第八話「メイドさん、錬成できました」
新しい家に引っ越してから、まだ二日しか経っていない。それなのに信は、早くも重大な問題に直面していた。
「……二人で住むには、無駄に広すぎる!」
どうせ錬成するのならと、地球でも決して住めなかったような邸宅を、気合のかぎりを尽くして建ててしまったのだ。磨き上げられた大理石の玄関ホールに、天井の高い居間、いくつも並ぶ客間、庭に面したガラス張りの室内プール、そして森を望む露天風呂まで、思いつくかぎりの理想を惜しみなく詰め込んだ結果がこれである。
夢だけを追いかけた結果、現実の生活はどうなったかというと、掃除も維持管理も一人の手にはとても負えない代物になり果てていた。プールの水質ひとつ取っても管理が要るし、廊下を端まで拭くだけで半日が溶けてしまう。
「あのとき調子に乗って気合を入れた、たった二日前の自分を、いますぐ叱りつけてやりたい……」
しかも、この家を作り直せない事情は、彼の見栄だけではなかった。
「この家は快適なのじゃ! ワシはすっかり気に入ったのじゃ。シンは実に良い仕事をしたのう!」
ふかふかのソファに身を沈め、露天風呂へ通う日々をすっかり満喫しているエルミニアが、掛け値なしの笑顔でそう言ってしまったのだ。彼女に喜んでもらえたこと自体は、信にとって素直に嬉しかった。だからこそ、今さら「実は広すぎたので作り直します」などとは、口が裂けても言い出せない。
そうして数日のあいだ頭を抱えて唸ってみたものの、答えはついぞ出てこなかった。追い詰められた信は、ある朝ついに、盛大にやけを起こした。
「あれこれ悩んだが、答えが出ません! とりあえず、メイドさんが錬成できないか試してみよう!」
庭先の地面に両手をつき、彼は真剣そのものの顔で叫んだ。
「メイドさん、おいでませ! 錬成っ!!」
しん……と静まり返った庭に、鳥の声だけが遠く響いた。
「……まぁ、そうだよね。地球産の『物』限定だもんね。人なんか錬成できないもんね」
自分で自分に言い聞かせながら、それでも信は諦めが悪かった。
「それじゃ、これはどうだ! フィギュアのメイドさん、錬成!」
今度はあっさりと成功し、二十センチほどのメイド人形が手のひらに現れた。細部まで精巧に造形されたそれを、信はしげしげと眺め、しばし逡巡してから、そっとスカートの中を覗き込む。
「……うむ。おパンツもしっかり履いている。仕事が丁寧だ」
背後から声がしたのは、まさにその瞬間だった。
「……さっきから、何をしておるのじゃ?」
びくぅ…と飛び上がらんばかりに肩を震わせて、信はぎこちなく振り返った。そこには、絶対零度の軽蔑をたたえた紫紺の瞳で見下ろすエルミニアが立っている。
「シンは、そんな人形に興味があるのかのう? ワシのことを、好きだの愛しておるだの、あれほど言うておったのに」
「いえ、あの、これには深ーい事情がありまして、エルミニアさん……!」
「見損なったのじゃ!!」
ぷんすかと怒りを露わに去っていく背中を、信はその場に膝をついたまま見送った。理不尽な、しかし反論の余地もない敗北感が、じわじわと胸を侵食していく。
「……よし。こうなったら、もうやけくそだ」
涙目のまま立ち上がった信は、前世で観たアニメの記憶を、頭の奥から引きずり出した。あの作品に出てきた、家事も戦闘もこなす自律型の人形――魔導人形の戦闘メイドを、彼はありありと思い浮かべる。
「錬成っ!」
半ばやけくそで地面に手をついた次の瞬間、空間が確かな手ごたえを伴って歪みはじめた。
「えっ、えっ、ええええーーーーーーー!?」
