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世界がどうであれ、夫婦のイチャイチャが常に優先されます。転生先で口説いた美女は最強の魔女でした。  作者: 1009
第一章「絶界の骸森のめぐりあい」

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第十三話「最強の魔女と、世界の仕組み」

 朝の光がガラスの吹き抜けから惜しみなく降りそそぐリビングの床には、いま、常識では決してありえないものが山と積み上げられていた。


 鈍い鉄色と深紅の入り混じった鱗が、まるで宝石商の見本のように整然と並び、その脇では竜の心臓に近い部位から取り出された魔力の結晶が、脈打つような紅い光を静かに湛えている。どれもこれも焦げてもいなければ裂けてもおらず、切断面ひとつ取っても職人が刃物で丁寧に仕上げたかのように滑らかであった。


 その山を前にして、エルミニアはさっきから同じ場所をぐるぐると歩き回っている。


「……ありえん。ありえんのじゃ」


 褐色の指先で鱗を一枚つまみ上げ、『深淵の魔眼』で内部の魔力構造まで舐めるように検分してから、彼女は唸るような声を漏らした。


「素材というものはな、狩る過程で必ず傷むものなのじゃ。焼け焦げ、裂け、魔力路が千切れる。じゃからこそ、無傷に近い一枚には市場で目玉が飛び出るほどの値が付く。……それが、ここには何十枚とある。魔力路が全て生きたままでな」

「よかったですねー」


 ソファに沈み込んだ信は、睦月の淹れた茶を啜りながら、実にのんびりと相槌を打った。そのあまりの軽さに、エルミニアはこめかみを押さえて天を仰ぐ。


 二千年以上を生きた最強の魔女の研究欲は、いまや完全に暴走の兆しを見せていた。この鱗を削って新しい魔導触媒を試したいし、結晶を使った術式の実験もしたいし、竜の血で古い仮説を検証し直したくもある。やりたいことが多すぎて、どこから手を付けるべきか決めかねているのだから、始末に負えない。


 そんな彼女の背中へ、信は思いつきをそのまま言葉にして投げた。


「ところでエルミニアさん、これって人族の街に売りに行ったら、けっこうな軍資金になりますかね。買い出しの元手にできたら助かるなーと思うんですが」


 カップを持ち上げかけていたエルミニアの動きが、そこでぴたりと止まった。


「……なんじゃと?」

「いや、地球の食材はスキルで錬成できますけど、この世界にしかない香辛料とか薬草とか、そういうのは実物を見て買いたいじゃないですか。目立ったりします?」

「目立つどころの騒ぎではないわーーーッ!!」


 鼓膜を打つ絶叫とともに紅茶が波打ち、控えていた睦月が音もなく布巾を差し出した。


「よいか、シン。そもそもお主は、この世界で『スキルを複数持つ』ということが何を意味するのか、何ひとつ分かっておらんようじゃな」


 エルミニアはどっかりとソファへ腰を下ろすと、教鞭を執る学者の顔になった。


「この世界で複数のスキルを持つと公式に確認されておる者はな、たったの九人じゃ」

「九人。……ずいぶん、きっちりした数字ですね」

「四大魔王が四人、勇者が四人、そしてワシ。それでちょうど九人よ。並の人間はスキルをひとつ持って生まれれば、それだけで一生重宝されて終わるのじゃぞ」


 信は湯気の立つカップを両手で包んだまま、「へえ」と気の抜けた声を出した。その反応の薄さに苛立ったのか、エルミニアはずいと身を乗り出す。


「魔王が何であるか、お主は知っておるか」

「悪の親玉、ですかね。世界征服とか企む」

「そう思われておる。じゃが違うのじゃ」


 声から茶化す色が消え、彼女の紫紺の瞳が、研究者のそれへと沈み込んでいった。


「ワシは五百年をかけて奴らを観察し、実験し、記録を積み上げてきた。そうして辿り着いた結論はな、魔王とは人格を持った生命というより、台風なんかと同じ、この世界が自然に生み出す『災害』そのものだということじゃ」


