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白露7-1 賢い愚者



 高低差が入り組む高地、道なき道を進み、方向だけ確認してヤブに分け入り、白樺の林を抜けると崖を挟んで対岸が壁になっていた。行き止まりに落胆して天を仰ぐと雲の切れ間に覗く木々。背後の仲間からも感嘆の声が上がり、隊長のサデントスは目的地に到着したと知った。


「ここが……、ウルフレイ?」

「ああ、エルフの国、おとぎ話に迷い込んだような」

「でも、なんか木が枯れてない? こっちは冬が早いのかな」


 隊員、フーチガースとエステリアの感想にサデントスも内心頷きながら振り向いた。懐かしい四人組に戻り、エルフの国を目指して旅すること半年以上。未知の連続で全員勘が鍛えられて、常に警戒する癖がついた。なにかがおかしい。その違和感を一言で言い表したのは、ここ最近険しい表情の消えないシスピナだった。


「瘴気、です」


 サデントスは瞑目した。最悪の想定が当たったかも知れない。デズモンド帝国から南東、東へ東へ、ずっと東へ、いくつもの難所を越えて、いくつもの地域を訪ね、とっくに言葉は通じない、全てが未知の世界に突入してはいたが、ボディランゲージと覚えたカタコトで伝わることもある。現地民から誤解を招かないよう武器は隠し、身振り手振りと熊面に似合わない笑顔でコミュニケーションに努め、どうやらエルフの国になにかが起きたことは察しがついた。


「まさか、もうあそこにエルフはひとりもいない?」

「エルフが集団で旅に出たとか、そんなニュアンスだったけど、全員?」

「要はあそこ、なんだっけ、ボクたちが最初に組んだ赴任地の、ああ、サキーカ王国と同じじゃないかな」


 そう、この辺りの現地民の話では、初めて見るくらい多くのエルフが通り過ぎた、らしい。イマイチ要点を得ない対話だから曖昧な点だらけだが、なにかが起きたことは分かった。自分たちとすれ違うことはなかったから、エルフの集団は西には行っていない、なんて断言できるほど一本道ではないからこれ以上推測できることもなく、当初の予定通りウルフレイを目指したわけだが、下手すれば空振りか。だとしても。サデントスはため息を押し殺して宣言した。


「だとしても、ここで引き返すわけにもいくまい。せめてこの目で上がどうなっているのか確認しよう」

「隊長、分かってると思いますが、最悪、エルフのアンデッドがいる可能性があって、ボクたちに対抗できるかは不明です」

「なんせ魔法の民だもんな。一般兵やゴブリンのスケルトンですらああだったのに、どれほど……?」


 とはいえ彼らも自由な冒険者ではなく国に従う騎士のはしくれ。未知に怯えて撤退を進言する者はなく、ウルフレイへ進むと選択した。

 現地民の貴重な情報を頼りに方角をこまめにチェックしながら迂回ルートを探して崖を下り、陽の差さない渓谷を渡り、人工の階段、崖をくり抜いた、十人は横に並べる広大で天井の見えない螺旋階段、というより螺旋回廊を見つけ、身体強化がなかったら無理だろこれ、と何度も何度も悪態をつきながら進むこと半日以上。登りきった先は立ち枯れた木々と目に見えないのが不思議な濃さの瘴気が漂っていて、一行は肩を落とした。確実に滅んでいる。


「一体なにが」

「全部枯れてるのも変ですよね? あっちでは瘴気で枯れるとか見たことないし」


 きっと本来は故郷にお帰りなさいと、この出入り口から出たエルフを感動させる構図になっていたのだろう。サデントスは在りし日のこの地を想像した。

 階段を登り、天窓から光が射し込むやや薄暗いドーム状の建物から出ると一転、高台から周囲を一望できる。自然の森の所々が開けていて、大きな一枚布と蔓草が密集する独特の天幕らしき住居が迷彩のように溶け込んでいる。獣道のような踏み分けた道しか見えず、でもきっと彼らにしか分からない花や匂いで迷うこともないのだろう。


 サデントス一行が眼下に見下ろすその全ては今、茶と灰で塗り潰されている。霞んで見える地平線の彼方まで死んだ土地。その無常感に包まれた光景と、旅の終わりの報われなかった徒労感のせいで、一行は警戒心が下がってしまっていた。瘴気あるところアンデッドありと知っていたはずなのに。


