表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
13/32

ガレージよりも狭い部屋から ラリー・エリソン

ガレージよりも狭い部屋から 


 一九七七年の夏。


 カリフォルニアの乾いた風が窓の隙間から吹き込んでいた。


 サンタクララの小さなオフィスは、倉庫を改装しただけの簡素な建物だった。壁紙は剥がれ、古びた蛍光灯が白っぽい光を落としている。


 ラリーは椅子の背にもたれながら天井を見上げた。


 黒いタートルネックではない。


 まだ若い彼は、くたびれた青いチェックシャツにジーンズ姿だった。


 机の上には紙コップのコーヒー。


 冷めきっている。


 そして大量のプログラム仕様書。


 資金はほとんどない。


 社員も数えるほど。


 だが彼の目だけは異様に輝いていた。


「なあ、ボブ」


 共同創業者のボブが顔を上げる。


「なんだ?」


「世界中の企業が使うデータを管理する仕組みを作る」


 ボブは笑った。


「また始まった」


「本気だ」


「IBMだっているんだぞ」


「だから?」


「俺たちは小さい会社だ」


 ラリーは机を指で叩いた。


 カツン。


 カツン。


「小さい会社だから勝てる」


「意味がわからん」


「大企業は動きが遅い」


 ラリーは立ち上がった。


「俺たちは速い」


 窓の外では夕陽がオレンジ色に燃えていた。


 その光が彼の横顔を照らす。


「未来はデータだ」


「未来?」


「ああ」


 彼は笑う。


「みんなまだ気づいてない」


 その笑顔には不思議な自信があった。


 根拠などない。


 だがなぜか周囲を巻き込む力があった。


 数日後。


 会社の資金繰りはさらに苦しくなった。


 銀行口座の残高は心細い。


 社員の一人が不安そうな顔をする。


「社長、本当に給料出るんですか?」


 ラリーは即答した。


「出る」


「本当に?」


「たぶん」


「たぶん!?」


 部屋に笑いが起きた。


 不安の中にも笑いがあった。


 それが彼の強さだった。


 夜になる。


 誰も帰らない。


 キーボードを叩く音だけが響く。


 カタカタカタ。


 カタカタカタ。


 窓の外は真っ暗だ。


 近くの中華料理店から炒め物の香りが流れてくる。


 社員たちの腹が鳴った。


「飯にするか」


 ラリーが立ち上がる。


「金あります?」


「ない」


「ないのかよ」


「だが腹は減る」


 結局、全員で安い中華料理店へ向かった。


 赤い提灯が揺れている。


 店内は油の香りでいっぱいだった。


 注文したのは炒飯と餃子。


 大皿をみんなで分ける。


 湯気が立つ。


 香ばしい匂いが鼻をくすぐる。


 社員の一人が言った。


「こんな生活いつまで続くんですかね」


 ラリーは炒飯を頬張りながら答えた。


「成功するまで」


「簡単に言うなあ」


「簡単だろ」


「いや簡単じゃない」


 店内に笑い声が広がった。


 ラリーは餃子を口に放り込む。


 熱かった。


「あちっ」


 皆が吹き出した。


 その夜。


 再びオフィスへ戻る。


 深夜二時。


 三時。


 四時。


 眠気と戦いながらコードを書く。


 ラリーも例外ではない。


 だが彼は途中で立ち上がり、ホワイトボードに未来図を書き始めた。


 大企業。


 銀行。


 政府機関。


 病院。


 世界地図。


 矢印。


 数字。


 社員たちは呆れ顔だった。


「社長」


「なんだ?」


「まず今月を生き延びましょう」


「それも大事だ」


「そっちのほうが大事です」


 また笑いが起きた。


 だがラリーは真剣だった。


 彼には見えていた。


 まだ誰も見ていない未来が。


 数か月後。


 ついに大きな契約の話が舞い込む。


 政府関係のプロジェクトだった。


 小さな会議室。


 古いスーツを着たラリーは担当者と向き合う。


 高価なスーツではない。


 肩が少しくたびれている。


 だが目だけは鋭かった。


「御社にできますか?」


 担当者が尋ねる。


 ラリーは即答した。


「できます」


「本当に?」


「もちろん」


「前例がありません」


「なら作りましょう」


 担当者は驚いた顔をした。


「失敗したら?」


 ラリーは少し笑った。


「成功します」


 沈黙。


 部屋の空気が張りつめる。


 やがて担当者も笑った。


「面白い人ですね」


「よく言われます」


 契約成立。


 会社へ戻る。


 社員たちは半信半疑だった。


「本当に取れたんですか?」


「取れた」


「嘘でしょう?」


「本当だ」


 一瞬の静寂。


 次の瞬間。


 歓声が上がった。


「やったあ!」


「生き延びた!」


「給料だ!」


「飯だ!」


 誰かが叫ぶ。


「今日は豪華な夕飯にしましょう!」


 その晩。


 いつもの中華料理店ではなく、小さなステーキハウスへ行った。


 鉄板の上で肉が焼ける。


 ジュウウウッ。


 香ばしい匂い。


 溶けるバター。


 黒胡椒の香り。


 ラリーはナイフを持ちながら仲間たちを見回した。


 皆疲れている。


 だが笑っている。


 未来はまだ保証されていない。


 失敗する可能性だってある。


 それでも彼は確信していた。


 世界を変える会社になる。


 いつか誰もが使う技術になる。


 誰も信じなくてもいい。


 自分だけは信じる。


 窓の外には夜の街の灯りが輝いていた。


 ラリーは肉をひと口食べる。


 熱く、香ばしく、力強い味だった。


「なあ」


 彼はグラスを掲げた。


「次は世界一を目指そう」


 社員たちは顔を見合わせる。


 そして一斉に笑った。


「まず今月を乗り切りましょう!」


 ステーキハウスに大きな笑い声が響いた。


 しかしその笑い声の中で、誰もまだ知らなかった。


 この小さな会社が、やがて世界中の企業を支える巨大企業へ成長することを。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