希望への旅立ち
姉は5フィート6インチ。
私は4フィート7インチ。
未だ1フィート近くも差がある。
姉は高校を無事に卒業して、十五歳、成人となった。
私は十歳である。
首席卒業生として、姉は立派に卒業式の挨拶をした。
「この世界に真の光を照らす。そのために、これまで学んだことを最大限活かしたい。常識や定説。しがらみや思い込み。あらゆる苦悩や困難。その全てに負けず、真理の果てに辿り着きます」
そう宣言して、大きな喝采を浴びていた。
でも、その真意を理解できたのは私だけだと思う。
隣で涙ぐんでいた父も知らない大きな秘密を、私達は抱えているのだ。
色々なところからの就職の誘いを、姉は断り続けていた。
色々なところからの縁談の申し込みも、全て断っていた。
「卒業したら、家族でネリスに帰るのです」
そう嘘を喧伝していた。
私達は、旅に出るつもりだ。
その計画を何年も積み上げてきた。
女神が埋め込んだ自動機械を頭から除去する。
そうして、女神の位置捕捉から逃れ、この国を後にする。
賢者に会い、女神が何処にいるのかを探すつもりだ。
そのために、空間部屋の書庫から、私達は多くを学び取った。
この世界にはない、色々な知識を得たと思う。
女神が決して捕捉することのできない、あの部屋の中で色々な計画も練った。
いよいよ、旅立ちの時が迫っていた。
卒業式が終わった後、同級生たちの誘いを断って、姉は自宅へと戻ってきた。
自室で制服を脱いで着替えをしている姉のところに行き、私は飛びつくようにハグをした。
姉は5フィート6インチ。
私は4フィート7インチ。
未だ1フィート近くも差がある。
姉は百六十八センチ。
私は百四十センチ。
その差は二十八センチだ。
こっちの方が、やはり私にはシックリときた。
空間部屋の書庫で、メートル換算を学んだ。
1フィート=三十センチちょっと。
おそらく転生前はメートル表記の国で暮らしていたのかもしれない。
「アス姉、頑張るね」
「そんなに気負わないで、きっと上手く行くわ」
今日の夜、父と話すのだ。
私達が知っていることを全て。
人食の使徒から言われたことも。
頭の中の自動機械のことも全て。
育ててくれた父に対する恩もある。
彼から貰った愛情はとてつもなく大きい。
話しても理解されないかもしれない。
彼は傷つくかもしれない。
私達は罵倒されるかも。
縁を切られることだってあるだろう。
それでも、彼に対して誠実であるためには、やはり全て話すべきだろうと私達は結論付けた。
※
「アスティ。おめでとう。高等学校首席卒業。そして、成人。僕は誇らしいよ」
家族三人で乾杯した。
父はこの日のために取っておいたワインを開けた。
姉もそれに付き合うようだ。
私だけが、オレンジを絞ったフルーツジュースだ。
今日の食事は姉と私で用意した。
通いの女中さんは、夕方には帰した。
彼女たちにも、それとなくネリスに帰る素振りをしてある。
父が同行するかは、今日の夜の話し合い次第になるだろう。
父は食事中ずっと上機嫌だった。
私達が用意した食事を平らげ、食後の果物をつまみながら、姉にこの後の予定を聞いた。
「アスティ。何度か聞いているが、本当に教会でも職を用意しなくて良いのかい?」
私はついに始まったと思った。
基本的に口下手な私は、姉に任せようと思っている。
何かあれば、補足する程度だ。
緊張で手に汗がにじんできた。
「うん。お父さん。その件で少し話があるの。ちょっと、難しいし、理解しにくい話になるから、気持ちを落ち着けて聞いて欲しい」
姉はそこで一旦、間を空けた。
ワイグラスを飲み干す。
父はグラスを置いて、両手をテーブルに乗せた。
キチンと話を聞くという意思表示だ。
「わたし達は、わたしとローラは家を出ようと思っている。旅をするつもりなの。お父さんにも付いてきて欲しいと思っているけど、それはお父さんの判断に委ねるわ」
