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ベルガ湖畔、開戦

 アルベルトは自軍が南部国境を超えるより先に、斥候に命じて作成させたベルガ湖周辺の地図を馬上で広げていた。


 彼の隣に馬を寄せたのは、参謀長のオズワルドである。


「閣下、この河川の渡河点の奪い合いになろうかと予測しますが?」


 オズワルドの意見は、中央大陸の中央にそびえるアロセル山脈から西へと流れ出るベルガ河で、内海にいたるまでの途中にベルガ湖がある。よって、ゴート共和国の兵站を断つには、ベルガ湖から東に存在する湊を占領下に置く必要があった。


 アルベルトは、参謀長の意見に耳を傾けながら口を開く。


「それは当然、あちらも考える。河川を挟んで湊の取り合いは時間がかかり、膠着状態になりやすい。一気に渡河してしまおう」

「……ベルガ河の南に軍を展開すると?」

「そうだ。向こうとすれば、河川をまたぐ愚を犯したと思うだろう。しかし、こちらは南北一か所ずつ湊を守ればいいが、向こうは南側に進出した俺のせいで、河の南岸にある湊全てを守る必要に迫られる」

「……では、河川を渡った先の地形も探らせましょう」


 オズワルドが言い、離れて行った。


 アルベルトは、馬上で地図をくるくると丸めると、単眼鏡のように使って南をのぞく。


「さて、敵はいつ出て来るかな?」


 丸く切り取られたような南の空は、晴れ渡っていた。


 彼は、脳裏にベルガ湖から東の地形を描く。そして、自軍で使う湊以外をさっさと破壊して嫌がらせをしてやろうとも思いつき、笑みを浮かべた。


「戦の勝ちにこだわる必要はない。共和国の奴らが、ベルガ湖と河を使えないようにしてやればいい。その状況の膠着こそ、実は奴らの首を絞める」


 アルベルトは独り言を言い、丸めていた地図を目から離した。




 -・-・-・-・-




「え? ベルガ河の北側よりもさらに北上するのですか?」


 ベルガ湖東側の共和国軍集結地点で、イゴールはクローディアに驚きの表情を向けていた。


 イゴールだけでなく、各部隊の指揮官たちが集まる本営で、美女は金色の長髪を結い上げながら口を開く。


「兵站を守るに、河川そのものを敵から守る。北側で戦う」

「しかし、河川を守る戦いでは?」


 北部国境の守備隊を任されていた指揮官の一人が疑問を口にした時、クローディアは手鏡で自分の顔を確認中だった。彼女はそのまま、口紅を手に持ち答える。


「河川を守るのに、河川に張り付いてどうする? 河川の北側は、なだらかな平地だ。隠れるところが少ない。皇国軍がどのように動こうとも、機動性を重視した編成をした我が軍が速度で勝る……よし、化粧直し終わり」


 彼女は手鏡を作戦卓へと置くと、彼女手書きの地図を指で示しながら口を開く。


「敵の接近は斥候が確認している。規模は約二万。その軍勢の速度で考えると、三日後にはベルガ河の北側に進出してくるであろう。よって、明日一日は兵たちに休みをとらせる。急ぎ招集に応じてくれた各部隊指揮官に感謝申し上げる」


 クローディアが、集まる騎士たちの顔を一人ひとり眺めた。


 各人が、それで頬を引き締める。


 共和国内だけでなく、各大陸にも軍神クローディアの名は知られていた。その彼女の指揮下で戦うことに、彼らは誉れを感じていたのだ。


「休みの後、速やかに渡河をする。そして、一気に皇国との国境へと迫る。彼の国の領内で戦うのが望ましいが、そこまで贅沢は言わぬ。頼むぞ」


 笑みとなった彼女は、本営を出るとラームに声をかけた。


「ラーム、兵たちを労う。付き合え」

「は!」

「私めは?」


 呼ばれなかったイゴールの問いに、クローディアは笑った。


「爺は、渡河後の兵站を練って」

「……承知しました」


 本営を出たクローディアは、ラームを伴い馬上となる。そして、集まって来た各部隊を回った。彼女は自分の指揮下に入った部隊の兵たちと、こうして挨拶をして、会話を欠かさない。


 彼女と、その直属の騎士、騎兵たちにとっては当たり前のことだが、初めての指揮官、兵たちにとっては驚きであり、喜ばしいことであった。


「戦いではよろしく頼みます。わたしは懸命に戦うから、助けてほしい」

「わたしは決して負けない。だから信じて戦ってほしい」


 クローディアは全ての部隊を回って、兵たちに挨拶をした。




 -・-・-・-・-




「閣下、やられましたな?」


 オズワルドの言に、アルベルトは苦笑を浮かべた。


「ああ……くそ。予想外に早い」


 彼は馬を止め、かしこまる斥候に「ご苦労。行って良し」と声をかけ、伝令を呼ぶ。


「各部隊に通達。前方の尾根に布陣する」


 ギュレンシュタイン皇国軍二万二〇〇〇のうち、先行した軍勢約八〇〇〇は、アルベルトの命令によって整然と移動し、展開を始めた。丘陵地帯の尾根のひとつが、うごめく軍勢によって煌めきを発する。


