後編
本日二回目の更新です。
店内は騒がしい雰囲気で溢れ返っていた。
「久しぶりだ……! この煩さ、酒の匂い!」
騎士時代に通っていた行きつけの酒場に来たアゼイリアは、懐かしくてむしろ感動すら覚えた。
意気揚々と入るアゼイリアに続いて、エドナも店の中へと足を踏み入れる。
「知らないわよ、勝手に出てきて」
「大丈夫だって。少し飲んだらすぐに帰るから」
慣れた足取りで店内を進み、よく座っていた隅の席に着く。
ちなみに、今のアゼイリアの格好は、王宮の中で着ているようなドレスではなく、以前愛用していたシャツとズボン姿だ。
傍から見ればただの男物を着ている一般人だ。
しかし。
「お。婚約者様じゃないか!」
「こんなところに来て良いのかよ?」
行きつけの店なので当然ながら顔見知りも多く、騎士時代の同僚たちはアゼイリアにすぐに気がついた。
「お忍びで来てるんだから黙っていろよ」
「はいはい、とんだじゃじゃ馬な婚約者様だぜ」
「こんな男勝りのどこが良かったんだろうなぁ」
アゼイリアが人差し指を口元に近づけて口止めを図れば、周囲の元同僚たちは笑いながら自分たちのジョッキを煽った。
そうしている間にアゼイリアたちの前にも酒が運ばれてくる。
「飲もう!」
「本当に知らないからね」
「大丈夫だ、責任は私が持つ!」
そう言って、アゼイリアは久しぶりに酒を一気に煽った。
ジョッキの中身が半分になる。
「美味い! やっぱり私にはこれが合うな!」
酒と一緒に運ばれてきたつまみも口に運び、濃い味付けに舌鼓を打つ。
この味付けは久しぶりだと、アゼイリアは思った。
王宮で出される料理はもちろん美味しいのだが、妃としての教育も兼ねているので、マナーなどが細かくて食べた気になれないのだ。
こんな風にジョッキを片手で持って煽ることも、つまみを頬張ることも王宮の中では決してできない。
「何よ、求婚を受け入れたんでしょう。それとも後悔しているの?」
エドナの言葉に、早くも二杯目の酒を飲んでいたアゼイリアは、思わず手を止めた。
「……後悔しているわけではない。ただ、少し……」
そう呟いて言いよどんだアゼイリアに、エドナは何も言わず続きを待った。
「でん……あの方をお守りできたことに、後悔はない。求婚も、ちゃんと自分の意思で受け入れた。けど、騎士だった自分を全て捨てて、ドレスを着て淑やかにしなければならないことには違和感がある……」
周囲はうるさくて声など聞こえないだろうが、この場で殿下という言葉を口にすることは避けた。
それくらい、アゼイリアにとっても王族というのは雲の上の存在だったのだ。
第二王子の婚約者となった今でも、まだその事実が慣れない。
「それに、恐いんだ……」
「恐い?」
「やっぱり私はこういった場が落ち着くし、この格好が楽だ。それに、あの甘さにはいつまでたっても慣れることができない……なのに、だんだんとあの方のことが頭から離れなくなっているんだ……。もしも、やっぱり私ではだめだと言われたら、そのときに耐えられるか分からない……」
アゼイリアはジョッキを握ったまま俯いた。
そのつむじを見下ろしながら、エドナがため息を零す。
「そういうのは、全部言わなきゃいけないことなのよ。あんただけじゃなく、誰だって不安はあるし、言わなきゃ伝わらないわ」
「けど、こんなことで煩わせるのは……」
「面倒をかけるなって言われる?」
「そ、そんなことはない! あの方はそんなことは言わないはずだ!」
アゼイリアは思わず立ち上がって否定した。
想像しなくても分かる。
第二王子という立場でも、命令ではなく頼むように言うセオフィラスが、そんな風には決して言わないということを。
求婚されてから今までの短い期間でも、セオフィラスの優しく誠実な性格は分かっていた。
「じゃあ言ってみなきゃ。直接、ご本人にね」
「え――……」
エドナの視線の先が自分を通り越していることに気づき、アゼイリアは後ろを振り返った。
そこにいた姿を見て驚く。
「殿下……?」
平民の服を着てはいたけれど、大衆向けの酒場には不似合いなセオフィラスの姿があって、アゼイリアは一瞬で酔いがさめる気がした。
「ど、どうしてここに……っ」
「夕食の時間になっても姿が見えなかったので、探しに来た」
「えっ……! あっ、いつの間にこんな時間に……っ」
軽く飲んですぐに王宮へ戻るつもりだったが、気づけば何杯も飲みながら喋っていて、時間は大分過ぎていた。
誰にもばれないようにして戻れば問題ないと思っていたのに、まさかセオフィラスにこんな城下町まで手間をかけさせてしまうなんてと、思わず青ざめてしまう。