この家は既に強固な結界で包んでいる。
それは元からだ。
今日はさらに入念に、ダイニングルームだけ強固な結界を張った。
天井、壁、足元の床。
全く隙間がない結界を張っている。
万が一にも、女神に聞かれる訳にはいかないからだ。
「始まりは……。スオミアリスにローラを連れて帰って来た日のことよ。ローラが女神に謁見したでしょ。あの日が全ての始まりだったの」
「アスティ。女神様と言いなさい」
「あ、うん。その……女神様と話した内容なの……」
姉は包み隠さず、女神が話したことを伝えた。
女神自身が世界に混乱をもたらせていること。
使徒の役割は、『あるべきではない姿』を人類に理解させるために生み出されたにすぎないこと。
欲望の十使徒も、知性の十使徒も十王も、選ばれれし使徒でさえも、女神からしたら、『こうなって欲しくない人類』に過ぎないと。
そして、人類が過剰な欲望や能力は不要であると理解した暁には、
全使徒を世界から消すことが、ローラに課された使命であると。
父は、論戦を張った。
反論を展開した。
それはアスティの解釈に問題があると。
女神様はあくまでも、平穏な人類社会を守るためにやっていることだと。
決して悪意がある訳ではない。
そう強く主張した。
しばらく、冷静で理知的なやり取りが続いた。
冷静な議論が崩れたのは、姉が人食の使徒の話を持ち出してからだった。
父は顔を赤らめて、興奮し始めた。
姉は最後まで務めて冷静に話していたと思う。
人食の使徒の頭の中にあった自動機械を見せて、父に言った。
「ローラに調べて貰ったわ。この自動機械は、わたし達の頭の中にもある。もちろん、お父さんやローラの頭の中にもよ。そして、使徒以外の人たちには勿論ない……」
「そんなバカなことがあるか! 自動機械は女神様が禁止なさっているのだぞ!」
「お父さん。その通りなのよ。だからおかしいの。女神様は自分では有効活用しているのに、人類が利用したり開発するのは認めていない。そこがポイントなのよ」
「あり得ない!」
「わたし達は調べたわ。そして、この自動機械はGPSという仕組みを使って、使徒の位置情報をどこかに送っている機械だと分かった。また、同じ回線を使ってね、メッセージを、声を受信する機能もあるのよ」
姉の話を正確に言うと、それは仮説にすぎない。
自動機械の中身の仕組みは、私達には分からないからだ。
ただ、空間部屋の書庫にあった情報から、その仕組みを推測した。
GPS(Global Positioning System)という人工衛星を利用した位置情報特定システムを流用しているのではないかと。
GPSを使っているのならば、どこかに女神のところまで飛ばす通信設備が必要だ。
私達は、教会がそれを担っているのではないかと考えた。
そこで、小さな町まで出かけて、そこの教会を魔力で調査した。
結果はビンゴだった。
尖塔に自動機械が設置してあり、そこから、電波が飛んでいることを結界魔法で確認した。
結界を通過する微量な電波を私は感じ取った。
他にも複数の教会を調査して、その推測が正しいことを確認した。
おそらく、スオミアリスのキャッスルにも同じような仕組みがあるのだろうと思う。
それも特大の通信塔があるのだと思っている。
他の教会で見つけた自動機械を空間収納から取り出して、父に見せた。
「これがそうよ。教会の尖塔に仕込まれていた自動機械。おそらくスオミアリスの教会にもあると思うの。これが明確な証拠よ。お父さん、女神様は自動機械を活用した科学技術を使っているの。決して、神の奇跡なんかじゃないわ。私達に届く神託も、通信設備を使った、ただの音声通信よ」
「いい加減にしろ! 目を覚ませ! アスティ! ローラか? ローラに騙されているのか? お前の言うことは、全てローラが正しいということが前提じゃないか! 頭の中に自動機械がある? 教会の尖塔から自動機械が見つかった? 全てローラがでっち上げているのだろ!」
