窓辺の帳面と冷めた麦茶
窓辺の帳面と冷めた麦茶
胃のあたりがきゅっと縮むような重苦しさが抜けず、ジムは襟首の伸びきった色褪せたチェック柄のネルシャツの袖を何度も指先で引っ張り上げた。西日が差し込む四畳半の板の間には、朝に干した生乾きの靴下の青臭い匂いと、卓袱台の隅に置き忘れたまま表面に薄い膜が張った冷たい麦茶が残されている。世界の巨大な流通を数字で動かす男の話が書かれた夕刊の片隅を眺めながら、自分自身の生活の小ささと手元の現金の少なさに息が詰まりそうになり、膝の上で握りしめた拳にじわりと脂汗がにじむのを感じた。
「おい、いつまでその古い新聞の数字を睨んでるんだよ」
不意に背中を丸めていた姿勢を正そうとすると、長年履き古して膝の抜けた灰色のスウェットの裾が畳を擦ってかさりと乾いた音を立てた。台所の換気扇からは、隣の部屋で焼いている塩鮭の焦げた脂の匂いと、夕暮れの湿った風が混ざり合って流れ込んできて、喉の奥を妙にくすぐる。帳面の端っこに赤鉛筆で書きなぐられた今月の光熱費の計算を指先でなぞりながら、こんな細々とした出費の心配ばかりしている自分がひどく情けなく思えてきて、彼は乾いた唇を舌で湿らせた。
「別にいいだろ。巨大企業の株の配当金が何兆円だとかいう記事を見て、頭の体操をしてただけだ」
奥の台所から聞こえるまな板を叩くトントンという包丁の音に苛立ちを覚えつつも、ジムは鼻の頭を指の背でこするいつもの癖を繰り返した。流し台の横には、昨日買ってきた見切り品のキャベツの外葉が茶色く縮れて転がっており、水切り籠の底には茶渋のこびりついたマグカップが二つ重なっている。あんな遠い国の途方もない大富豪の暮らしと、今夜の夕飯の安いソーセージを秤にかけることの無意味さが頭をよぎり、彼はため息の代わりにシャツの胸元を小さく掻いた。
「頭の体操ねえ。それより早くその散らかった領収書の山を片付けてくれないと、お皿が置けないんだけど」
小言を言われて胸の奥がちくちくと痛んだが、ジムは床に脱ぎ捨てられていた片方だけの軍手を足の先でそっと壁際へ押しやった。壁の柱には去年のカレンダーの裏紙がピンで留められており、そこには忘れてはいけない買い出しの品目が殴り書きのまま残っていて、生活の雑然とした跡が部屋の空気をいっそう淀ませている。いくら新聞の数字を眺めてみても今夜の食卓が豪華になるわけではないと頭では分かっているのに、どうしても紙面から目を逸らすことができず、彼は手近にあった冷めた麦茶のコップを両手で包み込むように持ち上げた。
「分かってるよ。今すぐ片付けるから、そんなに急かすなよ」
コップに残ったぬるい液体を一気に飲み干すと、喉の奥にわずかな苦味と埃っぽさが広がり、胸のつかえが少しだけ下りていくような気がした。机の上には油染みのついた家計簿と、芯の丸くなった鉛筆、そしてスーパーの黄色いレシートが何枚も風に揺れてカサカサと小さな音を立てている。何兆円という途方もない富の話よりも、目の前にある数百円の帳尻を合わせることこそが今の自分のすべてなのだと思い直しながら、彼は皺だらけになったネルシャツの裾を整えた。
「ほら、片付いたぞ。今日の晩飯は何なんだ?」
喉元を通り過ぎた麦茶の湿り気を感じながら、ジムは長年使って底が黒ずんだ丸い卓袱台の中央を硬く絞った台拭きで力任せに拭いた。窓の外からは通りを走る自転車のブレーキのキーッという高い軋み音と、どこかの家から漂ってくる甘辛い煮物の匂いが夕闇とともに部屋へ忍び込んでくる。途方もない数字の夢から引き戻されてすっかり空っぽになったお腹を手のひらでそっと押さえながら、彼は台所から運ばれてくる湯気の立つ大皿を見つめた。
「フライパンで炒めただけのモヤシとウインナーだよ。早く箸を出して」
パチパチと音を立てる炒め物の湯気と粗挽きコショウの刺激的な香りが鼻腔をくすぐると、さっきまでの沈んだ気分がふっと薄れていくのが分かった。プラスチックの箸立てから使い古して先端の削れた割り箸を二通引っ張り出し、自分の指先についた鉛筆の黒ずみをズボンの脇で素早く擦り落とす。巨大な企業の莫大な富など自分には指先ひとつかすりもしないけれど、目の前でジュウジュウと音を立てている温かいおかずだけは確かに自分のものなのだと実感しながら、彼は小さく笑みをこぼした。
「モヤシもちゃんと炒めればうまいからな。冷めないうちにすぐ食おう」