 ベルガ河南約二キロメートル地点で、北上する共和国軍発見の報を受けたアルベルトは、予想よりも南進できないことに苛立つも、敵を認めることで感情を鎮める。


「しかしオズワルド、やけに早いな?」

「……ええ、こちらの動きを、かなり前から察知していたのでしょうな」

「とすれば、あえて渡河させておいて、こちらの兵站を狙う別動隊を派遣しているかもしれん。後方に備えを」

「二個連隊を遣わしていますが、一個増やします。あと閣下」

「ん?」

「斥候を派遣する範囲を広げましょう。また密度も」

「任せる」


 一礼し離れたオズワルド。


 アルベルトは、尾根の上で馬を折り、近侍たちが広げた作戦卓に地図を広げた。


 二枚の地図をつなぎあわせ、一枚の地図となっているそこには、ベルガ湖から東へとベルガ河を描き、南北に広く地形が記されていた。


 小高い丘には、高さの目安まで書かれる徹底ぶりだ。


 アルベルトはこれにより、ベルガ湖から東側一帯を平面ではなく、立体として記憶していた。


「この尾根に我が軍が布陣すれば、あちらはおそらく、あの山だろうな」


 アルベルトは、前方約一キロメートル先に見える小高い山を指さした。


 彼の周囲に、参謀たちが集まり始める。


 アルベルトは、彼らと会話をしながら斥候の馬蹄が接近してくる音を聞いた。


「報告! 共和国軍規模一万五〇〇〇ほど! 指揮官旗は黒縁に赤地、鷲と獅子! フォルネッティ家の者です!」


 参謀たちが、ざわつく。


 アルベルトは、敵の指揮官が噂に聞くフォルネッティ家の女性跡取りだと知り、笑みを浮かべて口を開く。


「おいおい、相手は軍神かよ」

「閣下、しかし相手は小娘。閣下の敵ではございますまい」


 ひとりの参謀の言に、アルベルトは笑みを苦笑に変えた。


「俺の敵は俺の慢心であろう。しかし、実際に彼女は強いと聞く。話半分としても、ヴァスラ帝国の黒獅子(リオール)公爵を散々に蹴散らした女子(おなご)だ。強いことに間違いなかろう」


 彼は言い、卓上の地図を睨んだ。


 通常の指揮官ならば、山の上に布陣する。しかし、彼女はどうだ? と自らに問いかけた彼は、この地点に皇国軍が布陣することが敵の狙いであったと仮定し、参謀たちに指示を出した。


「丘陵地帯と山々が連なる地形は見通しが悪い。お互い様だが、敵はこれを活かし、軽装中心の機動性に富んだ編成で、奇襲の連続を目論んでいるかもしれん。ここまで急いで来たが、これからは急ぐ必要はない。各隊に功を焦ることなく指示を待てと厳命せよ」


 参謀たちは一礼し、各隊へと伝令を走らせる。


 賑やかとなった本営の中で、アルベルトは沈黙のまま、地図を睨み続けた。




 -・-・-・-・-




「お嬢様、やられましたな」

「……爺、苛々するからやめて」

「申し訳ございません」


 クローディアは、ベルガ河を皇国軍が渡河したという報告を受けた時、どうしてそこまで二万の軍勢が速く動けたのかと驚いた。


 そして、実際に自分で彼らの様子を遠目に眺め、悔しさで足元の石を蹴飛ばしている。


「二万全軍をそろえて動かす必要はないということか……機動性に富んだ騎兵を先行させ渡河をした後、こちらの接近に気づいて布陣……後方の部隊群を待つか……忌々しい奴!」


