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世界がどうであれ、夫婦のイチャイチャが常に優先されます。転生先で口説いた美女は最強の魔女でした。  作者: 1009
第一章「絶界の骸森のめぐりあい」

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第十五話「シン、初めて街へ行く」

 鱗の隆起を鞍代わりにして、信は雲の切れ間から地上を見下ろしていた。


 眼下では森が緑の絨毯となって流れ、川が銀の糸のように蛇行し、そのさらに向こうには人の営みを示す街の輪郭がぼんやりと浮かんでいる。そして彼の乗っているのは船でも馬車でもなく、翼を広げれば二十丈を超える、赤い巨竜の背であった。


「いやー、これですよこれ! 竜の背に乗って旅をするなんて、子どもの頃からずーっと憧れてたんですよねー!」

「ぐるるっ!」


 褒められたと思ったのか、「ポチ」と名付けられた赤竜が嬉しそうに喉を鳴らし、機嫌よく尾を振って高度を微調整する。その健気さを見るにつけ、隣に腰を下ろしたエルミニアの表情は、いよいよ形容しがたいものになっていった。


(……竜種を十体も使役しておるなどと知れてみよ。各国が動くぞ。いや、下手をすればあらゆる勢力が出張ってきて、面倒事の見本市が始まるのじゃ。……はぁ〜〜〜)


 もっとも、その面倒事の種を蒔いた張本人は、風を浴びながら実に晴れやかな顔で笑っている。


 今日の外出には、三つの目的があった。無傷の竜素材の換金と、エルミニアの買い出し、そして「異世界の街というものを一度この目で見てみたい」という…信のごく個人的な好奇心である。


  *


 ……数日前。


「そうだ、エルミニアさん。ついでに街に拠点を作りましょうよ!」

「拠点じゃと?」

「一度でも自分の足で行った場所なら転移できますから、街に自分の家があれば、いつでも一瞬で買い物に来られます。……ついでなので、お店でも開いて商売でも始めましょう!」


 エルミニアはこめかみを押さえて溜息をついたが、その内心では、拠点という言葉がやけに甘く響いていた。誰にも姿を見られることなく街へ降り立ち、用が済めばまた誰にも見られずに帰ることができる。二千年ものあいだ人目を避けて生きてきた彼女にとって、それは思いのほか魅力的な話であった。


「……まぁ、悪くはないのう。よかろう、乗ってやる。しかし、何を売るつもりじゃ?」

「エルミニアさんが要らない魔物素材と……あとは定番の、塩と砂糖でしょうか」

「定番? なんじゃそれは」

「僕のいた世界で流行っていた物語の、お約束というやつです」


 言うが早いか、信は掌をかざして錬成の魔力を巡らせた。


「おいでませ、塩と砂糖。……百袋、錬成!」

 空中に袋が次々と現れ、積み上がっていくのを見て、エルミニアが呻く。


「元手が一切かかっておらん、反則にも程が――ってなんじゃ、そのおぞましく白い塊はーーーッ!?」


 破れた袋の口から覗いていたのは、雪のように白く、光を受けて微かに輝く結晶であった。この世界の塩は灰色か茶褐色であり、砂糖に至っては黒か濃い褐色をしているのが常識である。純白の結晶など、少なくとも彼女は二千年以上のあいだ一度も目にしたことがなかった。


「まぁ舐めてみてください。ほら、こっちが塩で、こっちが砂糖です」


 おそるおそる指先を伸ばしたエルミニアは、それぞれを舌に載せた瞬間、大きく目を見開いた。


「……塩じゃ。こっちは、間違いなく砂糖じゃ。じゃが、なぜこんなに白い」

「地球だと、これが普通だったんですよ。近所の店で気軽に買えました」

「お主のおった世界は……想像を絶する技術力なのじゃな……」

「まぁ、先人たちの知恵ってやつですね。僕らはその恩恵で暮らしてただけです。……で、これ売れますか?」


 彼女はしばらく袋を睨みつけてから、慎重に答えた。


「売れる。売れるが、ここまで白いと、貴族どもをはじめ厄介な連中が湧くぞ。独占したがる者、製法を吐かせようとする者、力ずくで奪おうとする者――どれも山ほど見てきた」