これは本気で婚約破棄されてもおかしくない案件だと、アゼイリアが焦ったとき、セオフィラスの近くにいた客が酔っ払って大声を上げた。
酔っ払いが笑いながら振り上げたジョッキが、セオフィラスの頭の側をかすめる。
「危ない……!!」
それを目にした瞬間にアゼイリアは動いた。
騎士を辞めたとはいえ、瞬発力は損なわれていない。
それと同時に、店に入った時にアゼイリアを揶揄った元同僚の騎士たちもいっせいに動き、セオフィラスの側に控えていた私服姿の護衛騎士も同じように酔っ払いのジョッキから主を庇った。
「ん……? 悪い、悪い、零れちまったか?」
酔っ払いは赤ら顔のまま中身の零れたジョッキを見て笑い、また酒を飲み始めた。
どうやら本当にただの酔っ払いだったようだ。
万が一、セオフィラスを狙う輩だったらと緊張していたアゼイリアは、何事もなくすんで安堵した。
「なんだよ、ただの酔っ払いか」
「驚かせるなよなぁ」
同じような考えが聞こえてきて、声の方向に視線を向ければ、元同僚たちが酒を飲んでいた雰囲気など微塵も感じさせないくらい真面目な様子で剣に手を当てていた。
「何で……」
驚いたアゼイリアがそう呟くと、隣にいたエドナの声がした。
「一応あんたは殿下の婚約者様なんだから、何の護衛も手配していないわけがないでしょう」
「え……」
周囲を見渡せば、他にも見覚えのある騎士の面々が何名もいた。
抜け出せたと思っていたけれど、実際には全てばれていたということに、アゼイリアは申し訳なさと、穴があったら入りたい気持ちになった。
セオフィラスに対しても、こんなところまで足を運ばせてしまい申し訳なさが募った。
「……アゼイリア。あまり心配をさせないで欲しい」
さすがに叱られるだろうかと思ったが、耳に届いたのは聞いたこともないような声音だった。
「そなたが騎士として強いことは知っている。だが、あまり無防備に出歩いて、また怪我を負う姿は見たくない」
「あれくらいでは……。それに、今のはこんなところで飲んでいた私が悪いのですから……。そのせいで殿下に怪我をさせてしまうようなことがあっては、申し訳が立ちません……」
セオフィラスの声はどこか苦し気だった。
静かに手を握られる。
アゼイリアがセオフィラスを庇った際に、怪我を負った手だ。
騎士を辞めたアゼイリアだが、以前のように剣は振るえなくても、簡単に負けるほど弱くはない。
けれど、セオフィラスがそういった心配をしているわけではないことは分かった。
握る力はいつもよりも弱々しく感じられて、むしろそれが落ち着かなかった。
いつもはもっと力強く握ってくれるのに、と。
無意識にそんなことを思った。
けれど、ここが酒場だということを思い出して我に返った。
「と、とりあえず帰りましょう! こんなところ見られたら大変です!」
「ああ。馬車をそこに停めてある」
セオフィラスがそう言うと、彼についてきた私服の護衛騎士が誘導するように動いた。
アゼイリアは慌ててエドナの方を振り返る。
「エドナ……っ」
「私は後で送ってもらうから良いわよ。早く行きなさい」
「ありがとう。みんなも、迷惑をかけて悪かった!」
店内の元同僚たちに向かって声を上げると、ジョッキを掲げながら笑う顔が見えた。
「良いってことよ。また飲みたくなったときは言ってくれよ、婚約者様」
「けど、ほどほどにしないと愛想尽かされるぞ?」
親切と少しのお節介が含まれた言葉に見送られながら店を後にする。
セオフィラスの言っていた通り、店の側に馬車が停められていて、二人が乗り込むとすぐに御者が出発の合図を出した。
車輪が動き出したとき、馬車の揺れとは違う力でアゼイリアの体が傾いた。
「殿下……っ?」
「私の思いは、そなたの重荷になっているか……?」
気づいたときには、セオフィラスの腕の中に引き寄せられていた。
顔は見えないが、耳元で聞こえる声は弱々しくて、アゼイリアは腕の中で首を横に振った。
「重荷だなんて、そんなことはありません……っ。……ですが、私は長年騎士として過ごしてきたので、やはり言葉遣いはこんなですし、酒だって飲むし、妃なんて柄ではありませんが……そんな私で本当に良いのですか……? もし、だめだと言われたら、私は……」
その言葉の続きを言うのはやはり恐かった。
剣の前に出ることさえ恐れなかった自分が、鋭い刃よりも言葉を恐れるなど、これまで知らなかった。
想像するだけで体が震えそうになる。
