第九話「なんでも創れてしまう(前編)」
朝の光が結界の膜を透かして降りそそぐテラスは、絶界の骸森の只中にあるとは到底思えないほど、のどかで穏やかだった。屋敷の名は『結界の楽園』といって、これも信が調子に乗って名付けたものである。
白いクロスを敷いたテーブルへ、家令セバスチャンが音もなく歩み寄り、寸分の狂いもない所作でティーポットを傾けた。ロマンスグレーの髪をきっちりと撫でつけ、黒のタキシードを一分の隙もなく着こなした老紳士の手つきは、湯気の立ちのぼる角度までもが計算されているかのように優雅である。
「本日はアールグレイをご用意いたしました。焼き立てのスコーンにはクロテッドクリームを添えております。旦那様、奥様、どうぞごゆるりと」
紅茶を注ぎ終えたセバスチャンは、ポットの口から一滴たりともこぼすことなく身を引き、テーブルから三歩下がった位置で背筋を伸ばした。その立ち位置は、呼べば即座に届き、それでいて二人の会話を邪魔しない絶妙な距離であり、彼が主のためだけに設けた聖域の境界線でもあった。
庭では、メイド長の睦月が黒髪をきっちりと結い上げ、部下たちへ静かに指示を飛ばしていた。栗色の髪をゆるく波打たせた弥生が薬草園の畝を丁寧に整え、金髪ツインテールの卯月がダボついた袖を振り回しながら洗濯物を次々と干していく。銀髪ショートの如月は表情ひとつ変えずに結界の外周を巡回し、赤髪の葉月は露天風呂の湯加減を確かめに走り、影の薄い朧に至っては、どこにいるのかすら判然としない。
誰一人として無駄な動きがなく、指示を待って立ち止まる者もいない。屋敷という巨大な機構が、まるで精巧な時計の内部のように、静かに、かつ寸分の狂いもなく回りつづけている。
その光景を、信はテラスの椅子に深く沈み込んだまま、実に満足げに眺めていた。屋敷が広すぎるという悩みは、彼らのおかげで跡形もなく消え去っている。前世では大手家電メーカーで営業に明け暮れ、便利な道具が暮らしを楽にしていく様を売り歩いてきた男にとって、有能な使用人が増えることは、優秀な家電が一台増えるのと同じくらい素朴に喜ばしい出来事だった。
「いやぁ、前世で観たアニメのメイドさんたちがそのまま再現できちゃったんすけど、いや完璧ですね。これで僕たち二人きりの時間を邪魔されずに済みますし、屋敷の管理は彼らに任せておけば万事大丈夫ですよ」
「ワシはシンの奥様ではないんじゃがのう……」
「エルミニアさん、あまり細かいことは気になさらずに……」
どこまでもお気楽極楽なその笑顔とは裏腹に、向かいの席のエルミニアは、紅茶のカップを口もとで止めたまま、庭のメイドたちを凄まじく険しい顔で凝視していた。
「……のう、シン。お主、これらの動力源を、どうしておるのじゃ」
「動力源?」
「ワシが徹底的に視させてもらった。驚いたことにこやつらは、胸の魔石で周囲の大気中から魔素を自動で吸い上げて可動しておるぞ」
カップを置いたエルミニアの声には、隠しようもない緊張が滲んでいる。
「つまりじゃ。この世界に魔素があるかぎり、実質、整備すら必要とせずに無限に動きつづけるということじゃ。永久機関そのものではないか……!」
「そうなんですか? あ、そういえばアニメの設定だと、周囲の魔素を利用して自動修復までするはずですよ。確かそういうシーンもあったような……」
「……もはや、何でもありじゃな」
がくりと項垂れたエルミニアだったが、それで済ませてくれるほど、彼女の研究者としての性分は甘くなかった。彼女はセバスチャンの手を借りて人形の内部構造まで解析し、その術式の精密さを目の当たりにするや、今度は本気で頭を抱えてしまう。
「術式が細かすぎて、直視するだけで頭が痛くなるわ! このグラストヘイム中の最高峰の職人を残らず集めたところで、再現するのはどだい無理じゃ。まかり間違って組み上げようものなら、爆発させて怪我人か死人を出すのがオチじゃろうて」
