第33章 禁忌の森の探索と宰相への報告
森の入り口の前でガタガタと震えながら足を止める。黒々とした木々が口を開けて待つ不気味な空間へ、隊長をはじめ、自発的に一歩を踏み出そうとする者は誰一人としていなかった。
すると、誰かが血走った目で叫んだ。
「待てよ。こうなったら、独身のやつが先頭を行けばいいんだよ。そうだ、独身の奴ら、前へ出ろ」
「ふざけんな。独身だからって死に駒にされる筋合いはないぞ」
「いいから行け。お前たち、行くんだよ」
「ふざけるな。さっき森に入る前にみんなでジャンけんしたじゃないか」
「ああ」
その一言で、その場の空気は凍りついた。全員は、恐怖逃れのために先頭を誰にするかで真剣なじゃんけん勝負をしたことを、数分前の出来事として鮮明に思い出した。
真っ青な顔をした一人の兵士が、震える指をさす。
「言い出しっぺのお前が負けたよな」
「なにを言う。あれはウォーミングアップというか、練習のつもりでだな」
「うそつけ。チョキ出して完敗したの、俺たちの目でしっかり見たぞ」
「いやだ。行きたくない。あんな森に入ったら、二度と故郷のメシが食えなくなる。お前が押してくれよ」
「お前が負けたんだよ、さっさと歩け」
「見捨てないでくれ」
泥沼の押し付け合いと涙目の責任転嫁が延々と繰り広げられる中、やさぐれたカスティリャ王国軍の兵士たちは、背中を押されるようにガタガタと震えながら、恐怖に引きつった顔で禁忌の森の暗い境界線へと足を踏み入れていくのだった。
カスティリャ軍の兵士たちはガタガタと震えながら、命を捨てる覚悟で禁忌の森の境界線をまたいだ。
「もうおしまいだ」
誰もが死を覚悟して固く目をつむり、重いブーツで一歩目を踏み出したその瞬間。
「ん」
先頭を歩いていた兵士は、拍子抜けしたように目を開けた。そして鼻から深く息を吸い込み、首をかしげる。
「なんだこれ。空気、めちゃくちゃ美味しくないか」
「え。いや、待て。さっきまでの重苦しい瘴気はどこに行ったんだ。なんか、体が妙に軽いぞ。いまなら地面を蹴って空を飛んでいけそうなくらいだ。まあ、うそだけどさ」
周囲を警戒していた他の兵士たちも、きょとんとした顔で自分の手足を動かす。恐ろしい魔獣の唸り声も血の臭いもせず、あるのはどこまでも澄んだ爽やかな風と心地よい木漏れ日だ。
「なんだよ、思ってたより全然安全な森じゃないか。噂の魔獣の巣窟って、もしかして大ぼらだったのか」
別の兵士は、緊張の糸がプツリと切れて気が緩みかけた時、ふと視線を落として声を上げた。
「おい、ちょっと待て。見ろよ、あそこにめちゃくちゃ綺麗な花が咲いてるぞ」
彼が指さした先の木陰には、月明かりのように淡い光を放つ、見たこともないほど神秘的で美しい花が群れをなして咲いていた。上品な甘い香りがふわっと鼻腔をくすぐる。
「すげぇ。こんな綺麗な花、王都の植物園でも見たことないぞ。なんて名前の花か知ってるやついるか」
全員が首を横に振る中、植物に詳しいとして知られていた一人の兵士は、生唾を飲んで一歩前に出た。
「もしかして、あれは」
「なんだ知ってるのか。教えてくれよ」
オタク兵士は青ざめた顔で冷や汗を流しながら、震える指でその花を指し示した。
「あれは確か王立図書館の図鑑の、一番最初のページに載ってたはずだ。極めて清浄で、神聖な空気と濃厚な魔素が満ちた聖域でしか絶対に育たないっていう幻の特異植物。名前は確か、聖母の涙とかいう希少価値の高い薬草だ」
「なんだって。高級薬草ってことは、めちゃくちゃ高いやつじゃねぇか。」
「馬鹿野郎。金の心配をしてる場合かよ」
植物に詳しい兵士が半狂乱になって叫ぶ。
「あんなの、普通の土地じゃ一輪育てるだけでも奇跡なのに、なんでよりによって、魔獣や危険な化け物が多数存在する禁忌の森なんかに咲いてるんだよ」
