表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/12

青い画面の向こう側

青い画面の向こう側


二〇〇四年、二月の終わり。ハーバード大学の寮の窓は、白く曇っていた。


外では雪まじりの風が煉瓦造りの校舎を叩き、古びた街灯の光が淡く揺れている。部屋の中には、冷めたピザとコーラの甘ったるい匂い、熱を持ったパソコンの機械臭が混ざっていた。


十九歳のマーク・ザッカーバーグは、灰色のTシャツの上に紺色のパーカーを羽織り、裸足のまま椅子に座っていた。膝を立て、指先だけを異様な速さで動かしている。


カタカタカタ、とキーボードの音が止まらない。


「おい、マーク。お前、三日くらい外出てないだろ」


背後で声がした。


振り向くと、ルームメイトのダスティンが紙袋を抱えて立っていた。湯気の立つ中華料理の匂いが広がる。胡椒と油の香りに、マークの腹がぐうと鳴った。


「……腹減ってたの思い出した」


「人間らしい反応だな」


ダスティンは笑って机に白い箱を置いた。蓋を開けると、オレンジ色のチキンが照り、湯気が立ち上る。マークはプラスチックのフォークを掴み、そのまま画面から目を離さず口へ放り込んだ。


「熱っ」


「だから見ないで食うなって」


マークは舌を出して笑った。その顔はまだ少年っぽさが残っている。癖のある茶色い髪は寝癖だらけで、頬には薄い髭が生えていた。


画面には、青と白の簡素なページが表示されている。


“Thefacebook”


まだ小さなサイトだった。


「本当にやるのか?」


ダスティンが訊いた。


「何を?」


「学生全員の顔と名前をネットに並べるんだろ。大学、怒るぞ」


「別に悪いことじゃない」


マークは肩をすくめた。


「みんな、誰が誰だかわからなくて困ってる。授業で隣に座った子の名前を忘れるし、パーティで会った相手も翌日には消える。だったら、一覧にすればいい」


「その発想が怖いんだよ、お前は」


窓の外で風が唸った。


マークは一瞬だけ手を止め、暗い夜空を見た。


「人ってさ」


低い声だった。


「繋がりたがってるんだと思う」


部屋の暖房は弱く、空気は乾いていた。だが彼の瞳だけは妙に熱を帯びている。


「電話帳みたいなものか?」


「もっと近い」


「近い?」


「顔を見れば、その人を思い出せる」


マークはそう言って、またキーを叩き始めた。


深夜一時を回る頃、部屋には完全な静寂が落ちていた。聞こえるのはタイピングと、古い冷蔵庫の低い唸り声だけ。


マークはコードを書きながら、小さく独り言を漏らしていた。


「ここを直して……ログイン……いや、先に写真表示……」


彼の目は赤く充血している。だが疲れているはずなのに、顔には奇妙な高揚感があった。


突然、ドアが乱暴に開いた。


「マーク! 本当だった!」


クリスが飛び込んできた。頬を真っ赤にして息を切らしている。


「何が?」


「もう百人以上登録してる!」


「は?」


「口コミだよ! みんな使い始めてる!」


マークは椅子を蹴るように立ち上がった。画面を確認する。数字が跳ね上がっていた。


ユーザー数、二百三、二百九、二百十五。


更新するたび増えていく。


「……冗談だろ」


彼は呟いた。


その瞬間だった。


胸の奥が、どくん、と鳴った。


恐怖に近い感覚だった。


自分が作ったものが、自分の手を離れていく。


ダスティンが静かに言った。


「なあ、これ、でかくなるんじゃないか?」


誰も答えなかった。


窓の外では雪が降り始めていた。白い粒が夜のキャンパスを覆い、街灯の周囲を静かに舞っている。


マークは椅子に座り直した。


指先が少し震えていた。


「サーバー増やさないと落ちる」


「今から?」


「今すぐ」


「お前、寝てないだろ」


「寝る暇ない」


彼は笑った。


その笑いは、子供が秘密基地を作る時の顔に似ていた。


クリスが中華料理をつまみながら訊く。


「もし成功したらどうする?」


マークは画面を見つめたまま答えた。


「成功?」


「うん。大学中、いや、全米で使われるとか」


しばらく沈黙が続いた。


やがてマークは、静かに言った。


「世界中の人が繋がったら、面白いと思わないか?」


部屋の空気が止まった気がした。


誰も笑わなかった。


外では雪が積もり、夜明け前の青白い光が窓辺に滲み始める。


冷えたピザ。


飲みかけのコーラ。


散らかったコードのメモ。


十九歳の青年。


そして、小さな青い画面。


まだ誰も知らない。


この部屋から始まるものが、世界を変えることを。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