そこまで言って、エルミニアはくしゃりと銀髪をかき乱した。
「二千年以上を生きて魔法の深淵を覗いてきたこのワシでさえ、これほど完璧な自律型の魔導人形を創るのは不可能じゃ。……認めるほかないのじゃ」
その言葉を絞り出すのに、彼女はどれほどの覚悟を要しただろうか。この世界の魔法の基礎を体系化し、術式を整理してきたのは、ほかならぬエルミニア自身である。その彼女が、庭で洗濯物を干している娘たちの内部構造ひとつ、再現できないと認めさせられたのだ。
「へえー、日本のアニメの世界観って、そんなに凄かったんですねぇ。まぁ、僕が魔力創造したときに、神様の補正機能が勝手に辻褄を合わせてくれたんでしょうね。いやー、実にラッキーです」
当の本人は、まるで他人事のようにのんびりとコーヒーをすすっていた。この温度差こそが、エルミニアの胃をきりきりと痛めつける最大の要因であった。
もっとも、彼女は研究者である。頭を抱えた次の瞬間には、抑えきれない知的好奇心のほうが勝ってしまうのだった。
「シン、こうなったら徹底的に検証するのじゃ。お主のその魔力創造、どこまでのものが創れるのか、じっくり確かめさせてもらうのじゃ!」
「いいですよ。僕も一度、ちゃんと試しておきたかったですし、エルミニアさんが一緒なら言うことなしですよ!」
「ゔ……っ」
こうして始まった検証実験は、開始から数分で、早くもエルミニアの表情を曇らせはじめた。
塩気の利いたポテトチップスの袋も、冷えた炭酸の缶も、当然のように完璧な味で出現する。信が「これは通信機みたいなものです」と説明しながら取り出した薄い板は、この世界に電波などあるはずもないのに、なぜか画面の中で音楽まで鳴らしてみせた。
「……もう、その板については何も訊かんことにする」
「賢明な判断だと思います」
もっとも、賢明でいられたのはそこまでだった。ポテトチップスの袋を破いて中身をつまんだエルミニアは、その塩気と油の暴力的な旨さに目を見開き、気づけば片手で袋を抱え込んで、ぱりぱりと止まらなくなっている。冷えた炭酸を流し込んだ喉が、しゅわりと弾ける刺激に驚いて、彼女は小さく咳き込んだ。
「な、なんじゃこの飲み物は。喉を刺すのに、なぜかもっと欲しくなるぞ……!」
「危険な飲み物なので、ほどほどにしてくださいね」
そんな調子で脱線しつつ、検証はさらに剣呑な領域へと踏み込んでいった。
次に信は、前世の知識をたぐり寄せながら、刃物や銃器の類を形にしていった。反りの美しい日本刀は、試しに振り下ろしただけで、庭石を豆腐のように断ち割った。続けて錬成された黒い自動小銃は、セバスチャンが恭しく受け取って構えるや、遠くの的を寸分たがわず撃ち抜いてしまう。
「旦那様、こちらの品は威力が過ぎます。取り扱いには十分な留意を」
「…だよね。うん、そう思う」
ところが、そこで止まらなかったのがこの男の悪いところだった。ふと悪ノリした信が、映画で観た「街ひとつを消し飛ばす兵器」の記憶を、ほんの軽い気持ちで思い浮かべてしまったのである。
次の瞬間、庭の空気が、ずしりと重く沈み込んだ。
現れたのは、鈍い光を放つ巨大な金属の塊だった。それが何であるかを理屈で知らないはずのエルミニアですら、その存在そのものから立ちのぼる不吉さに、全身の産毛を逆立てて後ずさった。
「……なんじゃ、これは。これは、いかん。シン、これはいかんぞ」
「……はい。すみません、僕が浅はかでした」
信の背筋にも、遅れて冷たい汗が伝っていた。彼はすぐさま『アイテムボックス』を開き、時の止まったその奥底へ、金属の塊を丸ごと沈めて封じ込めた。
「二度と出しません。多分、約束はできませんが…」