魔力の粒子が幾重にも折り重なって人の形を編み上げていき、やがて信の目の前には、漆黒のロングヘアをまとった一体のメイドが、静かに立っていた。伏せられた睫毛の長さも、皺ひとつないエプロンドレスの縫い目も、驚くほど精緻に作り込まれている。
「嘘だろ……ほんとに錬成しちゃったよ……」
おそるおそる周囲をうろつき、指先でつんつんと肩をつついていた信の耳に、抑揚のない声が届いた。
「これより起動いたします」
「えっ!?」
「……起動中。……起動中。……起動中」
「すべてのプログラムのインストールを完了いたしました。可動チェック、各部異常なし。稼働状態となりました」
「稼働により、魔導人形の使用が一〇〇パーセント可能となりました」
ゆっくりと持ち上がった睫毛の下から、澄んだ黒曜石のような瞳がのぞいた。
「ご主人様と認定。登録完了いたしました。以後、なんなりとご命令ください、ご主人様」
「えぇぇええーーーーー、マジかーーーーーーーーー!?」
庭先に響き渡った絶叫は、たっぷり十秒は森へこだましていた。
「なんで? なんで錬成できちゃったんだ? ……ひょっとしてこれ、地球産の『物』扱いってことか?」
自分の作った人形を前に、信は頭を抱えた。
「神様、拡大解釈が過ぎますよーーーー! おおざっぱすぎるーーーーー!」
ひとしきり天を仰いだあと、じっとこちらを見つめている人形と目が合って、信は慌てて咳払いをした。
「ごほん……いくつか質問、いいかな」
「はい、なんでもお聞きください、ご主人様」
「君の名前は?」
「まだありません。ご主人様からお名前をいただければ幸いです」
「君は炊事、洗濯、掃除、設備管理なんかできたりする?」
「はい、わたくしはそのように作られております。お仕事をいただければ、ご満足いただけると分析いたします」
「ちなみに……戦闘は?」
「ご主人様が敵と定めた対象に対して、攻撃は可能です。兵器類は亜空間コンテナに格納されております。誰を攻撃なさいますか?」
「いやいやいや、今はまだ誰も攻撃しないから!」
物騒な確認を全力で押しとどめてから、信はふと大事なことを思いついた。
「君は、僕の元いた世界の某アニメのことは分かる? その主人公のことや、自分がどういう存在なのかは?」
「存じ上げません。主人公とは、どなたを指す言葉なのでしょうか。わたくしは魔導人形、戦闘も可能なメイドタイプです」
腕を組んで、信はしばし考え込んだ。
(うーん、これはあれか……データ的には、まっさらな状態ってことなんじゃないだろうか?)
「……害は、ないんだよね?」
「ご主人様がお望みであれば、自壊いたします」
「いやいや、そんな物騒なことを言わないでよ」
「承知しました。今後、自壊は禁句の項目に分類しておきます」
なんとも不穏な学習をされてしまったが、深く考えるのはやめておこうと、信は早々に匙を投げた。
「そうしたら、まずは名前を付けましょう」
「はい、よろしくお願いいたします、ご主人様」
「君の名は『睦月』。担当はメイド長で、全体の統括とスケジュール管理。……どうかな?」
黒髪を背に流した大和撫子めいたその佇まいは、まさしく長女の風格を漂わせている。睦月は裾をつまみ上げ、惚れ惚れするほど美しい一礼を捧げた。
「拝命いたしました。これよりわたくし睦月は、誠心誠意ご主人様にお仕えいたします。以後、よろしくお願い申し上げます」
「よし! これで家が広すぎる問題は解決するぞ。じゃんじゃん作ってしまおう!」
