第1話・初日の宿の夜~お風呂で語る歴史~
第1章 西へと向かう極寒の
第1話・初日の宿の夜~お風呂で語る歴史~
インスが持参していた泡立ちの良い、いい香りの石鹸で頭のてっぺんから足の先まで丁寧に、優しく洗ってもらい、一緒に湯船に浸かって。
事前に神官呪師学校の図書殿で勉強したバルバ島の歴史について質問したアインは、全然全く知らない話に首を傾げる。
「……その、大公さまのお嬢さまは、女神さまの巫女さま、だったんですよね?」
「そうですね。しかも大公ご一家は、ただの顔合わせのためにペルモリ王国を訪れた段階で、正式に婚約が結ばれていたわけでもなければ、リーサン王太子はティアナ大公令嬢の数多くいた婚約者『候補』のお一人でしかありませんでした」
「……ぇ……?」
結婚や婚約というのは、重要な契約だ。
特に、王侯貴族の婚約は様々な政略も絡むため、慎重に条件を詰め、神殿にて正式に契約魔法によって結ばれる。
もちろん、婚姻でもまた改めて条件を詰めて契約魔法で結ばれることになる。
つまり、今から約二万年前。
当時のバルバ島周辺を統治していた大公の娘である女神の巫女に対し、今は亡き隣国・ペルモリ王国の王太子であったリーサン王子は、成立してもいない婚約の破棄を大勢の前で突き付けた、ということ。
「……その席に、見届け人としてエスパルダともペルモリとも違う国に属する聖女がいて、理路整然と問い詰める大公に対して、大公の怒りは当然のことだ、と同調した結果、ペルモリ王国には天変地異が相次ぎました……」
なぜか、ちょっと遠い目をして続けたインスの説明にアインはますます目を丸くする。
「……聖女は、その感情によって、様々な恩恵をもたらす、と言われていますが、当然、その感情によって、様々な異変も起こすのですよ……更に、大公令嬢はもとより、その母君である大公夫人。何より、大公ご自身やエスパルダ聖皇国全体を侮辱したも同然でしたからね……謝罪して済む、という状況ではなくて……」
その場には、エスパルダから同行してきた人員やペルモリ王国側の重臣。
更には聖女が座す国の使者らも同席していた。
もはや、その場でだけでの行き違い、とはできない状況。
当然、ペルモリ王国側の良識のある者たちは顔面蒼白。
なのに、そこには事態を理解していない愚か者が王太子と公爵令嬢以外にも居た。
公爵令嬢の実の母である公爵の正第一夫人や、正第二夫人らである。
更に、公爵令息らの妻である令嬢たちも同席しており、そういった女性陣が追随するように大公夫人や大公令嬢を侮辱した。
いくら周囲の男性陣が止めても、良識ある女性たちが止めても、まるで自分たちが正しいと言わんばかりに囀る愚か者たちのせいで国交はその場で断絶。
更には聖女も大公側、エスパルダ側に付いた。
当然である。
愚か者を王太子に据え、更に公爵らも愚かな女を妻にし、大事な席に侍らせた。
明らかに、為政者として失敗。
すぐに情報は近隣諸国にも知れ渡り、聖女の癇癪なのか、女神の怒りなのか、ペルモリ王国は未曽有の混乱に陥った。
そこですぐさまやらかした者たちを切り捨てていればよかったのに、正式な処罰までに数日置いてしまったせいか、王太子らは愚かにも大公領へ出兵しようとした。
流石に、それを許しては全面戦争になる、と即座に処刑を断行したものの。
どういう訳か市井には悪辣な大公夫人が、自分の娘を女神の巫女と偽ってペルモリ王国の王家に嫁がせようとし、これまで大公夫人らからの不当な扱いに耐えていた公爵令嬢らの苦境を知った王太子が断固として正義の鉄槌を振るった。
などという噂がまことしやかに広まっていた。
もっと言えば、大公令嬢は大公の実の娘ではなく、庶子であった大公夫人がどこの者とも知れない男とまぐわって孕んだ下賤の娘で、大公家を乗っ取るつもりだ、などという話まで出ていた。
