エピローグ
翌朝。
体調も充分回復した私は担架の世話になることなく、自力で下山することとなった。
残されたよすがの宿はその後、マカンによって立ち入り調査されるということは聞いた。
だが、更にその後どうなるのかは……現段階ではわからない、とのことだった。
主人であるモウルさんが居なくなってしまうし、彼に後継者はいない。
おそらく宿は廃業になるだろうとシシロウさんは言っていた。
200年以上も旅人たちを支えてくれていたし、温泉だってとても良かったのに。
「……なくなって欲しくないですね」
誰に言うわけでもなくポツリと呟いてから、私たちは宿を発った。
――この後、私はてっきりマカンの支部へ行き、色々話したり聞かれたりするものかと思っていた。
しかしそんなことはなく。
「取調べ的なことは後日、僕がそっちへ尋ねに行くから。そのときに聞くよ」
と、タターソルさんは言った。
「え? そんなんでいいんですか?」
「ああ、二人共疲れているだろうからね。それより……今回は大した療養させられなくて、本当ごめんねマルルちゃん。埋め合わせにまたいつか誘うから」
頭を下げ謝罪するタターソルさんに、私は急いで頭を振って返した。
「いいえ! お気遣いなく! 温泉気持ちよかったですし、楽しかったですよ」
……結局気分悪くなったり、嘔吐してしまったりと散々なこともあったけど。
でも、シシロウさんの戦う姿を初めて見られたので、そこは新たな発見だった。
夜だったし一瞬で決着ついたため、ほとんど目撃できてはいないけど……凄く強いんだってことはわかった。
「……マルルちゃん」
ふと気づくと、タターソルさんが急に真面目な顔で私を見ていた。
いつものような穏やかな笑みがなくて、思わず息を呑む。
……一体何を言われるんだろう。
自然と心臓がドキドキしてしまう。
「な、なんでしょうか?」
「――シシロウってさ、見た目若いけどもういい歳だから、無茶しないように色々見てあげてね」
……あ、シシロウさんのことか。
なんて、思ってしまうのは不真面目かもしれない。
私は力強く頷いて返した。
「あ、はい。それはもちろんです! でも、全然役に立ててなくて申し訳ないんですけどね」
そう言うと、私は思わず苦笑が出てしまった。
すると、タターソルさんはいつもの穏やかな笑顔を浮かべていた。
「そんなことはないよ。彼はこれからも魔法を否定しようと、何でも1人で首を突っ込む。そこで騒動に発展しても気にも留めない」
……それはちょっと、想像できるかも。
聞くと、若い頃のシシロウさんは“魔法”と聞けば何にでも口を出し、否定して回っては騒動を起こしていたそうだ。
それだけのことをしてきたのに、よく顔バレや出禁になってないのが不思議だ。
「僕もいつでもフォローできるわけじゃないから……正直、マルルちゃんが彼をサポートしてくれるのは嬉しいんだ。本当にありがとう」
『ありがとう』
そのたった一言がじんわりと私の心を温めてくれる。
……私、ちゃんと役に立ってたんだ。
そんな気持ちで嬉しくなる。
「これからもシシロウのこと、よろしく頼むよ」
「はい!」
私が元気よく返事をすると、タターソルさんはもう一度笑顔を向けてから、そっと耳打ちした。
「……でも、無理は絶対しないでね。また気分悪くなったらちゃんとシシロウに言うんだよ?」
そう言われた直後、私は不意に昨夜の嘔吐を思い出す。
改めて思い返し、タターソルさんにかなり迷惑をかけてしまったことに、私は全身から炎が出そうなくらい熱くなった。
……ホント、恥ずかしい。
「すみません」
謝罪の必要なんてないとタターソルさんは言ってくれたが、私はどうしても謝らずにはいられなかった。
タターソルさんはマカンへ戻るとのことで、道中で彼と別れた。
そうして、私とシシロウさんは2人で家路についた。
シシロウさん宅へと戻ってきた私は、全ての疲労を吐き出すかのようにため息を吐いた。
くつろぐ暇が全然なかったせいか、灼熱のように暑いこの家が、今はとても居心地が良い。
「今回はちょっと、疲れちゃいましたね……」
その場で項垂れる私を横切ると、シシロウさんはソファーにドカリと座った。
「そうか?」
この暑さでも汗1つかかず、平然と道中で買った酒瓶を傾ける。
……水のようにゴクゴク酒を飲んでいるけど、確かアルコールって水分補給にならないんじゃなかったっけ。
旅の疲れなど微塵も感じさせず、くつろぐシシロウさん。
と、私はそんな彼の前へと歩み寄った。
「……シシロウさん、そろそろ教えてください」
真面目な私に気づいた彼は、静かに視線だけを向ける。
「“サーペンティナイト”って、一体なんだったんですか? あの人たちがいるとわかってたから……シシロウさんたちはよすがの宿に行ったんですか?」