箍が外れた男を止める者は、その場に誰一人としていなかった。深く考えるより先に手が動いてしまうのは、若返った肉体のせいなのか、それとも追い詰められた家事担当者の悲鳴なのか、もはや本人にも判然としない。ともあれ信は、前世で親しんだアニメの記憶をひとつずつ手繰り寄せながら、庭先で錬成を繰り返していった。
次に現れたのは、銀髪をショートに切りそろえた『如月』で、氷のように静かな眼差しのまま邸内の警備と保安を引き受けると告げた。空を埋め尽くす飛行魔獣の群れすら、亜空間から呼び出した誘導弾の雨で一掃できるという説明を、彼女は眉ひとつ動かさずに淡々と語ってみせる。
続く『弥生』は、栗色の髪をゆるく波打たせたおっとりとした癒し系で、庭園と薬草園の管理を任された。ふんわりと微笑みながら「敵にだけ効く薬剤なら、ドローンで散布いたしますね」と物騒なことを言うので、信は思わず笑顔のまま固まってしまった。
金髪をツインテールに結った小柄な『卯月』は、ダボついた袖を振り回しながら洗濯を志願し、「どんな頑固な汚れも跡形もなく洗い流します!」と胸を張った。その台詞が、超高圧の水流を毎分数千発浴びせる兵装の宣言でもあると気づいたのは、しばらく経ってからのことである。
凛としたポニーテールの『皐月』は、執事服めいたパンツスタイルで力仕事と修繕を引き受け、華奢な腕に質量を無視した巨大な機械式の拳を装着してみせた。魔王級の装甲すら一撃で貫くというその拳で、彼女は棚の建て付けを直しに向かった。
眼鏡をかけた図書委員風の『水無月』は、青みがかった黒髪をおさげに垂らし、書斎とエルミニアの研究データの整理を担当する。敵の探知や精神干渉をまとめて無効化する妨害中継器を扱うと聞いて、信はもはや驚くのをやめていた。
派手な金髪のギャル風でありながら仕事は超一流という姉御肌の『文月』は、厨房の下処理と肉の解体を志願し、鼻歌まじりに巨大なチェーンソーを担ぎ上げた。「魔獣くらいならステーキ肉みたいにスライスしときますね、旦那様」という笑顔が、まぶしいほどに屈託ない。
赤髪をウルフカットにした『葉月』は、運動神経の塊のような身のこなしでプールと大浴場の管理を引き受け、湯加減の調整を約束してくれた。ただし彼女の得物は、湖ひとつを一撃で蒸発させる超高熱の重砲だというのだから、湯加減の話とはとても思えない。
紫髪のボブに口数の少ない『長月』は、バーカウンターと晩酌の給仕を担い、数キロ先の敵を結界ごと分子レベルで崩し去る狙撃銃を、そっと亜空間へ収めた。物静かな彼女の目は、常に遠くを見ている。
白髪のゴスロリめいた『神無月』は、感情の読めない顔でベッドメイクと寝室の防音防犯を宣言した。「イチャイチャの聖域は完全に守護いたします」と真顔で言い切られ、信は気まずさのあまり視線を逸らすほかなかった。
淡いブルーの髪をした『霜月』は、いつも眠たげな半目のまま空調と冷蔵設備を担当し、炎の概念すら凍りつかせる冷却装置を、あくびまじりに紹介してくれた。
桃色の髪を短く切った『師走』は、笑顔でせわしなく動き回りながらゴミ出しと害虫駆除を引き受け、目に見えない機械虫の群れで対象を跡形もなく食べ尽くすのだと、無邪気に説明した。文字どおりの大掃除である。
ここで止めておけばよかったのだが、すっかり調子に乗った信は、さらに三体を追加してしまう。
白銀の髪をハーフアップにした『初雪』は、守ってあげたくなるほど儚げな美少女でありながら、スカートを覆うようにして数十門の砲塔を備えた浮遊要塞を展開する、一人で軍隊を滅ぼせる拠点防衛型だった。
ポニーテールにショートスカートの『涼風』は、研究棟と母屋を結ぶ高速配達係を志願し、背に超音速の飛行ユニットを装着してひらりと宙へ舞い上がってみせた。