 ぶわっ。突然雲が流れて辺りを覆う。まるで朝もやに霞む墓地。陽が落ちて、気温が下がったような。


「エルフの混乱を見た火事場泥棒か? 生憎、ここにお宝なんて物はないぞ、凡人族の子らよ」


 ソレはボロボロのローブを来た耳の長い青年だった。ただし、顔色は毒殺でもされたかのように青黒く、眼窩と口腔は一切の光を認めない真の闇だった。


 サデントスたちはあらゆる意味で固まった。アンデッドが突然目の前に現れて浮遊している。アンデッドのくせに話しかけてきた。自分たちに分かる言葉で。目の前のソレはゾンビでもスケルトンでもなかった。伝え聞く半透明な人影のレイスでもない。そして魔力が、ああ、魔力が。一同の中では鈍いサデントスですら己の死に様の幻影を叩き込まれる圧倒的な魔力の重圧。ましてや敏感なシスピナは歯の根も合わず震え、顔色は土気色に染まった。そんな彼女を横目に見て、シスピナを護る使命を課してきた矜持か、エステリアが拳を握りしめて一歩前に出て誰何した。


「何者だっ」

「さて? 自分の名などとうに忘れてしまったな。生前からどうでもいいことは覚えない主義でね。私は始原のエルフ。この世の始まりから終わりまで観測する傍観者。死を超越した者。ノーライフキング。どれか通じるかな?」


 ノーライフキング? 伝説にしか聞かないアンデッドの頂点。サデントスたちは生を諦めそうになるほど絶望した。ひとりを除いて。そのひとり、フーチガースが頬を紅潮させて前に出た。


「やはり、知性を持つアンデッドもいたのですね。至高のアンデッド、ノーライフキングよ、伝説に会えて光栄です。ボクはフーチガース。しがない知の探求者です。この地になにがあったのか、ご教授下さいませんか?」

「ほぉ、私を見て取り乱さない者などいつ振りだろうか。ふむ、なにがあったのか。答えは知らぬ。私は長くこの台地の中央、かつて世界樹のそびえた地より外には出られなかったのだがな、先日この地の植物が一斉に枯れて、私は気付けば自由に出歩けるようになっていた。食べ物が消えたせいか私の気配に怯えたかその両方か、この地の動物も魔物も一斉に逃げ出し、今はご覧の通り、私と私に怯えないアンデッドだけがここにいる」


 崖だらけのここから逃げられた生き物がどれほどいたかは知らぬが。ノーライフキングは彼らから目を離して遠くを眺めながらつぶやいた。そんなアンデッドに憧れの眼差しもあらわに、フーチガースはもう一歩近付いた。


「お答え頂きありがとうございます。そして厚かましいお願いですが、ボクを弟子にして下さいませんか?」

「フーチガースっ、なにをっ?」


 エステリアが叫び、シスピナは信じられないものを見る目で後退り、サデントスは……、なんとなくこうなる気がしていた。具体的にどうとかではなく、袂を分かつ予感はずっと抱いていた。


「私と取り引きとは酔狂な者がいたものだ。見よ、お仲間の反応を。彼らが正常だぞ。生者と死者は相容れない。それが滑稽な偏見だとしても」

「構いません。ボクは誰とも相容れなかった。生者の世界に居場所はなかった。ならば、そこが死者の世界だろうと新天地に踏み出すことをためらいはしません」

「どうしてそんなこと言うの? ずっと、仲間だったじゃない」

「シスピナ、すまない。仲間外れとしか思ったことはない。」

「! 分かった。瘴気にあてられたのね。今助ける。主神マナティアの祝福を。この地を穢す瘴気に我ら屈することなし。邪を打ち払う光満ち満ちて、永久(とこしえ)に御身の栄光を讃えん。サンクチュアリ」


 シスピナが両手を組んで祈ると辺りは清浄な空気に変わり、そして、ノーライフキングは忍び笑いを漏らした。


「嘘よっ、アンデッドに効かないなんて、そんな」

「ふふっ、くっくっく、はぁー、笑ったのはいつ振りだろう。ひょっとしてお前たち、それを神聖魔法とか呼んでないか? 当たりか。無自覚な道化が。いっそ哀れだな」

「まさか、原理が分かるのですか、ひと目で?」


 取り乱すシスピナを見下ろす暗黒の眼窩。そこにフラフラと近寄りフーチガースがささやくように訊ねた。


「理解という言い方は正しくもあるし間違いでもある。人が何故呼吸するかの理由なんて知らないが、呼吸を止めたら死ぬことは知っている。そういう話だ」


 ノーライフキングはフーチガースだけを見て語った。他の三人は取るに足らない石ころ扱い。いやフーチガースも石ころではあるが、久し振りの会話相手として楽しんでいるように見える。ノーライフキングは細く乾いた人差し指を立てた。