ありえない。
何しろ、エスパルダはペルモリ以上にしっかりと婚姻契約を結ぶ。
その中には、男女ともに不要な不貞行為を許さない条項は必須であり、破れば即座に判明する。
だから、間違いなく大公令嬢は大公と大公夫人の娘。
「……そういった、様々に悪意ある噂や、暴動がペルモリで広がった結果、完全に怒りで我を忘れてしまわれた大公は、今のバルバ島付近で魔族を召喚してしまいました」
「えっ!?」
思いもかけない話がさらに投下されて、驚いたアインが動いた結果、お湯が跳ねる。
「わぷ……っ!?」
「っ!? 大丈夫ですか?」
お湯がかかって慌てるアインの顔を、柔らかなタオルで軽く押さえて水分を拭き取りながら、インスが問いかければ、アインはこくんと頷いてインスを見上げた。
「……本当に、大公さまが、魔族のヒトを……?」
「……ええ……。聖女の怒り。魔族と手を組んでまで愛する妻子の名誉や尊厳を守ろうとした大公の怒り……その結果、西方は大いに荒れ、最終的にペルモリ王国は滅亡……今は一応、ヘブロン王国に組み込まれてはいますが、エスパルダの西方域より荒れ果てた地になっているそうです……」
そっと、湯冷めしないよう、アインの肩にタオルをかけて、ちょっと困ったように微笑んでインスが答えれば、アインはますます驚く。
「……全然、書いてなかったです……」
「……そうですね……歴史書には、記されていないでしょう……」
「……え……?」
自分が読んだ本のどこにも書かれていなかった話に驚くアインが呟けば、インスは当然とばかりに頷き、戸惑ったアインが首を傾げるのをふわりと微笑んで見つめた。
「……歴史書というのは、基本的にはそれを編纂する第三者が、記録や伝聞などを元に書くものです……」
当然、そこには編纂する者の視点がどうしても入ってしまい、更に言えば、記録はそれを記録した者の視点と意思が、伝聞は聞いた者が、自分が受け止めた形にして他の者に伝える。
どこからどこまでが真実で、どこが付け加えられたものなのか。
もしかしたら、真実など欠片も含まれていないのかどうかすら、判断するのは難しい。
「……ぁ……!」
説明されて、アインはハッと息を飲む。
その通りだ。
その、婚約破棄を告げた、という王太子の考えや行動の意味も、妻子を侮辱され、魔族と手を組んだという大公の意思も、今では誰も、確かめようがない。
「あれ? でも……魔族のヒトと手を組んで、戦争をしようとしたのは、その王子さまの方じゃないんですか?」
確か、自分が読んだ本ではそうなっていた。
困惑するアインにふわりと微笑みかけて、インスはアインを抱いて湯船から出る。
「……確かに、エスパルダの歴史書や、そこから派生した書物では、そうなっていますね……」
ゆっくりとアインを床に降ろし、手早くバスローブを纏わせた。
第1話をお読みいただきありがとうございます。
旅の初日の夜。
疲れを癒やすお風呂の中で語られるのは、目的地であるバルバ島の奇妙な歴史。
その裏に隠された複雑な婚姻契約と、歴史に名を残した者たちの知られざる思いと、記録された行い……。
冷え切った身体を温めながら、お互いを思いやるインスとアインのほっこりとしたひと時です。
歴史書には記されていない真実と、なぜかそれを知るインスの謎……。
物事の裏側にまで思考を巡らせることを伝えるインスの、指導者としての冷徹さが見え隠れしていますね(笑)。
お風呂から上がった二人が語り合う、歴史の裏の続きは……?
次回もお楽しみに!
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ノリト&ミコト