 台風という言葉を、信はゆっくりと口の中で転がしてみた。


「大陸の魔力が澱み、歪みが限界を超えると、その捌け口として奴らは湧く。憎しみで人を襲うのではなく、雨雲が雨を降らせるのと同じ理屈で、あるがままに滅ぼしていくだけなのじゃ」

「……交渉も和解も通じないってことですか」

「試したとも。五百年のあいだに、あらゆる手を尽くしてな」


 そう言った彼女の横顔には、成果を誇る色など微塵もなかった。話が通じる相手であってほしいと願って挑み、そのたびに願いのほうが砕かれてきた者だけが浮かべる、疲れた諦めの影が差している。

「……なるほど。じゃあ、倒すより防災と避難のほうが本筋ですね。台風に殴りかかる人はいませんし」


 カップが受け皿に触れる音が、ひどく大きく響いた。


「…………は?」

「いや、災害なら発生を予測して、来る前に人を逃がして、被害を減らす。そっちが基本ですよね。地球でもそうでしたし」


 エルミニアは口を半開きにしたまま固まった。喉の奥から、ようやく掠れた声が絞り出される。


「……ワシが五百年かけて辿り着いた結論を、お主は茶を飲みながら数十秒で……」

「え、なんか変なこと言いました?」

「変ではないから恐ろしいのじゃーーーッ!!」


 ひとしきり髪をかき乱してから、エルミニアは深呼吸を三度繰り返し、無理やり講義を再開した。


「……じゃがな、近ごろは妙なのじゃ。災害というものは、本来それぞれ独立して荒れ狂う。台風と地震が相談して手を組むなど、聞いたこともなかろう? ところが今の四大魔王は、明らかに歩調を合わせて人族を侵略しておる」

「へえ。それって、誰かが裏で四人をまとめてるってことですか」

「四つの災害を繋ぐ組織か、あるいは何者かがおるのではないか、という噂は流れておるな。もっとも、真偽は誰にも分からん」

「へえー、裏ボスみたいなのがいるんですね」


 世界の根幹に触れる話であるはずなのに、信の口ぶりは近所の噂話を聞き流すのと変わらなかった。当然のように話題を茶菓子へ戻そうとした彼の背後で、それまで気配を殺していたセバスチャンが、静かに一礼する。


「では、旦那様と奥様の平穏を守るため、当家の判断で情報収集を開始いたします。ご報告が必要になった段階で、あらためて申し上げますので、どうぞお気になさらず」

「あ、うん。よろしくねー」


 主人が世界の危機に背を向けたその瞬間から、屋敷という組織のなかで、世界の歯車は勝手に回りはじめていた。


「勇者のほうも聞いておけ。あやつらは、魔王という災害に対して世界が自動で生み出す守護者じゃ。魔王が四人湧けば、勇者も四人現れる。数は必ず釣り合う」

「へえ、世界に免疫機能がついてるみたいですね」

「言い得て妙じゃな。勇者の資質を持つ者は聖剣に選ばれ、その剣から専用のスキルを授かる。じゃが、その力は永遠ではない。魔王が滅べば奇跡は役目を終えて消え、剣もただの鉄に戻るのじゃ」


 そこでエルミニアは、ふと目を伏せた。世界のすべてを突き放してきたはずの魔女が、このときばかりは、静かな敬意を声に滲ませる。


「……じゃからこそ、ワシは思うておる。勇者とは世界に弄ばれる駒などではない。均衡を保つために顕現する、最も気高く尊い役割を負わされた者たちじゃとな」


 信は黙って頷いてから、ふと思い出したように指を折りはじめた。


「複数持ちが九人だけ、かあ……。あれ。じゃあ僕って、この世界の数え方だと、いくつ持ってる扱いになるんだろう」


 軽い調子で、彼は数え上げていく。


「アイテムボックスでしょ、限定魔力創造でしょ、限定天眼、限定言語理解、限定時空間操作……あ、絶倫を入れると六つですね」


 カチャン、と受け皿を打つ音が高く鳴った。


 エルミニアの手の中でカップが傾き、こぼれた紅茶が卓に小さな水たまりを作っていく。彼女自身のスキルもまた、ちょうど六つだった。その符合に息を呑みかけた瞬間、しかし彼女の思考は、はるかに恐ろしい一点へ滑り落ちていく。