この道中もずっと気になっていた疑問。
“待て”と言われてはいたが、帰宅したのだし、もうそろそろ良いだろうと思い尋ねてみた。
するとシシロウさんは酒瓶から口を離し、軽いため息を吐いた。
「……そうだったな」
はぐらかされたらどうしよう、なんて考えていたが、それは杞憂だったようだ。
シシロウさんはソファーの上でゆっくりと胡座をかくと、私を見つめた。
「――“蛇紋会”っていうのは、魔の神信仰から派生した、魔の神復活を目論む過激派組織だ」
“蛇紋会” 。
その名の由来は魔の神が最も愛した生物である蛇から取られたものであり、蛇は復活や再生の象徴でもあるのだという。
「復活を……」
彼らは魔の神の復活には、魔法への信仰心が必要と盲信している。
そのため、彼らは甘言を弄して偽物の魔法を作り出し――そして人を騙す。
更にあくどいことに、洗脳や暴力も厭わず、騙した人々から金もせしめると言うのだ。
「ここ最近は悪行が目立ってるとかで、マカンにとってかなり厄介な連中なんだとよ。ま、これでも元勇者だからな。それでタターソルが手を借りに来るんだよ」
……知らなかった。
魔法のため、魔の神のためにそこまでする人たちがいるなんて。
ミコナキの里でも似たことはあったが、あれは特殊で稀な環境だから起こったものだと思っていた。
だが違う。
私が思っていた以上に人は魔法を求めている。
ライヒさんのような若い人までも、“蛇紋会”に入ってしまう世の中なんだ。
閉口してしまう私に、シシロウさんは酒を一口飲んでから言った。
「……まあ、奴らの中でも信仰心が高いのは一部だけだ。末端連中なんかは金稼ぎの組織程度にしか思っちゃいないだろうがな」
だから、組織の全てが魔法を求めているわけじゃない。
そう言ってシシロウさんはまた、酒を煽る。
私は静かにシシロウさんを見つめ、息を呑み込んでから口を開いた。
「――シシロウさんは、どうしてそこまでして魔法を否定しているんですか?」
シシロウさんの紫色の双眸が、真っ直ぐ私を射抜く。
内心、その鋭さが怖くて、とても震えた。
けど、私は拳に力を込め、負けずに言葉を続けた。
「だって、否定したって暴言を吐かれるかもしれないし、昨日みたいに襲われる危険だってあるのに……」
……ましてや、シシロウさんはマカンのような取り締まりの役人でもないのに。
どうして、そこまで否定したいのか?
私の質問にシシロウさんは頭を掻きながら答えた。
「……前にも言ったが、俺は魔法なんて消えちまった幻想を追う奴らに現実を突きつけてやりたい――目的の根幹はそれだけだ」
そう言って彼は私を見つめた後、ソファーから立ち上がる。
と、おもむろに歩き出し、窓の前に立った。
「だがまあ……他に理由があるとするならな――」
次の瞬間。
彼は勢いよく窓を開け放った。
外からは生温かい風が流れ込み、私の汗を冷やしていく。
気づくと、私の体は必要以上の熱を帯びていた。
また、熱中症になってしまうところだった。
話に夢中になっていて、自分のことなのにうっかり忘れていた。
そんな私を横目に、彼は笑って言った。
「――魔法を否定し、論破してやったときの瞬間がな……格別に熱くなれるんだよな」
そう言って遠くを見つめるシシロウさんの横顔は、これまでにないほど大人らしくて。
だけど同時に子供のような無邪気さも、そして哀愁も感じ取れた。
私は思わず苦笑を浮かべた。
「子どもっぽい理由ですね」
「子どもなのはどっちだよ。体調管理くらい自分でできるようになっとけ」
「うぅ……すみません」
そう返すと私はシシロウさんの隣に並び、窓から吹く風を浴びる。
「……って、そういえばシシロウさん。よすがの宿のときもお酒飲んでましたよね? なのによく“呪い”――宿の傾きなんて気づきましたね」
ふと、私はちょっとした疑問を思い出し、シシロウさんにぶつけた。
するとシシロウさんは酒を呷りながら答える。
「ああ、俺はほとんど酔わねえから。だからあの客室で身体の傾きを感じたとき、いよいよ歳のせいかとさすがにビビってな……それでわかったんだよ」
……ああ、聞いて損したかも。
私の白けた眼差しなど気に留めず、シシロウさんはケラケラと笑っていた。
この人にはきっと、組織としての使命も、思惑も関係なく――純粋な信念だけで動いている。
……だからこそ、無茶もたくさんしちゃうんだろうな。
だけど、シシロウさんはこれまでもこれからも、このままで良い。
だってこれからは、私が彼をサポートしていくんだもの。
夏の風が、草の匂いとともに頬を撫でていく。
魔法なんてなくても、この風は充分に心地いい。
私はそう思いながら、火照る体を冷ましていた。
~fin~




