第十話「なんでも創れてしまう(後編)」
エリクサーを湧き水扱いされた衝撃から、エルミニアがどうにか立ち直ったころ、信はまた別の思いつきに目を輝かせていた。前世で遊んだゲームには、魔法をあらかじめ封じ込めておき、術者でなくとも撃てるという便利な指輪があったはずなのだ。
「エルミニアさん、これ、試してみてもいいですか」
庭先で錬成された指輪は、赤い宝玉を無骨な金の台座に据えた、いかにも物語じみた品だった。掌の上でそれを転がしながら、信は少しばかり困った顔をする。
「ファイヤーボールが封じてあるんですけど……ここで撃ったら、庭が丸焦げですよね」
「空に向かって撃てばよい。この結界は、内から外へ出ていく攻撃は素通しじゃからな」
「え、そんな仕組みなんですか?」
エルミニアは紅茶のカップを置くと、どこか誇らしげに顎を上げた。
「外からの侵入と攻撃はいっさい通さぬ。そのくせ内側からの攻撃は通す。おまけに、一度外へ出た自分の魔法が跳ね返ってきたとしても、それはもはや『外からの攻撃』とみなされて防いでしまう。……名を『常世の絶結界』という」
「常世の……絶結界」
「現世の理から完全に切り離された、不変にして干渉不可能な絶対防御の領域よ。ワシが千年をかけて編み上げた、生涯の傑作のひとつじゃ」
その説明を聞いた信の目が、これ以上ないほど輝いた。
「名前もめちゃくちゃかっこいいですけど、仕様がすごすぎませんか! さすがエルミニアさんだ。その美貌もさることながら、魔女としても唯一無二の存在じゃないですか。僕はそんな人を愛してしまったなんて……なんて幸運なんだ!」
「……後半が若干、余計じゃがな」
そっぽを向きながらも、エルミニアの口元は、隠しきれずにゆるく緩んでいた。
「そうかのう。ワシも、まぁ、満更でもないかのう」
だが次の瞬間、彼女は少しばかり恨めしげな目で信を見上げた。
「……最近はな、お主のせいで自信を失いかけておるのじゃぞ」
「い、いや、ほら! 僕の力は創造神様から直接いただいたものですから、あれです、別枠ですよ、別枠!」
慌てて必死のフォローを並べ立ててから、信はわざとらしく咳払いをした。
「それより、撃ってもいいですか?」
「はよう撃て」
誤魔化されたことに気づきつつも、エルミニアの目は、すでに好奇心で爛々と輝いている。
指輪を右手に嵌めた信が、腕をまっすぐ空へ突き出した。
「ファイヤーボール!」
宝玉が眩く発光したかと思うと、掌の先に膨れ上がった業火の球が、轟音を引き連れて天へと駆け上がっていった。頭上を覆う虹色の膜を、火球はなんの抵抗もなく突き抜けて、遥か上空で爆ぜて散る。
「で、出たーーー! ほんとに結界を通過した! すごい、すごいですよエルミニアさん!」
「……シン、指輪を見よ」
冷静に観察していたエルミニアの声に、信が自分の右手へ目を落とす。役目を終えた指輪は、乾いた砂のようにさらさらと崩れ落ち、風にさらわれて消えていくところだった。
「なるほど、使い切りアイテムだと、アイテム自体がなくなっちゃうのか……。こんなところまでゲームと同じとは」
「じゃが、これは大きいぞ。そのアイテムさえあれば、魔法を使えぬはずのお主でも、魔法が使えるようになるということじゃからな」
その言葉を聞いた瞬間、信の頭の中で、何かがぱちりと噛み合った。
「エルミニアさん、少し見ててください」
「うむ?」
信はもう一度、同じ指輪を錬成した。ただし今度は、それを掌に載せたまま、『限定時空間操作』の力をそっと注ぎ込む。指輪の内部で進むはずの摩耗も崩壊も、そのすべてを、彼はいまこの一瞬に固定してしまったのだ。
そうして再び空へ腕を突き出し、二発目の火球を撃ち放つ。轟音が遠ざかったあとも、指輪は掌の上で、赤い宝玉をあかあかと灯したまま、平然とそこに在りつづけていた。
「……崩れない。しかも、まだ撃てる状態のままだ」
信は勢いよく拳を握りしめた。
「やった、思ったとおりだ! 時間固定をかけたせいで、指輪のほうが『魔法を消費した』と判断できなくなってるんですよ。これで、無限にファイヤーボールが撃てるぞ!」
その理屈を頭の中で組み立て直したエルミニアは、顎が外れそうなほど口を開けたまま、掠れた声を絞り出した。
「そんな、馬鹿な……。固定しておるのは『消耗と崩壊』だけで、効果の発動そのものは許しておるということか……。『限定』のはずのスキルが、なぜそこだけ都合よく緩いのじゃ……!」
膝から力が抜けていくのを感じながら、彼女は胸の内で戦慄していた。
(もはや無茶苦茶じゃ。これは我々の知るスキルという概念では、まるで説明がつかん。神の持つ権能に近い力じゃ。『限定』と名がつきながら、その用途も汎用性も、ワシの知るスキルとは桁が違いすぎるわ……)
当の本人は、そんな煩悶などどこ吹く風で、空へ向かって火球を連射しては大笑いしている。
「わはははーっ! なんだこれ、楽しいぞーっ!」
「……ワシ、これでも一応、最強の魔女と言われとるのじゃがな」
空を焦がす火球の軌跡を眺めながら、エルミニアは遠い目をした。
「実は、大した存在ではないのかもしれん……」
「そんなことないですって! エルミニアさんは僕の愛しい人で、それに世界一きれいな人なんですから!」
必死のフォローを浴びせられて、彼女は複雑な顔で黙り込む。
そこでふと、エルミニアはある事実に思い至って、すっと表情を険しくした。
(……待て。この男の力が世に知れたら、どうなる。各国が、魔王どもが、そしてなにより、あの聖皇国の連中が黙っておるはずがない。厄介極まりないことになりかねんぞ。……ならば、ますますワシが、この男を保護せねばならんではないか)
そこまで考えて、彼女は自分の胸の奥に灯った、奇妙な熱に戸惑った。
(……ならんが、なんじゃ? この胸の奥から湧き上がる、妙な温かさは。世界中の勢力からこの男を匿うという、途方もない面倒事を背負い込んだというのに……なぜワシは今、こんなにもホッとしておるのじゃ?)
