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ぴすとる・おぺら

 ビールを積み忘れたと気づいたときにはもう遅かった。場所は荒野グリッツのど真ん中。俺たちはひとくさり互いをののしったあと、街で買った地図が出鱈目だと知った。もう言い争う気も失せた。幸いなるかな、その日はちょうど俺の誕生日だった。だってのに、バースデーソングの代わりに響いたのは、

「北北西! 二!」

 後部座席のバルサが跳ね起きた。いつもどおり反応は一番早い。

 バックミラーで北北西を伺う。巨体を隠すには絶好の低い丘の向こうから、オリーブ色の車両が砂煙を蹴立てて現れた。双子のような二台は、みるみるこちらとの距離を詰めてくる。捕食者の動き。

 芥衆アクターズだ。

 荒野を這いまわるトコジラミども。物も人も命も、片っ端から奪っちまう。三人組の旅人なんか、格好の獲物だ。

「待ち伏せられた?」

「違うな。数が少なすぎるし、俺たちにわざわざ狙うほどの価値はねえ。オヤツがわりってとこだろ」

 ハンドルを握ったキャスパーが、眼鏡の奥から視線をよこす。緑色のグラス越しの眼はどこか愉快そうだ。

「振り切れるか?」

「無茶言うな。こっちは博物館級のピックアップトラック、あちらさんは軍からかっぱらった四駆だぞ」

「つまり?」

「こうするしかないってこった」

 言うなり、キャスパーは思い切りアクセルを踏み込んだ。振り切れないんじゃないのか、とたずねる前に急激なスピンが車体を襲う。そして再びの急加速。つまり、このかわいい空色のピックアップトラックは、まっすぐに、一目散に、

「突っ込む気か⁉」

「ドライブ好きだろ?」

「お前ほどじゃない!」

 たららららん。たららららん。サブマシンガンの陽気な歌声は調子っぱずれ。芥衆の武器は例によって安物だ。ボンネットを削って8ビートが跳ねる。いたずらな一発が俺のもみあげを撫でてシートに突き刺さる。俺は二人を愛しているが、奴らがどう思っていようと断然愛しているが、心中はごめんこうむりたい。

 キャスパーが上機嫌で叫ぶ。

「行け、バルサ!」

「当たり前だ」

 二台のオリーブ色の間を無謀にも突っ切る空色の車体。あと三センチずれていれば本物の空に黒い煙を噴き上げる羽目になっていただろう。だが俺のドライバーは汗一つかいていなかったし、同じく俺のコマンドーは笑みさえ浮かべていたかもしれない。

 荷台で仁王立ちしていたバルサはすれ違いざま一方の車両に飛び移るという離れ業をやってのけた。肩にお気に入りの獲物をかついで。今回は大きなスコップだった。トコジラミは落下傘部隊の着陸を許してしまった。この時点で作戦名『こうするしかない』の半分は完了したということだ。

 再度の急スピン。フロントドアに叩きつけられる体。口から漏れる間抜けなうめき。そして三たびの加速。

「まかせた、メル」

 まかせた? 俺はなにをまかされた?

 たずねる前に理解した。ハンドル上にあるべきものが消えていた。過剰なアクセサリーで着飾った両腕は、その持ち主とともに窓の外にある。解放され大喜びで遊ぶハンドル。つられて車体もダンスする。

 俺は慌ててハンドルにしがみつく。助手席から。背中が悲鳴をあげる。無理な姿勢だ。

「メル、アクセルだ! 死ぬほどだぞ!」

 悪魔めいて愉快そうな声は、頭上から。ルーフ越しだ。

「なんだって!?」

「いくら俺の脚でも、ドアにケツ乗っけてちゃ届かない!」

 へえ、意外だな。バッタみたいに長いのに? 軽口を叩こうとしてやめた。せり上がった胃もハンドルと同じくらい暴れている。

 俺は渾身の力でアクセルを踏んだ。車体の底が抜けるのじゃないかと思うほど。おんぼろピックアップは健気にも全力で付き合ってくれた。蛇行運転の一台目とすれ違う。いくつもの悲鳴が大きくなり、再び遠ざかる。視界の端をオリーブ色の荷台を舞台に踊るバルサがかすめた。彼女のダンスのお相手の首は270度回転していた。真っ赤な血がベールみたいにスコップの先端から弧を描いていた。残り一台、キャスパーの目標車両までは間もなくだ。すでに目と口を真ん丸にした芥衆の間抜け面が視認できる距離。俺はまばたきもできない。脳に直接、強烈な酒を流し込まれたみたいだ。

