スワン・ピーク<2>
スワン・ピークに白鳥はいない。山もない。あそこの主役は沼と柳とボウフラども。三日もいたらピエロでも鬱を患う素敵な土地柄。
仕事の種類は〝奪還〟。
対象はカトリ・アレジャーノ。七歳。女。
依頼人は彼女の生物学的な父親だ。アレジャーノの末弟。〝あの〟アレジャーノ家だ。政治屋じゃなけりゃギャングの大物にでもなるしかなかった血筋。奴の親父や爺さんやそのまた爺さんたちの肖像画は、今もどっかの暖炉の上で大勢の人間の頭を見下ろしてるんだろう。生前、ずっとそうだったみたいに。報酬がいいのもうなずける。
「愛人に生ませた子だ」
俺は穴蔵から這い出した。タックスの黄色いフォルダの中身は、西側の壁に書き写してある。この世に仲介屋はタックスひとりじゃない。カトリ・アレジャーノをお買い上げしてくださいそうなアテはいくつもある。(これくらいの意趣返しは許されるはずだ。DOAだと? 笑える)
「母親に連れられて姿を消した。残ったのはありきたりな置手紙。どうか私たちのことは忘れて、だってさ」
「それを連れ戻せってか? ありがちな話だ」
キャスパーは焚き火の燃えさしから煙草の先に熱を移し、深々と吸った。
「暴力亭主から逃げ出す母と子。取り戻そうとやっきになるクソ野郎。金と権力がくっついてるのがタチが悪い。趣味じゃねえな。分が悪い賭けでも、俺のコインはレディたちのほうに投げたいね」
バルサの答えはもっと端的だった。
「ガキ絡みの依頼は面倒だ」
キャスパーの吐いた紫煙が夜空に流水の模様を描いた。バルサは木の枝に刺せる限りのマシュマロを刺している。
「ありがちな話じゃないかも」
俺は煙草の煙を片手で追い払いながら言った。
母親は娘を真夜中に特別病棟から連れ出した。カトリ・アレジャーノは難しい病気だった。先天性の心臓疾患。その治療には――ただの対処療法に過ぎないとしても、毎月、目玉が飛び出るような額が消えていく。当然、アレジャーノの財布からだ。両親も頼りになる親戚もいない、中学も満足に出ていない女ひとりに払える額じゃない。
その母親はといえば、問題を抱えてた。無理もない。十歳まで生きられないって医者に太鼓判を押された娘に七年間つきっきりだったんだ。彼女が救いを求めた先はヘロインとアンフェタミン。始めてからたった半年で売人連中から〝最良顧客〟の称号を捧げられた。
「置き手紙が残されてたのは枕元のユニコーンの角の間だ」
「ユニコーン?」
「ぬいぐるみだ。贈ったのは父親。カトリはユニコーンが踊るアニメに夢中だった」
タックスの下調べは詳細だった。奴は腕のいい仲介屋だ。きっと長生きできるだろう、妙に血迷ったりしなけりゃ。
「アレジャーノは、娘が一番好きなキャラをちゃんと知ってた」
紫煙が歪んだ。
溶け落ちたマシュマロがじゅっと小さな音をたてた。キャスパーは腕を預けていた岩に火を押しつけて煙草を消した。俺は話を続けた。
母親――サーシャ・ルインスキが娘を抱いて逃げ込んだのがスワン・ピークだ。あの土地に希望と呼べるようなものはない。いいや、ひとつだけ。それに近しいものが聖域教会だ。十字架は飾られていないが、その奇抜さにはマグダラのマリアも裸足で逃げ出す。教会の敷地に立ち入れるのは、救いを求める「親」と「子」だけ。それ以外は猫の子一匹通さない。何十年も昔、どっかの金持ちが興したらしい。サーシャとカトリはそこに転がり込んだそうだ。
「事情は分かった。質疑応答の時間?」
どうぞ、と俺はキャスパーにうながす。
「奴には妻と愛人たちに生ませた子が合わせてサッカー2チーム分はいる。なんだって病気のガキとヤク中の女なんぞ取り戻したいんだか」
吐き捨てるような呟きは露悪の塊。こいつの癖だ。答えは分かっているのに、認めたくないときの。もう一人のほうにキャスパーのような複雑さはない。
「そりゃお前」
バルサは犬歯をむき出してマシュマロにかぶりついた。
「愛とかいう奴だろ」
興味なさげに言った。口いっぱいの甘味に夢中で、これ以上、話に付き合う気はなさそうだ。
「愛か」
キャスパーは頭をかいた。
「愛じゃ、まあ、しょうがない」
「ああ、しょうがないよな」
「報酬もいいし」
「そうだな」
俺は立ち上がって二人に言う。
「決まりだ。今度の仕事はカトリ・アレジャーノの奪還。目的地はスワン・ピーク。プランは?」
「そりゃもう。楽しいのが」
キャスパーが即座に答えた。口の端が吊り上がっていた。この時、少しだけ嫌な予感がした。思えば、俺はもっと自分の直感を信じるべきだったんだ。
奴は立ち上がって、木の枝ごとマシュマロを咀嚼していたバルサに声をかけた。
「さて、配役を決めよう。じゃんけんだ」
そして俺はチョキを出した。
これが二日前の話だ。