「……待て、シン。お主のその『限定天眼』とやらは、何ができるのじゃ」

「鑑定と、望遠と、透視と、暗視と、魔力視なんかですね。まとめて全部入ってて、便利ですよ」

「…………」


 この世界において、鑑定は鑑定であり、望遠は望遠であり、透視は透視である。ひとつのスキルには、ひとつの機能。それは疑う余地もない天の理であり、二千年以上生きたエルミニアですら、ただの一度も例外を目にしたことがなかった。


 褐色の顔から、みるみる血の気が引いていった。震える指が、ゆっくりと折られていく。


「……天眼だけで、この世界の数え方なら五つ分じゃ。時空間操作は、転移に空間断裂に時間操作に結界に封印で、これもまた五つ分。アイテムボックスとて、収納と時間停止という別々の力を平然と抱え込んでおるではないか」


 指はとっくに足りなくなり、彼女は呆然と己の掌を見下ろした。


「お主、この世界の数え方に直せば、単独で十七前後じゃぞ……! 複数持ちが九人しかおらぬ世界に、一人で二桁を抱えた男が、茶菓子を食いながら座っておるのじゃ……!」

「え、そんなに珍しいんですか? 神様も、けっこう気軽な感じでしたけど」

「気軽で世界の理を踏み荒らすなーーーッ!!」


 叫び終えたエルミニアは、そのままソファに沈み込み、荒い呼吸を整えながら、静かに理解していった。


 この男は、世界のシステムのどこにも属していない。魔王という災害でもなく、勇者という防衛機構でもなく、九人の枠のさらに外側から降ってきた十人目なのだ。そして恐るべきことに、世界はまだ、その存在に気づいてすらいない。


 同時に、彼女はもうひとつの事実へ思い至ってしまった。自分の持つ六つは、どれもが単一の機能を底の抜けるまで掘り下げたものであり、この世界の理に忠実であろうとした「深さ」の極致にほかならない。ところがこの男は、ひとつの器へいくつもの機能を平然と詰め込んだ「広さ」の反則であった。方向はまるきり正反対でありながら、数だけが同じ六なのである。


 二千年、彼女は理の内側を掘りつづけることで頂点へ辿り着いた。この男は、理の外側から迷いもせず歩いてきた。そう気づいてしまったとき、恐怖よりも先に胸を突いたのは、名づけようのない親しさのような何かだった。


(……なぜ、こやつだけが。世界のどこにも居場所を持たぬ者が、ワシのほかにもう一人……)


「じゃあエルミニアさんは?」

 その声で、彼女は現実へ引き戻された。


「魔王でも勇者でもないのに、複数のスキルを持ってますよね。エルミニアさんは、この世界だと何になるんですか」


 エルミニアはしばらく黙り込んでから、ふっと寂しげに笑った。


「ワシか。……ワシは、ただのイレギュラーじゃよ。災害でもなければ、世界を守る仕組みでもない。ただ生まれてしまっただけの、はぐれ者じゃ」


 紅茶の水面に映る自分の顔を眺めながら、彼女は淡々と語りはじめた。人族の王侯からは戦の道具として囲われかけ、魔族からは幾度も勧誘され、力を狙う輩には数え切れぬほど襲われてきたこと。近づいてくる者の目には、必ず怯えか欲かのどちらかが張りついていたこと。


「他人の怯えた目を見るのも、力を狙う輩をあしらうのも、心底うんざりしてな。それならいっそ、誰も追ってこられぬこの骸森の奥地で、ワシだけの真理を掴んでやろうと割り切ったのじゃ」


