第34章 王女アリアーヌの訪問
足音は、木漏れ日が降り注ぐ丸太小屋の庭先に、森の入り口から賑やかに近づいてきた。マリアとアンナは、驚いて顔を上げると、そこにアリアーヌとクラウス、そしてロベールの姿を見つけた。五人の護衛たちは、その後方で山のような荷物を背負ってフラフラと歩いてくる。
「アリアーヌ様。皆様どうしてここまで来られたのですか」
マリアは、そう尋ねながら出迎えた。アリアーヌは、満面の笑みを浮かべて答える。
「マリアに会いたくて、帝都から馬車を飛ばしてきたのよ。森の入り口からは道が細くて馬車が入れなかったから、護衛たちに荷物を持たせて歩いてきたの」
マルコは、額の汗を拭いながら重い荷物を地面に下ろした。
「アリアーヌ殿下がマリア様たちに美味しいものを食べさせたいと、あれもこれもと買い込んだ結果がこれです」
シモンは、肩で息をしながら言葉を続けた。
「最高級のお茶の葉に、有名店の特製焼き菓子、それに綺麗な織物まであります。ここまで背負って歩くのは本当に骨が折れました」
ロベールは、苦笑しながら言葉を添えた。
「仕方ないだろう。アリアーヌは道中ずっと、早くマリアに会いたいとそわそわしていたからな」
クラウスは、優しく微笑みながら頷いた。
「僕も早く直接お礼を言いたかったから、こうして会えて嬉しいよ」
マリアは、嬉しさに胸を弾ませ、さっそく皆を庭へと案内した。
マリアとアンナ、そしてアリアーヌの三人は、心地よい風が吹き抜ける丸太小屋の庭で大きな敷物を広げ、宮殿のテラスで過ごしたときのような気楽な空気感で会話を弾ませた。
女性陣は、身分や敬語の壁をすっかり取り払い、年相応の少女のように笑い合った。ヴァイスは、白銀の巨体を揺らしてその足元で穏やかに腰を下ろした。ディーネは、相変わらずアリアーヌの周りをふわりふわりと嬉しそうに飛び回っている。
「私とあのカスティリャ王国のレオン殿下との婚約話、あともう少しで正式に決まるところまで進んでいたの。マリアのおかげで阻止できて本当によかった、ありがとう」
アリアーヌは、パッと花が咲いたような笑顔でそう打ち明けた。マリアは、それを聞いて思わず目を丸くする。
「でも、カスティリャ王国の皇太子は、義妹が婚約者として決まっていたんじゃなかったかな。もしかして何か別の理由でその婚約が破棄になったりしたのかな」
マリアは、無邪気な疑問を口にした。アリアーヌは、小首をかしげ、ふと気になったように問い返す。
「アンナとマリアって、この森に来てから5年になるんだよね。それまでは一体どこで暮らしていたの」
アンナは、その問いに対して、少しだけ言葉を選びながら静かに答えた。
「実はお嬢様はカスティリャ王国の侯爵家の人間なのです。10歳まではちゃんとお屋敷で暮らしていました」
「侯爵家。どうしてこの恐ろしい禁忌の森になんて」
アリアーヌは、驚きを隠せずにさらに尋ねた。アンナは、少しだけ視線を伏せて申し訳なさそうに頭を下げる。
「申し訳ありません。色々な深い事情があって、詳しくお話しすることはできないんです」
アリアーヌは、過去の痛みを察し、それ以上深く追及することはしなかった。
「ごめんね、変なこと聞いちゃったわね」
アリアーヌは、すぐに明るい笑顔を取り戻し、マリアの手をぎゅっと握った。
「クラウス君と私の結婚式には絶対に招待状を届けるわ。だから二人とも絶対に出席してよね」
「もちろん。私たちも絶対に出席するわね」
マリアは、笑顔で即答した。ヴァイスは、足元で「ワン」と力強く頼もしい返事をした。ディーネは、任せてとばかりにキビキビと上下に動き、了承の意を示す。
「ありがとう。ヴァイス様とディーネ様の特別なお席も、ちゃんと用意しておくからね」
アリアーヌは、嬉しそうに微笑んだ。二匹は、それに満足そうだ。
ロベールとクラウスは、少し離れた場所にいた。
「なんだか完全に僕たちの話題から外されてないか」
「本当だな。なんだかものすごくアウェイな雰囲気だ」
第二王子ロベールとクラウスは、先ほどから置いてきぼりにされてすっかり拗ねており、木陰でぼそぼそと二人で愚痴を言い合っていた。アリアーヌは、それに気づいて振り返り、冷徹かつ鮮やかな一喝を飛ばす。
「お兄様たち。私たちはいま、女子会で盛り上がっているんだから、お兄様とクラウス君は二人で仲良くおしゃべりしていてください」