父に悪意に満ちた顔で睨まれ、憎しみを込めた指で指されて、私は俯いた。
姉は父に育てられて十年。
私はその半分だ。
それでも、均等に愛を注いでもらっていたと思っていた。
まあ、でも、優秀さと可愛さが全く違うよな。
姉妹でも、均等に愛情が注がれるなんて、幻想にすぎない。
止むを得ないとは思う。
私だって、自分よりも姉の方が可愛いと思う。
「お父さん! 目を覚まして! 女神なんていないのよ! どこかの誰かが女神のフリをして、私たちを騙しているのよ!」
「黙れ!」
父は果物ナイフを手にして、立ち上がった。
その刃を、論戦している姉ではなく、私に向けた。
姉がおかしくなったのは、コイツの所為だ。
そう思っているのは、十分伝わった。
姉が立ち上がって制止しようとするが、私は首を振って、それを止めた。
もう父は別の結界に囲っている。
果物ナイフを手にした時に、彼の周りにもう一つの結界を作った。
このまま、そっとしておいてあげよう。
私は父に別れの言葉を告げた。
「お父さん。アス姉を責めないで。もういいよ。私はこの家を出る。自分が信じた道を進むよ。お父さんもそうして。信じて欲しかったけど、お父さんは教皇。そういう訳にはいかないよね」
そう話しているうちに、涙が零れて来た。
「育ててくれてありがとう。愛情を注いでくれてありがとう。私たちは家を出るけど、もう死んだと周りの人には言ってね。それじゃ、準備してくるから、ちょっとだけ、そこで我慢していてね」
席を立って、部屋に戻ろうとした。
椅子から下りて、両足を床につける。
足が震えていた。
父に背を向けて、ドアの方へ震える足を踏み出す。
ダイニングルームから出る寸前で、背後の父から、物凄い咆哮が聞こえた。
「うぉー! ありえん! ありえん! ありえん! ありえん!」
父は、果物ナイフを自分の後頭部に突き刺した。
噴き出た血が背後の結界に飛び散る。
後頭部を切り裂き、ナイフを投げ捨てた。
カンっと硬質な音がして、結界に当たったナイフが落ちた。
父は、両手の指を後頭部の傷に差し込んだ。
たまらず、姉が叫ぶ。
「お父さん! やめて!」
ゴソゴソと後頭部をまさぐり、やがて、小さな自動機械を取り出した。
不思議そうに、それを見つめて……
少し残念そうな表情を浮かべながら、前向きに倒れた。
「あった……。本当に頭の中に……。ありえん……。僕の人生は……一体……」
小さな呟きはそこで途絶えた。
もう床は血にまみれていた。
姉が口に手を当てて、呆然としている。
ゴボっと音がして、父の口から血が零れ落ちた。
目から生気が消えた。
ピクリとも動かない手から、小さな球体の自動機械が転がり落ちる。
※
私は呆然と見ていた。
姉は父に張った結界に両手と額を付け、泣き崩れている。
父はもう死んでいる。
それを私はただ茫然と見ていた。
どれくらい経っただろう。
姉が立ち上がって言った。
姉は一瞬だけよろめいたけど、結界に片手を当てて、何とか踏ん張った……様に見えた。
ここで立ち止まる訳には行かない。
ここで踏みとどまる訳には行かない。
卒業式での姉のスピーチを私は思い出した。
「ローラ。出るわ。夜中のうちに出発する。支度をしましょう」
「うん、うん……。わかった」
姉は涙の痕を拭いもせずに、二階の自室へと上がっていった。
ダイニングテーブルには、開けたばかりのワインボトルが、置いてあった。
父がこの日の為に大切に取っておいたものだ。
こんな扱いをされるべきワインでは無かったはずだ。
つい、1時間前まで、幸せに包まれた家族だったはずだ。
こんなに簡単に壊れるものなの?
あんなに仲良かったじゃん。
そんなに信仰って大事なの?
そんな半狂乱になるほど大事な信念なの?