「えっ、面倒なのは嫌だなあ。どうにかなりませんか?」

「まぁ、ワシが後ろ盾におると分からせれば、誰も手は出せんじゃろうがな」


 その一言を聞いた瞬間、信は彼女の両手を掴んで大喜びした。


「さすがエルミニアさんだ! 困ったときのエルミニアさん! 僕にはいま、あなたが青いネコ型ロボットに見えましたよ!」

「……褒められておるはずなのに、なぜか嬉しくないのはどういうわけじゃろうな。というか、青いネコ型なんちゃらとは何じゃ」

「まあ、べんり……じゃなくて、頼もしいってことです」

「お主いま、ワシを便利と言いかけたじゃろーーーッ!!」


  *


 街の手前で降ろしてもらい、ポチには近くの峡谷で待つよう言い含めてから、二人は準備の続きに取りかかった。


「それで、店の人間はどうするのじゃ」

「作りますよ」

「やはり、そうなるのじゃな……」


 もはや驚く気力もないという顔で、エルミニアが遠い目をする。その隣で、信は指を折りながら人員構成を組み立てていた。店主が一人、それから各得意分野を持つ四人。


「変なのが寄ってくるってエルミニアさんが言ってたので、全員、戦えるようにしておきますね」

「戦える商人とな……えらい物騒じゃのう」

「それじゃ、おいでませ――錬成!」


 光が渦を巻いて凝り固まり、五体の商人型の戦闘魔導人形マギ・ドールが地面へ降り立った。


 先頭に立つのは、細い糸目に胡散臭い笑みを貼りつけた和装の中年、商会長のエチゴヤである。その背後には、眼鏡の似合う切れ者風の女、オウミヤ。がっしりとした体格に前掛けを締めた職人気質のカガヤ。旅商人めいた軽装に鋭い目を光らせるナニワヤ。そして華やかな装いで愛想よく微笑む若い娘、キョウヤが並んだ。


「ご主人様、はじめまして。商売のことは、私らにお任せくだされ。……きっちり利益を出させてもらいますわ」

「よろしく頼むよ!」


 深々と腰を折るエチゴヤに、信は屈託なく手を振った。


「ときに、戦えると聞いたが、お主ら何を持っておるのじゃ」

「へえ、亜空間にちょいとごっついもんを積んでますねん。奥様におかれましては、まぁ、見んほうが幸せかと思いますわ」


 糸目の奥がほんの一瞬だけ開き、そこから覗いた冷たい魔力の光に、エルミニアは反射的に半歩下がってしまった。


「……無茶苦茶すぎて、頭がどうにかなりそうじゃ」


 うずくまるエルミニアの前で、しかしエチゴヤは、さっそく最初の仕事に取りかかっていた。信がアイテムボックスからと取り出した、積み上がった白い袋を検分し、値踏みするように目を細める。


「ご主人様。この白い砂糖、庶民に安う売ったらあきまへんで」

「え、どうして?」

「この街の製糖屋はんが、根こそぎ潰れますさかいにな」


 糸目のまま、彼は静かに言葉を継いだ。


「白いのは貴族の食卓のもん、そう思わせて高う売る。庶民が口にする茶色い砂糖は、これまで通り地元の業者はんの領分に残しときますねん。街の商いを踏み潰したら、次の年からうちは誰にも物を売れんようになりますよってに」


 信は「あぁー、やっぱりそうなるかー。変に恨まれても嫌だからね」と腕を組んで、関心しながら答えたのだったが、その傍らで、エルミニアだけが微かに背筋を震わせていた。この男は世界のことなど何ひとつ考えていない。にもかかわらず、彼が生み出した人形は、世界を壊さないほうを自ら選んでいる。


 塩と砂糖はエチゴヤの収納アイテムに、そして五人の魔導人形は信の『アイテムボックス』へ収納し、二人は、そこから徒歩で境界都市ガイムルグの門をくぐった。


 エルミニアは幻影魔法で全くの別人になりすまし、信もこの世界に合う、地球産のありふれた服を錬成して身にまとっていたので、傍目には、街を歩くただの若いカップルにしか見えない。


「あくまで護衛じゃからな。護衛として隣を歩いておるだけじゃからな」


 誰にも聞かれていないのに、彼女はしきりにそう繰り返していた。それでいて、信の腕に組みつき…離す素振りもなく、露店のおかみさんに「新婚さんかい、仲がいいねえ」と笑われた瞬間には、耳まで赤くして「ちがっ、ちがうのじゃ!」と裏返った声を上げる始末である。


 そして信は意識を集中しながら…考えていた。

(エルミニアさんの胸が腕にずっと当たっている。なんだこれ、ここは天国なのか?)