ロベールとクラウスは、容赦のない、けれどどこか愛嬌のある一喝に「はーい」と揃って子犬のように肩を落とし、しょんぼりして見せた。マリアたち三人は、そのあまりに微笑ましいやりとりに、思わず声を上げて楽しそうに笑い合った。
過ぎゆく時間は、笑い声がどこまでも響く温かな森の中で、どこまでも穏やかで、幸せに満ちあふれていた。
マリアは、さっそくアリアーヌからお土産でもらった最高級のお茶を淹れた。芳醇な香りは、ふわりと庭先に広がり、持参してくれた特製のお菓子を囲んで女子会はさらに大盛り上がりを見せた。
話題は、楽しいお喋りに花を咲かせる中、帝国で幸せに暮らす人々の近況へと移っていく。
「そういえば、呪いから解放された皇太子エドワード様はいかがお過ごしですか」
マリアは、興味深そうに尋ねた。アリアーヌは、嬉しそうに答える。
「すっかり健康を取り戻したわ。以前の冷え切った関係が嘘のように、婚約者である公爵令嬢と心を通わせているの」
アンナは、微笑みながら相槌を打った。
「それは素晴らしいことです。お二人とも幸せに過ごされているのですね」
「ええ。いまや周囲も羨むほど仲睦まじい日々を過ごしているそうよ」
マリアは、そんな順風満帆な帝国の様子を聞きながらふと首をかしげた。
「そういえば、ロベール殿下は」
アリアーヌは、クスリと笑い、声をひそめてこう暴露した。
「お兄様のこと。あの方はいまや、我が家で唯一の宙ぶらりんな独身貴族よ。周りがみんな幸せそうにしているものだから、本人も僕の運命の人はどこにいるんだなんて、最近は少し焦り始めているみたい」
マリアとアンナは、その微笑ましい近況に思わず顔を見合わせてクスクスと笑い声を上げた。
国を覆っていた暗雲が嘘のように去り、それぞれの未来を明るく照らし出している。穏やかなひとときは、甘いお茶とお菓子の味わいとともに、みんなの幸せな笑顔が思い浮かぶように、心から満たされて流れていった。
西の空は、ほんのりと夕焼け色に染まり始めた。
「そろそろ暗くなる前に、帰路につかないとね」
アリアーヌは、名残惜しそうに立ち上がった。ロベールやクラウスたちも、身支度を整え始める。
「そうだね。名残惜しいけれど帰るとしよう」
禁忌の森は、夜のとばりが下りると昼間とは打って変わって、強力な魔獣や危険な闇が濃くなる場所である。マリアは、心配そうに空を見上げて夜の森は危ないと考えた。そして、彼女の周囲をふんわりと舞う風の精霊たちにふと目を向け、両手を合わせてそっとお願いをした。
「風の精霊さんにお願いがあるの。アリアーヌ様たちを超特急で安全に帝都まで届けてあげてくれないかな。森の夜は危ないから、早く送り出してあげたいの」
風の精霊たちは、マリアのその言葉を聞いた瞬間、任せておいてとばかりにやる気をみなぎらせ、嬉しそうにクルクルと素早く旋回した。
「なんだか風が」
アリアーヌたちは、驚く間もなかった。風の精霊たちは、一斉に力を込め、周囲の空気を優しく、しかしものすごい勢いの気流へと変えていく。風切り音は、凄まじく響いた。アリアーヌたちの身体は、次の瞬間、ふわりと宙に浮かび上がり、まるで矢のように森の上空へと押し上げられ。
「ビュン」
飛んだ。
「速すぎる」
風の精霊たちは、ロベールやクラウスたちの驚愕の叫び声を背に受けながら、爽快なまでのスピードで夕暮れの空を駆け抜けていく。みんなは、あまりの超特急の移動に目を見開き、唖然と息を呑んでいる暇すらなかった。
風の精霊たちは、風を切ることわずか数分で目的地に到達した。
「あれ」
アリアーヌは、恐る恐る目を開けた。見慣れた景色は、そこに広がっていた。さっき出発したはずの禁忌の森とは遠く離れた、まさしく帝都の皇宮の庭園だったのだ。
ロベールたちは、あまりの出来事にポカンと口を開けたまま、芝生の上に着地させられていた。
「もう着いたの」
「嘘だろ。帝都からあの森まで、行きは馬車で何日もかかったはずじゃ」
「馬車もここにある馬も護衛も、そろってここにいるぞ」
マルコやシモンを含む五人の護衛たちも、乗ってきた馬車も馬も、すべてが無傷のまま一瞬で運ばれていた。アリアーヌたちは、あまりの次元を超えた神業的スピードと、マリアの周囲に集う精霊たちの凄まじい加護の力を改めて痛感しながら、呆然と顔を見合わせるのだった。
マリアは、その頃、無事にみんなを送り届けて丸太小屋の庭で笑顔を浮かべ、これで安心ねと静かで穏やかな夜を迎える準備を始めた。