兵士たちの顔からは、その言葉で一気に血の気が引いた。
「魔獣が多数存在する危険な森なのに、なんで空気がこんなに美味しくて、神聖な幻の薬草が絨毯みたいに咲き乱れてるんだ」
「おい。それってつまり」
カスティリャ軍の兵士たちは、冷や汗を滝のように流しながらその場にヘナヘナと座り込んでしまった。そこは、幻の高級薬草がそこいらに咲き誇り、呼吸をするだけで体が羽のように軽くなるような神聖な空気に包まれた森の中だ。
「こりゃやばい。もう降参しよう。真面目に命がいくつあっても足りないって」
「そうだ。だって、噂で聞いたぜ。あの令嬢マリア様。あいつ、ただの人間じゃなくて、もしかして本物の女神様なんじゃないのか。伝説の魔獣を従えていたり、この死の森自体を聖域に変えちゃったりしてるんだろ。こんなの、人間の軍隊で敵うわけないよ」
先頭を切って怯えていた兵士は両手を上げて叫んだ。すると、他の仲間たちも一斉に激しく同意した。
「完全に撤退に賛成。あんな化け物みたいな相手に勝てるわけがない。絶対に敵わないよ」
「反対する奴なんて、この中に一人もいないよ」
兵士たちの意見は、命の危険を本能で察知したことで驚くほど一瞬で一致団結した。彼らの脳内からは、マリアを探し出してどうこうするというカスティリャ王国上層部の理不尽な命令など、もはや綺麗さっぱり消え去っている。
しかし、そこで現実的な問題が一つ浮上した。
「おい、でもよ。完全に引き返していませんでしたって報告するにしても、宰相の野郎に本当に奥まで調べたのかって疑われるだろ。何か一つくらい、ここまで探索したっていう行った証拠を持ち帰らないと、俺たちの首が飛ぶぞ」
「確かに。証拠なしで手ぶらで帰ったら、それこそ軍法会議で処刑行きだ」
兵士たちは再び青ざめた。
「じゃあどうするんだよ。奥まで行ったらあの女神様や魔獣に遭遇してしまうかもしれないんだぞ」
「だからさ」
一人の兵士は閃いたように足元を指さした。
「この辺に生えている、あの聖母の涙だか何だかの極めて珍しい薬草あるだろ。あれを数枚むしり取って、森の深部でこんな幻の薬草を見つけました、探索の証拠ですって持ち帰れば、奥まで行かなくても誤魔化せるんじゃないか」
「それ天才だぞ。奥の危険地帯には一歩も足を踏み入れてないけど証拠になる」
「賛成。すぐにその草をむしり取って、一目散に逃げ帰ろうぜ」
隊長を筆頭に、すっかりやさぐれた兵士たちは偽装工作を開始した。命からがら任務を完遂したと、上に報告するためである。彼らはわざと泥だらけになりながら、証拠の薬草を必死になって引っこ抜いていた。
隊長は、王宮に戻ると宰相の前で堂々と嘘の報告をした。
「森の深部まで徹底的に調査を行いました。不審な痕跡などは一切見当たらず、異常はありません。なお、道中で、聖母の涙と、いう希少な薬草が自生していたため、数枚採取して持ち帰りました」
宰相は、疑わしげに目を細めた。
「聖母の涙ではないか。よくやった。他には本当に何もなかったのか。奇妙な光や、見慣れぬ者の足跡すらなかったと言うのだな」
隊長は、平然と答えた。
「はい。人為的な魔力の痕跡は皆無でした」
宰相は、苛立ちを隠せずに机を指で叩いた。
「お前たちは、本当に隅々まで確認したのだろうな」
隊長は、微塵も動揺を見せずに嘘を重ねた。
「もちろんでございます。巨大な爪痕や未知の瘴気だまりを掻き分けて進みました。しかし、聖女や魔法使いの類が潜んでいるような気配は全く存在しませんでした」
宰相は、苦々しい顔で舌打ちをした。
「そうか。お前たちの働きは評価する。引き続き監視を続けよ」
極秘の探索部隊は、何もしないまま異常なしと報告をして、奇跡の正体は完全に闇の中へと隠された。