家族の方が……、家族の存在が一番重いって思ってたよ……。
私は、父の方へと歩を進めた。
深く深く頭を垂れて礼をした。
そして、父を囲っていた結界ごと、空間収納にしまった。
一滴の血すらも床に落ちていない。
まるで何も起きていないかのようだ。
何の痕跡もそこには残っていなかった。
果物ナイフだけが消えていた。
※
自室の荷物を空間部屋に移動させた。
そのまま、空間部屋で旅装に着替える。
外は相当冷えているだろう。
何枚も重ね着をして、グレーの高品質マントを頭から被った。
空間部屋は既に改装してある。
今まであった部屋は、リビングルーム兼ダイニングルームにした。
部屋を二つ追加した。
私の部屋と姉の部屋だ。
私室はスオミアリスと同じような広さにした。
元々あったベッドと机は私の部屋に搬入して、
姉の部屋には、新しい家具を買い揃えた。
お金を積んで業者さんを目隠しして連れてきて、内装工事をやってもらった。
私は自室の姿見の前で、姉と同じ長さまで伸びた銀髪を切り落とした。
首が見えるくらいまで、バッサリと切った。
前髪も眉のところで切り揃える。
これで、男の子に見えるだろう。
空間部屋の自室で着替えていた姉が、帽子とマントを被って、私の部屋に入ってきた。
「ちょっと、ローラ……」
「どう? 可愛い男の子に見える?」
「はあ……、ちょっとハサミを貸して」
姉が、バラバラだった毛先を整えてくれた。
何だか、男の子というよりも、東の国の人形みたいに見える。
多分、それは、そちらの血が私に混じっていることもあるのだろう。
髪の色、肌の色、多分、私には色んな血が混じっている。
姉と比べると一目瞭然だ。
姉は白い肌、金色の髪、青い瞳。
父は、そんなところも、私を気に入らなかった理由なのかも知れないな。
そう考えているうちに、涙が溢れてきた。
私は、お父さんのこと、好きだったんだけどな。
ポロポロと泣いている私を慰めることも、咎めることもせずに、
姉は今後の予定を事務的に話し始めた。
もう前を向きなさいということだろう。
「少し計画を変更するわ。まずは教会に忍び込む。女神像と尖塔の自動機械を回収するわ。その後、乗合馬車は走っていないだろうから、馬に乗って街を出ましょう」
「忍び込むって、どうやって入るの?」
「便利な魔法があるじゃない。思春期の男の子の垂涎魔法よ」
「あ! 透明魔法!」
「そうよ。自宅を出るところから、透明魔法をかけてね。馬にもね」
「わかった。お家はこのままにしておくの?」
「そうよ。明かりも付けたまま、鍵もしない。食事中に教皇家族が誘拐されたことになるでしょうね。騒ぎになる前にスオミアリスを出るわよ」
「あ、先に私達の頭の中の自動機械を排除しちゃうね」
空間収納で取り出した小さな自動機械を互いにシゲシゲと見回した。
体液がついてベチョベチョしているけど、自分の分は気持ち悪くないと思うから不思議だ。
二人分の自動機械は自室の引き出しに大事にしまっておいた。
一番難儀したのは、自宅の門の前の護衛の衛兵さんだ。
門をどうやって開けるのか……。
結果的には結界ボールを頭にぶつけて気絶させてもらった。
「どんな魔法でも役立つものね……」
姉にそう言われた。
※
教会にあった自動機械の奪取も問題なく完了した。
女神像の自動機械も、キャッスルの尖塔にあった自動機械も、両方とも大型の機械だった。
透明化したまま、馬に乗って、城壁の門を潜る。
馬は全頭連れ出したが、そのうちの一頭に二人で跨った。
この日のために、私も乗馬の練習はしていた。
決して乗れない訳でない。
ただ、今日だけは姉の背中にしがみついていたかった。
スオミアリスの街が見下ろせる丘の上まで進み、私達は振り返った。
眼下には未だ明かりの消えない都会が見えた。
キャッスルと呼ばれている教会のシルエットさえ綺麗に見えた。
大気はどこまでも冷たく、少し雪が舞い落ちていた。
朝まで駆けよう。
その後、馬は専用の空間部屋に入れよう。
私たちも空間部屋でゆっくりと休めばいい。
時間なんて、どうとでもなるのだ。
今は頑張り時だ。
「アストリッド・アフ・スヴェンソンという名前は、今ここで捨てるわ。今日からはアス・スティエルナ」
「私も。ローラ・アフ・ラーズドッティルは捨てる。元々好きじゃなかった名前。なんか、変に長いし言いにくいんだもん。ララ・スティエルナ。ララって呼んで」
「ふふ。分かったわ。ララ、ここから、わたし達の人生は始まるのね。誰にも支配されない人生が」
「アス姉。大好き。一緒に生きていこうね」
「勿論よ。わたしの可愛い妹。プロローグ編は終わり。明日から本編の始まりよ」
カウニアとは、『美しい大地』という意味だそうだ。
本当に自然に溢れた美しい大地だと思う。
雪景色すらも、この国を綺麗に彩る。
空気が澄んでいるので、星がどこまでも綺麗だ。
姉の吐息が白くなって、大気に消えていく。
「さあ、行きましょう。ララ」
姉が馬を蹴った。
今度は下り坂だ。
並行して走る馬が、ヒヒンと返事した。
私達は美しい大地を後にした。
私達の背後には美しい大地。
私達の前には何があるんだろう。
きっと、それは希望だ。
光り輝く希望だと思う。
姉にしがみつきながら、星が輝く夜空を見上げて、ララはそう思った。




