第七話① いつもどおりの、重い朝
第七話「三十五年分の夕暮れ」
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七日目の朝は、重かった。
律は目を開けたとき、自分がいつ眠ったのかわからなかった。天井の模様が暗闇の中に浮かんでいた記憶がある。ななせの手に触れた感触がある。それだけで、眠りと目覚めの間が埋まっていた。
時計を見ると七時過ぎだった。
味噌汁の香りがする。一がもう台所にいる。律がどんな夜を過ごしても、一の味噌汁は同じ時間に同じ香りで廊下を満たす。七日目にして、その香りが律の朝の基準線になっていた。
でも今朝は、その基準線が揺れている。揺れているのは香りではなく律のほうだった。
三十五年。
数字がまだ頭の中にいた。四百二十ヶ月。二十回のリセット。五十一歳分の記憶。昨夜ベッドに持ち込んだ数字は、一晩寝てもどこにも行かなかった。枕の横に置いた荷物みたいに、目を覚ましたらまだそこにあった。
着替えて台所に入ると、一が振り向いた。
「おはよー、律くん」
いつもの笑顔だった。律は「おはようございます」と返した。いつもの朝だった。でも律の目には、一の笑顔の奥にあるものが昨日とは違って見えた。
ななせの話を聞いた。ループのたびに、この家のことわりつきが暴走して連鎖して壊れる。そのとき一は——変わる。言葉が鋭くなる。みんなを傷つける。本人は気づかない。二十回。二十回ともそうだった。
目の前で味噌汁をよそっている一の背中は、穏やかだった。
「(この人が変わるんか。あのふわっとした笑顔の人が、みんなを傷つける言葉を吐く。しかも自分では気づかないまま。——二十回。二十回ともそうなったってことは、一さんの中に、そうなる種がずっとあるってことやろ。ことわりつきっていうのは、そういうもんなんやな。普段は穏やかでも、条件が揃えば——牙を剥く)」
千が来た。テーブルの端に座って味噌汁を飲み始める。昨日の縁側で「見えなくなる」と言った子と同じ子。今朝は何も言わない。「別に」すら言わない。
好が来た。コーヒーを入れる。律と目が合う。一瞬だけ外して、戻る。いつものリズム。
ななせは——また遅かった。八時を過ぎてからパジャマのまま現れた。
「おはよー」
ケロッとしていた。
昨日の夕暮れに見た顔は消えていた。抑揚のない声も、震えた手も、見開かれた目も。全部しまい込んで、今朝のななせはいつものななせだった。律の隣に座って、味噌汁に手を伸ばして、「あ、今日わかめだ」と言った。
「(……戻ってる。昨日の顔はもうない。三十五年間やってきたことを、今朝もやってる。ケロッとした顔を貼り直して、『おはよー』って言って、何もなかったみたいに朝を始めてる)」
律は味噌汁を飲みながら、隣のななせを見た。ななせは前を向いていた。アホ毛がぴょこんと跳ねている。いつもどおりだった。
でも——律は知っている。あの顔を。昨日の、何もつけていない顔を。二十回のループの中で初めて見せた顔を。あの顔はもう消えている。でも律の記憶には残っている。
「(俺だけが覚えてる。ななせの、あの顔を。——ああ、これか。ななせが三十五年間やってきたことの、ほんのちょっとだけの裏返しが、これか。俺がななせの素顔を覚えてるっていうこの感覚が。ななせはこれを——ずっとやってきたんや)」
五人の朝食が進んだ。いつもの朝だった。