『絶倫』スキルが発揮されないのが、残念である。


 その勢いで、信は水を得た魚のようだった。


「奥さん、この香辛料いい香りですね。二袋もらいます。あ、じゃあこっちの籠も一緒に買うんで、少しまけてもらえます? ……ええ、うちの相方が甘いもの好きで、蜂蜜も見てるところなんですよ」


 世間話から入り、相手を持ち上げ、まとめ買いを匂わせて値を落とし、笑顔のまま次の店へ流れていく。三十年以上を営業で食ってきた男の手際に、エルミニアはいつしか本気で感心していた。


(……なるほどのう。あやつは魔法など使わずとも、こうして人の心を動かして生きてきたのじゃな)


 そんな穏やかな感慨が凍りついたのは、次の露店でのことだった。


 果物を並べていた若い娘が、身を乗り出すようにして信に話しかけたのである。愛想のよい笑みを浮かべ、髪をかき上げながら、シンにボディタッチをしながら、ずいぶんと親しげに。


 ――その瞬間、あたりの温度が、静かに下がりはじめた。


 石畳を細い霜が這い、籠に積まれた果実の表面に薄い氷が張り、行き交う人々が「今日は妙に冷えるな」と首をすくめる。誰もその原因に気づかないまま、変装したままのエルミニアだけが、無言で娘を見据えていた。


 彼女の紫紺の瞳の奥で、何かが底なしに深く沈んでいく。


 娘は言葉の途中で不自然に固まり、やがて白目を剥いて、そのまま後ろへ倒れ込んだ。

「えっ?、ちょっ…大丈夫ですか?」


「ふん、ふふーん♪」

「ワシのシンに手を出すからこうなるのじゃ。ざまーみるのじゃ!」


 空を見上げて口笛を吹く魔女の横で、信は慌てて娘を助け起こし、周囲へ平謝りする羽目になった。「最近ちょっと疲れが溜まってたのかも」

「日差しが強いですからね」

 適当な理屈を並べる彼の背中を眺めながら、エルミニアは自分の胸に手を当てていた。


(……しかし、なんじゃ? 胸の奥が焼けるように熱く……、あの娘が倒れたときはスカッとしたのじゃ。……ワシは、どうしてしまったのじゃ??)


 名前のつけられない感情の種が、彼女の胸の底で静かに土を割り、芽を出していた。二千年以上を生きて、憎しみも侮蔑も退屈もひと通り味わい尽くしたはずの魔女が、この日はじめて、自分の中に見知らぬモノが飼われていることを知ったのである。


 買い出しを終えた二人は、人気のない路地へ入り込んだ。信が『アイテムボックス』からエチゴヤとオウミヤを取り出すのを待って、エルミニアは自らの幻影魔法を解く。


 銀髪が流れ落ち、褐色の肌が現れ、あの深い紫紺の瞳が路地の薄闇の中で輝いた。とんがり帽子をかぶり直す彼女に、信が首を傾げる。


「あれ、変装しないんですか?」

「隠して商売をすれば、いずれ必ず嗅ぎつけられて、面倒が延々と続くだけじゃ。最初に最強の名を叩きつけておけば、二度と誰も手を出さん。……静かに暮らすには、これが一番早いのじゃよ」


 商業ギルドの重い扉が開き、その姿が敷居をまたいだ瞬間、喧騒に満ちていた広間が水を打ったように静まり返った。受付の職員は羽根ペンを取り落とし、居合わせた商人たちは壁際まで後ずさり、誰もが息をひそめて最強の魔女を凝視している。


 商業ギルドの係員がエルミニアの前にすっ飛んできた。

「エ、エルミニア様……本日は、どのようなご用件で……」


「ワシの後ろ盾で商売を始める。出店の許可と、大通りの物件をすぐに用意させるのじゃ」

「し、しばらくお待ちくださいーーーッ!!」


 応接室へ通されて間もなく、商業ギルドの会長が滝のような汗を拭きながら飛び込んできた。挨拶もそこそこに、卓の上へエチゴヤが二つの袋を置き、慣れた手つきで口を裂いてみせる。


