第2章 禁忌の森へ
「行っちゃったね」
16歳のアンナは十代半ばを過ぎた年の功か、ふっと息を吐き出した。自分の服を落ち着いた手つきで軽く叩いて埃を落とす。その顔には恐怖や絶望の色はなく、むしろどこかすっきりとした清々しさが漂っている。10歳のマリアを見下ろす瞳には、底知れない母性と頼もしさがあった。
「はい。これで本当にあの息苦しい場所から離れらましたね」
マリアは自分の足元を見つめた。王宮の冷たい大理石とは違う、湿った黒い土の感触。頭上を覆う木々の隙間からは、夕暮れの橙色の光が差し込んでいる。
「アンナ。行こう。禁忌の森の奥へ」
「はい、マリア様。私に任せてください。ここから先は、私たちの場所です。王宮の連中も絶対に追ってこられない。私がしっかり守りますからね」
アンナは、6歳年下のマリアを包み込むように優しく微笑み、冷えた小さな手をしっかりと自分の温かい手で握りしめた。
二人は後ろを振り返ることなく、生い茂る木々のトンネルへ足を踏み入れる。
そのとき、マリアの体内で、ズキリと何かが静かに目を覚ました。誰にも見せないように隠し続けてきた醜い痣。太ももの内側の秘密の場所が、冷たい森の空気に反応するかのように、熱を帯び始めたのだ。
「行こう。少し遠いわね。でも、歩いて歩けない距離じゃない」
マリアが前を向いて歩き出しながら、小さく息をついた。
「アンナ。乳母はどうしてるんだろう。一緒に来ればよかったわね。私やアンナと別れて、冷たい家に残されて、辛く当たられなければいいんだけど」
「マリア様。母は大丈夫です。あの人は強い人です。あそこに家族が残っていますからね」
アンナは少しだけ遠い目をして、しっかりと前を見据えた。父や兄、そして妹の顔が頭に浮かんだ。アンナの表情には、愛する家族と離れる寂しさはあるはずなのに迷いはなかった。
「お父さんも、お兄さんも、妹さんもみんないるものね。アンナ、お願いがあるの。これからはお姉さんって呼ぶのはだめかな。私のことはマリアって呼び捨てにしてね」
マリアが振り返ってそう言うと、アンナは慌てたように首を横に振った。
「そんな。マリア様を呼び捨てになんて出来ません。お姉さんはもったいないながら、いいのですが。私はこれからも、マリア様と呼ばせていただきます」
「そんな堅苦しいの嫌いなのに」
10歳のマリアは不服そうに頬を膨らませる。アンナは少しだけ困ったように、愛おしそうに目を細めた。
「マリア様、これだけは譲れません。話って何ですか」
アンナが少し歩幅を緩め、心配そうに覗き込んでくる。マリアは言い淀むように、裾をぎゅっと握りしめた。
「アンナ。こんなこと、気持ち悪いかな。嫌なら、聞かないでほしいんだけど」
「マリア様、なにを言うんですか。私にとって嫌な話なんて何一つありません。どんなお話でも、気持ち悪いなんて思いませんよ」
アンナの力強い言葉に勇気づけられて、マリアは小さくうなずく。
「私の太ももの内側の痣、知ってるよね」
「はい。ご両親たちが心無いことを言っていた、あの綺麗な花の模様の」
「この森に近づくたびに、不思議なんだけど、そこがズキズキするの。痛くはないのよ。体が熱くなって、何かに呼ばれているような、そんな気がして。私、やっぱり気味が悪い子なのかな」
不安そうに瞳を揺らすマリアの小さな手を、アンナは自分の温かい両手で包み込んだ。
「気味悪いだなんて、そんなこと絶対にありません。マリア様の痣は、誰が何と言おうと綺麗です。この森がマリア様を呼んでいるんだとしたら、ここにはマリア様のための何かがあるんですよ」
「うん」
アンナの言葉に少しだけ勇気をもらいながら、二人はついに足を踏み入れた。生い茂る黒々とした木々が口を開ける禁忌の森の境界線へ。