「な、なんじゃ?その不安を煽る言い方は……、お主のその力は、使い方を誤れば、それだけで世界の形を変えてしまうじゃぞ」
「いやー、そんなことしませんよ。神様にも悪さはするなと言われてますから…きっと、大丈夫な……はず?」
「嫌な予感しかしないのじゃーーー!!」
気を取り直した二人は、今度はもう少し愉快な方向へ舵を切ることにした。信が前世で親しんだゲームや漫画に出てきた品々を、片っ端から思い描いていく。
あらゆる状態異常を無効化するという指輪は、嵌めた指へ吸いつくように収まり、淡い光の膜を身体の周囲へ張りめぐらせた。一撃必殺と謳われた魔剣は、抜き放った瞬間に大気を軋ませ、庭の空気そのものを裂いてみせる。
それらのどれもが、アニメのなかで語られていた能力を、そっくりそのまま宿していた。地球の人間が空想の産物として書き記した設定を、神の自動補正機能が、この世界の理へ律義に翻訳してしまったのだ。
試しに魔剣の刃へ手をかざしたエルミニアは、そこに刻まれた術式を一目見るなり、痛みでもこらえるように顔をしかめた。因果そのものへ干渉して「斬れた」という結果だけを先に確定させる、そんな出鱈目が、たかが一本の剣に平然と宿っているのだ。
「旦那様。念のためお伺いいたしますが、これらを庭の物置へ収めてもよろしいでしょうか」
脇に控えていた睦月が、世界を滅ぼしかねない品々を、まるで園芸用具でも扱うような調子で確認してくる。その揺るぎない平常運転ぶりが、エルミニアには、いっそ恨めしかった。
空想の産物であるはずのものが、次から次へと当たり前の顔で現界していく光景を前に、エルミニアの頭脳はついにキャパシティを超えた。
「架空の世界のアイテムまで、設定どおりに出現させるじゃと……!?」
彼女はテラスの床に膝をつき、天を仰いだ。
「お主の言う『地球』なる世界は、いったいどれほど恐ろしい創造力を持っておるのじゃ! それに、創造神アゼルディウス様の拡大解釈にも、限度があるじゃろうが!」
「アゼルディウス様……?」
「お主が会うたという、神の名じゃ。まさか…知らんとでも言うのか?」
「だって、名前を聞いてなかったですもん。ずっと『神様』としか呼んでませんでしたし……」
信はぽん…と手を打った。
「へー、あのおじいさん、このグラストヘイムの創造神で、アゼルディウス様っていうんですね。もうばっちり覚えましたよ」
「お主というやつは~~~~~っ!」
髪をかきむしりながら、エルミニアは恨めしげに信を睨みつけた。
顎が外れそうなほど驚いたかと思えば、頭を抱えてテラスの床を転げ回り、かと思えば恨みがましい目でこちらを見上げてくる。最強と恐れられる魔女のプライドなど、この数十分ですっかり木っ端微塵になっていた。
その百面相を、信はいとおしくてたまらないという顔で眺めていた。
「あはは。エルミニアさん、その驚いた顔もすごく可愛いですね。なんだか小動物みたいで、思わず抱きしめたくなります」
「な、ななな……ッ! い、いちいち、そういうことを言うんじゃないわい!」
頬をかあっと染めたエルミニアが、ジタバタと手足を振り回して抗議する。
「ワシは今、世界の理が崩壊した歴史的瞬間に立ち会うて、大真面目に悩んでおるというのに……!」
「悩んでる顔も素敵ですよ」
「聞いておらんな、こやつ!」
出会ったばかりのころなら、卒倒するか無言で赤面するかの二択だったはずの言葉に、今の彼女はきちんと言い返せるようになっている。その事実そのものが、二人の距離がどれほど縮まったかを、何より雄弁にもの語っていた。
(……まったく、調子が狂うわい。世界の理が崩れ落ちるのを目の当たりにしておるというのに、なぜワシは、こやつの隣でこうも腹立たしく、そして……悪くない気分でおるんじゃ?)
