294 引越し6〜聖なる指輪〜
[前回までのあらすじ]引っ越し先を探して高級不動産屋を訪れたオルフェルたちは、国境近くに建つ巨大な要塞屋敷を紹介される。その物件には、三国の歴史と聖遺具をめぐる、ただならぬ事情が関わっていた。ギルド職員アルデオンの説明により、聖剣、聖なる鏡、聖なる指輪の存在を知った一行はその圧倒的な力に希望を感じて……?
場所:リヴィーバリー
語り:オルフェル・セルティンガー
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「ちょっと待て……!? この聖なる指輪ってやつ、魔物化した人間を元に戻せるって書いてあるぜ!?」
思わずでかい声を出すと、みなが一斉に顔をあげた。
今回は情報通のシンソニーも、すっかり目を丸くしている。
そこに書かれていたのは、不安定な魔力を正常な状態へ戻し、変質した肉体さえも元どおりにできる、奇跡の指輪についての説明だった。
その力は、狂気に呑まれた心を鎮め、失われた理性を呼び戻し、どんな強力な呪いでも根本から消し去ってしまうという。
「わぁ、すごい! これって、エリミネイトが発動するってことかな?」
「いや、それだけじゃないみたいもらよ」
「あぁ、似てるけどこれは別物だぜ!」
資料に目を走らせていると、俺のなかに鮮烈なイメージが浮かび上がった。
―― ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ ――
大地が割れるような音が轟き、金の光が吹き出してくる。
キラキラと眩しく輝くそれは柱のようにまっすぐで、だれかの祈りのようにも見えた。
狂気に蝕まれた俺たちは、その光に巻き上げられていく。
――ここは空か? それとも大地か?
上か下かもわからないまま、
落ちて、
昇って、
曲がって、
くねって。
俺たちは人間の姿を取り戻しながら、白く眩しい光のなかを、楽しげな笑い声をあげて飛び交っていた。
そのときだ。
時空から巨大な器が現れて、落ちていく俺たちを受け止めるのだ。
それはだれかが差し伸べた、優しい手のひらだったのかもしれない。
やがて喜びの声が重なり合い、祝福の響きが満ちあふれて……。
「これってどういうことなのかな?」
「ちょっと説明できねーかも」
「魔法を超える奇跡もらね」
「完全に人智を超えているよ」
先輩たちも資料を見つめたまま、感心しきった様子で頷いている。
エリミネイトだって、特別な人しか使えない本当に難しい魔法だ。
歴史上でも使えた人は数えるほどしかいないだろう。
それなのに、この聖なる指輪は、そのエリミネイトにすら届かない領域へ軽々と手を伸ばしている。
なぜなら、エリミネイトはあくまで『浄化と修復の複合魔法』だからだ。
魔物化した人間を元に戻せても、他者にかけられた深い呪いを、完全に解くようなことはできない。
「エリミネイトよりもすごい魔法を、魔道具で実現できるなんて」
「もしかして、僕たちもこれで、人間に戻れたりするのかな?」
「わかんねーけど、できるなら試してみてーよな」
「聖なる指輪かぁ……。いったいどこにあるんだろうね」
ワクワクしている様子のシンソニー。シェインさんは少し遠い目になっている。
俺だって、こんなものが簡単に手に入るなんて思わない。
それでも俺の胸の奥には、大きな希望が膨らんだ。
三百年前。
あのドス黒いモヤのなか、俺たちは魔物化の恐怖と向き合いながら、いつだって必死に戦っていた。
思い出しただけで胃が重い。
だけどいま、この世界には聖遺具がある。
シャーレンが授けた『聖剣』、『聖なる鏡』、そして『聖なる指輪』。
人々の祈りを形にしたような三つの宝。
それらがあったからこそ、三百年前の人々は暗黒の時代を乗り越えられたのかもしれない。
「こんなすごいものを、シャーレンが……」
「やはり光の大精霊は、人々の祈りに応える女神だね」
「姿を消したと思ってたけど、戻ってきてくれたんだ……」
シンソニーは資料を握りしめたまま、かすかに手を震わせている。
王都オルンデニアが封印され、人々が三つの勢力に分かれて、争っていたあの時代。
絶望が当たり前のように広がるなか、オトラー義勇軍では『シャーレン捜索部隊』が組織され、シンソニーやエニーもその一員として加わっていた。
