二人の名将
皇国暦四五六年、初夏。
「アルベルト、忙しいところを呼び立ててごめんなさいね?」
「とんでもございません」
皇宮の内宮にある書斎で、同年代の男女が向かい合っている。
二人とも、五十代であろう。
女性は背が高く絹服をまとっていて、その傍らに、アルベルトと呼ばれた男は片膝をついてかしこまっていた。
背の高い女性は、溜め息をつき窓を見る。彼女の目には、手入れのいきとどいた庭が映った。
「穏やかな日に……こんなことを話したくないのだけれど……」
「私をお呼びになられた理由、承知しております。昨日、イシュクロン王国から使者がアメリア様をお訪ねになったと聞きました。援軍……でございますね?」
アメリアと呼ばれた女性は頷き、男性を誘うように歩く。
二人は書斎から、庭へ出た。すると、身を隠していた護衛の騎士たちが現れて、二人を守るように囲む。
庭を歩くアメリアは、やや後ろに続くアルベルトに話す。
「援軍……の依頼だったのだけれど、わたしはそれでは足りないと思うの。ゴート共和国がイシュクロンを侵略し続けることができる根っこを断たねば、結局は我が国まで疲弊してしまうのではないかと考えたわけ」
「私も、同意でございます。イシュクロンに軍を率いて入るより、ゴート共和国方面へと進出することで、イシュクロン侵攻の軍の後背を断ち、彼奴らが戦争を継続できなくしてやる必要があると考えます」
「よかった。逃げ上手のアルベルトと呼ばれる貴方と意見を同じにできたのは、わたしにとっては喜びよ」
「恐れ多いことでございます」
「こういう時に頼りになった娘のリミアは、斑鳩殿のとこに嫁いでいないし……シュトラウスは帝位を継いだばかり……残念ながら、今は私が判断するしかないの。だから、貴方に頼みたい。いいかしら?」
「もちろんでございます」
アルベルトは一礼し、その場で片膝をつく。
その彼を前に、アメリアは笑みを消すと真面目な表情となり、口を開いた。
「ギュレンシュタイン皇国の皇太后として、アルベルト・ザハに命じる。軍を率い、ゴート共和国に勝利せよ」
「謹んでお受けいたします。皇太后陛下」
アルベルトは、深く頭を垂れた。
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中央大陸の北に広大な領地を誇るギュレンシュタイン皇国と、南に対抗するほどの規模を保つゴート共和国は長年、その国境付近で幾度も戦いを繰り広げてきた。
その中でも有名な戦場のひとつに、ベルガ湖畔がある。
ギュレンシュタイン皇国の名将ザンニバル・レスカが、ゴート共和国の執政官ユリアン・カイサルに、この湖畔での戦闘で敗れたことで歴史に残ったのだ。
その後も、この湖畔の位置が両国にとって重要であるため、幾度も戦場となってきた。
それは、このベルガ湖から流れ出す河川が兵站上重要だからである。
アルベルトは、皇太后アメリアから呼び出しを受けた時、すでに援軍の指揮官を命じられるであろうと予感していた。そこで彼は、ベルガ湖畔への進出案をアメリアに伝えようと考えていた。
「しかし、だ。さすがアメリア様だ。すでにお考えであったわ」
アルベルトの感嘆に、彼の参謀たちをまとめる長となったオズワルド・ブローニンが笑みを返す。
「軍を率いたご経験はない方ですが、あれだけ政務と外交に長けておられます。全体が見えておられるゆえ、わかるのでしょうな」
二人は軍上層部だけが使うことを許されているサロンで、酒を片手にこれからのことを話し合っていた。
アルベルトはグラスを傾けながら、オズワルドに尋ねる。
「俺よりも、お前のほうがアメリア様とは付き合いが長い。たしか……」
「キングスレイ先帝陛下が、まだ皇太子であられた時からの付き合いですので」
「そうか……俺はその頃、ヴァスラ帝国の現地大使館の警備主任だった」
アルベルトは記憶をたどるように、話を続ける。
「帰国して、先帝陛下のお隣におられたアメリア様から、帝国のことをあれこれと聞かれて……珍しい御方だと思っていたが、それから側近に取り立てて頂き……先帝陛下も認めてくださり、各地を転戦した」
「その騎士が、今では皇国一の名将です」
「……いい加減、その話し方をやめたらどうだ? お前と俺は、同い年だし、士官学校も同期だ」
「いえ、皇国に六人しかいない将軍職の方を前に、タメ口は遠慮させて頂きますよ」
「……お互い、もう五十五だ。気を遣う仲ではないだろ?」
「軍では、序列が大事ですよ、閣下」
アルベルトは苦笑し、シングルモルトの香りに目を細める。
「戦に出れば、こうして酒を楽しむ余裕もなくなる。もう一杯、つきあえよ」
将軍の誘いに、参謀長は笑みで返した。
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ゴート暦二五六年、夏。
ゴート共和国首都ロマーナの中心にそびえる元老院府。
その一室で、貴族院議員で執政官のアルフレッド・マーキュリーは、一人の女性を招いていた。
まだ若いアルフレッドと比べても、さらに若いその女性は同性も羨む美貌と肢体ながら、身にまとうのは軍服だった。
「ディア、忙しいところすまないね」
「いえ……閣下にお声をかけて頂くのは光栄でございます」
「ま、掛けてくれ」
アルフレッドは応接用のソファに腰掛け、対面を彼女に勧める。
向かい合った時、執政官は脚を組みつつ口を開いた。
「皇国が、軍勢を動かそうとしていると報せが届いた」
彼はそこで言を止め、彼女の表情を見る。