その正体に、彼女はうっすらと気づいてしまい、そして必死に否定した。
(まるで、この男の傍に居つづけるための、完璧な口実を手に入れたかのような――いや、馬鹿な! ワシは二千年近く、この骸森で独り生きてきたのだぞ! 早く独りに戻りたいはずじゃ。それが、なぜ……無邪気に笑うこの男の姿を、ずっと見ていたいなどと……っ)
混乱の末に、彼女が取った行動はひとつだった。
「調子に乗るでないわい!!」
真っ赤な顔で駆け寄ったエルミニアが、火球を連射してはしゃぐ信の頭を、ぽかぽかと叩きはじめる。
「痛い痛い! エルさん、なんで怒るんですか!? ほら、エルさんにも無限指輪、作ってあげますから!」
「い、いらんわ、そんな恐ろしいもの! ……いや、やっぱり貰っておく」
「はい」
ひとしきり騒いだあとで、信はふと真顔になった。
「それじゃあ、この際ですから、エルミニアさんと僕自身をきちんと強化しましょう」
「強化じゃと?」
「エルミニアさんに『もしも』なんて、たぶんないんでしょうけど。備えあれば憂いなし、っていう地球の言葉もありますからね」
「どういう意味じゃ、それは?」
「いざという時のために日頃から準備をしておけば、万が一の事態が起こっても少しも心配することはない、という意味です」
信はそこで、ふっと表情をやわらげた。
「僕は、エルミニアさんが不利になることすら嫌なんですよ」
「……そ、そうか」
ぷいと横を向いたエルミニアの耳が、じわりと赤く染まっていく。
「ならば、すべてシンに任せるのじゃ!」
「はい、任せてください」
こうして始まった装備の錬成は、この世界の常識を、またしても根こそぎ踏みにじるものとなった。
エルミニアのために信が最初に生み出したのは、一本の杖だった。黒檀めいた漆黒の柄に、渦を巻く銀の意匠が絡みつき、その先端では、光そのものを吸い込むような紫の結晶が静かに脈打っている。銘を『無窮の魔杖』といって、彼女の『魔力吸収』が溜め込んだ無限の魔力を、瞬発出力の上限すら無視して叩き出す代物だった。
おまけに、『術式創造』で描いた設計図を、幾度もの実験を経ずしてその場で成立させ、深淵の源泉から直接魔力を汲み上げても自我が保たれるよう安定させ、無詠唱での多重同時展開まで可能にしてしまう。
柄を握った瞬間、エルミニアの全身を、雷にも似た戦慄が駆け抜けた。長らく彼女を縛ってきた「一度に出せる力の天井」が、まるで最初から存在しなかったかのように、跡形もなく消え失せている。二千年ものあいだ、彼女はその見えない天井を叩きつづけながら生きてきたというのに。
左手首には『無尽蔵の腕輪』が嵌められた。容量無限で時間の止まった亜空間庫であり、信のアイテムボックスと中身を共有できる、実に家庭的な逸品である。
右手の人差し指に収まった『座標刻みの指輪』は、一度訪れた場所を無制限に座標として記録し、魔石も詠唱もなしに即時の転移を許す。数百年をかけて転移魔法を編み出した本人が、その苦労を根底から無意味にされて、思わず遠い目をした。
全身を包むのは『瞬装・深紫の魔装』で、意思ひとつで一瞬にして着替わり、あらゆる自然環境と真空すら無効化する。普段のダボダボの魔女服から、体の線をくっきりと描き出す深紫の魔装へ切り替わった瞬間、信は思わず息を呑んだ。
「……反則です。強さの前に、まず綺麗すぎる」
「ば、馬鹿を言うでない。これは戦装束じゃぞ」
言い返しながらも裾を気にして落ち着かない彼女の仕草は、二千年を生きた魔女のものというより、褒められ慣れない娘のそれだった。
左目には『刻詠みの単眼鏡』が飾られ、思考加速と並列思考を約束する。右目に宿る『深淵の魔眼』を塞がぬようにという、信なりの細やかな配慮の産物だった。右耳の『清明の耳飾り』は毒や麻痺といった肉体の異常から、魅了や洗脳といった精神への干渉までを完全に無効化し、首元の『天翔のペンダント』は慣性すら打ち消す自在の飛翔を彼女に与えた。
