雨水7-1 帝国の騎士
雨が降りそうで降らない、くすんだ灰色の空。新緑の香りではなくすえたスープのような悪臭が鼻につき、サデントスは顔をしかめた。
『戦場』を見下ろせる小高い丘の端、地に刺した両手剣の柄に掌を重ねて佇むその姿は将として部下から頼られてはいるが、内心の葛藤が眉間のしわを深く刻んでいた。
そこは村に毛が生えた程度の街だった。戦える者なんてほとんどいない。木枠に土を入れて固めた防壁で囲み、蓄えを数えながら春まで息を潜め、ようやく暖かい陽射しを感じ、そろそろ壁の外の休耕地の世話をするか、森に入って新芽の具合でも見てみようか、そんな、どこにでもある街のひとつだった。
そこを攻め滅ぼした。サデントス率いる兵士二百名の部隊が。
多少なりとも魔法を使える者からすると、壁に意味はない。壁は知能の低い害獣から守るものであって、対人戦など想定していない。なんなら人どころかかつてゴブリンの群れすらやすやすと侵入した事件が記憶に新しい。
そうだ。対人戦など想定するほうがおかしい。サデントスは奥歯を噛み締めた。そのまま精神力を動員してゆっくりと息をはく。怒りに声を荒げたくもなるがそれはそれ。自分は騎士。国を守る盾であり剣。国の命令に異を唱えることは許されない。少なくとも、部下に迷いを見せてはいけない。自分がぶれたら部下が死ぬ。
ただ、この光景は心を苛む。すっからかんのボロ家は煙を立てることもなく、それがかえって廃墟のようにまぶたに焼きつく。しかし家の出口から半身を出して倒れる男性、道端にねじれた態勢で横たわる老人、両手を縄で縛って部下に連行される女子供の姿が、廃墟でもなんでもないと突きつける。
「隊長、あらかた片付きました」
「……ご苦労だった」
副官に任じられた同輩、フーチガースに背後から声をかけられて、サデントスは動揺を押し殺して返事した。その様子に気付いたのか否か、フーチガースはサデントスの隣りに並び、眼下を見下ろして言った。
「ゾンビやスケルトンと戦って文句を言ってたころが懐かしいですね」
「……だな。アンデッドを生み出す側に回るとは」
若かった。サデントスは思い出の中の仲間たちに目を細める。今も十分若い。まだ三十歳にも届かず、気力体力ともにピークは超えていない。それでも、気持ちが老け込んでしまうくらいに激動が続いている。
おそらくは二年前、自分の所属するデトモンド連合国が帝国に改名したあたりからおかしくなった。
アンデッドを駆逐する神聖魔法を希望の柱にすえて、都市国家だった旧デトモンド王国が呼びかけて周辺国が団結する。そんな理念を掲げた連合国でいいではないか。他国と技術の研鑽に励んだ結果、製鉄が生まれ、広め、不幸にも加盟したてのサキーカ王国は救えなかったが、それでも難民を受け入れて犠牲を抑え、土地を回復して再び暮らせる最低限の環境までは持ち直した。なにが不満なのだ? サデントスは盟主として頼れる母国にも騎士であることにも誇りを持っていた。
それが何故帝国? 自国が主で他は従属? 宗教、思想が同じでなければ仲間ではない? そして反抗的な国はこうして潰して、女子供は奴隷に落とす。奴隷ってなんだ? 身体強化が使える以上、女が弱いということはない。一体どれほどの恨みを買うのか。こんなことをして、どのへんが安全と思えるのか。
いきなり先行き不安になった変化を憂うサデントスを尻目に、フーチガースの口調は軽い。なんだか数年前までと中身が逆転したような。そう気付いてサデントスはゾッとした。なにが怖いのか分からない。ただ、実はフーチガースとは一度も分かり合えたことがなかったことに今気付いた。
「備蓄の尽きた春先を襲うとか誰が考えたのやら。エグいけど長期化するよりはマシですかね。ここと違って王都は制圧も一苦労でしょうし」
「お前は随分ドライなんだな。アンデッドよりはマシなのか?」
「んなわきゃないでしょ。人相手に僕のこけおどしの魔法なんてまるで使い途がない。初歩の魔力操作で壁に穴空けて敬意を持たれる副官様ですよ。くっくっく」
バカバカしくてやってられるか。流石にその一言は自重する。フーチガースはとっくに見切りをつけていた。魔法という隅から隅まで不思議な現象を前にして、金だの、女だの、上下関係だの、低俗な欲に溺れ、一方で偶然発動の方向性が分かった程度の魔法を神聖魔法、神の御業と持ち上げ、その先を追求することもなく、あまりにも難解な魔法の研究は禁忌だの、仮説を口にしても異端だの。自分がしたいこととしたくないことを全部神のせいにして押しつけるゴブリン以下の連中に期待することはない。せいぜい地獄とやらがあったら率先して落ちろ。
「俺もお前もわりと限界だよな。大国になれば魔物に怯えなくてすむ、という大義に向かって今は我慢の時期だと分かっちゃいるが、汚れ仕事が辛いことに変わりはない」
でもまぁ、サデントスはそう努めて明るい大声で話題を変えた。
「次の仕事は久し振りに息抜きになりそうだ」
「もう次の辞令がきたのですか?」
「ああ、上は急いでいるような、そうでもないような、意見がまとまってない感じだがな」
「へぇ、まとまらないのはいつものこととして、内容は話しちゃって大丈夫ですかね?」
「エルフの国、ウルフレイとかいう国を訪ねろと。使節団ってやつだ」
「! エルフ。それはまた、なんの接点が。いや行けるだけで最高ですが」
「くくく、やはり魔法絡みになると目の色が変わるな。目的は胡散臭いんだが、個人的には旅自体を楽しむつもりだ。シスピナとエステリアも合流する。あいつらも聖堂勤めで変わったかな。変わってないといいな」
「胡散臭い? まさかエルフを攻める下調べとか言いませんよね」
「あー、そういう物騒な話じゃない。何年か前、世界中が受け取った啓示騒ぎがあっただろ? なんでもあれに関する有力な情報をエルフが知っているとか」
そんなまさか。フーチガースは訝しんだ。それに本当だとして、事実上の宗教国家が異教の話を信じて受け入れる態度がおかしい。なんの裏がある話だ? フーチガースは常にフードを目深に被って表情を悟らせないようにしているけど、サデントスは心持ち顔を傾けて覗き込むように見て笑った。
「世界樹、て聞いたことあるか?」