ディアと呼ばれた女性――クローディア・フォルネッティは、ただ無言でうなずくのみ。
「ギュレンシュタインは、北の大和国とは同盟関係。となると、軍が向かうは我が国か、イシュクロンへの援軍か……どう読むか?」
「……イシュクロンからの援軍要請を容れたのでしょう」
「なるほど、ではイシュクロンに入るか」
「いえ、我が国でしょう」
アルフレッドは笑みを作り、美女に尋ねる。
「イシュクロンへの援軍要請を受け入れた結果、我が国に侵攻する? どういうことだ?」
「閣下、軍勢にとって大切なものがひとつございます」
「……俺を試すようなことをしないでくれ。ベッドの上なら、喜んで応じるが?」
アルフレッドの冗談に、クローディアは微笑むと応える。
「では、またの機会に……試したわけではございませんが、失礼をお詫びいたします」
「で、何かな? そのひとつは? 優秀な指揮官?」
「いえ、補給……兵站でございます」
「……なんだ、そんなことか」
クローディアは微笑みを保ったまま、自分こそ試されているなと感じて口を開く。
「いえ閣下、兵站なき軍など、歴史上のいかなる名将が率いようとも勝てませぬ」
「君でもか? 軍神クローディアと異名をとる君でも勝てない?」
「勝てませぬ」
彼女は断言し、艶のある唇を開いた。
「閣下、皇国の狙いは、イシュクロンへと入っている我が軍の兵站……規模が大きいものは二つございますが、そのひとつが、北方経路……ベルガ湖経由となります。過去より、この湖を中心とする一帯は、両国にとって何度も剣を交えた土地……それは、そうなる理由があるからでございます」
「動脈を断つか……」
「はい。彼の国の狙いは、ベルガ湖経由の兵站を断ち、またそれを利用することで軍を東へ進め、イシュクロンに入る我が軍の後背を突くことです」
「……わかった。では軍を率いてこれを守ってくれ」
「謹んでお受けいたしますが……閣下お一人がお決めになってもよろしいのですか?」
「他の執政官から、委任状をもらったのさ」
アルフレッドは立ち上がると、執務机へと歩く。そして、引き出しを開けて、彼女へと三枚の書類を見せた。
クローディアは腰を浮かし、彼から書類を受け取る。
委任状で、間違いなかった。
「では、とりかかります」
「頼むよ。無事に帰ってきてくれ。君に死なれると、共和国から美人が一人減る」
「鋭意、努力いたします」
クローディアは、一礼し表情を隠した。
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「お嬢様、お待ちください!」
イゴール・タッディは、先頭を駆けるクローディアへと馬を並べて叫んだ。
「お前たちが遅いのよ!」
「味方がついてこれませぬぞ!」
「戦場では、遅いものにあわせて考えるゆえ! 今は我儘を通させてもらう!」
「地形など、斥候に調べさせたらいいではありませんか!?」
「自分で確かめる!」
クローディアは言い捨て、愛馬の速度をさらに上げた。
フォルネッティ家に長く仕える執事で騎士のイゴールでさえ、彼女からみるみる離されてしまう。
クローディアは、ベルガ湖に軍を集める命令を発するや否や、ロマーナを発ち北国街道を北上していた。
みるみる小さくなっていくクローディアの背を見て、イゴールは追いつくことを諦めた。彼は、彼女が乗ればどの馬も信じられないくらいに速くなると愚痴り、隣に並んだ息子のラームに声をかける。
「俺はもうすぐお役御免だ。お前、振り回されるぞ」
「お嬢様の近くで武功を立てられるのは、光栄ですよ」
「はん……今は俺の苦労を知らんから言えるだけだ」
ロマーナを発った騎兵五〇〇の先頭で、親子は東の空を眺めた。
「イシュクロン侵攻軍は順調らしい。あちらのために、お嬢様が骨を折ることになるとはね」
「父上、執政官の方々は満場一致であったと聞きます。誇らしいではありませんか?」
「……マーキュリーの若造が、他から委任を集めておったらしい。あいつ、すっかり国主気取りだ。気に入らん」
「……父上が彼を嫌うのは、お嬢様を狙っているからでありましょう?」
「それもある。しかし共和制の我が国にあって、独断が過ぎるのだ、あいつは」
ラームは苦笑し、周囲を眺めて父に注意する。
「マーキュリー家は、子飼いの諜報……草と呼ばれる者達を囲っておるとか……気を付けてください」
「味方まで監視するのか? その草は」
「父上の発言のどこに、味方と思われる要素がありますか?」
イゴールは「うん?」と声を漏らし、すぐに笑みとなった。
「たしかにな……」
「しかし、お嬢様もお忙しい。東方大陸派遣軍、五ヵ国半島派遣軍と転戦、転戦です。そしてここにきて皇国相手……」
「因縁ある相手だが、次もお嬢様の勝ちだろうな」
「油断は禁物でしょう?」
「お嬢様に勝てる指揮官など、この世におらんよ。いるとすれば、それはお嬢様がもう一人いたらという仮定の話になるよ」
イゴールは言い、すっかりとクローディアが見えなくなったと気づいた。
「まったく……敵と遭遇したらとお考えにならないのだろうか」
「父上、お嬢様ならお一人で倒してしまいますよ」
「……傭兵の赤い悪魔と互角の腕前だったからな」
イゴールはだが、さすがにまずいなと感じて馬の速度をあげる。
それは彼女の身を案じてのことではなく、遅すぎると叱責を受けかねないという心配からであった。
「速度をあげる」
イゴールの決断で、北上するゴート共和国第三騎兵連隊五〇〇は、全員が速度をあげることになったのである。