 弟子と呼べる者を数人だけ育て、それも巣立てば追わなかった。祝ってくれる誰かも待っていてくれる誰かもないまま、朝が来れば実験を始めて夜が更ければ記録を綴り、そうして季節を数えることすらやめてしまったのだと、彼女は笑い話のような口調で語った。


 誰にも縛られず、誰にも媚びず、自由気ままで楽しかった。誰の手も借りず、完璧に充実した二千年だった——はずだった。


「……じゃのに、お主にそんな風にまっすぐ見つめられると、ワシが頑なに守ってきたものが、なんだか急に、酷く寂しいものに思えてしまうではないか」


 語尾が、消え入るように溶けた。


 信は静かに立ち上がると、彼女の前へ膝をつき、卓の上で所在なく震えていた褐色の細い手を、そっと力強く両手で包み込んだ。


「エルミニアさん。そんな風に、自分のことを言わないでください」

「し、シン……?」


 打算も下心も何ひとつ滲まない、百パーセント本気の目が、彼女の紫紺の瞳をまっすぐに射抜いていた。


「僕から見れば、あなたは世界一強くて、誰よりも優しくて、そして世界で一番きれいです。たった独りで、よくここまで頑張ってきましたね。……本当に、お疲れ様でした」


 よく頑張った。


 二千年のあいだ、誰ひとりとして彼女に言わなかった言葉だった。最強と讃えられながら破滅の魔女と恐れられ、利用され遠ざけられ、そのすべてを胸を張って引き受けてきたはずなのに、たった一言のねぎらいの前で二千年ぶんの矜持がぐらりと傾いでいく。滲んでいく視界を、彼女はどうすることもできなかった。


「……僕は昔、いちばん伝えるべき人に、伝えそびれたまま終わったことがあるんです」

 信の声が、ほんのわずかに掠れた。


「だからもう、思ったことは全部言うって決めてるんですよ。……それだけです」

 その先を、彼は具体的には語らなかった。何があったのかと問い返すことも、エルミニアにはできなかった。ただ、その一言だけが刺のように胸の奥へ深く刺さり、抜こうとするほど鋭く食い込んでいく。


 そうして、涙が一粒だけ、頬を伝って落ちてしまった。

 落ちてから、彼女は世界の誰よりも慌てふためいた。


「な、ななななな……ッ! 何を言うとるかーーーーーッ!! ワシをからかうのも大概にせよ! そんな恥ずかしい台詞を、真面目な顔で言うでないわーーッ!」

「世界がどう動いてようが、魔王が何人いようが、僕には関係ありませんよ。僕の最優先は、エルミニアさんが安全で、毎日笑ってくれることだけですから」

「お主のその、脳への直接攻撃のようなストレートさは何なんじゃーーッ! 世界の仕組みより、お主の精神構造のほうがよっぽど世界の危機じゃわい!!」


 両手をジタバタと振り回し、涙をごまかすように喚き散らす魔女を、信はただ穏やかに見つめていた。


 わめきながらも、彼女の胸の奥では、これまで感じたことのない何かがどす黒く、そして甘く芽吹きはじめている。この男の隣にいられるなら、世界がどうなろうと構わない。もしこの温もりを奪う者が現れたなら、その時ワシは——そこまで考えて、エルミニアは慌てて思考を打ち切った。


 その夜のことである。


 ひとたび研究に入れば三日でも四日でも塔に籠もりきりだったはずのエルミニアが、なんの用もないのに母屋のリビングへ降りてきた。読みかけの本を持ったまま、ソファの端へ、少しだけ距離を空けて腰を下ろす。


「……別に用はない。ただ、明かりが点いておったからじゃ」

 誰も何も聞いていないのに、彼女はそう言い訳をした。


 窓の外では、世界が着々と歯車を回している。魔王は歩調を合わせ、勇者は聖剣を握り、災害は今日も人族の土地を削っているのだろう。だが結界の内側では、二千年以上を生きた最強の魔女が、隣で呑気に茶を啜る男の横顔をこっそり盗み見ながら、もうこの温もりのない世界へは戻れないのだと静かに悟りつつあった。


 第十三話 了

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