胸元で鈍く光る『概念の錨』は、風化や因果干渉といった概念そのものによる攻撃を拒絶する。左手の中指に嵌まった『生命の錨』は即死を、右手の中指の『解錠の紋章』は封印を、それぞれ結果ごと拒み去る。彼女の『不滅』が真の無敵ではないという、その最後の穴を、信は執念深く塞いでいったのだ。
すべてを身に着けた姿を前に、信はひとりで拍手をして大喜びした。
「そんなに似合うかの?」
「エルミニアさん専用装備と言っても過言ではないくらい、もうばっちりです!」
悪い気はしないのか、彼女は満更でもなさそうに髪をかき上げたが、その一つひとつがどれほど反則的な代物か、誰よりも理解できてしまうだけに、深いため息もついた。
「……もうワシ、魔法研究をやめてもよいのではないかのう」
「何を言うんですか。僕が作ったこれらは、この世界では言わば反則みたいなものです。だからこれらは、エルミニアさん以外の他人には、絶対に作らないし渡しません!」
信はきっぱりと言い切った。
「だから、安心してください!」
「……ワシだけ」
その一言の意味を噛みしめるように呟いて、エルミニアはまた、じわじわと赤くなっていく。その様子を眺めながら、信の胸はほっこりとあたたかくなった。
続いて信自身も、同じ思想で身を固めていった。全身を覆う『瞬装・黒鋼の闘衣』は熱も冷気も毒気も腐食も重力も寄せつけず、真空や水中でさえ呼吸と発声を保たせる。右目の『刻詠みの片眼鏡』は主観時間を数千倍にまで引き延ばし、意識を幾本にも分岐させて同時に判断させる。
左耳の『清明の耳飾り』が肉体と精神のあらゆる異常を弾き、首の『天翔のペンダント』が超音速の飛翔すら苦もなく可能にした。胸章の『概念の錨』は四大魔王のスキル体系への対抗札として、右手中指の『生命の錨』は即死や存在消去を結果ごと拒み、左手中指の『解錠の紋章』は封印も拘束も自動で解除してしまう。
「これまた、すごいのう……」
「武器は……今はまだ、作らなくていいかな」
遠い目をするエルミニアの前で、信は最後にもうひとつ、小さな指輪を錬成した。銀色の、飾り気のない、けれど内側に淡い光を宿した対の指輪である。
「これは『繋魂の指輪』といって、どれだけ離れても念話ができて、お互いの感情や体の状態まで分かるんです。……エルミニアさんと僕の対の品です」
「ほう、それは便利じゃな」
「ただ、これ、左手の薬指に付けないと効果が出ないんですよ」
真顔でとんでもない嘘をつく男を、エルミニアは疑いもしなかった。
「そうか? それならシンの言うとおりにするのじゃ」
彼女が素直に左手の薬指へ指輪を通すのを見届けて、信は背中で小さくガッツポーズを決めた。この世界の婚姻は婚姻魔法によって成立するもので、指輪を交わす文化などない。だからこそ彼女は、その仕草の意味を知らないままでいる。
(既成事実は、こうやって一つずつ積み上げていくのだ!!)
なぜこの男がこんなにも嬉しそうなのか、エルミニアにはさっぱり分からなかった。
やがて、自分の指先で瞬く無数の装備を見下ろして、彼女はまた遠い目をした。
「……のう、シン。ワシ、本気を出せば世界を征服できてしまうぞ。というより、この世界を本気で破滅させられるかもしれん。破滅の魔女、最強の魔女などという別名が、とうとう本物になってしもうたわ」
「エルミニアさんに『もしも』があったらいけませんからね。これくらいはやっておかないと」
(こやつ……家の時も、メイドの時もそうじゃが、やるとなったら徹底的じゃな。よほどの凝り性なのじゃな……)
呆れたようにこぼしたエルミニアは、それでもふと真顔に戻って、探るように問いかけた。
「シンよ。お主は、その力で世界を獲ろうとは思わんのか?」
「興味ないです」
信は即答した。そしていつもの調子で、けれど嘘偽りのない目で微笑んだ。
「僕が征服したいのは、エルミニアさん…だけですから」
「……っ!」
二千年以上を生きた最強の魔女は、その一言に、完全に言葉を失ってしまった。
第十話 了




