアは側近の問いを、口内で繰り返した。
彼女は、ラームの言も一理あると感じて地図を見る。
クローディアは、考える。
自分がアルベルトならば、どうして昨夜、陣地を変えたのかを。
しかも、隙だらけの姿をさらすような真似をしてまで。
地図に穴が開くほどに睨んだ彼女は、顔をあげてラームを見て、次にイゴールを見た。
二人は、何だろうかと彼女の発言を待つ。
クローディアは、微笑む。
「なるほど……なるほど……湊を狙える位置取りは、おそらく意図を隠す偽装だな。しかし、無視はできない……嫌らしい手だ」
彼女は頷いた。
クローディアは、自分が至った考えが正解ならば、昨日のアルベルトとの面談は、夜間休戦以上の役に立ったと思う。
「アルベルト卿は、わたしが攻撃しないといけない立場であることを利用しようと企み、さらに軍の移動でその理由を強くした。それがこの罠の嫌なところ……なぜなら、わたしは攻撃しないといけないのだから」
彼女は思う。
皇国軍が最初から、現在の位置に陣取っていたならば、周辺の湊を狙う動きを見せることを陽動に戦闘を有利に動かそうという魂胆と彼女は読んだ。しかしそうではない。
彼らは最初、より南に進出してきたのだ。
つまり、今回の移動の目的は、湊ではなく自分を誘うための罠だ。
北を睨むクローディアの耳に、イゴールの声が届く。
「一日、様子を見ますか?」
「この戦場での一日は、イシュクロンでの我が軍にとっての三日、四日、五日? それ以上の物資の遅れを意味するだろう。罠とわかっていても、わたしは攻撃しなければならないのだ」
彼女は、そう断じた。
-・-・-・-・-
九月二十三日。
正午少し前。
ゴート共和国軍はほぼ全軍で前進を開始した。中央、左翼、右翼ともに北側へ後退した皇国軍陣地へ向けて、整然と進む。
甲冑が陽光を反射し、それは皇国軍陣地のアルベルトからもよく見えた。
彼は参謀たちに迎撃を命じると共に、直下の騎士たちを集めて全員を馬上とする。
「合図があり次第、攻勢に出る!」
アルベルトの言葉に、整列した騎士たちが抜剣で応えた。
いよいよだ、と両軍前衛の兵たちがその顔に緊張を浮かべた。
ゴート共和国軍前衛が、昨日まで皇国軍が展開していた尾根へと入った瞬間、異変が生じる。
尾根を越えた彼らは、その直後、尾根の影に隠れていた皇国軍の別動隊による急襲を受けたのだ。
「て――」
「あぶ――」
一瞬で、ゴート共和国前衛が皇国軍の弩の斉射によって薙ぎ払われた。
クローディアは馬上となっていて、前衛が攻撃を受けていることを遠目に視認し馬を停める。
彼女がいる場所まで、その音が聞こえてきた。
魔法攻撃による爆発音と、蹴散らされた人間たちの悲鳴と絶叫。
後退していた皇国軍から、騎兵連隊が加速することを土煙が示した。
クローディアは、顔面を蒼白にして手綱をきつく握る。
彼女は、耐えろと自らに言い聞かせた。
無茶をしなければ、守りに入った名将を崩せることなどできない。
クローディアは、犠牲となった兵たちへの祈りを口内で囁く。神などいい加減だと思う彼女であっても、この時は真剣に、兵たちが天界へと召されることを願った。
彼女はあえて、前衛の部隊には何も伝えていない。それは、罠にかかったと敵が思ってくれることこそ、彼女が狙ったことだからだ。
そして、馬上で剣を抜く。
「勝ったと思い勝ちに急ぐ皇国軍に、逆襲を浴びせる! ついて参れ!」
馬の腹を蹴った彼女の馬は、力強く大地を蹴った。
ゴート共和国軍前衛は、奇襲を受けて壊滅状態である。しかし、その後方、中列から後ろは左右に別れるように部隊群が動き、混乱する味方前衛を迂回する動きで尾根を越えた。
皇国軍の別動隊――陣地を北上したと偽装し、尾根に隠れて元の場所にとどまった一万を指揮していたオズワルドは、混乱する敵軍へと苛烈な攻撃をぶつけ続けていた。
もう少しすれば、後方の皇国軍本体からも増援が駆け付けて来て、共和国軍は恐慌状態のまま包囲殲滅されるという未来を信じている。
しかし、彼は違和感で視線を転じた。
自分が指揮する別動隊は、戦闘開始から共和国軍を圧倒している。しかし、やけにもろいのだ。
おかしいと彼が感じた時、伝令の叫びが聞こえて来た。
「敵! 我が軍を迂回し北上!」
「馬鹿な!」
オズワルドは、指揮棒をへし折って馬首をめぐらす。しかし、新たに現れた伝令によって、彼は動けなくなる。
「迂回した敵の一部が、左右から我が軍を挟撃!」
「くそ! 敵前衛を放置し、左右の敵を叩きながら北上! 閣下と合流する!」
彼の判断は、この時であっても素早かった。
同時刻。
アルベルトは、敵にとどめを刺すはずだった味方騎兵連隊が、共和国騎兵連隊に蹴散らされた惨状に床几から腰を浮かした。