「イキそう」

 そして銃声が響いた。




 襲撃者は全部で七人、死体は四つ。今朝どちらの車両に乗り込んだか、という些細な点が生死を分けた。運命なんてそんなものだ。タイヤを撃ち抜かれるだけで済んだほうは幸運だった。荒野を徒歩で越えなければならないにしても。

 末期の力を出し切ったピックアップトラックは天に召され、俺たちは今や俺たちのものになったオリーブ色の四駆に荷物を移動させている。

「ああ、くたびれた。限界だ」

 老人じみた口調でキャスパーがこぼした。長い体を持て余すようにシートに寝そべった奴の手には、芥衆の荷から掘り出したスリムな酒瓶が収まっている。

 器用にも口にでかいハムを咥えたまま、バルサが言った。

「サボるな。動け。働け」

「俺が非力なの知ってるだろ。まかせた。お願い。この通り」

 キャスパーは寝ころんだまま組んだ足をひらひらと振って見せる。こんなだらしない格好でも様になるんだから優男ってやつは困る。けれど現在の交渉相手は、奴の魅力に惑わされない数少ない女だ。色気より塩気。とはいえ、そんなこと奴だってよく心得ている。

「じゃあこうしよう。あっちに転がってるもう一台に積んであるなんやかやは、お前が好きなもん取っちまっていい。サラミ、ソーセージ、砂糖のカタマリ。全部お前のもんだ」

 しばし考え込んだのち、バルサは納得したらしい。無言できびすを返した。

 キャスパーが酒瓶を投げてよこした。琥珀色の酒は喉を焼いた。俺は空を仰ぐ。視界いっぱいに強烈な青が広がった。乾いた風、血の匂い、静けさの底。

「ノートを買おう。ペンも」

 キャスパーが言った。

「ぶっ放したそうな顔してる」

 笑おうとしたとき、遠くで横転した車両の影からバルサの呼ぶ声がした。

 バルサは地面に転がった男を踏んづけて立っていた。ブーツにじゅわりと血が滲んでいた。やつこさんのどてっ腹に大穴が空いてるせいだ。悲痛なくぐもったうめき声。バルサに拷問趣味はない。腹に踵をめり込ませてるのは、単にそこが踏みやすかったからだろう。

「見た顔だ」

 バルサが期待を込めた視線をよこす。

 俺は少しの間潜る。

 俺の頭の中にはたくさんのランプが吊るされた穴蔵あなぐらがある。天井はドーム型で、葡萄の絞りカスの匂いが漂っている。柔らかい土に覆われた地面には鉄のタガがはまった空き樽がひとつ転がっている。忘れてはいけないことは煉瓦の壁にチョークで書く。大切なのはどこになにを書いたか覚えておくこと。書く場所を選ぶこと。定期的に消すこと。特に最後のは肝心だ。

 そいつの顔は東側の壁、地面から一メートルくらいの位置に描かれている。一番、目につきやすく、光のあたり具合も申し分ない位置。俺に絵心はない。白い線で描かれた顔はまるで三歳児の落書きだ。まあ問題ない。俺は落書きを眺める。

 こめかみから首に広がるチェーン柄のタトゥー。千切れた右の耳たぶ。昆虫じみて細いあごが特徴的だ。髪型と体型が少々変わっているのは最後の目撃が半年も前だからだろう。俺は落書きに添えられた文字と数字に目をやる。チャッキー・〝フェリクス〟・チャンクス。三十二歳。賞金額は七八〇〇ドラーロ。生死問わず。ただし生け捕りの場合はボーナスがつく。

 俺は顔をあげる。

「晩飯は豪勢なもん食おう。三段アイスもつけて」

「ストロベリー!」

「チョコミント!」

 青い空と赤い荒野にハイタッチの音が響いた。

 最良の時と最悪の時、この二人は妙に仲がいい。


(了)

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