ガレージよりも狭い部屋から ラリー・エリソン
ガレージよりも狭い部屋から
一九七七年の夏。
カリフォルニアの乾いた風が窓の隙間から吹き込んでいた。
サンタクララの小さなオフィスは、倉庫を改装しただけの簡素な建物だった。壁紙は剥がれ、古びた蛍光灯が白っぽい光を落としている。
ラリーは椅子の背にもたれながら天井を見上げた。
黒いタートルネックではない。
まだ若い彼は、くたびれた青いチェックシャツにジーンズ姿だった。
机の上には紙コップのコーヒー。
冷めきっている。
そして大量のプログラム仕様書。
資金はほとんどない。
社員も数えるほど。
だが彼の目だけは異様に輝いていた。
「なあ、ボブ」
共同創業者のボブが顔を上げる。
「なんだ?」
「世界中の企業が使うデータを管理する仕組みを作る」
ボブは笑った。
「また始まった」
「本気だ」
「IBMだっているんだぞ」
「だから?」
「俺たちは小さい会社だ」
ラリーは机を指で叩いた。
カツン。
カツン。
「小さい会社だから勝てる」
「意味がわからん」
「大企業は動きが遅い」
ラリーは立ち上がった。
「俺たちは速い」
窓の外では夕陽がオレンジ色に燃えていた。
その光が彼の横顔を照らす。
「未来はデータだ」
「未来?」
「ああ」
彼は笑う。
「みんなまだ気づいてない」
その笑顔には不思議な自信があった。
根拠などない。
だがなぜか周囲を巻き込む力があった。
数日後。
会社の資金繰りはさらに苦しくなった。
銀行口座の残高は心細い。
社員の一人が不安そうな顔をする。
「社長、本当に給料出るんですか?」
ラリーは即答した。
「出る」
「本当に?」
「たぶん」
「たぶん!?」
部屋に笑いが起きた。
不安の中にも笑いがあった。
それが彼の強さだった。
夜になる。
誰も帰らない。
キーボードを叩く音だけが響く。
カタカタカタ。
カタカタカタ。
窓の外は真っ暗だ。
近くの中華料理店から炒め物の香りが流れてくる。
社員たちの腹が鳴った。
「飯にするか」
ラリーが立ち上がる。
「金あります?」
「ない」
「ないのかよ」
「だが腹は減る」
結局、全員で安い中華料理店へ向かった。
赤い提灯が揺れている。
店内は油の香りでいっぱいだった。
注文したのは炒飯と餃子。
大皿をみんなで分ける。
湯気が立つ。
香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
社員の一人が言った。
「こんな生活いつまで続くんですかね」
ラリーは炒飯を頬張りながら答えた。
「成功するまで」
「簡単に言うなあ」
「簡単だろ」
「いや簡単じゃない」
店内に笑い声が広がった。
ラリーは餃子を口に放り込む。
熱かった。
「あちっ」
皆が吹き出した。
その夜。
再びオフィスへ戻る。
深夜二時。
三時。
四時。
眠気と戦いながらコードを書く。
ラリーも例外ではない。
だが彼は途中で立ち上がり、ホワイトボードに未来図を書き始めた。
大企業。
銀行。
政府機関。
病院。
世界地図。
矢印。
数字。
社員たちは呆れ顔だった。
「社長」
「なんだ?」
「まず今月を生き延びましょう」
「それも大事だ」
「そっちのほうが大事です」
また笑いが起きた。
だがラリーは真剣だった。
彼には見えていた。
まだ誰も見ていない未来が。
数か月後。
ついに大きな契約の話が舞い込む。
政府関係のプロジェクトだった。
小さな会議室。
古いスーツを着たラリーは担当者と向き合う。
高価なスーツではない。
肩が少しくたびれている。
だが目だけは鋭かった。
「御社にできますか?」
担当者が尋ねる。
ラリーは即答した。
「できます」
「本当に?」
「もちろん」
「前例がありません」
「なら作りましょう」
担当者は驚いた顔をした。
「失敗したら?」
ラリーは少し笑った。
「成功します」
沈黙。
部屋の空気が張りつめる。
やがて担当者も笑った。
「面白い人ですね」
「よく言われます」
契約成立。
会社へ戻る。
社員たちは半信半疑だった。
「本当に取れたんですか?」
「取れた」
「嘘でしょう?」
「本当だ」
一瞬の静寂。
次の瞬間。
歓声が上がった。
「やったあ!」
「生き延びた!」
「給料だ!」
「飯だ!」
誰かが叫ぶ。
「今日は豪華な夕飯にしましょう!」
その晩。
いつもの中華料理店ではなく、小さなステーキハウスへ行った。
鉄板の上で肉が焼ける。
ジュウウウッ。
香ばしい匂い。
溶けるバター。
黒胡椒の香り。
ラリーはナイフを持ちながら仲間たちを見回した。
皆疲れている。
だが笑っている。
未来はまだ保証されていない。
失敗する可能性だってある。
それでも彼は確信していた。
世界を変える会社になる。
いつか誰もが使う技術になる。
誰も信じなくてもいい。
自分だけは信じる。
窓の外には夜の街の灯りが輝いていた。
ラリーは肉をひと口食べる。
熱く、香ばしく、力強い味だった。
「なあ」
彼はグラスを掲げた。
「次は世界一を目指そう」
社員たちは顔を見合わせる。
そして一斉に笑った。
「まず今月を乗り切りましょう!」
ステーキハウスに大きな笑い声が響いた。
しかしその笑い声の中で、誰もまだ知らなかった。
この小さな会社が、やがて世界中の企業を支える巨大企業へ成長することを。