最後の『朧』に至っては、和風の隠密じみたミニマムなメイド服のまま、気配を完全に消して信の影へ溶け込み、「隠密警護を担当いたします」という声だけがどこからともなく響いてきた。
そして締めくくりに、信は屋敷全体をまとめる存在を錬成した。ロマンスグレーの髪を撫でつけ、手入れの行き届いた髭をたくわえた英国紳士風の男が、仕立ての良い黒のタキシードを一分の隙もなく着こなして、深々と腰を折る。
「戦闘家令、『セバスチャン』と申します。旦那様、以後お見知りおきを」
背筋はぴんと伸び、一挙手一投足に大人の品格と落ち着きが漂っていた。十五体の個性豊かな、そしてやや暴走しがちなメイドたちを完璧に統率し、シフト管理から備品の発注、主のスケジュール調整までを一手に引き受けるのだという。
なにより信を舌打ちしたくなるほど感心させたのは、その頭脳だった。セバスチャンは信の『限定天眼』や『限定時空間操作』と静かに同期して、周囲の魔力の流れも、風向きも、迫る敵の筋肉のわずかな動きまでも読み取り、戦況を立体の図面のように組み上げてしまう。指先から繰り出す不可視の極細ワイヤーと、懐に忍ばせた漆黒の大口径拳銃こそが、彼の洗練された得物だった。
「あー、あれ、なんかいい感じにやっておいて」という主の実にいい加減な指示ですら、この老紳士は百二十パーセントの精度で形にしてしまうのだから、元営業職としては脱帽するほかない。
「旦那様と奥様の穏やかなお時間を妨げる不届き者は、たとえ世界滅亡級の脅威であろうと、わたくしどもが速やかに排除いたします。どうぞ何も憂うことなく、日々をお過ごしください」
あまりに完璧な一礼を前に、信は「あ、はい」としか返せなかった。
やがて睦月の合図ひとつで、十五人の娘たちは水が流れるように屋敷へ散っていった。窓は磨かれ、洗濯物は次々と干し上がり、厨房からは早くも下拵えの小気味よい音が響いてくる。半日かけても終わらなかった廊下の拭き掃除が、ものの数分で鏡のように光りはじめるのを眺めながら、信は感動と困惑を同時に噛みしめていた。
その光景を、庭へ出てきたエルミニアが、真正面から目撃してしまったのは、まさにこの瞬間だった。
磨き上げられた庭先に、寸分の狂いもなく整列した十五人の美女と美少女、そしてその先頭に立つ老紳士。彼女たちが一斉に腰を折り、「「「お帰りなさいませ、奥様」」」と声をそろえた瞬間、二千年を生きた最強の魔女の思考は、完全に停止した。
「なんじゃこれはーーーーーーーーーーーー!!!?」
絶界の骸森の空へ、その日いちばんの絶叫が、高らかに響き渡っていった。
整列した娘たちの一人ひとりから立ちのぼる気配を、エルミニアの魔眼は正確に測り取ってしまう。そのどれもが、並の魔導師など束になっても敵わぬ域にあり、しかもそれが十六体、当たり前の顔で庭先に並んでいるのだ。
(……こやつら、その気になれば一国を落とせるぞ。それを、掃除と洗濯のために作ったじゃと……?)
こめかみを押さえて天を仰いだ彼女の耳へ、当の元凶が、実に晴れやかな声で告げた。
「これで家の管理は完璧です。エルミニアさんは、研究に集中してくださいね」
「……お主というやつは、ほんに、ほんにのう……」
呆れと諦めと、ほんのわずかな嬉しさとが入り混じったため息をつきながら、それでもエルミニアの口元は、言わずにはいられなかった。
「スキルを、こんなことに使うのは……なんか違うのじゃ! 絶対に違うのじゃーーーーー!!」
第八話 了




