第19章 マリアを迎える国家の決断
皇帝は、静寂に包まれた皇宮の密室で立ち上がるとすぐに行動に移った。
「者ども、皇后、アリアーヌ、そして宰相をただちにこの部屋へ呼べ」
近衛兵たちは、皇帝の厳命を受け、厚い鉄の扉の外から一斉に大理石の廊下を走り出した。わずか数分後、何事かと不安そうな表情を浮かべた皇后と王女アリアーヌ、そして事態の重さを察して顔を引き締めた老練の宰相が、足早に密室へと入ってきた。
「あなた、一体どうしたのですか。エドワードの容態が急変したのでは」
皇后は、血の気を失った青白い顔で震える声を振り絞って尋ねた。アリアーヌもその傍らで、不安そうに両手を握りしめ、すがるように父を見上げていた。
皇帝は、怯える二人を優しくも確固たる力強い眼差しで落ち着かせると、重厚な円卓の席に全員を座らせ、厳かに口を開いた。
「案ずるな。エドワードの命はまだ繋がれている。だが、これから話すことは、我が帝国、そして隣国カスティリャ王国の歴史をも根底から揺るがす重大な真実だ」
宰相は眉をひそめ、真剣な面持ちで身構えた。皇帝は、先ほど息子であるロベールから聞き出したすべての経緯を語り始めた。禁忌の森の奥深くに暮らす銀髪の少女マリアの存在。彼女が伝説の魔獣である白銀のフェンリルや水の精霊を従え、森の動物たちに愛されていること。そしてエドワードの病の正体が何者かによる呪いであり、その不思議な力を持つ少女が自ら城へ救いに来てくれるかもしれないという奇跡のような可能性について、一言一句違わず丁寧に語り聞かせた。
皇后とアリアーヌは話を聞き終えると、あまりの非現実的な内容に息を呑み、完全に言葉を失った。しかし、宰相は深く考え込むように蓄えた白い髭を撫で、すぐに一国の政治を司る者としての研ぎ澄まされた冷静さを取り戻した。
「信じがたいお話ですが、ロベール殿下の真摯なお言葉に嘘偽りはないと見受けます。そして何より、エドワード殿下を救う唯一の希望であるならば、我々が動くべき道はただ一つ」
皇帝は、宰相の迷いのない力強い言葉に深くうなずいた。
「そうだ。この瞬間より、我が国は禁忌の森の少女マリア殿に対し、最大限の敬意と礼節をもって接する。これを全皇宮、そして帝都に布告する」
皇帝は、宰相に向かって鋭い視線を向け、威厳ある声で命じた。
「宰相、直ちに布告の準備をしろ。
一、帝都および宮殿の全兵士と騎士に対し、禁忌の森周辺での戦闘行為および無用な立ち入りを一切禁止する。
二、第二王子ロベール、および彼が選定したごく少数の特命護衛のみが、マリア殿の迎使として森へ入ることを許可する。それ以外の者が近づくことは、たとえいかなる身分の者であろうと国家への反逆とみなす。
三、もし万が一、マリア殿およびその関係者、すなわち白銀の魔獣、水の精霊、アンナという女性の御一行が帝都を訪れることがあれば、皇宮総出で最上級の礼遇をもって迎え入れること。少しでも無礼を働く者がいれば、その場で厳罰に処す」
宰相は、皇帝の圧倒的な威厳と、国を賭けた決意に満ちた布告の指示に深く頭を下げた。
「御意。直ちに全軍および帝都の全域に、かつてない厳重なる布告を発令いたします」
皇后も、愛する我が子を救うために国を挙げて動き出した夫の頼もしい姿を見て、震える両手をそっと胸に当てた。彼女は、重い沈黙が支配する密室の中で皇帝の厳命を聞き届け、遠く離れた森にいる善良な少女に向けて、神に祈るように静かにうなずいた。
「お願いします。どうか、あの心優しい少女が、我が子を救ってくださいますように」
厳戒の布告は、帝都に、そして広大な皇宮の隅々にまで行き渡った。それは、帝国が人間の常識を超越した森の少女を迎え入れるため、史上最大にして最重要の国家機密プロジェクトとして一斉に動き出した瞬間だった。
小さな声が、密室に重い沈黙が流れる中、その静寂を破るように響いた。
王女のアリアーヌが、それまで静かに父である皇帝の信じがたい話を聞いていたが、ドレスの膝の上できゅっと小さな拳を握りしめ、わずかに震える声で口を開いたのだ。
「お父様、お母様。私、信じたいです」
アリアーヌの澄んだ瞳には、先の見えない不安の色だけでなく、病に倒れた最愛の兄であるエドワードを想う切実な光と、未知の存在に対する強い決意がはっきりと宿っていた。
「人間を寄せ付けないあの恐ろしい禁忌の森に、そんな優しい少女が暮らしているなんて、まるで幼い頃に読んだ絵本のお話のようです。でも、エドワードお兄様を救うために貴重な薬草をわけてくれて、さらに原因不明の呪いまで見抜いて自らこのお城へ来てくださるかもしれないなんて。そのマリア様という方は、きっと本当にお優しくて、奇跡のような方なのですね」
アリアーヌは、不安と安堵で少し目を潤ませながらも、毅然とした態度で父である皇帝をまっすぐに見つめ返した。
「もしその方がこの王都にいらっしゃるなら、私、絶対に直接お礼が言いたいです。それに、伝説のフェンリルや水の精霊とお友達だなんて、なんだか少し会ってみたい気もします。もちろん、恐ろしい魔獣と聞くと少し怖いですけれど」
彼女らしい素直で純粋な本音が張り詰めた極限の緊張感の中でこぼれたことで、ピリピリと重苦しかった密室の空気がほんの少しだけ温かく和らいだ。
アリアーヌは、少し照れたように微笑んだ後、再び凛とした表情へと引き締め、気丈に言葉を続けた。
「だから、お父様の出された布告に賛成です。私たち家族は、帝国が示せる最大級の敬意と深い感謝をもって、マリア様たちをきちんとお迎えしなければなりません。どうか、エドワードお兄様が無事に目を覚ましますように」
皇帝は、健気で芯の強いアリアーヌの言葉に目尻を下げて深く優しくうなずき、皇后も愛おしそうに娘の華奢な肩をそっと抱き寄せた。
国の歴史をも揺るがす重大な決断は、愛する家族の命を救いたいという純粋で切実な祈りと共に、決して揺るぐことのない確かな一体感となって強く固まった。