そんなアゼイリアの体を、強い力が抱きしめた。
「何を言っている。そなたが怪我を負うところは見たくないが、無理に変える必要などない。私は勇ましいそなたに惹かれたのだからな」
「っ……」
強く抱きしめられながら、耳元で囁かれる。
「不安なことや嫌なことがあれば私に言って欲しい。できうる限りそなたの力になると約束する。だから、黙って出て行くような真似は止めて欲しい。愛想を尽かされたかと思った……」
「殿下……」
「どうか名前で呼んでくれないか、アゼイリア」
セオフィラスの声が甘く切望する。
その声音が耳に優しく響いて、アゼイリアはくすぐったい気分になった。
「セオフィラス様がそのような心配をされるとは思いませんでした」
「そなたにはどのように見えているか分からないが、私はそなたのことで頭がいっぱいだ」
抱きしめる腕の力が緩み、顔を上げたアゼイリアへと中性的な容貌が近づいてきた。
唇が触れ合う。
そう感じた次の瞬間、深く重ねられた。
それは普段のセオフィラスには似つかわしくないほど性急で、雄々しい口づけに感じられた。
いや、セオフィラスはいつだって情熱的な声音で囁いていた。
ならば、これが彼の思いの表れだろうか。
「んっ……」
息を吸う間もないほどの濃厚な口づけに、これまでそういったことに縁のなかったアゼイリアは、酔いが回るような感覚に浸された。
頭がくらくらするほどの痺れが広がっていき、自分の力で座っていられず、セオフィラスの腕の中に身を任せるように崩れ落ちそうになった――そのときだった。
「止めろ! おまえたちはまだ婚約中だろう!」
馬車の扉が開くと同時にそんな声が聞こえて、アゼイリアは正気に戻った。
跳び上がらんばかりに驚きながら扉の方を向けば、そこにいた姿にますます驚くことになった。
「だ、第一王子殿下……?」
呆れ顔の第一王子が立っていた。
「どうして第一王子殿下が……」
「お忍び用の服と馬車の用意をしてやったのは私だ」
「申し訳ありません……」
「いや、我が弟が焦るなんて珍しい姿が見られて面白かったぞ」
謝るアゼイリアに、第一王子は弟と似ていない表情でおかしそうに笑う。
そんな兄を、セオフィラスは珍しく溜息を吐いて不満そうに見ていた。
「良いところでしたのに……」
「何が良いところだ。第二王子が結婚せずに既成事実を作る気か!」
第一王子の言葉にアゼイリアは思わず息が止まりそうになる。
何だかすごい言葉が聞こえた気がする。
さすがにそれはないだろうと思っていると、隣から一転して機嫌の良さそうな声が聞こえてきた。
「その手がありましたね。そうすれば、兄上を待たずに結婚する理由ができます」
「止めてくれ! 私も急ぐから、順序だけは守ってくれ!」
弟のとんでもない決意に、兄は全力で説得にかかった。
その間に挟まれたアゼイリアは、雲の上の存在の二人がすごい話をしていることに、もう気が抜けそうだった。
「とりあえず、誰かに見られたら誤解されるこの状況をどうにかしろ!」
「分かりました」
第一王子に諭されて、セオフィラスは渋々と言った様子ながらも従った。
「アゼイリア、立てるか?」
「は、はい……」
馬車を下りたセオフィラスに手を差し出され、アゼイリアは慌てて腰を上げた。
しかし、立ち上がろうとした足に力が入らず、体がよろけた。
「危ない」
倒れそうになったアゼイリアの体を、セオフィラスが腕を伸ばして支える。
おかげで馬車から転げ落ちずにすんだ。
そのことに安堵したアゼイリアだったが、セオフィラスの腕はいつまでたっても離れようとしなかった。
このままでは馬車から下りることができない。
「あ、あの……」
「大丈夫だ。ちゃんと順序は守る」
耳元でセオフィラスが囁いた。
その声音は、言葉とは裏腹に甘やかで、アゼイリアは再び全身が痺れるような熱量を感じた。
本当だろうかと、疑いたくなる。
そう思ってしまうほど、セオフィラスの目も声も、アゼイリアを甘く包み込むものだった――。
***
――後に、女性騎士の育成に力を注いだ妃と、そんな妻を愛し支えた王子がいた。
二人は多くの子どもに囲まれながら仲睦まじく暮らしたと言われているが、それはもうしばらく先の話。
アゼイリアを翻弄しているようで、セオフィラスも初めての感情に翻弄されていれば良いなと思っての続きでした。
第一王子は弟と違ってへたれで、急かされてこの直後に長年の思い人へ気持ちを伝えることができた…という部分まで考えましたが、入れる所がありませんでした。
読んで頂きありがとうございました!