「魔法とはなにか? 端的に答えると、想いの具象化だ。ただし、対価に相応の魔力を必要とする。例えば私は、自分の言葉に魔力を与えて中身をイメージしながら話しているから諸君に意味が伝わる。厳密には肉体のない私はしゃべってもないが、まぁいい。魔力を切ったりイメージがデタラメの場合、諸君は私がなにを話しているか聴き取れない。同じく私は耳に魔力を与えて諸君の言葉からイメージを汲み取っている。諸君が言ってることと思ってることが違う場合、私たちの会話はズレるだろうが、今のところは不具合を感じないな」


 サデントスたちはハッとした。頭の中に声が響くような会話は、相手が特別なアンデッドだからと思い込んで気付かなかった。言われて集中してみればノーライフキングは知らない言葉を発していた。


「例えば死を前にして死にたくないと願う時、それがあまりにも強い想いの場合、不死に通じる魔法が発動する。が、対価の魔力なんて普通はあるわけないから、ただ死なないという一点だけの、それ以外は思考力もなにもないゾンビという形で半端に叶う。あるいは誰かに復讐するまで死ねないと想う時、その復讐が叶うと死ぬ、といった具合に条件がつく場合もある」


 自宅のR18フィギュアを人知れず処分するまで死ねないと想って知られると昇天するキャオルもきっといるのだろう。


「ロクに魔力を持たない者がアンデッドになった場合、魔力はどこから供給されるのか? 土地からに決まっている。アンデッドが魔力を吸って吐いた息といったところの瘴気もろともその土地の魔力を断ち切るのが、先程そこの娘が使った魔法の原理だ。意味が分かるかね? 諸君が神聖魔法と呼ぶものの正体は、アンチマジック、奇跡の否定、神の否定だ。最高のユーモアだとは思わないかね。ちなみに私は、相応の魔力を対価に不死魔法を行使したノーライフキング。何故かとうに消えたはずの世界樹に縛られていたようだが、この土地には縛られていないからそんな低レベルのアンチマジックは効かない」


 フーチガースは興奮した。素晴らしい。長年抱えた謎が鮮明に解き明かされていく快感。気付けばノーライフキングの足下に跪いていた。


「フーチガースっ、貴様、本当に狂ったのかっ」

「君たちには分からないよ。自分の中に特別ななにかがあって、でも使い方が分からなくて、足掻きたいと願っても異端だの異常だの否定されて、何者にもなれずこのまま死んでいくと想像できてしまう、この悔しさが、分かってたまるかっ!」


 首だけ振り向いた勢いでフードのとれたフーチガースは泣き笑いだった。初めて、本心をぶちまけた。


「この半年あまり、楽しかった。人生で一番楽しかった。一歩先、世界の全てが未知で、なにもかもが手探りの冒険。誰のお荷物でもなく、みんなと対等に肩を並べて歩いた日々は忘れない。さようなら」


 フーチガースは向き直ると頭を垂れた。もうかつての仲間は一顧だにしなかった。ノーライフキングの返事が命を奪うことだとしても構わない。未知に飛び込む覚悟なんてはるか昔に決めていた。飛び込む機会がなかっただけのこと。


「ひとりよがりの小僧ではあるが、まぁいい。不死の私にとって人生とは長い暇潰し。凡人を鍛えてどこまで伸びるか観察するのも一興。では諸君、ごきげんよう。ここはアンデッドの巣窟、早々に立ち去りたまえ」


 ノーライフキングが右腕を水平に伸ばすと空間が歪み、一瞬で消えた。足下のフーチガースもろとも。濃霧のようだった雲も薄まり、消えていき、まるで夢から覚めたような非現実感にエステリアはキョロキョロ見回し、シスピナはホッと胸を撫で下ろし、サデントスは歯ぎしりしながら天を仰いだ。


「バカヤロー。お前はずっと対等だっての。お荷物だったことなんか一度もねーわ。自分だけ言いたいこと言って、全部ズレてて、覚えてろよ」


 次会ったらぶん殴って目を覚ませてやる。




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