第25章 皇太子全快大祝賀会③
宮廷楽団の奏でる調べが優雅で軽やかなワルツへと切り替わると、華やかな大広間の空気はさらに熱を帯びた。
死の淵から見事に本来の健康を取り戻した皇太子エドワードは、広間の中央に設けられた特設フロアで、婚約者である気品あふれる公爵令嬢を優しくエスコートしていた。二人は、満場の拍手と祝福を一身に浴びながら、息の合った見事なファーストダンスを踊り始める。会場中の貴族たちは、クルクルと軽やかに舞う彼らの姿に、うっとりとした憧れと感嘆の視線を注いでいた。
特等席からその幸せそうな様子を微笑ましく眺めていたマリアの前に、ふと背の高い影が差した。マリアが見上げると、第二王子ロベールが紳士的な笑みを浮かべながら、彼女に向けてスッと優しく片手を差し出していた。
「マリア殿。よければ、私と一曲踊っていただけないだろうか」
「私ですか」
マリアは思わず目を丸くし、恥ずかしさからパッと頬を赤らめた。
「私には無理です。そんな上手に踊れません。お姉さん、どうぞ」
マリアは慌てて隣に座るアンナに手を押し付けようとしたが、アンナは顔を赤くして首を猛烈に横に振って拒絶する。
「とんでもないわ。私なんてもってのほかよ」
「ですが、私は森で泥だらけになって走り回っていたのですよ」
「それでもマリアは帝国の恩人よ。自信を持って」
周囲の貴族たちも、温かい視線を送りながらやんわりとはやし立てた。
「お相手は第二王子殿下だ。ぜひとも踊ってさしあげてくれ」
マリアは完全に逃げ場を失い、おずおずと恐る恐る、小さな手をロベールの大きな手の上に重ねた。
彼女は、10歳でカスティリャ王国を追放されるまでは、厳しいお妃教育の一環として毎日ダンスのレッスンも受けていたはずだった。しかし、マリアが禁忌の森で動物たちと泥だらけになって走り回る生活をしてから、5年も経っている。果たして体はステップを覚えているだろうか。
マリアは、不安で胸をドキドキさせながらフロアの中央へと導かれた。彼女が音楽に合わせて一歩を踏み出した瞬間、ロベールが静かに囁く。
「肩の力を抜いて。私がしっかり合わせるから大丈夫だ」
「はい。申し訳ありません」
ロベールは巧みなリードでマリアの強張った緊張を優しく解きほぐしていった。エスコートは驚くほど丁寧で的確であり、彼女の少しぎこちない足並みを自然に支え、いつの間にか流れるような美しいステップへと変えてくれた。
「とても筋がいい。素晴らしいステップだ」
「殿下のリードのおかげです」
マリアは、周囲の視線が集まる中、音楽の終わりに合わせて最後の一礼を綺麗に決めると、小さな息をついた。
「緊張しました。でも、ありがとうございます、ロベール殿下」
ロベールは爽やかに笑い、温かく微笑み返した。
「私の方こそ光栄だよ。見事な踊りだった」
華やかな祝賀会の喧騒から遠く離れた宮殿の深い地下。厳重な尋問室では、光の届かない冷たい石造りの部屋に肌を刺すような冷徹な空気が張り詰めていた。伯爵家当主は、屈強な近衛騎士たちに拘束され硬い椅子に縛り付けられながらも、滝のような冷や汗を流して強気でしらを切り通していた。
「私には一切身に覚えがない。何の真似だ。私を誰だと思っている」
「言い逃れは通用しない。すでに証拠は挙がっているのだ」
「違う。私は何も知らない」
「すべて話せ。エドワード殿下に呪いをかけた真の黒幕は貴様だな」
帝国の尋問は、国家の威信を傷つけ次期皇帝であるエドワードの命を激しく揺るがした大罪人に対して、決して甘いものではなかった。当主が被っていた取り繕った仮面は、熟練の尋問官による冷徹な追及の前に、みるみるうちに剥ぎ取られていく。逃げ道を完全に塞がれて精神的に追い詰められた当主は、死の恐怖に屈してガタガタと無様に震えながらその醜い野望を自供し始めた。
「娘をロベール殿下に嫁がせ、エドワード殿下を排除すれば、私が皇帝の義父になれると考えたのだ。妻もそれを強く望んでいた。彼女は現在の皇后陛下に深い恨みを抱いていたのだ」
「どうやって皇太子殿下に呪いをかけたのか。詳細を述べよ」
冷徹な尋問官の厳しい問いに、当主はすっかり青ざめた顔で力なく吐き出した。
「私は、自分の手引きで長年皇宮の中に潜り込ませていた知己の高級使用人を利用した。そして、エドワード殿下の抜け落ちた髪の毛や普段身につけている私物をこっそり盗み出させた。そこに他国から大金で買い入れた強力な呪いを縫い込み、少しずつ殿下の体をむしばませたのだ」
悪意に満ちたすべてが明るみに出た瞬間だった。エドワードの命を執拗に狙った大陰謀の全貌は、宮廷の深くまで密かに食い込んでいた魔の手の正体とあまりにも身勝手な動機が明らかになったことで、完全に暴かれたのだった。
宮廷を巻き込んだ陰謀は、当主一人にとどまらなかった。共犯であった伯爵夫人や、あわよくばの野望に喜んで加担していた娘の存在も、次々と暴かれていく。娘は、自分が次代の皇太子妃の座に座るものだと固く信じ込み、父や母と共に絶対的な栄光への階段を駆け上がる夢に酔いしれていた。報告を受けた周囲の者たちは、底知れぬ身勝手さと他者の命を平気で奪おうとする冷酷な企みが明らかになると、一様に背筋を凍らせた。
伯爵家当主は、すべてが露見して一切の逃げ場がない絶望的な状況の中、地下の牢獄の冷たい石畳の上で罪の重さと長年の野望のあっけない崩壊に耐えかねて、指輪に仕込んで持ち込んでいた猛毒をあおってその愚かな生涯を閉じた。
夫の悲惨な死を知った伯爵夫人もまた、肥大化した虚栄心と歪んだ執念がもたらした最悪の結末に絶望し、夫の後を追うように隠し持っていた同じ毒をあおって自ら命を絶った。
長男は、知らぬ間に野望の片棒を担がされていた。悪辣な暗殺計画の全貌を一切知らされておらず、近衛騎士団による厳正な調査の結果、謀反への関与はなしと判断された。
「両親と妹が取り返しのつかない大罪を犯し、誠に申し訳ございません。この罪は、生涯をかけて必ず償います」
長男は、あまりにも身勝手な両親と妹の罪に深く頭を垂れてただ涙を流して謝罪した。地に落ちた伯爵家の名誉と家督を辛うじて継ぐことを許され、領地と家を必死に立て直すべく、重い十字架を背負って生きることになった。
野望の中心で甘い夢を見ていた娘は、人知れず遠く離れた辺境の地の極めて厳格な修道院へと送られた。
「嘘よ。私が皇太子妃になるはずだったのに。こんな暗い場所にはいたくないわ」
彼女の叫びに耳を貸す者は誰もいなかった。美しいドレスを奪われ、二度と華やかな表舞台に戻ることのない静寂と孤独の中で、自らの犯した罪をひたすらに悔い改める日々を送ることになった。
こうして、エドワードの命を長年脅かし続けた禍々しい闇の陰謀は完全に断ち切られた。