 クローディアが苛立ちを吐き出した時、斥候が彼女へ近づく。


「報告! 前方の敵軍勢約八〇〇〇ほど! その後方に続く軍勢一万以上かと! 敵指揮官旗は金縁に黒地、三頭の狼! アルベルト・ザハ卿!」

「アルベルト卿!?」


 クローディアは大きな声を出し、周囲を驚かせた。


 注目を浴び、彼女は指揮官たちに言う。


「さっさと部隊配置を急いで」

「は!」


 作業に戻った彼らを背に、クローディアは北約一キロメートル先の尾根に布陣する皇国軍を見つめた。


 彼女の隣に、イゴールが並ぶ。


「会いたいのですな?」

「……だめ?」

「駄目です」


 クローディアは、宝石を前にねだる女性の目つきでイゴールを見た。


 彼女は、尊敬する用兵家が目の前に出て来ているとあって、会いたくてたまらないのだ。


「……お嬢様、会ったところで殺し合う間柄なのですぞ?」

「戦場で会ったなら、お話できないじゃない? まさか首を斬り落としてから、お話をするわけにはいかないし」

「……いけません」

「……子供の頃から、いくつもの戦記を読んで……いつか会いたいと思っていた相手がまさか敵だなんて……イゴール、この世に神なんていないわ」

「神様がいたら、勝たせてくれるってなら信じますがね……」

「……じゃ、わたしを信じて。気を取り直して、勝つ方法を考えるから」

「神様は信じてませんが、お嬢様は信じております」


 クローディアは美しい笑みをイゴールに見せると、作戦卓へと振り返る。


 そして、卓にすがりつくようにして地図を睨み、大きく頷いた。


「よし! 今なら一万五〇〇〇と八〇〇〇! 攻撃準備! 魔導士を各隊に配置! 攻勢に出る!」


 彼女の命令で、伝令たちが慌ただしく動き始めた。




 -・-・-・-・-




 皇国暦四五六年。

 ゴート暦二五六年。

 ともに、九月十九日の昼過ぎ。


 ベルガ湖東部、ベルガ河南部の丘陵地帯で、ゴート共和国軍はギュレンシュタイン皇国軍に襲い掛かった。


 クローディア・フォルネッティはあえて、歩兵部隊群を前に出し、丘陵地帯を素直に越える動きをとることで、尾根の谷間に隠して進ませた騎兵部隊群を隠した。


 自軍の動きと地形で、騎兵の動きを隠した彼女だったが、それを読んでいた皇国軍指揮官アルベルト・ザハは、オズワルドに命じて共和国軍歩兵へと弓矢で牽制しつつ、敵騎兵が接近してくるであろう経路に弩兵を伏した。


 これにより、共和国軍騎兵前衛は、皇国軍に迫ったと喜んだ直後、弩の三連射を浴びてばたばたと倒されたのだ。


「後退!」


 クローディアは惨状の報告を受けて、歩兵を下がらせるも、それを追撃して痛撃を浴びせようというアルベルトの軍行動を予感しており、後退する騎兵連隊を使って皇国軍歩兵部隊群に横撃を食らわせる。


 騎兵の突撃で、歩兵たちが薙ぎ倒された。


 血と鉄の匂いが、丘陵地帯を支配する。


 現時点でいえば、数で劣るアルベルトは追撃を中断。


 この後退運動を狙ったクローディアは、数で勝るうちにと攻撃部隊の入れ替えを行い、騎兵連隊群へ突撃命令を出し、後退してくる味方騎兵を助けながら敵へと食らいつく。


 しかしアルベルトの指揮は素早く正確で、皇国軍歩兵部隊群は矢と魔法の援護で整然と後退してみせた。


 彼はそのまま、敵が突っ込んで来ると予想し、三段の防御陣形の前に誘いだそうと企んだが、クローディアはその手には乗らない。


 彼女は騎兵に後退命令を出すと同時に、自ら率いた歩兵部隊群を前面に押し出す。


 部隊の後退で、前進する味方を敵から隠した彼女の手腕は、教科書にはないものだった。


 敵が後退したと思った矢先、目の前に新手が現れるのだ。


 これに驚いたのは、アルベルトではなく、皇国軍前衛の兵士たちだった。


 皇国軍前衛は、緊張を解いた直後に攻撃されて気持ちの切替が追い付かない。さらに共和国軍の先頭には、白銀の甲冑を煌めかせる悪魔のように強い騎士がいた。


 クローディアである。


 彼女は火炎弾(フレイム)を二発同時に放ち、皇国軍魔導士に防御魔法(ディフェンシォ)の発動を強いると、味方歩兵たちを敵陣へと突っ込ませ、自らもそうした。


 アルベルトは、本営でその光景を見た直後、床几を蹴倒して叫ぶ。


「馬鹿者! 増援を出せ!」

「後方からの合流が進んでおりません」

「俺の周囲にいるこいつらは何だ!? ここを守る暇があったら、前に出ろ!」


 アルベルトの命で、彼の護衛連隊が前線へと急ぐ。


 精鋭の助力を得て、皇国軍前衛は持ち直しクローディア率いる共和国部隊群を押し返した。


 膠着状態となる前に、クローディアが兵を退く。


「これ以上は消耗戦だ。意味がない」


 同時に、アルベルトは歯ぎしりをした。


「くそ……突っ込んできやがって……数が揃っていないうちに……被害を知らせ!」

「被害……死者二百を超え、負傷者は不明」

「出だしから……先が思いやられる」


 アルベルトは敗北感を覚えながらも、耐えたことでまずは成功と自らを慰める。


 一方のクローディアも、出迎えのイゴールに愚痴った。


「押し切れなかった……硬い」

「被害、死者八十、馬二十頭、怪我人は数えておりますが軽傷が多い模様です」

「……あれは苦労する。数が揃う前に崩したかった……」


 彼女は拳で作戦卓を叩くも、初戦は敵を大きく押すことができたと思うことで、自らを癒した。


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