(それが…なんか妙に悔しいのじゃーーーーー!!)
自分でも整理のつかない胸のざわつきに、エルミニアは気づいていたが、どうすることもできないでいた。少しでも冷静になるために、冷めかけた紅茶を一気に飲み干した。
そんな騒がしいやり取りの最中、エルミニアはふと、テーブルの端に無造作に置かれた小瓶へ目を留めた。
その中では、七色に揺らめく液体が、まるで生きているかのようにとろりと光を返している。信がゲームの定番回復薬として、何気なく錬成したもののひとつだった。
彼女の表情から、ふっと笑みが消えた。
「待て、シン。今お主が創った、その薬……」
立ち上がったエルミニアは、吸い寄せられるように小瓶へ近づき、震える指先でそっと硝子に触れた。
「この世界における『エリクサー』と、まったく同じ……いや、それ以上のものを感じるぞ……」
「え? ああ、ゲームでよくある回復薬ですけど。この世界にもあるんですか?」
「あるにはある。……じゃが、そんなお気楽に呼んでよいものではないわい」
エルミニアの声には、これまでとは明らかに質の違う、張りつめた重さが宿っていた。
「あらゆる病を癒し、欠損した肉体を再生し、寿命すら引き延ばすと言われる、国宝級の伝説の超希少薬じゃ。人の手で作り出すことは不可能で、深いダンジョンの最奥から、ごく稀に見つかるだけの代物でじゃぞ」
彼女は小瓶から目を離せないまま、掠れた声で続けた。
「ワシが二千年以上を生きてきて、この目で見たのは、たったの三回きりじゃ。そのうち研究のために手に入れられたのは、たったの一度だけじゃ。……それが今、お主の手の中に、当たり前の顔で転がっておる」
あの一本を手に入れるために、彼女がどれほどの歳月と犠牲を払ったかを、信は知らない。数十年をかけて潜ったダンジョンの最奥で、ようやく巡り会えた一瓶を、エルミニアは震える手で持ち帰った。そして解析のためにその大半を使い切ってしまい、それでもなお、組成の底には手が届かなかったのだ。あれは彼女にとって、生涯でも指折りの敗北の記憶だった。
ごくり、と喉を鳴らしたエルミニアが、おそるおそる問いを口にする。
「……シン。まさかとは思うが、それは……もう一つ、創れたりするのか……?」
当然ながら、この男に緊張感というものは欠片も存在しなかった。
「え? ああ、いくらでも創れますよ!」
信は実にあっさりと、世界の秤を根こそぎひっくり返す一言を口にした。
「なんなら、湧き水みたいに無限に出るようにしましょうか?」
「わ、湧き水みたいに、無限……ッ!?」
「エリクサーで洗濯したら…どんな頑固な汚れも綺麗に落ちそうですよね。今度試してみようかなー?」
「洗濯………」
エルミニアはもはや…絶句するしかなかった。
国が傾き、戦が起こり、人が殺し合ってでも奪い合ってきた奇跡の雫を、この男は井戸の水と同列に並べてみせた。生活の一部に気軽に使おうとしている。エルミニアの脳裏には、この事実が世に知れた瞬間に世界へ走るであろう亀裂が、あまりに鮮明に浮かんでしまう。
伝説の万能薬を湧き水扱いした男を前に、彼女の思考は完全に停止し、その紫紺の瞳から、みるみる光が失われていった。
第九話 了