護衛たちが、あわただしく動き始める。
参謀たちが、伝令たちに叫ぶ。
「防御陣形を!」
「何をしている! 突破させるな!」
「数は多くない! 冷静に! 冷静に!」
しかし、彼らが騒げど共和国軍騎兵連隊の突撃は苛烈だった。それに続く歩兵たちも、皇国軍の動揺につけこみ両軍が入り乱れての激戦となる。
アルベルトは、腰の剣を抜く。
彼は、迫ってくる白馬の騎士をクローディアと見た。
「また会ったな!」
「お命! もらい受ける!」
クローディアは叫ぶなり、剣ではなく火炎弾の魔法を放った。それはすぐに、皇国軍魔導士たちの結界魔法で防がれるも、爆炎と土埃を煙幕として、彼女は一気に皇国軍本営へと突っ込む。
アルベルトは、クローディアの命を戦場で散らせる算段で、オズワルドの策を容れた。
一方、クローディアはその策を見破った後、それを利用することでアルベルトを狙ったのだ。
クローディアは、アルベルトの護衛を一閃で斬り伏せ、皇国軍指揮官へと一気に迫った。
アルベルトは、彼女の斬撃を剣で弾き返し、反撃の一閃で彼女の馬を斬る。
クローディアの愛馬が、いなないて倒れた。
彼女は跳躍し、着地と同時に接近してきたアルベルトの斬撃を剣で弾く。
激戦の中で、指揮官同士の一騎打ちが始まる。
「閣下ぁ!」
アルベルトを助けようとした騎士が、クローディアの剣で倒れた。
一方で、クローディアに加勢しようとした共和国軍兵士は、アルベルトによって地に伏せられた。
お互いに、間合いを計るようににらみ合う。
静かに、地面を滑るように前進したクローディア。
アルベルトは、それにあわせて後退した。
この時、離れたところでアルベルトを狙っていた共和国軍兵士がいた。彼は傷を負っていて、立ち上がれなかったが手には弩を持っていた。
彼は、クローディアを守ろうと、弩の引き金に指をかける。
それは、アルベルトの背後から彼を狙うものだった。
クローディアはそれを見た瞬間、叫んでいた。
「やめろ!」
兵士はびくりと動き、彼の持つ弩から矢が放たれる。
クローディアは、アルベルトに体当たりをするように突っ込んでいた。これに驚いた彼は剣を振り上げる。
瞬間。
彼の脇をすり抜けた矢が、クローディアの右肩に刺さった。
アルベルトは思わず、倒れた彼女を抱き留める。
「大丈夫か!?」
「うぅ……」
彼は彼女の傷の位置を見て、致命傷ではないと判断する。
アルベルトはこの時、不思議と笑みを浮かべていた。
「お嬢様ぁ!」
ラームが叫び、人馬一体となってアルベルトへ突進する。
彼は立つと、抱えるクローディアに微笑んだ。
「邪魔をされたな?」
彼女は、痛みで目を開けられない。
アルベルトは、迫ってくる共和国軍騎士へと片膝をつき、クローディアを害するつもりはないと示した。
ラームは馬から飛び降り、クローディアをアルベルトから受け取る。
「負傷なされたところを斬るには惜しい。次の機会にまたと、お伝えせよ」
アルベルトの言葉に、ラームは一礼しクローディアを抱え馬へと担ぎ上げる。そして、颯爽と戦場を離れながら、味方へ向かって撤退と叫んだ。
アルベルトは立ちあがり、その場で、去る彼女を見送る。
「閣下! ご無事ですか!?」
「閣下!」
参謀たちが、慌てて駆けつけて来る中で、アルベルトは冷静に言った。
「各隊、配置を戻せ。オズワルドの軍と合流するぞ」
アルベルトはそう言うと、撤退する共和国軍を眺めて笑った。
-・-・-・-・-
皇国暦四五六年。
ゴート暦二五六年。
九月二十三日。
皇国軍の罠を見破り、その本営に突撃をしたクローディア・フォルネッティ率いる共和国軍は、一〇〇〇を超える戦死者を含む、全軍の一割以上の損害を被りながらも、皇国軍に甚大な被害を与えた。
この時の皇国軍の被害は、死者だけで二〇〇〇を超えていて、負傷者を入れると損害は全軍の二割に及ぶと言われている。
九月二十三日の会戦そのものについては、皇国軍の罠を逆用し、より大きな損害を与えたクローディア・フォルネッティ率いる共和国軍の戦術的勝利とする見方が多い。だが、クローディア本人はこれを否定した。
「結局、皇国軍はあの後もベルガ河を押さえ続け、その期間は三カ月に及んだ。結果、イシュクロン王国から、我が軍は撤退を余儀なくされた。あの日の勝利だけを取り上げても意味はない。アルベルト卿の勝ちだ」
一方、アルベルトはこう感想を述べている。
「俺は長いこと戦場にいたが、小便を漏らしたのはあの時だけだ。それに、こちらの罠を利用しての逆襲と急襲の見事さ……あれは俺の負けだ。でも、戦争全体では勝ちだから、引き分けだな」
二人は、あの戦場以降、二度と会うことはなかったと言われている。