だけど結局、彼らはシャーレンを見つけることができたのか……。その記憶は、シンソニー自身のなかにも、まだ戻っていないようだ。
気づけば盛り上がる俺たちの様子を、アルデオンさんがぽかんと口を開けたまま見つめていた。
「あ、騒がしくして、すみません」
俺が慌てて頭を下げると、彼はゆっくりと首を横に振った。
「いえ……。ただ、あなた方は本当に、あの暗黒期に生きてこられたのだと、あらためて実感していたのです。私たちはその時代を、断片的な記録でしか知ることができません。
この資料をまとめる際も、魔王討伐以前の出来事は、ほとんど調べられませんでした。ですがあなた方は、実際にその時代を生き、駆け抜けてこられた。
私は資料を編さんしながら、ずっと考えていたのです。あの時代に何が起きたのかを、もっと正しく、きちんと後世に伝えたいと。
どれほど資料を集めても、わからないことはまだまだあります。だからこそ、あなた方の記憶は、私にとってなによりの贈り物なのです」
「そうでしたか。我々の記憶がだれかの助けになるのであれば、それほど嬉しいことはありません。しかし、我々も記憶が曖昧で、わからないことが多いのですが……」
「ええ、それで十分です。こうして直接お話をうかがえるだけで、私は心の底から感動しております」
アルデオンさんは俺たちの顔を一人ずつ見回している。一見冷静そうに見えるけれど、どこか鼻息が荒いようだ。
資料を抱える手も震えているし、頬もうっすら赤くなっている。もしかするとこの人は、相当な歴史好きなのかもしれない。
「それでは、次の資料をお配りします」
アルデオンさんは鼻息混じりにそう言うと、また鞄から分厚い紙の束を取り出した。
――わぁー。またすげー分厚いのが出てきたぜ……。
重たい資料を受け取ってみると、そこには『聖遺具三国協定の重要性』と、真面目くさった文字が書かれていた。タイトルだけで頭が痛くなる。
おそるおそるページをめくると、びっしりと詰まった文字に目がくらんだ。
また義勇軍の会議を思い出して、俺は思わずページを閉じた。
聖遺具の話は面白かったけど、こういう堅苦しい話は苦手なのだ。
「うっ……。なんだこれ」
「もう、オルフェル……?」
思わず小声で愚痴を漏らすと、ミラナが俺を見上げてきた。
『がんばって』と彼女の唇が動く。
なんという可愛い口パクだろうか。
横髪を耳にかける仕草もやたらに可愛い。
彼女の髪から漂う香りが、俺の心をくすぐっていた。
――あー。早く広い家買って、ミラナといちゃいちゃしてーよな。恋人になってから、全然二人きりになれてねーし。
――もう、要塞でもなんでもいいから、さっさと買って引っ越そうぜ!
――まぁ、金ならなんとでもなるだろっ。お宝だってまだまだあるしな。
だんだんソワソワしてくる俺。
三国協定とやらは気になるけど、ざっくり聞ければそれでいい。この資料は細かすぎだ。
そもそも俺たちは、家を探しに来ただけのはず。
なんで聖遺具の話になったのかも、いまとなっては思い出せない。
完全に集中が切れた俺は、ミラナの指先をつついてみた。
『や・め・て』と彼女の唇が動く。
――俺の恋人、可愛い〜な♪
しつこくツンツン突いていると、ミラナにギロっと睨まれてしまった。
――くう。やっぱミラナ、真面目だよな。
――でっかい家に引っ越したら、俺がその真顔を崩してやるぜっ。
俺は仕方なく、また資料に視線を戻した。
「それで、聖遺具に関する三国協定とは……?」
興味深そうに資料を眺めていたシェインさんが問いかけると、アルデオンさんはさっそく説明を開始した。
「聖遺具の力により、大陸を覆う闇のモヤが、いくらか落ち着いたころのことです。
ベルガノン王国、クラスタル王国、オトラー帝国の三国は協議を重ね、それぞれが聖遺具をひとつずつ管理することを決定しました。
ベルガノンには聖剣、クラスタルには聖なる鏡、そして帝国には聖なる指輪です。
この取り決めが、二百四十年ほど前に結ばれた『聖遺具三国協定』です」
「ほほう……!」
シェインさんが腕を組み直し、感心しきったように頷いている。
――へー、ってことは、指輪はオトラーにあるってことか……!
俺は興味を取り戻し、資料の文字を追いかけはじめた。