「こちらになりまーす。塩と砂糖でおまっせ。舐めて確かめてみておくれやす」


 恐る恐る指を伸ばした会長は、その味を確かめた瞬間、椅子から腰を浮かせた。


「こ、これは確かに砂糖と塩……! しかし、こんなに白いものは見たことが……!」

「エルミニア様のところで作られた、上等な品でおますわ。商品いうのは見た目も大事、これならごっつい評判になりますで。基本はうちの商会の専売品になりますけど、儲けの一部は商業ギルドさんにも還元させてもらいます。……どないでっしゃろ?」


 エチゴヤと商業ギルドの会長は互いに頷き合い…ガッチリ握手。互いの気持ちが通じ合った瞬間だった。

 そして、握手を交わした会長の顔には、商人としての野心が隠しようもなく浮かんでいた。


「それから会長さん、実はもう一つ、めっちゃ大事な商品がおますねん。どこぞ広い場所、おまへんか?」


 案内されたギルド管理の大倉庫で、エチゴヤは収納アイテムから赤竜の死骸を丸ごと一体、無造作に引きずり出した。


「こ、これは竜……!? しかも、この状態は……私が商売を始めてから、こんなに綺麗な竜の死骸は見たことがない!!」

「先日、エルミニア様が綺麗に狩られた竜種でおまっせ。これからは骸森でエルミニア様が狩られた素材も、ぎょうさん商わせていただこう思てますねん」


 その背後で、二人は小声で囁き合っていた。


(……さっきからワシの手柄になっておるが、ワシ、何もしとらんぞ)

(僕がやったって言うより説得力があるでしょう。エルミニアさんの威厳のたまものですよ)

(なんか納得がいかんのじゃ)


 竜の査定額を元手に登録料と店舗代を充当するという話がまとまったところで、エルミニアが静かに立ち上がった。


「会長。分かっておるとは思うが、もし彼らを不当に扱う者がおれば、ワシは容赦せん。国であろうと、貴族であろうと、そこに例外はないのじゃ」


 声を荒らげたわけでもないのに、部屋の空気が鉛のように重く沈む。


「同時に、彼らには不正を決してさせぬと、ワシが明言しておく。ゆえに――もし彼らが不正を働いたと口にする者が現れたなら、まずその告発者のほうを疑え。よいな」

「は、肝に銘じます……! ギルド内にも徹底して周知いたします……!」


 エチゴヤとオウミヤは共に深く腰を折って頭を下げた。

「ははーっ。エルミニア様の顔に泥を塗る真似は、この命に代えても決して致しません」


 商人が最も恐れるのは剣でも魔法でもなく、信用が根こそぎ焼かれることである。会長はその一言で、この商会に手を出すという行為が、そのまま商業ギルドという組織の消滅に直結すると理解させられていた。


 深々と平伏する二体の人形を見下ろしながら、彼女は自分でも気づかぬうちに、二千年間以上拒み続けてきたものへ手を伸ばしていた。世俗の秩序も、権力も、商人の信用も、これまでは煩わしいだけの雑音でしかなかったはずなのである。それを今、たった一人の男が作ったもののために、彼女は自ら囲い込もうとしていた。


 帰り道、夕暮れの街道を並んで歩きながら、エルミニアがぽつりと零す。


「……シン。あんな感じで、よかったのかのう」

「ばっちりです。威厳の中にも美しさがありまくりで、僕は感動しちゃいましたよ。さすがエルミニアさんだ」

「……うるさいわい」


 そっぽを向いた彼女の口元が、隠しきれずに緩んでいた。


 その背後を、四大魔王侵攻の急報を告げる伝令が、血相を変えて駆け抜けていく。蹄の音も、悲鳴じみた叫びも、二人の耳にはまるで届いていない。


 のちに市場では、無傷の竜素材をめぐって商人たちが腰を抜かし、値付けの常識が音を立てて崩れ落ちた。壮絶な争奪戦の末、この話題は境界都市ガイムルグの商業ギルドの名を国中へ轟かせることになる。そして大通りの一等地には、ひとつの看板が静かに掲げられた。


 ――『クラウエル商会』、エルミニアが後ろ盾となる……店の名である。


 第十五話 了

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